第298話 犠牲
人がやっと三人渡れる程度の舟橋を、松明の列が整然と渡っている。既に日は暮れているが、下令が徹底しているため、その歩行に淀みはない。一人が靴紐を結ぶために立ち止まれば、そのために一人の命が消える。今渡っているキルヒナ兵たちは、誰もがそれを理解していた。
川の向こう側には、こちら側に比するほどの灯火の明かりが見える。ただ、その光は細い。こちらが篝火を焚いているのと違い、向こうの炎は松明だからだった。教皇領軍の大群がおり、殿を務めているキルヒナ兵の後尾と未だに戦闘をしている。
既に軍の大半は移動が完了していて、あとは彼らが渡り切るのを待つだけだ。
俺は渡り終えているキルヒナ軍の中に入って、ジーノのいる本陣を目指した。
隣で待機している近衛軍から陣営が切り替わった瞬間、血の匂いがした。まっさらな軍服を纏った無傷の軍の匂いではなく、いままさに血みどろの戦いを掻い潜ってきた軍の匂いだった。男たちは人心地ついたことに安堵し、無傷なものは地面に座り込み、傷のある者は手当をしている。重症者は一箇所に集められているのか、見かけなかった。
俺に気付き敬礼をしようとする者たちを制しながら本陣にたどり着くと、ジーノは布を貼った折りたたみの椅子に座りながら、軍服に片腕だけを通した格好で、部下に指図をしていた。
疲れ果て、戦塵に汚れた顔を篝火で照らされた姿は、一枚の絵画のように劇的だった。この男は、まさに今、歴史に残る戦いをしてきたのだ。
「ユーリ閣下」
俺に気付き、身じろぎをしたジーノを手で制した。
「いい。今日の戦働き、見事だったぞ」
「いいえ。ご期待に添えた働きをできていたなら幸いです」
「誇れ」
俺は短く、強く言った。
「謙遜など必要ない。お前の今日の戦いは、誇るに値する。散った部下たちの献身も」
「……その言葉、有り難くお受けいたします。きっと、部下も喜ぶことでしょう」
「――腕はどうした」
ジーノは腕をぶらさげている。そこには真っ白い包帯がグルグル巻きにされていた。
「ええまあ。かすり傷です」
とてもそうは見えない。俺はジーノに近づき、包帯から覗いている指を見た。篝火の赤い明かりでも判るほどに青白い。
「……どうした。腕が取れるぞ」
俺は小声で言った。誤った止血の典型例だ。縛り過ぎて壊死しつつある。こうなることを、頭脳派のジーノが知らないわけがない。
「どのみち取れます。肘に銃弾を受けましたので」
……肘か。
「肘から先の感覚がないのか」
「ええ」
それなら、どのみち関節は再建できない。現在の医療技術では切断するほかないことを、ジーノ自身理解しているのだろう。
「なら、すぐに手術をしろ。敗血症で死ぬぞ」
「もうすぐ渡り終えます。橋の防衛を交代したら」
現在、教皇領軍は橋から溢れ出るようにしてキルヒナ軍を追っていた。つい三時間前には橋を壊そうと様々な試みをしていた彼らは、今はこれから渡る橋を壊させじと必死なようだった。
「いらん。先程指令を出した。見ろ」
俺は上流を指さした。
夜陰に紛れて近づいていた船から、ぽつぽつと火が灯る。ろうそくの炎のようにか細かったそれは、すぐに燃え広がり、水面を煌々と照らす炎となった。
可燃物を満載し、ぼうぼうと燃えさかる火船が二十隻、対岸から舟橋に覆いかぶさってゆく。川を渡らんとしていた教皇領軍が狼狽し、成すすべもなく焼かれ、あるいは火船を避けるために水中に飛び込み、元から水中にいた者は必死で泳いで逃げるのが、火の光で照らされて見えた。こうなってしまえば、もはや渡河どころではない。
キルヒナ軍の陣営では、大喝采の声が響いていた。今まで自分たちを執拗に追い続け、責め苛んできた敵が、火に焼かれ蜘蛛の子を散らすように溺れている。
「指揮を任せられる部下くらいはいるだろう。手術は俺のところでやれ。痛みをなくす薬がある」
「それはいいですね。閣下は?」
「悪いが、もう一つ用事がある。連中、夜の間に悪さをしてくるだろうからな」
「そうですね。ええ、それじゃ、お世話になるとしましょう」
ジーノは椅子から立ち上がると、指揮を預ける部下を探すそぶりを見せた。
「ジーノ」
声をかけると、こちらを振り向いた。
「助かった。この恩は必ず返す」
俺がそう言うと、ジーノは嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キルヒナ陣営を去ると、俺は離れたところにある近衛騎兵団の野営地を訪れた。
そこには打って変わって落ち着いた雰囲気が流れていた。篝火が焚かれた周りでは、カケドリの世話がされている。それもそのはず、この騎兵団は、先程までずっと休んでいたのだ。最優先で舟橋を渡り、川から離れた場所で落ち着いて休める陣営を設営し、可能なら昼寝をして英気を養うよう、俺の命令で申し付けられていた。
ドッラは、陣営の真ん中にいた。その周りでは、参謀に就かせているギョーム・ズズが数人と話していた。なにか作戦を伝えているのだろう。
ドッラは、それをまったく意に介していない様子で、聞いているのか聞いていないのか、丸太を短く切って立てた椅子にどっかりと座って、超然と愛槍を研いでいた。これで人望があるというのだから、近衛というのはよく分からん。近衛第一軍ドーン騎兵団という名前だった頃から、こんな雰囲気だったとは思えないのだが。
ドッラは、周囲に意を介していないようでありながらも、その周囲にいた人間の中では真っ先に俺に気付いた。
俺が近づくと、槍の石突きを杖のようにして丸太から立ち上がった。鎧はしっかりと着ていて、いつでも戦える体勢だった。
「出番か?」
「ああ。まだ座ってろ」
俺がそう言うと、ドッラは再び腰を下ろした。別に座らせなくてもよかったか。
「命令を伝える。よく聞いておけ。特にギョーム、お前は手練れの鷲乗りを定期的に飛ばして、こちら側の川岸を見張れ。そこに少しでも火の明かりを見つけたら、すぐさま騎兵を向かわせろ」
「敵は、渡河してくるというのか。この暗夜に」
「ああ。ここから少し離れたどこかで。夜のうちに渡河し、どうにか橋頭堡を作ろうとするだろう」
他の橋を使うには、かなり迂回しなければならない。それではこちらに逃げ切られてしまう。徹夜に近い形で兵を酷使することになるが、奴らはそうする以外こちらを追う方法がない。
「しかし、こんな夜に渡河をさせれば大量の落伍者が出る」
「だから火を焚くんだろ。火を焚かなければ、どうやったって再集合はできない。満月ならまだしも、この空ではな」
俺は指先で空を指さした。今日は半月の四日後だ。月は大きいが、教皇領にとっては不運なことに空が曇っている。十分に夜は暗い。
夜間行軍というものは、松明を持って歩かせてさえ、落伍者が続出するものだ。ましてや暗中渡河など、目印となる灯火がなければ再集合できるものではない。真っ暗闇で大声だけに頼って数千の兵を集結させるなんて、誰がどうやったって絶対に不可能だ。必ず暗夜に光る目印が要る。
敵が地獄の訓練を何度もやりぬいた歴戦の猛者の集まりだろうが、人間である以上、できることとできないことがある。
そして、夜間に火を熾せば、空からはすぐに発見できる。集合して態勢を整える前のずぶ濡れの兵なら、急行させた騎兵でいくらでも虐殺できる。
「しかし、渡河したところでどうやって軍行動をする。補給は川を越えられまい」
「そんなもん、通り道の村や町を略奪すりゃいいだろ。どうとでもなる」
現地調達は戦争の基本だ。こっちは戦後処理の関係上あんまり酷いことはやれないが、向こうはなんでもやれる。
「しかし、略奪するのはアルフレッドの領地だぞ」
そんなもん、今の教皇領にとっては関係のないことだ。
「教皇領の覚悟を舐めるな。奴らは今回の作戦に賭けてんだよ。そんな町を襲うのなんざ、少しも躊躇ったりしねえさ。そこに食料がなかったら、村人を喰ってでも追いかけてくるぞ。これは比喩ではなくな。川を渡るのだって、逡巡すらしねえだろうよ。あいつのことだ、もう行動を開始してるはずだ」
俺がそう言うと、ドッラは無言で丸太から立ち上がった。
「すぐに鷲を出せ」
ギョームに対して睨むように言った。それがこの部隊のスタイルなのだろう。
「ドッラ」
「なんだ?」
まだなにかあるのか、と言いたげな表情で、ドッラはこちらを見た。
「殿を務めたキルヒナ軍は、ずたずたに引き裂かれながらも大仕事をやり遂げた。大将のジーノは、自身が前線に出て片腕を失ったぞ」
「そうか」
ドッラは、何を言いたいのか、と言いたげな目をした。
「殺せ」
自然と、腹の底から感情が湧き出していた。
「連中の悲鳴が対岸まで響くほど、川を染める奴らの赤い血が海まで届くほど、そして、二度と俺達の旗を見たくなくなるほど、徹底的に殺し尽くせ。向こう岸の兵が震え上がり、今から渡ろうとしている川が冥府の川に見えるようにしてやれ」
「……ああ。それが俺の仕事だ」
「そうだ。期待しているぞ」
俺はそう言うと、ドッラに背を向けた。
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