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第306話 異教徒*


 ミャロ・ギュダンヴィエルは、王都シビャクの港で、船を見ていた。帆にはホウ社のマークが大きく記されている。

 しかし、その船を現在運用しているのは、本来の持ち主である彼らではない。停泊した船から現れたのは、船の持ち主とは違う人種の人々だった。


 脂肪を蓄えた男が、渡し板を渡り終え、シビャクの地を踏んだ。

 ミャロ・ギュダンヴィエルは、歴史的な珍事に遭遇したような気分で、それを見ていた。


 その男は、名をガートルート・エヴァンスという。

 調査報告書では、何度も彼の名を目にしていた。アルビオ共和国からは、彼を詳細に分析したレポートも届けられている。

 年齢は三十一。

 しかし、彼は非常に具合が悪そうだった。渡し板を渡ったところで膝をつこうとしたのを、装備のよいクラ人の兵に、とっさに支えられた。

 そして、そのままヨタヨタと桟橋を渡ると、ゆらゆらと揺れぬ頼りがいのある大地にすがるように、近くにあった積み荷の木箱に腰をかけた。


 うなだれている。

 船酔いの薬です、と持っていけば、猛毒だろうとあっさり飲みそうな雰囲気だ。


 実際、その自由が与えられていたなら、ミャロはそうしていただろう。あるいはもっと直接的に、王剣を使って抹殺したかもしれない。

 ただ、そうすることはできなかった。隣にはリャオ・ルベがいて、ミャロは自由な立場で連れてこられたわけではないからだ。

 リャオからは、助言を求められていた。

 そもそも、助言という意味でいうなら、クラ人、それも教皇領の軍勢をシビャクに招き入れるということ自体、ミャロは大反対だった。しかし、リャオはそれを強行した。教皇領を含めた敵方の同盟軍が、当初想定していたような損害を、ユーリ率いる軍勢に与えることができなかったからだ。

 つまり、ユーリは戦力を温存したまま戻ってきた。というより、船で戻ったその勢いで、リャオの鼻っ柱を思いっきり殴りつけた。

 スオミを奪ったのだ。


 リャオは、反乱成功の立役者だったジャノ・エクの立場を尊重し、スオミの行政権を彼に与えていたが、それは悪手だった。

 スオミ及び上流の重工業地帯は、ホウ社の中核部分だ。ホウ社はユーリの強さを支える存在なのだから、一度奪ったならユーリの手元に戻してはならない。

 なんなら、ルべ家本領を丸裸にしてでも、スオミの防衛を強化すべきだった。

 リャオは故郷を大事に思って防衛に兵を割いているようだが、ユーリにとってルべ家本領など、さほど大きな価値はない。占領したところで兵を補充できるわけでもなければ、兵器を作れるわけでもないからだ。住民が抱く強い敵愾心を押さえるためには、兵を割いて反乱を押さえる必要まである。そんな場所を占領したところで、足枷にしかならない。

 しかし、スオミ周辺というのはユーリにとって、しっくりと手に馴染んだ道具のような土地だ。取り返せば次の日から使える。リャオは、ユーリが欲しくて欲しくて仕方ない地域を、あっさりと渡してしまった。

 いくらなんでも、上陸作戦で紙のように破られるほど脆弱ではないだろう、と思っていたのかもしれないが、ユーリの前では甘い考えだった。


「あの男、どう思う?」

 リャオが言った。意見を求めているらしい。

「えらく船酔いしていますね。よっぽど気分が悪いのでしょう」

 予定では、このまま来賓を(もてな)せる場所に移動して会談をすることになっていたが、あの様子ではそうもいかないだろう。宿に案内させたほうがよさそうだ。

「そうじゃない。お前はどう見る」

「自然体には見えますね。低劣人種に弱みを見せまいという態度は、少しも感じられません」


 この程度なら、アドバイスにもならないだろう。

 それとも、下手な嘘でもついてリャオの思考を撹乱するべきだろうか? 気が進まなかった。さすがに、それを見破るくらいの能力はありそうだ。


 他にも、一見しただけで得られる情報は色々ある。まず、見るからに鍛えてはいない。戦闘の能力はその辺の喧嘩自慢にも劣るだろう。ああいう智謀を長所にして出世したタイプには、油断を誘う策や挑発が通用しないことが多い。

 それと、下士官として兵を直接指揮してきたタイプでもない。あの容姿とあけすけすぎる態度は、一般的な兵には舐められてしまう質のものだ。どちらかというと、兵を指揮する者を指揮する立場に、急になった人という感じがする。

 それらの印象は、レポートにあった情報と一致するものだった。

 まあ、リャオには教えてあげないけれども。


「奴らを宿に案内しておけ」リャオは手近な部下に命令を下した。「俺は王城に戻る」

「そうですか。なら、ボクはこれで失礼します」


 リャオが歩き始めたので、ミャロはさりげなく方向を変え、人混みのほうに向かった。


「おい」


 三歩も歩かないうちに、リャオに腕を掴まれた。


「腕を縄で縛りたくはない。分かってくれ」

 リャオは真剣な顔をしていた。

「……冗談ですよ、冗談」

 見逃されていたら、そのまま逃げていたのは事実だが、本気であれば走って逃げていた。ただ、それだと洒落で済まされない本格的な逃亡という印象になってしまう。そうなったら、リャオも庇いきれなくなるだろう。

 自分は、本来なら処刑されるか、そうでなければ牢に繋がれているべき存在だ。薄氷の上を歩いていて、少しでも対応を誤れば氷は割れてしまう。それはミャロも自覚していた。


「来い」

 リャオに腕を引かれ、馬車の方向に連れて行かれる。

「いつも女性にこうして接しているのですか?」

 腕を掴んで引っ連れて行くというのは、とても紳士的な扱いとはいえない。エスコートする場合は、普通は女性から腕を絡めて歩くのが普通だ。そんなことはしないけれども。

「来る者拒まず、去る者追わずが俺の主義だった。主義を崩したのは、お前が初めてだ」

「……ふうん、そうですか」


 男にそのようなことを言われるのは、正直なところ、悪い気分ではなかった。


 ◇ ◇ ◇


 ミャロには、男女の機微は分からない。

 リャオは、敵であることを知りながら、ミャロを可能な限り近くに置こうとしている。有益な返答が返ってくることなどありえないことくらいは理解しているだろうに、事あるごとに意見を求めてくる。

 それが、彼の特殊な性癖によるものなのか、女性遍歴の多いらしいリャオにとって女を口説く戦略の一つなのかは、経験のないミャロには判じかねることだった。


「これを着ろ」


 ガートルートが到着した翌日、リャオはミャロの執務室を訪れると、ソファの背もたれに王城のメイドが着るような服をかけた。

 どういう趣味だ。


「そんな性癖をお持ちだったんですか? そういった殿方が存在することは知っていましたが、意外と身近にいるものなんですね。ちょっと引きました」


 ミャロがそう言うと、リャオは嫌そうな顔をした。


「違う。ガートルート・エヴァンスとの会合に同席するのに、素性を聞かれたら説明が面倒だからだ。給仕係のメイドなら、室内で同席していても不自然ではないだろう。俺の方も、素性など知らんとトボけられる」

 ガートルートとの会合に同席するのか。

「……私にお茶出しでもしろと?」

「国を滅ぼす誤断をしそうになったら、俺を止めてくれ。ルベ家の天下には協力できなくても、国が百歩後退することには反対できるだろう。例えば半島から東、シャンティニオンまでの大領土をクラ人どもに取り返されることなどは、お前も望まないはずだ。そのために相手が策謀を巡らしてきたなら、察知して俺に進言すればいい。部分的な協力はできるはずだ」


 それは、その通りかもしれない。

 しかし、なんとなく、秘書のような扱いを既成事実化して身内に取り込もうという、(よこしま)な思惑を感じないではなかった。

 だが、放っておいて国をメチャクチャにされるのは、確かに困る。


「まあ、構いませんよ。そこまでおっしゃるのであれば、同席しましょう」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「こちらを、どうぞ」


 ルベ家から出張して来ているらしい給仕役のメイドが、ティーカップが二つ並んだトレイを渡してきた。

 古ぼけた地味なティーセットで、やや将家風の趣がある。トレイも木製だった。おそらく、先々代の女王が生きていた頃、プライベートで使っていたものだ。

 どちらも、王都の文化では来賓の接遇に使うものではなかった。普通、ティーセットはもっと華々しい彩色がされたものを使うし、トレーは銀製を使う。

 おそらく、身内を信用できる者で固めたいという理由から、ルベ領にある実家から連れてきたのだろう。将家であっても、シビャク詰めの別邸勤めのメイドならこんなことはしない。

 まあ、どうでもよかった。


「どうも」


 口ばかりの相槌を言って、トレイを受け取った。普段は履かない、ヒールのついた厚底の靴を履かされているせいで、上手く歩けるか不安だった。ただ、慣れ親しんだ視線の高さが、一段高くなったのは新鮮な感覚だ。

 ドアを開いて、中に入る。

 そこには、黙ったまま座っている二人の男がいた。

 ガートルートは護衛を部屋に入れることを、むしろ要求せず、単身でやってきたという。まあ、殺すつもりなら、十名足らずの護衛のみで王都に来た時点で殺されているだろう、という考えなのかもしれない。


「どうぞ」


 ミャロは膝を折ってティーカップをテーブルに置いた。慣れない行為だったが、される側では何千回、何万回とされてきた行為だし、見様見真似でなんとかなるんじゃなかろうか。

 ティーポットから茶を注ぎ、そそくさと立ち上がると、そのままリャオの背中側の部屋の隅に、トレイを前に抱えて立った。

 変装のためにつけているメガネ(ユーリによると、ガラスの入っていないメガネはダテメガネというらしい)が邪魔だった。視界にフレームが入ってくるのが慣れない。


「そちらの女性は?」

「うちのメイドだ」

「お名前はなんと?」

「さあ。メイドの名前など、いちいち覚えていない」


 突然名前を聞いてきたのは驚いた。リャオは予め想定していた通りの受け答えをしている。


「話を聞かれてもいいのですか? 口が軽いと、ここでの話が外に漏れるかもしれない」

 流暢なシャン語だった。レポートにはなかったが、こちら側の言葉を覚えているらしい。

「口は堅い。その点は気にしないでもらおう」

「そこまで信頼している者の名前を、覚えていないのですか」


 あちゃー、という感じだった。確かに、ちょっと変な感じだ。やはり、この男は、嘘や欺瞞を見抜く能力に優れている。


「……なぜ、名を知りたがる? 帰るときに拐っていって、奴隷にでもする心算なのか」

「まさか。そんなつもりはありません」

「なら、この国の女の名など尋ねんことだ。俺も答えん。無闇に名を教えられた女は、気を悪くするからな」


 強姦魔に名を知られて気を良くする女はいないだろう。いい切り返しだった。はぐらかしている感はないではないが、名を伝えなかった理由にはなっている。


「いえ、通訳の方なのかと思ったのでね。失敬、失敬。お茶、頂きます」


 ガートルートは、こちらをちらと見て、軽く会釈をしてからティーカップの持ち手を摘み、口元に運んだ。

 べつに、私が淹れた茶ではないのだが。とミャロは思った。


 茶を一口飲むと、ガートルートは眉をひそめた。口に合わなかったらしい。

 茶を注いだときからやや異質な香りがしていたが、やはり癖の強い茶だったようだ。

 ルベ家の連中は、こういうところが気が利かない。王城には、舶来の茶葉くらい幾らでも揃っている。なにも来賓に対して、癖の強い地元の茶を出さなくてもいいだろう。

 別にどうでもいいが、私が淹れたものとして飲まれるのはちょっとヤな気分だった。私はそんな粗野ではない。


「……それでは、そろそろ本題を。我らが援軍の条件ですが」

「そもそも、最初に持ちかけてきた話からは、現状は随分とズレているようだがな」


 と、リャオは言葉を遮った。


「ユーリ率いる正規軍は、大半が消耗もしくは、大陸側に拘束されるという話ではなかったのか?」


 リャオは不快げに言う。そりゃ、苦情も述べたくもなる。とミャロは思った。


 リャオが起こした反乱は、彼の立場になって考えてみると、そう悪い条件ではなかった。

 リャオは新大陸の存在など知らないのだから、ユーリに逃げる場所があるとは思っていない。その状況で、ユーリは大陸の奥深くに引き込まれ、そこで殲滅ないしは大損害を受ける。当然、教皇領軍は全力で追撃をするだろう。そこを、可及的速やかにカラクモまで奪取したルベ家軍が、挟み撃ちにする形で迎撃する。

 ホウ家軍の主力や諸将は、当然ながら大半が大陸に出張しているわけで、そんな状態ならホウ家領を占領するのはそれほど難しい話ではない。

 民衆の反感を苛烈な形で買うことになるので、安定した政権運営に非常に大きなコストがかかる点がネックかもしれない。だが、可能性の話でいえば、十分に成功の見込みはある。


 なのに、現状はそれとはまるで違う。大陸での拘束や殲滅は失敗に終わり、ユーリは主力を温存したまま上陸している。リャオの言う通り、事前の約束事とはまったく話が違ってしまった。


「ええ、それはその通り。ユーリ・ホウは、私が精魂込めて作り上げた罠に、確実に嵌りました。彼は、あなたの手配した伝単(ビラ)が空中から撒かれるまで、策略に気づいてもいなかったはずです。しかし彼は、一度罠にずっぷりと嵌ってから、私の想像の斜め上を行く方法で罠から抜け出しました」


 ガートルートは、語るにつれ興奮を帯びているようだった。ミャロの想像に反して、その語り口に怨嗟の色彩はない。


「単身、敵国であるアンジェリカ姫の陣営に乗り込み、同盟を組むという形でね! それまで敵国同士だった二国が、事前の打ち合わせもなしに、半時間足らずの間に同盟国になったのです! そんなことが起こり得るとは、私には想像すらできなかった」


 その興奮した語り口からは、むしろ、ユーリに対する畏敬の念すら感じられた。

 ミャロはその情報を得ていなかったが、ユーリは直接アンジェリカ陣営に乗り込んだらしい。なんとも無茶なことをする。もしその場にいたら、泣いて止めるか、自分が代わりに行こうとしただろう。

 総大将が敵陣に単身乗り込むなどという行為は、その構図だけ見れば、自殺行為のように感じる。

 しかし、ユーリの外交観では、勝算のある冒険だったのだろう。アンジェリカに対して抱いている人物像のようなものが、その行為に踏み切らせたのかもしれない。


「それは」リャオが強い声で言った。「貴殿らの落ち度だ。こちらには、なんの責任もない」

「それはその通りです。詫びろというなら、幾らでもお詫びいたしましょう」

 と、ガートルートはソファに座ったまま深く頭を下げた。言葉だけの無料の謝罪など、いくらでもしてやるという感じの、安い頭だった。

「ですが我々には、あなたの新しい政権をお守りする責任はない。事前に交わした密約にも、そのような条文はありません。我々があなたに協力するなら、無償の奉仕というわけにはまいりません」

「なにが欲しいんだ? 金か? それとも奴隷か?」

「いいえ、そんなものに興味はありません」


 どうやら違うらしい。向こう側では、シャン人奴隷の価値は、特に女性の市場価格は跳ね上がっている。そういう要求もありえるのではないかと思っていたが、違ったようだ。


「我々が欲しいのは、確実な戦果です」

 戦果……か。

「戦果など、ユーリが攻めてきたら、そのときに勇猛果敢に戦い、自分で得ればいい」

「いいえ、私が言っているのは、私達にとって十分な戦果を、あなたに保証して頂きたい。ということです。大軍を動かす以上は、それは譲れないラインです」

「話が見えんな。なにが言いたいんだ」

「ご安心ください。あなたにとっては、とても簡単なことです。決して損ではないし、王として問題のある行動でもない」


 リャオは、そのなぞなぞのような問いかけの答えを、考えているようだった。ミャロには、すでに見当がついている。

 私が逆の立場だったら、そうするという答えがあった。


「我々が軍を派遣し、あなたに力を貸す条件は、たった二つです。一つは、"論災"の名で知られる、イーサ・カソリカ・ウィチタをこちらに引き渡すこと。もう一つは、"魔女"の名で知られる宰相、ミャロ・ギュダンヴィエルを処刑すること」


 ガートルート・エヴァンスは、にやりと口端を上げて笑みを作った。


「あなたの手中にある、味方でもない女を、二人殺すだけのことです。なんの困難も、損害もなく、万の軍勢を味方にできる。とても些細な要求でしょう?」



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親父が草葉の陰で怒髪天してるぞ
外患誘致罪でいまさらな話。 リャオはウィチタ先生の価値は知っているのか…? ミャロを処刑しろというのは受け入れないだろう。 戦果という以上、要求はシヤルタに重要なダメージを与える というのを相手から告…
リャオの見た目のイメージをすっかり忘れていたのですが、コミカライズ版の方で丁度登場してきて綺麗にそっちに更新されました こんな助かり方するんだなぁ
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