第322話 一段落
「よかったんですか?」
石畳をトボトボと歩きながら、フードを被ったままのミャロが言った。
「なにがだ」
「行かせたことがですよ。あの女が名を捨てたなら、クルルアーン龍帝国との約束通り、国境まで護衛をつけて安全に送り届けてもよかったわけじゃないですか。女一人お土産に持たせても、何の問題もなかったはずです。奴隷にするわけじゃないんですから」
「龍帝国の認識では、彼は密約があった事自体、知らないことになっている」
実際にはとっくに俺が伝えてしまっているが、龍帝国はそんなこと夢にも思っちゃいない。
「だから、勝手に女の手を取って失踪したとしても、それはこちらの責任じゃない。彼が勝手に駆け落ちしただけのことだ。いくらなんでも、監督責任は問われないだろう」
駆け落ちした相手はシェール・マルマセットではないのだから、わざわざ女を留置所から出してまでプレゼントしたことにはならない。
「ですが、途中で事故に遭って死んでしまう可能性も高いでしょう。そしたら困ったことになりませんか? 監視もつけず、本当に野放しにするんですから」
まあ、それは実際そうなのだが、だから護衛を付けて国境まで送るっていうのは、あんまりな仕打ちだろう。
「彼が死んだら困るのは、俺たちの都合だからな」
「……どういうことです?」
「もし彼が死にでもしたら、困ったことになる、ってのは、俺や龍帝国の連中の事情だろう。だから死なないよう安全に送り届けようとする。それは、彼のためになにかしてやっているわけじゃない。彼はそういうのには飽き飽きしてるんだ。自分のやりたいことに、死ぬかもしれないような困難が待ち受けているなら、死ぬような目に遭ってみたいんだよ」
「ふーん……そういうものですか」
腑に落ちない顔をしている。まあ、こういうのは男にしか分からない部分なのかもしれない。
「まあ、本当に死ななければいいですけどね。ボクの目には、相当に無鉄砲な青年に見えましたから」
「そうか? あんなもんだろ」
むしろ、かなりのしっかり者に見える。
「どこがですか。ろくな金策もせずに、わずかな手持ちの金でアルビオ共和国まで渡って、行ったらどうにかなるだろう。なんてのは、無為無策もいいところですよ。仮に密航できたとして、スラム街のあばら家で爪に火を灯す生活でもするつもりだったのかって話です。貧乏生活に憧れでもあったのか知りませんけどね、大貴族出身の女の子を連れて、貧乏でも愛さえあれば幸せ、なんて甘っちょろいですよ。二人とも本当の貧困なんて知らないんですから。大使や友人にお金を借りるのは嫌だったのかもしれませんが、あの行動をするなら、そんな小さなプライドは捨てて、借り逃げするつもりで資金集めをしてから計画を実行するべきでした」
ミャロは、そもそも彼がシェールを脱獄させようとすることに懐疑的だった。そして、もし脱獄するとしても、祖国を頼るために北に抜けるだろうと読んでいた。
まさか非現実的な貧乏生活を選ぶとは思わなかったわけだ。
「女の方は、シャンティニオンの留学時代は貧乏ぐらししてたんじゃないか?」
「いいえ。彼女の一族は殆ど根絶やしになりましたから、賠償金を払っても纏まったお金が残ったんですよ。実際、外国語学校の校舎はシビャクに戻ってすぐに一括で購入していますからね。節約生活はしていたかもしれませんが、困窮していたわけではありません」
「そうなのか」
「ボクから言わせれば、夢見がちな青年ですよ。女の子を連れて逃避行するなら、もうちょっと現実的じゃなきゃ」
駆け落ちとか逃避行ってそういうもんじゃないのか。まあ、ミャロからしてみると無為無策にすぎるのかもしれない。
「女のほうが迷惑か。でも、生き残れたんだから、感謝してると思うぞ」
アーディルが行動しなかったら、シェールは確実に処刑されていた。それは間違いないことだ。
「……いえ、あんな女はどうだっていいんですけどね。彼が直談判しに来た時に、おおー、と思ったものですから、無謀すぎる行動がちょっと許せなくて」
なんだか微妙な乙女心があったらしい。
「……やはり監視をつけますか? 今ならまだ、捕捉できるはずですが」
うーん……どうしようか。
「いや、いいよ。どうせ本当の困難はティレルメ地域に入ってからだ。絶対に彼らを売らない、クラ人の密偵なんて育ってないだろ」
シャン人の工作員を向こうに入れるのはリスクが高すぎる。
「……そうですね。メリッサさんにお願いすれば、アルビオ共和国の手練れを貸してもらえるかもしれませんが。それでも発音に訛りはあるでしょうし、借りを作ることになってしまうので、気は進みませんね」
「まあ、自力でなんとかするだろう」
「はい」
後のことはもう知らないし、アーディル自身も気にかけて欲しくはないはずだ。
王城に向かう道を歩いていると、ミャロは俺の袖をつまみ、おずおずと腕を組んできた。どうしたどうした。
「あのぅ……ユーリくん、引いてない、ですよね」
「引く? なにが」
この行動に、だろうか。別に引いてはいないが。
「さっき、ちょっと頭に血が上っちゃって、あの女にだいぶ厳しい態度を取ったじゃないですか。引いてないかなって」
ああ、あれか。
「びっくりはしたが、引いてはないよ。むしろ、うちの宰相は頼りになるな、と思ってた」
「……なら、いいんですけど」
「アーディルくんはドン引きしてたけどな」
「……もうっ」
ミャロは怒ったフリをして、組んだ肘で脇腹を小突いた。
いや、冗談ではないのだが。マジで怖気立つ怪物を見たかのような顔をしてた。
「それより、そろそろ仕事も落ち着いてきましたし、無理をすれば一日くらい空けられますね」
「だな」
もちろん休んでいる場合ではないが、緊急を要する仕事はだいたい片付いた。
「じゃあ、明日あたりデートにしましょうか」
「いいけど、どこに行くとか決めてるのか?」
「はい。一日で歩いていけるルートを考えましたから」
歩くのか。
「お忍びで街歩きするので、顔を隠せる私服にしてくださいね。タキシードなんかは駄目ですよ」
「分かった。それなりに格好のつく服装で行くよ」
「楽しみにしておきます」
ホウ家別邸についた。さすがに辻馬車を止めるわけにはいかないが、別邸なら信頼に足る馬車が常備されている。
「ギュダンヴィエル邸に帰るんだろ。送ろうか」
「いいえ、馬車を貸してくだされば十分です」
「分かった」
俺は御者を呼んで、魔女の森のギュダンヴィエル邸まで、と行き先を告げた。ミャロが客車に乗る。
「それでは、また明日」
ミャロは窓際で微笑みを浮かべながら、去っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、待ち合わせ場所の街角で会ったミャロは、普段しているキッチリ目の服装とは、まったく違う印象の服を着ていた。
キャスケット帽に伊達メガネをして、地味な柄の入ったキルトスカートに可愛い目のジャケットを合わせている。
誰が見立てたのか、街に完璧に溶け込んでいた。あまりにも普段のイメージと対照的なせいで、毎日顔を合わせている部下であっても、一目でミャロと見破るのは困難だろう。
「ユーリくん、おはようございます」
「おはよう。それにしても、完璧に溶け込んでるな」
「ええ、アイリーンが見立ててくれました。変じゃないですか?」
アイリーンは、ギュダンヴィエル家で家宰をやっている人だ。ミャロとは姉妹同然に育てられたと聞いている。
ミャロからしてみると、自分が思っている自分のイメージとかけ離れすぎたファッションが、どうにも落ち着かないのだろう。もじもじと、袖や裾をしきりに確認している。
「いや、可愛いよ。堂々としてれば誰も変には思わないんじゃないか」
「ありがとうございます」
ミャロは嬉しげに微笑んだ。
「でも、ユーリくんのは……なんだか、軍服みたいですね」
俺は、黒皮の、ちょっとダブッとした感じのジャケットを着ていた。王鷲のフライトジャケットをモチーフにしていて、機能性を廃してファッション性を高めたような作りだ。
下は濃茶色の厚手の綿パンツを穿いていた。
「俺のも、うちのメイド長が見立てたんだ。最近、こういうのが流行ってるらしい。軍が人気だから、王鷲乗りに憧れる流行があるんだろうな」
「ああ、そういう……」
「まあ、お互い変な格好じゃないだろ、たぶん」
学生のころはいつも街をほっつき歩いていたので、こういった流行は自然と肌で感じていたものだが、近頃はめっきり馬車移動が多くなった。社に顔を出す時も、昔は思い立ったが吉日とばかりに、カケドリに乗ってサーッと用事を済ませていたものだが、近頃はそうはいかない。
「じゃあ、行きましょうか」
「ああ」
ミャロはトコトコと歩き出した。
なんだかデートっぽくない出だしだな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
雑談交じりに歩いていると、
「ここです」
と、ミャロは何の変哲もない十字路で立ち止まった。
「なんだ?」
次に区画整理でもする予定の土地だろうか。
「ボクの人生が変わった場所です。ユーリくんと来たかったんです」
ああ。考えてみれば、ここは大魔女区画から王城島に向かう最短経路だ。
「襲撃を受けて、父親が亡くなったって事件か。土地取引でしくじったせいで、マルマセットから放逐された中堅魔女がしでかしたんだったっけ」
「ええ。その人が主犯になって犯行を企てました。でも、お婆様の手口も詐欺まがいだったんです。二度三度と小口の取引で信用させておいて、こっそりと契約書の文言を少しだけ変えて、大口の取引で建物を土地ごと一棟奪いました。現在の司法制度では認められない手口ですね」
キャロルの母親、シモネイ女王が統治していた時代を彷彿とさせるエピソードだった。現在の司法制度では実態が優先されるので、言葉遊びのような文面の曲解で他人の財産を奪うような真似は認められない。だが、あの頃はなんでもアリだった。
魔女というのは、そういった契約書の文言に異常なほど拘る。当時は、敵対家系と契約書を交わすのに、重要な変更点を見逃すなんて言語道断の愚か者、みたいな感覚だったのかもしれない。
ミャロは交差路に少し入って、石畳を見た。
「まだありました。当時、賊が持っていた剣です」
ミャロの視線の先にある石畳を見ると、石と石の間に赤茶色をした鉄片が見えた。戦いの最中に突き刺さり、先端が欠けて埋め込まれてしまったのだろう。
石と石の間に挟まって二十年にもなる鉄片は、朽ち果てながらもまだ原型を保っていた。
「今でも覚えています。馬車はそこに横転して、賊が襲いかかってきました。父は客車のドアを身を挺して塞ぎながら、短剣一本で戦って……それでも、五人は返り討ちにしたんです」
「すげえな。やるじゃねえか」
こちらから不意打ちをかけたなら別だが、逆に多勢に不意打ちされた格好で、五人も倒したというのは普通に凄い。
父親を褒められたミャロは、はにかむように微笑んだ。
「次に行きましょう」
ミャロは再び歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
歩きながら、ミャロは事件があってからのことを話してくれた。
父親が死んで悲しくて仕方がなかったこと。家族は誰も悲しがっていなかったこと。でも、その時点ではまだ騎士院に入ろうなどとは思っていなかったこと。
「ここが父のお墓です」
そこは、魔女たちの墓地ではなかった。近衛第一軍の家系の墓地だ。
墓石も新しい。
「改葬したのか?」
「ええ。ギュダンヴィエルのお墓では、息苦しいかと思って」
「まあ……そりゃそうだな」
ミャロの父親は、騎士院在学中にできちゃった婚で結婚することになった、と聞いている。そうなると実家からは勘当同然の扱いをされるし、魔女家に婿に入っても大きな仕事を任されたりはしない。待っているのは、肩身の狭い魔女家の中で、鳥かごの中の鳥のように飼われる人生だ。
俺は墓前にしゃがむと、彼の冥福を祈った。
目を開けると、ミャロが隣で祈っている。俺が立ち上がったあとも、暫くの間祈りを捧げていた。
「彼は、私の実の父ではないんです」
――は?
「父が死んで悲しがっている私に、母が言ったんですよ。おまえは、あの男のこどもじゃない、って。お婆様も同意見のようでした」
「――えっと、それは、不倫して作ったってことか?」
「そうなりますね。おそらく、父は子供を作れない体質だったのでしょう。結婚して十五年、子供ができなかったわけですから」
それにしたって、ついこないだ父親が死んだ子に言う言葉じゃないだろ。
お前が今まで父親だと思っていた人間は、血の繋がりのない他人なんだよ、と言われて、「じゃあ悲しむ必要はないんだね」と泣き止む子供なんているわけがない。
「なんて親だ。だけど、まあ……よかったよ」
俺はミャロの頭を撫でた。祈るために帽子を脱いでいたため、ちょうどいいところに頭がある。
「なにがですか?」
「悲しみの真っ最中にそんなことを言われたら、自分が自分でなくなってしまうような気分になったろ。こんなミャロに育ってくれてよかったな、と思ってさ。きっと、ここに眠っている父親も誇りに思うはずだ」
そう言うと、ミャロは一瞬嬉しげな顔をしたあと、ふっ――と不安げな表情になった。
「それだけですか?」
「それだけって?」
「ボクは、下賤な母親と、誰かもわからない父親との間に産まれた子なんですよ」
はあ? なにを言い出すんだ。
「そんなこと、どうでもいいだろ。ていうか、意外だな。そんなことを気にしてたのか?」
内心では、ずっとコンプレックスだったのだろうか。新たな発見だ。
「そりゃそうですよ、ユーリくんのご両親は立派ですけど、ボクの家庭ときたら……本当に終わってますから。下賤の生まれと蔑まれても仕方ありません」
「そんなの関係ない。俺は十歳の頃からお前を見てきたが、誰かに蔑まれるような真似は一度もしてこなかった。お前の友達だったことを自慢に思ったことは何度もあるが、蔑むことなんて一度もなかったぞ」
もう少し褒めておくか。ミャロはもう少し天狗になったほうがいいくらい、自分に自信がないからな。
「お前は誰よりも博識で、賢くて、頑張り屋で……良く気がつくくせに奥手で、照れ屋で、一途に俺を好きでいてくれる。一生傍にいてほしい、大切なパートナーだよ」
そう言うと、ミャロは目を見開いて赤面したあと、まぶたをうるうると震わせて、最後にはしゃがみこんで顔を隠してしまった。膝を抱え込み、だんご虫のように丸まっている。
「おいおい、どうした」
「嬉しすぎて……もうっ、目が腫れちゃったら、デートが続けられないのに」
「そんなもん、俺が気にするかよ」
「私が気にするんですっ!」
俺は膝を抱え込んでいるミャロの手に、シルクのハンカチを渡した。
「……いいんですか?」
「男のハンカチは、女性の涙を拭うためにあるっていうしな。こういうときこそ出番だろ」
「ぐすっ、あ゛りがとうございます」
ミャロは暫くの間、その場にうずくまり続けていた。
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