第286話 初飛行
数日ぶりにシビャクの王城に着陸すると、なんだか出張から家に帰ってきたような気がした。
拘束帯を解いていると、王城島のトリカゴ番が興奮気味に近づいてきた。
「ユーリ閣下、やりましたよ! 産卵しました!」
「マジか」
やったのか。
「じゃあ、白暮は?」
「もう帰ってきてます。いつでも乗れますよ」
「そうか……よかった。これで血が残せたな」
王鷲の繁殖はちょっと面倒で、カップルが成立したあとは野生環境での営巣場所に似た環境を用意してやる必要がある。
そのため、白暮はカップルが成立したあと、山の背側のノザ家領にある人工繁殖家のところへ送られていた。
「白暮はどこだ?」
「いつもの新鷲舎に入れてあります」
戦争の報告は……まあ、少し遅れるくらいは構わないだろう。一分一秒を争う案件でもない。
それに王城への通り道だしな。
「そうか。行ってみる。あ、この鷲は所属の場所に返しておいてくれ。足輪に書いてあるはずだ」
「了解しました」
手綱を渡すと、俺は三番トリカゴに歩いていった。
◇ ◇ ◇
新たに作られた鷲舎は、黒錆加工された湾曲した鉄フレームに、荒い金網を張って作られたバードドームになっている。
去年建設が完了して、公園を半分潰した手前、入り口の反対側には一般市民が鷲を見物できるスペースも作られた。見栄えの良い建物なのもあって、市民にとってはちょっとした観光スポットになっている。
「あっ、閣下」
三番トリカゴの飼育員だ。鷲に乗る時にいつも顔を合わせるので、既に顔見知りである。
「白暮はいるか?」
「あー……ちょっと今は」
「なんだ?」
「えっと、なんちゅーか、ご息女が餌をやっています」
「はあ?」
飼育員の背中越しにバードドームの中を覗き込むと、遠くの背の小さい金髪の幼女の姿が見えた。
急いで二重になっている入り口を通ると、シュリカの周囲は王剣が固めているようだ。
遠くで鷲を見物している一般市民を警戒しているのか、直接見られないよう、地面までぴったりと覆う目隠しの衝立が持ち込まれている。
キャッキャしているシュリカのところに歩いていく。
「なにをやっとるんだ、お前は」
「あっ、おとーさん。はくぼに餌やってるんだよー」
と、シュリカは生え揃った乳歯を覗かせながらにこやかに言った。
そんな、自分の犬に餌やってるんだよー、くらいの当たり前感で言われても……。
「あのな……それはお前の鷲じゃないし、そもそも危ないだろ? やめとけ、な?」
相手が賢い白暮だから安心して見ていられるが、鷲の中にはクルミくらいなら割れそうな勢いで頭蓋を突っついてくる個体もいるので、気が気ではない。王剣が妥協案として示したのか、ヘルメットは被っているが、幼女と王鷲はサイズ感があまりに違いすぎて、なんだかハラハラする。
鷲が餌の肉に嘴を立てた拍子に、小さくて華奢そうな指をツンと咥えたら、簡単にもげてしまいそうだ。白暮はそんなことはしないけど。
「やだよー、ぶーー」
シュリカははしたない仕草をした。
「リッチェ、どういう経緯でこうなってるんだ?」
俺はシュリカ付きのメイドになっているリッチェに言った。
リッチェは、あの別荘でメイド長と共にキャロルの看護をしていたメイドの子だ。あのとき産まれたシュリカが、もう四歳になる。リッチェもずいぶんと大きくなった。
「え、えーっと、この間、サツキ様が参られまして……ユーリ様、じゃなかった、かっかの子供の頃の話をされて……」
ああ……。
「子供のころに育鷲の牧場で働いていたって?」
「いえ、ホウ家には、子供のうちから鷲に慣れさせる伝統があって、閣下は同じ年頃にはもう鷲に乗っていたという話をされたらしく……えっと、あんな年頃から鷲に乗ってたって、本当なんですか?」
リッチェは恐る恐る白暮を見ながら言った。シュリカがまだキャロルのお腹のなかにいたころ、一度だけ一緒に乗って空に飛んだのだが……大喜びどころか軽いトラウマになってしまったらしく、それから鷲のことが怖いらしい。
「乗った、じゃなくて乗せられた、だ。お前と同じ状況で飛んだだけだよ。あんな子供を単独で飛ばすわけないだろ」
どこか情報が誤って伝わっている気がする。
「あ、そうなんですか。てっきり……」
リッチェはシュリカを見た。シュリカからの伝聞で聞いたのだろう。
「そーなんだ」
と、シュリカはこっちも誤解していたようで、ちょっとがっかりしたようだった。
「でも、どーせごさいになったらのるんだから、はくぼとはともだちになっておかなくちゃね。よーしよし」
シュリカはニッコニコしながら白暮の嘴を撫でている。なぜか、五歳になったら乗れることになっているようだ。白暮のほうもシュリカを庇護するべき存在と見なしているようで、まんざらでもなさげな様子で撫でられながら、時折舌を伸ばしてシュリカの手を舐めている。
ええーーっと……。
俺は、何かあったときのために近くに備えている、王剣のティレトを見た。苦り切った表情をしている。どうも、自ら悪役を買ってでるつもりはなさそうだ。
「シュリカ、それはホウ家だけの話だ。お前の名前は、シュリカ・オル・シャルトルだろ」
「……えっ?」
シュリカは、理解不能な理屈を言われた顔で、ぽかんと俺を見た。
「でも、私おとーさんの子どもだよ?」
「そうだな。だけど、べつにホウ家を継ぐわけじゃないだろ。それに、もしホウ家の子でも、五歳で鷲に乗せるのは男子だけだ。シャムお姉ちゃんは立派なホウ家の女子だけど、五歳でそれはやってないんだよ」
つまり、シュリカは男でもないし、ホウ家でもない。すべてが間違っている。
「……えーっと、でも、私おとーさんの子だし」
あかん、理解できていないようだ。
自らの主張の唯一の拠り所を繰り返しておる。
「でも、シュリカは女の子だろ?」
「えっとえっと、でも、私おとーさんの子だし……」
またそれか、と思った瞬間、シュリカは思わぬことを言った。
「それに、おかーさんは乗ってたんでしょ?」
おーーっとぉ……。
痛いところを突いてきやがる。思わずティレトと顔を見合わせてしまった。
急に出てきた鋭い指摘に、ティレトもちょっとびっくりしたようで、目を丸くしていた。
しかし、確かにキャロルは鷲に乗っていたが、あれは戦争期の王族としての教養であって、シュリカには”前線で兵を鼓舞できる、戦えるお姫様”みたいな機能は全く求められていない。
鷲は普通に事故死の危険を孕んでいる乗り物なので、ぶっちゃけ乗らせたくない。
「シュリカ様、ダメなものはダメなのです。ご理解ください」
ティレトがついに口に出した。
「じゃ、私、はくぼにのれないの……?」
幼女の青色の瞳が涙ぐんできた。俺の顔とティレトの顔を交互に見ている。
「はい。ダメなものはダメです」
ティレトが改めて言うと、
「……やだあ」
あー、やっぱりこうなるか……。
「やだぁ~~~~……やだよぉ~~~~うぇ~~~ん」
涙をボロボロと流しながら泣き出してしまった。見るからに嘘泣きではなく、なんだか本当に悲しそうで、大人の心を締め付けてくるような泣き方だ。心が苦しくなる。
「おい、ティレト」
俺はティレトに向けて、指で付いてくるように言った。
ティレトは苦り切った表情で頷くと、後ろをチラッと見て、屏風のところにいる王剣に手信号を飛ばしてこっちに来させた。
二人でシュリカから少し離れると、
「どうすんだ? 俺は、鷲を覚えさせるって手もナシじゃないと思うんだが……」
と言った。
「やらせたくない。空では御身をお守りできない」
そう言うと思った。
陸上では命を捨ててでもシュリカを守る王剣であっても、空ではどうしようもない。高空で突然鷲が心停止でもして落下をはじめたら、どうやっても助ける方法はない。そこが不安で仕方ないのだろう。
「どのみち、大人になったら行動の全てを管理するわけにはいかなくなる。その頃になって鷲に乗ろうとしたら、そっちのほうが危ないぞ」
「………だが、鷲は趣味で乗るものじゃない。お立場を考えれば、不適切な趣味だ」
「まあ、そうだが……」
遠くではシュリカが「えぇーん~~~やだぁ~~~乗りたいぃ~~~」と泣き続けている。
白暮は、目の前で発生した異常事態に、いつになくせわしない様子でシュリカの体を嘴で押したり、頭を押し付けて擦ったりしている。なだめているつもりなのだろうか。
「どちらにせよ、この場で姫に約束してしまうのはマズい。いったん引き離して、それでもずっと言い続けるようなら考えよう」
ティレトは、シュリカが飽きて忘れてしまうことに賭けようとしているようだ。実際、そうなる可能性もあるしな。
「じゃあ、その線でいくか」
「よし、決まりだな。じゃあ」
ティレトがそう言ったとき、俺の目の前で信じがたいことが起きた。
わんわんと泣いているシュリカの後ろの襟首に、白暮が突然嘴を突っ込み、咥えるやいなや翼をダイナミックに広げ、バサリバサリと羽ばたき始めたのだ。
「馬鹿!! 姫を掴め!!」
血相を変えたティレトが命令を飛ばしたときには、シュリカは周りの王剣が手を伸ばしても届かない高度にまで運ばれてしまっていた。
そのまま、鷲が留まるために設置してある上部の梁まで連れ去られてしまう。
梁を跨ぐ形でシュリカを下ろすと、白暮は後ろ襟から嘴を離した。
「――何をやってる! お助けに行くぞ!」
「待て」
俺はティレトを止めると、
「落下した時のことを考えるのが先だ。そこにある衝立には布が貼ってあるだろ。下で構えて受け止められるようにしろ」
そう言うと、なるほど正論だと思ったのか、ティレトは部下に指示を飛ばして、シュリカの直下に衝立を運び始めた。衝立はしっかりとした作りで、張られているのも木綿でできた厚ぼったい布だ。シュリカの軽い体重ならトランポリンのような形で受け止められるだろう。
「登っていくつもりなら、空いている鷲に鞍をつけて乗っていったほうが早い。ロープを担いでな」
シュリカが乗っている梁は、かなり高いところにあるし、そもそも人間が登ることは想定されていないのでハシゴなどもない。逆に、鷲が二羽留まったところで壊れるようにはできていないので、王剣の運動能力であれば、梁の上で鷲から降りたほうがずっと早いはずだ。
「そ、そうだな。おい! ヤーンケはロープを、チルカは鞍を持って来い。私は鷲を捕まえる!」
シュリカは梁の上であまりの事態に呆気に取られている様子だった。鋼の心臓を持っているのか、あるいは祖父から空を恐れぬ心を受け継いでいるのか、パニックを起こす様子もなく落ち着いている。
梁を掴んだ白暮は、子どもをあやしているような感覚なのか、泣き止んだシュリカをじっと観察している。
まあ、元より空を棲家にする白暮にとっては、子どもが恐慌状態になって梁から落ちて死んでしまうとか、そういった事態はまったく想像もつかないことなのだろう。
おそらく、子どもが砂場で遊びたいと駄々をこねるので、手っ取り早く砂場に連れて行った。くらいの感覚だったのではないだろうか。
しかし、これはいけないことだ。
白暮をじっと見つめていると、そのうちこちらと目が合った。すると、視力のいい白暮は俺の表情からまずいことをしたのだと察したのだろう。そっぽを向くと、居心地悪そうにその場で梁を持つ鉤爪を組み替えて、みじろぎをした。
そして、改めてシュリカの後ろの襟首を咥えた。
王鷲の嘴で咬む力は、鉤爪で押さえつけた草食獣の肉を引きちぎれるくらい強い。途中で落ちることはないだろう。
白暮はシュリカを咥えたままバッサバッサと降りてきて、幼女をゆっくりと地面に降ろした。おそらく、お洋服には穴が空いているだろう。
「姫様っ!」
ティレト他、王剣たちが一斉に駆け寄ってきて、白暮とシュリカの間に入って引き離した。
俺は白暮のところに行くと、頭を撫でた。すると白暮は叱られているように頭を下げ、平伏するような格好をした。そのせいで、しゃがまないと頭を撫でられない格好になってしまった。
「二度とするんじゃないぞ。分かったな」
白暮は頷くようにして一段と頭を低くすると、「クルルル……」と鳴き声を発した。
甘すぎるような気もするが、まあ、これで二度とやらないだろう。
シュリカのところに戻ると、泣きわめくでもなく、ぽーっとした表情をしていた。ティレトをはじめとする王剣の声も聞こえないようだ。
「どうした?」
「あ、おとーさん。あのね……」
「服に穴が空いちまったな。城に戻るぞ」
俺はシュリカの体をひょいと抱き上げた。
「ティレト、シュリカは俺が部屋に戻しておく。ちょっとミャロを呼んできてくれ。緊急で会議をしなきゃならん」
「えっ、だが、しかし……」
「説教なら俺がしておく。お前の説教は後でもいいだろ。頼んだぞ」
勝手に言うと、俺はシュリカを抱き上げたまま城に向かった。
◇ ◇ ◇
「もういいよ、あるけるから、おろして」
「ああ」
俺はシュリカを城の廊下に降ろした。シュリカの部屋までは、まだ少しある。
シュリカは小さな手で俺の手を握ると、歩きはじめた。
「あのね、おとーさん、はくぼをおこらないでほしいの」
シュリカは上目遣いで俺を見つめながら言った。
「なんでだ?」
「はくぼはね、わたしがないてたから、かなしい気持ちになっちゃったの。だから、わたしをたのしい気持ちにさせようとして、ああしたんだよ」
「……そうなのか」
本当に鷲と気持ちが通じ合っているなら、シュリカは天性の才能の持ち主なのかもしれない。
だが、そんなメルヘンな考えは、どうも俺には持てない。子供のうちは、そういう感覚はありがちなものだ。
だが、白暮は行動した。そこには、やはり泣くシュリカをあやす目的があったように、俺には思えた。
俺も、長年鷲に関わってきて様々な逸話を耳にしたが、王鷲が獲物を餌にするでもなく、あんな行動をとったという話は、一度として聞いたことがない。
「だからね、はくぼをゆるしてあげてほしいの」
シュリカの顔を見ると、心底心配そうな顔で俺を見上げていた。
その顔を見て、俺はシュリカが事態の深刻さを理解していることを悟った。
女王である自分の体を傷つけた人間がどうなるか。ましてや、今回の相手は動物だ。罰せられたり、あるいは殺処分の憂き目に遭ったりするのではないか――と、そんな危惧があるのだろう。
それはほぼ正確な理解であって、的外れなものではない。
白暮がルークの育てた鷲じゃない、思い入れもないどこにでもいる平凡な鷲だったら、俺も庇おうとは思わないだろう。どうなっていたかわからない。
「白暮は、もう十分叱っておいた。もう許してる」
「えっ、そうなの。よかったぁ……」
「それで、どうだった?」
「ん? なにが?」
シュリカは、灰色の雲を拭い去った晴天の青空のような笑顔をしている。
「狭い檻の中とはいえ、空に浮かんだろ。どうだった?」
「えっ………」
「怖かったか?」
「こわかったよ。でも……ちょっとだけたのしかった、かも」
あれで楽しかったのか。普通の子供だったら、泣きわめいて鷲など二度と見たくないと思うのが普通だ。リッチェみたいに。
「怖かったならよかった。鷲乗りにとって、怖い思いをするのは貴重な体験だからな」
「なんで? おとなでも、こわいこといっぱいあるとおもうけど」
「そういう意味じゃない。鷲で怖い思いをするってのは、空中で事故が起きたってことだろ? そしたらたいてい死んじまうから、怖い思いをして生き残った奴ってのは稀なのさ」
「そーなんだ……おとーさんでも死んじゃうの?」
「ああ。空中で――たとえば白暮の片翼がいきなり折れたら、俺でもどうしようもない。王城のてっぺんから身投げするようなもんだからな」
「……そっかぁ。それはやだなー」
シュリカはうつむきながら、理解しているのかしていないのか、よくわからない返事をした。
「それでも乗りたいか?」
「うん? えーっと……えーっとねぇ……」
なんだか圧をかけたような格好になってしまった。これでは、シュリカもやりたいとは言えないだろう。
本当にもう乗りたい気持ちが萎んでしまったのかもしれないが。
「いいか? シュリカ、よく聞け」
そう言って、俺はシュリカの顔が上がるのを待った。
急に立ち止まった俺を、不思議そうに見上げるシュリカと目があう。
「怖いからやりたくない、と、楽しいからやってみたい。どっちの気持ちが強いか、心の中で考えてみるんだ。お前はたしかに女王だが、やりたくないことに埋もれていく必要も、やってみたいことを諦めていく必要もない。やってみたいなら、そう言え」
俺がそう言うと、
「やってみたいっ」
シュリカは強い声で即答した。
「……血は争えんか。しょうがない、鷲を教えてやるよ」
「ほんとっ!?」
シュリカは今日イチ嬉しそうな、夏に咲いたヒマワリのような満面の笑顔を見せると、俺の足に抱きついてきた。
「ありがとーっ! おとさんっ! 大好きっ!」
愛くるしい……このまま家に持って帰りたくなるな。
いや、元々うちの子なんだけど。
「それじゃ歩けないだろ。抱っこしてやる」
そう言うと、シュリカはすぐに手を離した。すぐ、慣れた様子で両手をバンザイする。
抱きかかえると、嬉しさを全身で表すようにギューッとしがみついてきた。
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