第318話 夢枕
王都の解放から三日が経った。
俺は、自分の執務室が血で汚れてしまったことを理由に、ミャロの執務室を使っていた。
今は雑多な書類が山と積まれている黒檀の机は、すべてミャロの体格に合わせて作られている。俺が椅子に座ると、天板が低く感じられた。
机の端には文房具が並んでいて、かつて俺が贈った象牙のペンもあった。使い込まれて、指先が当たる部分が琥珀色に変じている。
報告は山のようにやってくる。ミャロが作り上げた諜報網は未だ部分的に機能していて、シャンティニオンのある東方地域で叛乱の兆しがあることを伝えてきていた。
ルベ家の家督を勝手に継いだリャオの又従兄は無条件降伏を申し出ているし、教皇領はディミトリ率いる追撃軍を野戦で打ち破り、警戒の合間を縫って奇跡的な敵中突破を果たした。今は予め確保していた港町に立てこもりつつ、船で撤退しつつある。徹甲焼夷弾の在庫が払底し、砲艦も出払っているこちらは、砲の移動が終わるまで手出しができないでいる。
それらの報告を、俺は上の空で聞いていた。俺は、教皇領軍が立てこもっている港町に赴いて、自ら指揮を執るべきなのかもしれない。そんなことを考えながら、どこか他人事のような気がして、気が進まずに椅子に座っていた。
リャオを殺したら、なにかが終わってしまった気がした。
陰謀を企てた教皇領に対して、復讐したいという気持ちが、なぜか湧かなかった。代わりに湧いてくるのは、後悔と自責の念ばかりだった。
ミャロが死んだのは、俺のせいだ。
キャロルを殺した教皇領が憎い。その気持ちは、今も消えていない。だが、南下して教皇領を消し去ろうとする必要があったのか? その結果、ミャロを死なせてしまった。俺の復讐は、ミャロを死なせてまで果たさなければならなかったのか?
俺がやってきたことは、なんだったのだろう? いっそのこと、もう教皇領とは和平するべきなのか。いや、新大陸のことを知られてしまったのなら、継続的に海軍力を削いで、渡海できないようにする必要がある。
そのうちには、アルビオ共和国も情報を知るだろう。修好通商条約には罠が張ってある。それによって新大陸全土を領土として認めるようにはしてあるが、そんなペテンにかけたような約束を、連中が守るとも限らない。
色々な考えが頭をよぎるが、そのどれにも明確な答えが出せないでいた。
ミャロと相談をしたかった。
ミャロではない、他の誰かに相談したいとも思えなかった。
◇ ◇ ◇
茫洋とした思考に沈むうち、陽が沈み、採光窓が暗くなった。暖炉の火だけが、ゆらゆらと部屋を照らすようになる。
夜が更けるにつれ、間断なく届いていた報告も途絶えてゆく。
俺は椅子に座りながら、取り留めのない思考に埋没していった。次第に意識が朦朧としはじめ、目を閉じる。
生ぬるい暗い海に沈むように、ゆっくりと意識が途絶えていった。
「おい、ユーリ。机で寝るんじゃない。すぐ近くにベッドがあるだろうが」
懐かしい声だった。目を開けて声のする方を見ると、後ろで金髪を結んだ端正な顔立ちが視界に入る。
久々に会ったキャロルは、騎士院の制服を着ていた。
場所も、気づけば寮にあった自分の部屋だ。
「ああ、そうだな」
俺は机から体を起こすと、椅子に座ったまま凝り固まった足を伸ばした。椅子に座って寝ていたのに、体の痛みは感じない。後を引くような眠気もなかった。
「呆けるにはまだ早いんじゃないか? お前には、やるべきことが山程あるだろう」
「なんだ? 会社のことか。カフが回してるんだから、多少放っておいてもいいんだよ」
「この国のことだよ。この先千年の安寧をもたらすんじゃなかったのか?」
ああ、そっちか。学生時代の気分でいた。
そういえば、あの頃は気楽だったな。国の行く末のことなんて、考える必要もなかった。
「まあ……なんとかなるだろ。ティレルメ地方を安定させれば、半ば目的も達したようなものだ」
「緩衝国を一つ作っただけで、もう一安心か? あの、私に似た女とは友好関係を結べても、次世代はカソリカ派に染まるかもしれない。そうなれば元の木阿弥だ」
キャロルにしては、やけにスジの通った正論を言いやがる。
「もう嫌になったんだよ。大切な連中を守るために頑張ってきたのに、次々といなくなっていく」
実際、観戦隊で幹部を務めた四人の内、生き残っているのは俺だけだ。キャロルもミャロもリャオも、皆死んでしまった。
誰一人、自然に死んだ者はいない。全員、人に殺されて死んだのだ。
四人中三人が、二十代のうちに人に殺されて死ぬ。そんなのは異常としかいいようがない。
「教皇領を解体したとしても、そのとき俺の周りに一人も残っていなかったら、一体どうなる? 一人ぼっちで国を治めるのか。俺は、国が欲しいわけじゃないんだよ」
「別に、いなくなってはいない。お前の周りには、今も沢山の人間がいる」
「本当に守りたい人間なんて、ほんの一握りだ。その中でも一番の人間を、俺は殺しちまった」
「誰のことだ?」
「ミャロに決まってるだろ」
俺がそう言うと、キャロルはまるで知らないことのように、とぼけた顔をした。
「ミャロが死んだ? 誰に殺されたんだ。まさか、お前が殺したわけじゃあるまい?」
「殺したのはリャオの野郎だが、俺が殺したようなもんだ」
「リャオがミャロを殺した、だって? アハッ」
あはは、と、キャロルはおかしそうに笑った。
「そんなこと、ありえそうもないな。私は見ていたが、あいつはミャロにぞっこんだったぞ」
「確かなことだ。俺は死体も見た」
「焼け焦げた死体だろう。お前がくれてやった象牙のペンは、きちんと机の上にあるじゃないか」
……記憶を手繰り寄せる。思い出したくもないが、あの死体に刺さっていたのは、黒檀か何かの黒軸のペンだった、気がする。
「……さて、そろそろ時間だ。行くとするよ」
キャロルは踵を返すと、こちらに背中を見せた。
「待て」
俺は椅子から身を乗り出し、キャロルの手を掴む。狂おしいほど名残惜しかった。
キャロルは俺の方に振り向くと、頭を抱え込むように抱擁をしてきた。柔らかな胸に顔が包まれる。懐かしい香りがした。
「私のことなんて、もう思い出すな。お前の心は、置いていったんだから」
頭の上に押し付けられた頬から、密やかに言葉がささやかれると、キャロルはゆっくりと体を離した。
「ではな」
キャロルは満足そうな笑顔を浮かべ、再び背中を見せる。
行くな。行かないでくれ。
そう言いたかったが、喉がつかえたように声が出なかった。
「言い忘れていた。娘に、茶を教えるのを忘れているぞ。我が家の伝統を絶やすなよ」
ドアが閉じられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ユーリくん、なんてところで寝てるんですか」
瞬きをすると、暖炉の光に照らされた、小柄な影が見えた。
椅子に座ったまま寝ていたせいか、体が痛い。
「……ミャロか?」
「はい、ミャロですよ。どうしたんですか、幽霊でも見たような顔をして」
「まだ夢か……」
キャロルが化けて出たと思ったら、今度はミャロか。
起きたあとに酷い気分になりそうだ。それを思えば最悪の夢だが、ミャロが現れてくれたことを考えれば、最高の夢でもあった。
「夢じゃありませんよ。隠れ家から戻ったら、摂政閣下が私の椅子で居眠りしているんですから、そりゃ驚くでしょう」
「体が痛い」
特に首が。
「そりゃそうですよ。寝る場所じゃないんですから。ほら、隣の仮眠室にベッドがありますから、寝るならそっちで寝てください」
俺はミャロに手を引かれ、ドアをくぐると、仮眠室のベッドに横たわった。
どういう夢だ。
仮眠室は、壁越しにある暖炉の熱が伝わるせいで、十分に温かい。布団をかけないでもいいくらいだったが、ミャロは俺の体に布団をかぶせた。
寝るまで見守るつもりなのか、布団の外で俺の左手を握っている。
夢の中で眠るというのも変な話だが、ここで夢から覚めたら、もう二度とミャロには会えないかもしれない。そうなる前に、聞きたいことがあった。
「なあ、ミャロ」
「なんですか?」
「リャオが言っていたことは、本当なのか。お前は、なんで死を選んだんだ。俺のところに戻って来るのが、そんなに嫌だったのか?」
俺はミャロに、死を選ばせてしまうほどに酷い仕打ちをしていたのか。
それが知りたかった。
ミャロは、俺を責めるでもなく、言葉の意味を探るように、わずかに何かを考えていた。
「うーん、リャオさんに何を言われたのか知りませんが、戻ってくるのが嫌だったのなら、私は今ここにいませんよ」
そして、ミャロは少し恥ずかしげな顔をして、横になっている俺の手を握ると、
「……好きな人のところに戻るのに、バツイチなんて嫌だったんです。ただ、それだけですよ」
その言葉は、俺の願望だったのかもしれない。そう思いつつも、俺はたまらない気持ちになった。
握っていた手を引いて、ミャロの小さな体をベッドの中に引き込む。
「ちょっとちょっと、どうしたんですか」
「悪かった」
俺はミャロの細い体を抱きしめた。
「俺はお前に、なにもしてやれなかった。便利使いした挙げ句、最後まで、お前の想いに少しも応えてやらなかった」
「……いいんですよ。それをいったら、私だって、何も行動しなかったんですから。ユーリくんに愛してもらいたいなら、キャロルさんのように積極的になるべきだったんです。ずっと待っているだけだった私のほうも、よくありませんでした」
「許さないでくれ。もう、取り返しはつかないんだ」
「まだ寝惚けてるんですか……まあ、いいですよ。深夜に起こしてしまいましたもんね。今日のところは……おやすみなさい」
夢の中のミャロは、ゆっくりと慈しむように、俺の背中をさすりはじめた。
俺は目を瞑った。しばらくすると、手が止まり、ミャロの寝息が聞こえ始める。そのうちに、こちらの意識もまどろんできた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目を覚ますと、ベッドの中だった。当然だが、隣には誰もいない。
椅子に座ったまま寝落ちした記憶があるが、夜中に移動したのだろうか。わからない。移動したことを曲解して作り出したのが、あの幸福な夢だったのかもしれない。
カーテンを締め切った薄暗い部屋で、恐ろしいほどの喪失感が襲ってくる。
脳がはっきりと覚醒して、体を起こしたあとになっても、ベッドに腰掛けたまま立ち上がる気力が湧かなかった。
外でくぐもったような会話が聞こえ、ガチャリ、とドアのノブが周って、扉が開け放たれた。執務室の明かりが差し込む。
そこに立っていたのは、顔を知っている王剣のメイドだった。掃除をしに来たのだ。
「起きていたのですか。掃除をしますので、出ていってください」
王剣のメイドは俺には冷たい。
まあ、いいだろう。言い合いをする気力もないし、仕事をせねばならないのも現実だ。
「ああ」
俺はベッドから立ち上がった。
「……念の為申し上げておきますが、そんなお姿をシュリカ陛下にお見せにならないでくださいませ」
「一日風呂に入らなかったくらいで、大げさな」
「そうではありません。不潔という意味ですわ」
風呂に入らなかったというのは、不潔という意味だろう。なにが違うんだ。
まあいいか。
俺は上履きに使っているスリッパを履くと、部屋を出た。
「お目覚めですか。おはようございます、ユーリくん」
ミャロが当たり前のように椅子に座っていた。
は? まだ夢の中にいるのか。
「ミャロ、お前……」
「はい、生きていますよ。まだ寝惚けているのですか?」
俺は胸の中に湧いた感情に突き動かされるように、椅子に座るミャロを抱きしめた。
「……嘘だろ、夢じゃなかったのか」
「……大丈夫です。夢ではありませんよ」
「本当か? 俺の都合のいい妄想じゃないのか」
「違います。私はちゃんとここにいますよ」
安堵が心をゆるやかに染め上げてゆく。体が震えていた。ミャロは、子どもをあやすように、背中に手を回して抱きしめ返してきた。
「……心配させてしまったようですね」
「心配どころじゃない。死んだと思っていたんだから」
「リャオさんの嘘ですよ。安心してください」
そのまま五分ほど抱擁を続けていただろうか。心が落ち着いてきたころ、背中に回された手がポンポンと叩かれ、俺は体を離した。
「一体どういうことなんだ? どうして生きている。リャオが匿っていたのか?」
「ユーリくん? そんな話は置いておいて、正気に戻ったのなら働いてもらえません?」
えっ。
「机に溜まっていた書類を整理していたら、なんなんですか? これは」
ミャロは、うっすらと笑みを浮かべながら、分厚い紙の束を掴んで机に強く叩きつけた。
口元は笑っているが、目が笑っていない。
机の上で止まった紙束には、”処理!最優先”と書かれた付箋がくっついている。
「もう少しで、ブ厚い辞書を掴んで叩き起こしにいくところでした。一体全体、なんでこんな重要な案件を、いくつも放置して居眠りしていたんですか? この国を空中分解させるおつもりで?」
いや……。
「どうも、お前がいないと、やる気が起きなくてさ」
俺がそう言うと、
「……なに言ってんですか」ミャロは照れたように、視線をそむけた。「そんなのじゃ誤魔化されませんよ。ほら、こっちに来てください。仕事しますよ、仕事」
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