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クリスマス・ゲリラ ~掃除屋探偵~

作者: 石割えむ

 十二月二十三日。

 昼下がりの駅前商店街。

 街灯に据えられた、雑音の混じる古いスピーカーから聴こえるクリスマスソングと、アーケードの両サイドに並ぶ店々の飾りつけは、ひなびた商店街に少々ではあるが活気をもたらしていた。

 しかし、商店街の中心にある広場は、お世辞にも季節感をあふれさせている、とは言えなかった。

広場とは言っても、二十五メートル四方ほどの空き地で、両脇を寝具店と酒屋で、後ろを廃ビルで囲まれており、ベンチが申し訳程度にぽつりぽつりと置かれている。他にはなにもない。木枯らしが吹くと、街路樹の枯れ葉が固い地面を舞った。

広場の前に、一台のポンコツトラックが停まった。荷台には、巨大なもみの木がしっかりと固定されている。



わたしは助手席のドアを開け、ぴょんと飛び降りると、勢いよく閉めた。ばぎゃんっ、と安っぽいベニヤが割れるような音が大きく響く。

「椿ちゃんっ。頼むから丁寧に閉めてよ……。レンタル料金、高いんだからさぁ」ユズコが運転席から降り、そぅっとドアを閉めた。長い髪を手首のゴムでくくると、腕まくりをした。「さて、ワイヤーをほどいたら、せーの、で一気に行くよ」

「っていうかユズコ。こんな馬鹿でかいツリー、クレーンじゃなきゃ無理じゃない?」

「だーいじょうぶだ。ウィーキャンドゥーイッ」

荷台のもみの木の幹をぱすぱすと叩きながら、呉井さんがぐっと親指を立てる。ユズコと私は顔を見合わせた。

「呉井さん……。あんまり張り切ると腰に来るから気を付けてよ」

ユズコが止め具からワイヤーを外しながら言う。

「フン。このくらいテンション上げなきゃ乗り切れねえよ。こんな殺人的スケジュール」

鼻の下をこする呉井さん。うなずくユズコとわたし。

「それは確かに……言えてる」


わたしたちは掃除屋だ。

 掃除屋、というと、ある業界では殺し屋のことを指すらしい。

 もちろんわたしたちは、そんなカッコ良くてあぶなっかしい職業でお金を稼いでいるわけではない。わたしたち三人――ユズコ、呉井さん、わたし――が切り盛りしている「すばる清掃」は、なんてことはない、ただの清掃請負会社だ。

 いや、よく考えると、あぶなっかしい、というのは共通しているかもしれない。

 わたしたちは、文字通り「掃除」をするのが仕事だ。

 いろんな建物――建物でないときもあるが――の清掃作業をする。

 リーダーのユズコは、いつもどこからともなく仕事を仕入れてくる。口コミ、というやつだ。料金が安いとか掃除の腕がいいとかそういうまともな評価を受けての口コミではない。わたしたちに飛び込んでくる仕事――たとえば、幽霊が出没するというボロアパート。医療ミスが頻発して廃業に追い込まれた病院。犯行後間もない殺人現場。すばる清掃を訪れる客たちはそんな場所の掃除を頼んでくる。皆一様に、後ろ暗いところを持っている。普通の清掃業者に頼んだら、気味が悪いと門前払いされるか、警察に通報されるかのどちらか、という人たちばかりだ。わたしたちも事件性のある状況に巻き込まれたことが少なくない。しかしその都度、依頼者に都合の良い方向へと事態は収束していた。これが、掃除屋のわたしたちの売りである。三人のうちの誰かが何か神秘的な能力を持っているなどというわけではない。ただなんとなく、解決の方向へ向かってしまうのだ。どうしてなんだと訊かれてもむしろこっちが困る。それでも客たちは、すばる清掃のおかげだと思ってくれているらしい。「掃除じゃなくて、浄化する掃除屋」と呼ばれたこともある。ホームページのトップに載せたいくらいの名キャッチコピーだ。もちろんホームページなど有していないのだが。

というわけで、わたしたちは、そういったワケありの空間を、

一、全額前金

二、詮索無用

三、秘密厳守

という原則で掃除する。

……のが常だった。

そう、今回の仕事は掃除ではない。



「ぐぉぉ。腰が……死ぬ……」

「大丈夫? 呉井さん」

ツリーの鉢にうずくまっている呉井さんにユズコが温かいお茶の缶を差し出した。広場の右隣にある、酒屋の店長からの差し入れだ。ツリーの鉢――と言っても、一辺がゆうに二メートルはあるレンガ仕立ての頑丈な容器――に腰掛けて三人でお茶をすする。

さきほどから吹きつけていた木枯らしがやみ、作業はしやすくなった。温かいお茶が五臓六腑に染みわたる。

どこかから、ニャアァ、とのどかな猫の鳴き声が聴こえた。

「ちきしょー。のんきなもんだな」

呉井さんが舌打ちをしてつぶやき出した。

「あー忙しいいそがしいいそがしいいそがしいいそがしい」

 「おっさん、うっさい!」

 「おっさん言うな!」

 クリスマスはわたしたちにとって、一年のうちでいちばん多忙な時期。

 「今度おっさんて言ってみろ。末代まで呪ってやるからな」

 呉井さんはまだ吼えている。作業着の背中から湯気が出ているので今ひとつ威圧感はない。この寒いのに湯気が出るほど汗をかくのも無理はない。さっき、でっかいツリーを運んだときの緊張と疲労のせいだろう。しかしわたしは呉井さんをスルーして、横でせっせと折り紙を折っているユズコに言った。

 「ユズコ~。なんでわたしたち、こんな仕事してるわけ? 仕事っつーかお遊戯じゃん。全然掃除とはかけ離れてるし」

 「何を言いますか椿ちゃん。掃除もクリスマスも、根底に流れるものは同じ。奉仕の精神ですよ」

 心持ち目を細めて語るユズコに、呉井さんもあっけにとられた。

 「ユズコ……おまえ、なんか降臨してんじゃないか? クリスマスだけに、ありうるな」

 「うん。後光が見えるね」

 「後光はお釈迦さまだ、馬鹿」

 「えー。キリスト教の宗教画でも後ろが光ってるのあるじゃん」

 わたしと呉井さんのとめどないダベリに、五個めの折鶴を完成させたユズコがツッコんだ。

 「ほらほら二人とも。今回は完全なるタイムスケジュールに従ってよね。「すばる清掃」の今後がかかってるんだから」


 *


 清掃業者というのは、基本的に年度末と年の瀬に仕事が集中する。

 年度末は転居の際の清掃の依頼が多いし、年の瀬は当然、大掃除に駆り出されるのだ。

 今年も、十二月に入ってからというもの、大掃除の仕事が数件入っていた。十月、十一月とひどい閑散期を乗り切ったわたしたちは、久しぶりに忙しい日々を過ごしていた。そんなある日。正確には十二月二十二日――昨日だ。地元の商店会長がわたしたちの事務所を訪ねてきた。仕事の依頼にやって来たのだという。

これまで、商店街にある個々の店からの依頼はぼちぼちあったが、商店会そのものからの依頼ははじめてだ。それだけでも驚いたのに商店会長が告げた依頼内容は、「商店街のクリスマスイベントの準備と片付け」。

 名もない清掃会社に、なぜいきなり商店会長がそんな依頼を持ってきたのか。話を聞くうちにわたしたちの事務所の向かいにある喫茶店『コギト・エルゴ・スム』のマスターのおかげだとわかった。喫茶店では、うちの黒一点(紅一点の逆のつもり)・呉井さんがバイトをしている。以前、とある事件を通して知り合ったマスターは、よくうちの事務所に遊びに来るようになったのだが、呉井さんが振舞ったお茶にいたく感銘を受けたようで、その場でスカウトしたのだ。それからというもの、掃除の仕事のないときには呉井さんは喫茶『コギト・エルゴ・スム』のカウンターで紅茶やコーヒーを淹れている。

そのマスターが、わたしたちのために何か仕事はないだろうかと商店会長に打診してくれたのだ。秋口、わたしたちにまったく仕事がなかった時期に、呉井さんがマスターにあまりの閑っぷりを愚痴ったのを憶えていてくれたらしい。

 仕事の詳細を聞くと、なぜこんなに押し迫ってからの依頼がなのかがわかった。数ヶ月前からクリスマスイベントの依頼をしていた業者が、前夜、倒産して夜逃げしたというのだ。こんなに日が近くなっては、引き受けてくれる業者などどこにもない。そこで、喫茶店のマスターからわたしたちのことを聞いたのを思い出した商店会長が、彼の言葉をそのまま使うなら「わらをもすがる思いで」依頼してきたというわけだ。

 しかし。

わたしたちは、今は仕事が目白押し。まぁ、それは脚色しすぎだけど。とは言っても、商店街はいつも利用しているし、マスターの面子をつぶすわけにもいかない。また、引き受けたからにはそれなりの成果をあげないと、商店会からの依頼は金輪際望めない。わたしたちは、商店会長の依頼を引き受け、気合を入れて早速仕事に取り掛かった。

 

 *


 「ねえ、今さらだけど、なんで千羽鶴なの? クリスマスツリーに飾るっけ? 普通」

 「ああ、商店街の老人会からの依頼なんだよ。クリスマスが終わったらケアハウスのロビーに飾るんだってさ」

ユズコは鼻歌を歌いながら答える。まったく、ユズコはこういう作業が得意だからいいけれど。わたしは、折り鶴作りの単調さにボーッとする頭を軽く振りながら言った。

「すっごく失礼だし恩知らずだってわかってて言うんだけど」わたしは口火を切った。「この忙しさ……ありがた迷惑」

 「もー、椿ちゃん。ダメだよそんなこと言っちゃ……」ユズコが折鶴のくちばしでわたしの頬を突っついた。「お客様は神様です。バチがあたっちゃうよ」

 「そうだぞ椿。感謝しないとな。もらう神あれば拾う神あり、ってな」

 「呉井さん……ことわざ違ってる」

 「そうだよ。もらって拾って、まったく欲張りな神様だなぁ。ああ、そういえば七福神にでっかい白い袋背負った神様いたよね。あの人のことかな」

 「椿ちゃん……それもちょっと……」ユズコはふぅ、とため息をつくと、折り紙を折る手を止めて天を仰いだ。「あぁ、もう、忙しい」

 

 そう、クリスマスイベントだけならば、これほどまでにテンパることはなかった。

 他の清掃の依頼とも並行して進めなければいけないのが、今回の目の回るほどの忙しさの原因なのだ。

 企業の大掃除の合間を縫って、イベントの準備を進める。まず広場の清掃。五メートルはあるツリーの搬入。飾りつけ。飾りもわたしたちが作ることになっている。それが今の作業。三人でちまちまと折鶴を折っている。

 広場の周りががやつきはじめた。心なしか、今日はいつもより人通りが多い。

「なんか、みんな忙しそうだね」

 「クリスマスセールだからね。今夜はイヴ・カウントダウンもあるし」

 ユズコが鶴をつなげる糸を、針に通そうとしてがんばっている。意外とぶきっちょみたいで、なかなか穴に通らない。

 「イヴ・カウントダウン? 何それ?」

 「やだ椿ちゃん、知らなかった? ツリーのライトアップイベントだよ。今年初のビッグイベント。クリスマスセールを夜中までやって、そこに来てくれたお客さんにツリーの点灯を見てってもらおうっていう算段」

 「二十三日の午後十一時五十九分五十秒から、じゅーうっ、きゅーうっ、ってはじめるってわけか……なるほどな」呉井さんがくしゃみをしながら言う。風邪をひかなければいいけれど。

「そうそう。って、呉井さんも知らなかったの?」眼を丸くするユズコに、

 「違うよ」呉井さんは折鶴を指で挟んで、ひゅーん、と滑空させた。「いつもしみったれた商店街なのにさ、今日はこんなクソ寒いのにやけに行き会う人みんな生き生きしてんな、って思ってたんさ」

 「そういえば、そうだね……」わたしは顔を上げた。視線を感じたのだ。


 広場の入り口、トラックの手前には子どもたちが立っていた。小学校低学年くらいだろうか。ざっと、六人。男女三人ずつ。こちらを見ながら何やらひそひそ話をしている。

 呉井さんがすっくと立ち上がった。八つ当たり気味に追い払うのかと思ったら、意外に柔らかい声で、

 「オイ、どうした、おまえら」

 子どもたちはそれぞれ顔を見合わせた後、いちばん利発そうな男の子が数歩前に出て言った。

 「おじさんたち、ここで何してんの?」

 「お、おじさ……」

 呉井さんはのけぞった。呉井さんの年齢は全くもって不明だ。ユズコと私も知らない。見た目は三十そこそこといったところだが、発言はいやに老成している……

 「おにーさんて言え! おにーさんて!」……ときもあれば、やたらにガキっぽいときもある。

 「ちょ……呉井さん、大人げないなぁ」ユズコが軽くいなし、子どもたちに向き直る。「ぼくたち、どうしたの?」

 「別に。おねーさんたちこそ、ここで何してんの?」

さきほどの子――どうやらリーダー格らしい――が、少し神経質そうにユズコに尋ね返した。

「チッ。ユズコのことはおねーさん、だってよ」

呉井さんがぶつぶつ言いながらヘコんでいる。ユズコは気にせず続ける。

「私たちはね、クリスマスの準備をしてるの。ほら、これがツリーだよ。大きいでしょう」

ユズコの言葉に、子どもたちはふたたび視線を交わし合った。いちばんはじにいた、度の強そうなメガネをかけた男の子が言った。

「ふうん。じゃあ、違ったんだね……」

言い終わるか終わらないかのうちに、メガネの子は横の女の子から肘鉄をくらった。 

 「違ったって、何が?」わたしは訊いた。

「なんでもないよ。じゃあね」

リーダーが言うが早いか、子どもたちは増えはじめた人ごみの中へ走り去った。 

 「遊び場を取られちゃった、とか思ったのかな」ユズコは首をひねって、また針に糸を通そうとがんばりはじめた。

 

 *


 千羽鶴を完成させツリーに飾り終わると、商店会長がやって来た。後ろに数人、大きなダンボールを抱えた中年の男性を引き連れている。会長はわたしたちにぺこりと会釈をすると、ツリーを見上げた。

 「いやはや、どうもご苦労様。おぉ、これは立派な千羽鶴だ」

 言いながら会長は自分の見事なはげ頭をぺしぺしと叩く。後ろの男性陣は抱えていたダンボールをどさどさとツリーの周りに置いた。

 「こちらが電飾や綿などの飾りです。それからこっちはサンタとトナカイの衣装。ああ、トナカイのほうは着ぐるみ、というんですかな」

 会長はそう言ってにこにこしている。

 「それにしてもすっごい量ですね」

 わたしはダンボールを覗き込んで言った。電飾はもちろん、綿もすさまじい量だ。サンタの衣装やトナカイの着ぐるみもどっさり。誰が着るというのだろう。わたしの顔を見て察したのか、商店会長はにこやかな笑みのまま言った。

 「はじめての大きなクリスマスイベントなのでね。ここらへんはめったに雪も降らないし、ツリーには盛大に飾ろうと思いまして。サンタやトナカイも、うちの若いもんたちに着せて楽しい感じにしたくてね」

 「若いもん、って、この商店街に若いやつなんていましたっけ?」

 呉井さんがフォローしようのない質問をした。ユズコとわたしで両脇から腕をつねってやった。

 「いやはや、おっしゃるとおり。若いもんたちはみんな東京に行っちまいましてな。ですから……」会長は愛想の良い――すなわち不気味な上目づかいでわたしたちを見た。いやな予感がした。

 「あなたがたにも、着ていただければと」

 ……予感的中。

 

 *


 「あぁー、時間切れ。しかたない。椿ちゃん、大沼出版に行って。パソコンとプリンタの清掃、それと備品の片付け。あそこの編集長、椿ちゃんが読書家だってわかってからお気に入りでご指名もらったんだけど、今日だけは村上龍の話、振っちゃダメだよ。夜中まで止まらなくなるから。呉井さんは遠藤写真館ね。暗室の清掃。遠藤さんからは例の「アルバム紛失事件」のときの記念写真もらっちゃったから、ハースィー洋菓子店のケーキの詰め合わせ買って持ってって。領収書忘れずに切ってきてよ。あ、お茶出されても今日はすぐ帰って来てよね! さ、行った行った!」

 ツリーに電飾をつけるための脚立に登ったままのユズコが、スケジュール帳を器用に操り、腕時計を睨みながらわたしたちにきびきびと指示を下した。企業の大掃除の依頼に、手分けしてあたるのだ。

「ユズコはどうするの?」

 「私は、トラックをレンタカー屋に返してきてから商店会長のとこに行って、今夜の細かいスケジュール確認して来る。二人とも三時間で作業終えてきてね。私もそれくらいで終わると思う。そうすれば九時半だから、細かい飾りつけと最終確認して、その後着ぐるみ着て呼び込みやって、カウントダウンを待つばかり、と」 

 「合点承知」

 「んじゃ、またあとで」

 「うん、幸運を祈る」

 わたしたちはハイタッチをして、すっかり日が落ち寒々しさを増した広場で散開した。後ろから、「呉井さーんっ、居酒屋‘けんちゃん’に寄っちゃだめだよ!」とユズコの叫びが聞こえた。呉井さんが「そうだ、今日はおちょこ一杯無料なんだった」とにやりとした。 


 *

 

「ない。ないないない。ないっ!」

 ユズコが頭を抱える。

 「ユズコ、落ち着け。もうちょっと探そう」

 「探すってどこを? どこにもないじゃん!」

 「盗まれたのかな。でもあんなもの、何に使うの?」

 「風で飛ばされたってこたぁないよな。そしたら、ダンボールごと飛ばされるはずだもんな」

 「どっか別の街に買出しに行こうか」

 「貸衣装屋はもう閉店時間過ぎてるし、綿だってあんなに大量に置いてあるとこなんてないだろ」

「あぁ、どうしよう……誰かひとり、ここに残れば良かった。私のミスだ……」

 「ユズコ、自分を責めるな」 

「そんなこと言ったって! あぁ、もう! 信じられない」

 半ばヒステリックに、ツリーの周囲をうろつくユズコ。呉井さんとわたしは、途方に暮れた。

 わたしたちがそれぞれの仕事から戻り、飾り付け作業を再開しようとしたところで愕然とした。

ダンボールの中身が消えていたのだ。サンタの衣装がない。赤い上着とズボン、つけひげ。ユズコとわたし用の着ぐるみもない。それと、飾り付けの雪用の綿もごっそりなくなっていた。

広場中――といってもツリーとベンチ、街灯があるだけだが――を探したが、どこにもない。


「とにかく!」ユズコがいきなり立ち止まり、悲鳴のような声を上げた。「探すの。なくなったこと、商店会の人には絶対感づかれちゃダメ」

「んー。でも、協力してもらって手分けして探したほうが良くない?」

「何言ってんの椿ちゃん!」ユズコはぶんぶんと首を横に振った。白虎隊のように髪が揺れる。「そんなのダメダメダメ! 一気に信用が落ちるでしょ。さっき商店会長と細かい打ち合わせしたときも、今回の私たちの仕事っぷり、すっごい喜んでくれてたんだから。これからもいろいろ頼むねって、言ってくれたんだよ?」

「そんなこと言ったってさ。背に腹は変えられないでしょ。このままじゃツリーの雪もない、サンタもいないクリスマスだよ」

「そしたらもう仕事もらえないんだよ、商店会から。どうするの? 先月と先々月の閑古鳥、憶えてるでしょ椿ちゃん?」

「だって、商店会からの依頼なんて、今までもなかったじゃん。それでなんとかやって来られたんだからさ」

わたしは、そう言いながらも鼻の奥がつんとして、涙ぐんできた。ユズコはすでに半泣きだ。ツリーを見上げていた呉井さんが言った。

 「ユズコ、椿、とにかく落ち着け」呉井さんは枝にはりめぐらした電飾のコードをどうするでもなくいじっている。「こっからが勝負だ。俺たちなら、やれる」

 何の根拠もない言葉なのに、わたしは妙に落ち着いた。ユズコも同じような様子だ。

 「……どうするの?」

 「まずは動こう。探すんだ。衣装に綿。かさばるものだし、おそらく隠しきれるもんじゃないと思う。ここらへん一帯を探しまくるんだ。並行して聞き込みだ。なくなったことを悟られないように、俺たちがいない間に広場に来た人間を探す」呉井さんが並んで立っていたユズコとわたしに、軽くデコピンをくらわした。「ほれ! 何してる。ユズコ、指示を出せ」

 ユズコとわたしは顔を見合わせ、右手を出す。かじかんで赤くなった小指を、指きりげんまんをするようにつないだ。仲直りの儀式。指を離すと、ユズコが言った。

 「……じゃ、呉井さんは捜索をお願い。椿ちゃんとわたしで、探しながら聞き込みしよう。今は十時半。あと一時間はある、と見ていいよね。十五分ごとにここに集まって、情報交換し合おう」

 わたしたちの今後をかけた捜索活動が始動した。


 *


 「ダメか……」

 二十三時。二度目の集合。誰も、耳よりの情報をゲット出来なかった。ツリーの鉢に腰掛けて三人してうなだれる。首筋にツリーの小枝が当たる。焦る気持ちがさらに増す。

 「探してること、あやしまれてない?」

 「それは大丈夫……だと思う」

 「よし。ここでこうしててもしかたない。また十五分後に集合だ」

 呉井さんが立ち上がる。ユズコとわたしも腰を上げた。

 そのときだ。

 広場の入り口近くががやついた。

 「まさか……気づかれたのかな」ユズコが青ざめる。

 「そんなこと……ないはずだよ」わたしはそう言いながらも、ユズコの肩に置いた手が震えそうだった。

 中年の女性が、わたしたちのほうへと駆けて来た。

 三人で固唾を飲んでいたが、様子がおかしい。女性は、ユズコにしがみつかんばかりに駆け寄ると、言った。

 「うちの息子、見ませんでした?」

 「え……」ユズコは息を吸い込んだ。

 「うちの息子だけじゃなくて、安岡さんちのマコちゃんも、高田さんちのトモくんもいないんです。みんないつもこの広場を遊び場にしていて、もしかしたら今日もここへ来たんじゃないかと……」

 わたしは女性の剣幕に押されながらも、衣装や綿をなくしたことがバレたのではないとわかり、安堵の表情を浮かべそうになるのをこらえた。ユズコが返答する。

「あ、ああ……来ましたよ。夕方でした。六人だったかな」

「そうなのよ! 六人が全員、いないんです!」

女性はとうとう泣き出した。他の子どもたちの保護者らしい数名が、やはり泣き出しそうな顔でこちらにやって来た。ここに来たんだって? どこへ行ったのかしら、などと不安そうに言葉をかわしている。

大問題発生。ユズコや呉井さんとともに子どもたちの捜索のお手伝いを申し出ながらも、これでわたしたちの失態がうやむやになりそうだ……などと頭の片隅で考える。浅ましい。自分を心の中で罵倒した。呉井さんとユズコの顔をうかがう。どうやら、二人も同じことを考えているようだ。さえない表情ながらも、かすかに頬が上気している。そのとき、緊迫した空気を破るような声がした。

 にゃあ。

 「……猫?」

 呉井さんが眉を寄せた。

 にゃあ。にゃあ。

 「どこに、いるんだろ」

 ユズコとわたしはきょろきょろした。

 にゃあ。にゃあ。にゃあ。

 「何、すごい鳴き声……」

猫の合唱はやまない。

その瞬間、光がよぎった。

 後ろからだ。

 「……ビルからか?」

 呉井さんが振り向く。ユズコとわたしも一瞬遅れて振り向く。集まっていた子どもの親たちも同じだ。

親たちのうちの一人が言った。

 「あそこは廃ビルのはず……誰かいるのかしら」

 広場の裏手。四階建てのテナントビルがある。今はどの企業も入っておらず、無人だった。いわゆる廃ビルだ。

わたしたちは駆け出した。

 三人で廃ビルの窓ひとつずつに手をかける。開かない。開かない。いちばんはじの窓の鍵は開いていた。呉井さんがガタガタと窓を開けると、トイレだった。かび臭いような湿った空気。猫の合唱がさらに大きくなった。窓から覗くと、トイレの向こうからかすかに灯りがもれている。

 呉井さんが窓から飛び込んだ。ユズコとわたしも飛び込み、親たちもそれに続こうとしている。

 

 猫と、子どもたちがいた。

 「子猫……産まれたの?」わたしはかすれる声で言った。

 六人の子どもたち――身を寄せ合い、サンタの衣装や着ぐるみを毛布のように体に掛けながら――が、円陣を組むように座っていた。その円の中心で、たくさんの子猫が、綿やサンタのひげにくるまれていた。そのまた真ん中に、親猫がいた。懐中電灯しかないせいでよく見えないが、部屋の隅にも数匹の猫がサンタのひげにくるまっている。

 「見つかっちゃったか……」

 リーダー格らしき男の子が立ち上がった。

 「サトシ! 何言ってるんだ! 心配かけて……」

 男の子――どうやらサトシくんという名らしい――の父親と思しき男性がわたしたちの後ろから進み出た。

 「サトシ。みんな、心配したのよ」

 さっき、泣き出していた女性だ。こちらは母親なのだろう。サトシくんは手をぎゅっと握ってうなだれている。

 ユズコは、駆け寄ろうとする両親をさえぎるように、サトシくんの前にしゃがみこんだ。

 「サトシくん……て言うんだね。ねえ、話してくれない? ここで、何してたの? だいたい想像つくけど、聞かせてよ」

 サトシくんは他の子どもたちの顔をぐるりと見渡すと、視線を落として、言った。

 「うん……わかった」

 

サトシくんの話を要約すると、こうだ。

 子どもたちは、放課後はいつも広場で遊んでいた。ある日、猫の鳴き声がするのに気づき、鳴き声の出所を追っていくと、廃ビルであるとわかった。広場に面した窓のひとつは鍵が開いていたのでそこから入ると、猫が数匹いたのだという。

 猫たちは相当弱っていたが、そのうちの一匹がもうすぐ出産しそうだとわかった。しかし、寒さは厳しくなる一方で、親猫の出産が危ぶまれた。子どもたちは親猫の出産を成功させようと団結した。

 しかし、出産の近づいた今日、わたしたちが広場の飾りつけにやって来た。ビルに入れない。しかもわたしたちは青い作業着を着ている。もしかしたら保健所の人間ではないのか? 子どもたちが広場の入り口で怪訝そうにしていたのは、そんな危惧からだったのだ。

 わたしたちが広場からいなくなると、子どもたちは行動を開始した。ビル内に入ると、今にも産まれそうになっている。親猫は弱弱しく震えていたらしい。家から何か取ってくるには遅すぎるし、親にバレてしまう。とにかく暖めようと、サンタのひげと雪用の綿をダンボールから失敬したという。出産を見守っていたら、自分たちも体が冷えてきた。それで、サンタの衣装と着ぐるみも借りた……というのだ。

 

 「悪いとは思ったんだけど」サトシくんは言葉を継いだ。「どうしても、子猫が元気に産まれてほしかったんだ」

 「そっか」ユズコはしゃがんだままうなずいた。「猫の出産を見守りたかったのは、どうして?」

 「わかんない。でも僕たち、みんなマンションに住んでて、動物って飼えないんだ。だから、ここで猫の世話するの、楽しくて」

 サトシくんは顔を上げた。眼がキラキラ輝いていた。

 「よかったね、元気に産まれて」わたしは言った。

 「おまえらががんばったからだな」呉井さんもニカッと笑った。

 子猫たちがにゃあ、と鳴いた。

 サトシくんはちょっとだけ口元をゆるめ、にこっと笑おうとしたかに見えたが、目尻にはじんわりと涙が浮かんでいた。直後、顎にしわが寄ったかと思うと彼はペコリと頭を下げた。

 「おじさんたち、ごめんなさい」

 他の子どもたちも立ち上がりながら口々にごめんなさい、と言い始めた。呉井さんはくりくり、とサトシくんの頭をなでた。今度は、おじさん、と呼ばれても呉井さんは怒らなかった。ちょっとだけ、こめかみに青スジが浮いてたけど。親たちも、何も言わなかった。

 ぶかぶかのサンタの上着を着た子どもたちは、とても誇らしく見えた。


 *


 「ひげのないサンタってのも妙なもんだな」

 サンタの衣装を着た呉井さんが言った。背中に白い袋を背負っている。中にはお菓子が入っているらしい。子ども連れのお客に配るためだ。

 「まあいいじゃない。ツリーには雪もないしさ。つり合いとれるってもんよ」ひげのないサンタと雪のないツリー。わたしは飾り用の雪のほとんど乗っていないツリーを振り返り、再び呉井さんを見た。「でも似合ってるよ、呉井さん」

呉井さんはわたしを真正面から見据えると、ぷぷ、と吹き出した。

 「……椿もな」

 「んもう。なんで笑うの!」

 わたしはトナカイの着ぐるみを着ていた。

 「椿ちゃん、呉井さん、もうすぐカウントダウンだよ!」

やはりトナカイの着ぐるみを着たユズコが、ツリーの周りの人ごみを縫って駆けて来た。電飾のスイッチと、マイクの使い方を商店会長に教えてきたのだ。

「あのね、あの猫ちゃんたち。商店会長が飼い手を探してくれるって。商店街のお店に、張り紙張ってくれるってさ」

ユズコは顔が高潮している。寒さのせいだけではないはずだ。

 「良かった。サトシくんたちも一安心だね」

 「まぁ、もう世話出来なくなるわけだから、それはつらいだろうけどな」

 商店会長の声が、マイクを通して聴こえてきた。

 「みなさん! 今宵は我が商店街にお越しいただき、ありがとうございます……」

商店会長のスピーチをBGMに、白い息を吐きながらユズコが言う。

「願いごと、しなきゃね」

 「願いごと? なんでだ?」

 「そういうもんなの。気分の問題」ユズコは口をとがらす。「ね、椿ちゃん。カウントダウンの間に願えば、きっとかなうよね」

 「そ。女の子にしかわかんないよ、これは」わたしはそう言って、ユズコと微笑んだ。

 「よくわからんな……」呉井さんは肩をすくめた。

 「さ、そろそろだよ!」腕時計を見て、ユズコがうきうきと言った。

 商店会長は、緊張なのか興奮なのか、たまに声を裏返しながらもカウントダウンをはじめた。

 「それではみなさん、ご一緒にカウントダウンを! じゅう!」

 はぁ、今日は大変な一日だった……。

 「きゅう!」

 ま、でも終わり良ければすべて良し、ってね。

 「はち!」

 サトシくんたち、いい顔してたなぁ。

 「なな!」

 わたしも、がんばらなくっちゃ。

 「ろく!」

 来年はどんな年になるだろう。

 「ご!」

 気まぐれなわたしたちのことだから、

 「よん!」

 見当もつかないけれど、

「さん!」

 願わくば。

「に!」

 わたしたちの仕事が、

「いち!」

 来年もうまくいきますように!

 「ゼロ!」

 ツリーがライトアップされた。

 赤、青、緑、黄色。色とりどりの電飾が、ツリーを照らす。

猫たちの健康のため、雪用の綿はほとんど廃ビルに置いて来た。ツリーに乗っけることのできた綿はほんの申し訳程度。近くに寄らなければほとんど見えない。それでも、

 「きれい……」

 「うん……」

 「そだな……」

 わたしたちはツリーに見入った。緑の部分が多すぎて若干アンバランスだが、カラフルな電飾がフォローして余りあるほどだ。

 「あ、おじさん、おねえちゃん」

 呼びかけに視線を落とすと、サトシくんがいた。

 「あ、サトシくん」ユズコがトナカイの手でサトシの頭をなでた。「寒くない? 大丈夫?」

 「うん!」サトシくんは笑顔を見せた。

 「まだ帰らなくていいのか?」呉井さんが、背中に背負ったサンタの白い袋の中からキャンディーを取り出して、渡した。サトシくんはぴょこんと頭を下げて、ありがとう、と言う。

 「お母さんが、ツリーがきれいになるのを見ていいって。すっごいきれいだね」

 「ほんと、きれいだよね」わたしは言った。

わたしたちはほんわかした気持ちになって、しばらく静かにツリーを見ていた。

 「サトシ。そろそろ帰るわよ」少し離れたところから、サトシくんの母親の声がした。わたしたちににこやかに会釈をしている。

「じゃあね、また遊ぼうね!」

サトシくんは手を振りながら母親の元に駆けていった。 


 きっと、来年も、「すばる清掃」は波乱万丈に違いない。

 たくさんの出会いと別れが、わたしたちを待っているだろう。

 もしかしたら、ヘコむことも、うまくいかないことも、あるかもしれない。

それでも、わたしたちはやっていく。

 好奇心とガッツと、類まれなるチームワークで。

 

 「あ、雪……」

 ユズコの言葉に、呉井さんとわたしは空を見上げた。人ごみからも、わぁ、と声が上がる。はらはらと粉雪が舞い降りてきた。

 「ホワイトクリスマス、ってやつか」呉井さんは鼻の下をこすった。

 「ちょっとベタだけどさ」わたしは言った。「サンタさんの、贈り物かもね」

 商店街のまん中で輝くクリスマスツリーを、本物の雪が飾りはじめた。

 


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