第279話 次の戦争
皇歴二三二五年、三月。
王城最上階近くの会議室に、ディミトリ・ダズとミャロが集まっていた。
もう一人いるのは、アルビオ共和国から来たメリッサ・リオックという眼鏡をかけた小柄な女性だ。
顔にそばかすが浮いていて、癖のある長い髪を後ろで太い三編みにしている。
「こちらがメルヘームの図となります」
大きな円筒から紙を取り出すと、一面にコルクボードが貼られた壁に張り付けた。
この部屋は元は眺めのよい客室の一つで、模様の入った薄い織物が壁紙として張ってあったが、全て剥がして調度も取り払った。作戦会議室として使うためだ。
「ふーむ……」
ヴァチカヌスの川下にあるメルヘームは、中規模な港湾都市だ。
ヴァチカヌスという都市は海のすぐ近くにあるのだが、都市圏が海に接しているわけではない。道路も通っているので陸上輸送も使えるが、流れが非常に緩やかな川が海まで通っているので、河川水運が盛んである。少し内陸にあって河川水運を使うという点では、シビャクと少し構造が似ているかもしれない。
そして海上輸送から河川水運への切り替え、つまりヴァチカヌスの海の玄関口となっているのが河口にあるメルヘームという都市である。
絵師が手書きで描いたらしいメルヘームの図は、少し線が細やかすぎて見えにくかったが、卓越した技術のデッサンだった。
「二年前に描かれた、かなり忠実な絵です。現在のメルヘームは我が国が行った継続的な爆撃によって半壊滅状態にありますが、こちらにご注目下さい」
メリッサは長い棒で絵図の部分を丸く指した。
都市から海に突き出るように四角い棒が何本も伸びたような構造ができている。桟橋だ。
「ここに描かれている複数の桟橋は非常に幅が広く、しかも石で強固に造られており、現在でも完全に破壊されてはおりません。川から上陸してヴァチカヌスを攻撃する場合は、必然的にメルヘームを強襲してこの港を接収、利用することになるかと思います。ヴァチカヌスを貫くエレ川は大河ではなく、定期的に浚渫がされていますが大型船舶が入れるほどの水深はありませんので、川を遡航してヴァチカヌスを直接叩くというのは現実的ではありません」
そこまで言うと、メリッサは棒を紙から離して黙った。
「守備部隊はどれほど?」
ディミトリが発言する。
「はい。守備部隊は千人規模のものが存在し、兵舎等は改築されて空襲に強くなりました。なので空襲のみで完全に無力化するのは難しいかと思います」
空襲に強い改築というのは、屋根の下地である野地板を厚く粘り気のある素材にして、鷲が運べる重量の投下爆弾では破れないようにしたものだ。
そこに分厚く漆喰を塗って、その上に屋根材が乗せてある。爆弾の重量では破れず、燃え広がっても消火が間に合ってしまう。
まあ、それでも重爆撃をかければ限界はあるのだが、普通の建物だったら一発の爆弾で屋根を突き破って全焼させられるわけだから、そこに五発も十発も費やさなければ燃えないというのは非常に面倒な話だ。コスト的に重い負担を強いられる。
「また、メルヘームの防衛はヴァチカヌスの駐屯部隊と連携することが前提の仕組みとなっており、上陸部隊を発見すれば迅速に連絡が行われヴァチカヌスの挺身騎士団が急行してきます。また、市門には門を破壊して閉じられなくする仕組みがありますので、こちら側で市門を閉じて増援を都市に入れなくするという戦法は困難です」
海からの強襲には対策が打ってあるわけだ。
ヴァチカヌスの鼻先にある都市が敵に取られて逆に利用されてしまうという事態は最悪中の最悪だから、大昔から対策されてきたのだろう。
「まあ、無理だな。船を全部結集させたとしても、ヴァチカヌスを直撃するのはちょっと厳しい」
現有の船の量では、頑張っても上陸作戦で一度に運べるのはせいぜい四千人といったところだ。
そこはピストン輸送すればよいのだが、問題なのは往復に時間がかかる点である。ヴァチカヌス近辺には常時二万くらいの兵はいるので、最初の一日は四千人で二万人と戦う必要がある。これは厳しい闘いだ。一日で往復できたとしても八千人にしかならない。
そして増援は敵のほうも他の地方からも続々とやってくるし、こちらの数が集まったら厄介なことになるというのは承知しているので果敢に攻めに来る。
「ティレルメ方面からの侵攻と合わせて、ヴァチカヌスがよほど手薄になったら試みる価値はあるだろうがな。現状ではリスクが高すぎる」
「ボクもそう思います。エヌギラ島という拠点を得たにしろ、一ヶ月以上の航海は兵たちにも相当の負担を強いますしね。殆どの兵は船に乗ったことなんてないわけですから」
確かに、船旅でゲロゲロと吐きながら運ばれて、すぐに戦えというのは酷な注文だろう。
三日か一週間くらいは休ませてやりたい。
「我々も同じ分析をしています。もう少し離れた候補地もあるのですが……基本的に、教皇領は強力な海軍を持つ龍帝国を仮想敵国として長年意識してきた国です。なので海からの侵攻に対して鈍感ではなく、ヴァチカヌスから離れた辺境でも完全に無防備という地域はありません。沿岸防衛の仕組みも、往年であれば汚職や地位売買で機能停止していることもあったのですが、我々の海賊行為によってそれもなくなっています」
言ってみれば、強盗が何十回も入ってきたせいで警報装置の故障箇所が炙り出されたということだろう。
そういう早期警戒のシステムというのは、砦なんかの見張り番なんかと同じで、平和な時代が長く続くとどうしても緩む。だが何度も叩かれれば鋭敏になるものだ。
「では、とりあえずヴァチカヌス断頭作戦のほうは保留にしておいて、対ティレルメ戦争の議題に移りましょうか」
ミャロが言った。
「そうだな。そうしてくれ」
「では、メリッサさん、解説をよろしくおねがいします」
「はい、こちらの地図を御覧ください」
メリッサは新たな地図を壁に張り付けた。
「真ん中の境界線は二ヶ月前の我々の情報によるものですが、日々の争いで目まぐるしく変わっているので参考程度にお考え下さい。二王の勢力圏は、面積でいうとアルフレッド王のほうが広いのですが、アンジェリカ王の勢力圏の南部は鉄鉱石と石炭を産出する高価値地帯なので、勢いはほぼ拮抗していると考えてよろしいでしょう」
「そこにある三卿独立領というのは?」
ディミトリが尋ねた。
「はい。まず少し説明させてください。ティレルメ神帝国という国家は、内戦勃発以前はとても諸侯の権力が強い国家でした。選帝侯と呼ばれる有力諸侯が九つあり、彼らが帝王を選ぶ特権と共に半ば独立国のような形で国内に大きな領土を持っていたわけです。彼らは内戦に対して我関せずと日和見主義的態度を取っていたのですが、この苛烈な内戦はそういった曖昧な態度を許しませんでした。二つの勢力の間で揉まれるうちに一つ潰され二つ潰され、現在残っているのは山間部に存在する三つの選帝侯領だけというわけです。ここが残ったのは山間部ということで防衛が容易なのと、この三卿は内戦勃発の初期から緊密な連携を取ったので守りが堅かったからです。言わば中立国ですね」
「なるほど。ありがとう」
ディミトリが軽く頭を下げた。
「いえいえ」
メリッサは恐縮するように慌てて言った。
彼女はアルビオ共和国で海外の情報を収集分析している、情報局という部署から派遣されてきたエリート分析官なので、有能な出世頭ではあるが偉い人というわけではない。
ディミトリは偉い人の中でも相当に偉い人なので、あんな態度を取られれば恐縮するのは当然だろう。
「……まあ、こちらとしてはどちら側も、どうとでも料理できるな」
「はい。問題は、料理の仕方ですね」
ミャロが地図を見ながら言った。
アンジェリカの方は海からどうとでも侵入できるし、アルフレッドの勢力圏はこちら側に大きく背中を開けており、報告では大して兵を置いていない。
というか、ティレルメ方面は昔からそういう方針で、こちらは国境沿いに最低限しか兵を置かず、あちらも同程度しか兵を置かない。こちらは後方に広範囲の抑えのための軍が控えて、なんとなく睨んでいるが、これも大規模な軍量にはしない。
目の前であちらの前線が動くと、こっちも抑えの軍を少し動かす。何か間違いがあってこっちに侵入してきたら脆弱な前線部隊は簡単に突破されてしまい、その時抑えがいないと深く侵入されてしまうからだ。まあ結局そういう事態は起こらず、あちらの戦いが終わって新しい境界ができると、スパイを出してきてこちらの村の駐屯部隊の数を調べ、それが三十人だったら向こうも三十人くらい置く。その繰り返しで、正規軍のぶつかり合いはキルヒナを奪い返した直後から一度も起こっていない。
まるで無言のうちに上手く成立している紳士協定のような話だが、これはそんなに立派な話でもない。
単に、こっちもあっちも殴り合いをしている相手が既にいたから、もう一人の相手はしたくないとお互い背中を向けていただけの話だ。
こっちは先に相手をノックアウトしてしまい、受けた傷の回復も済んだので思う存分あちらを向ける。背中を殴ることに良心の呵責もない。
問題はどう殴るかだ。そもそも二勢力はこちらと比べ物にならないほど疲弊しているわけで、西と東から挟み込むように潰してしまう事もできる。しかし滅ぼした後どうするかという問題もあるし、後背に控えている諸国家が干渉してくれば厄介な戦争になる可能性もある。
「ちなみに、国内の国民感情はどちらの勝ちを望む傾向にあるんだ?」
「それはアンジェリカ王のほうが圧倒的に人気がありますので、そちらが望まれているでしょうね。彼女は常識的な範囲でしか略奪をしませんし、敵側についた民もそこそこの理由があれば罰したりしません。アルフレッド王の方はアンジェリカ側に寝返った人々を村ごと平気で虐殺したりしますので、純粋に恐れられています」
「まあ、そうなるだろうな」
それで恐れられるのは弱いということには必ずしも繋がらない。恐怖で治める統治者の強みというものもある。
まあ、異常な税率を課して国民が餓死していく様を笑って見ているような本物の暴君だとまた話は違うのだろうが、ここまでちゃんと国を破綻させず戦争を続けてきたということは、そういうメチャクチャな治め方はしていないのだろう。
「とはいえ、国民にとっては最早どちらが統治するかは重要なイシューではありません。生き残りをかけて国民に重税を課し、熾烈な戦争の戦火を浴びせかけているのはどちらも同じです。全体のフワッとした意見としては、戦争を終わらせてくれるならどちらでもいい、という意見が一番大きいと思います。そういう意味では、シヤルタ王国にとっては都合の良い状況かもしれませんね。戦争を終わらせて平穏な日々を取り戻してくれるなら、それが二人ではなくこの国でも反感は少ないかもしれません」
それはどうなのだ、と思うが、しかし最初の状況が極めて悪いというのは確かに悪い効果は産まないだろう。
平和的に統治さえすれば上の方に振り幅が大きく振れるわけだから、人々は相応に満足するはずだ。
そもそもで言うと、問題の内戦が起こるように仕組んだのは全部俺なんだけどな。
「まあ、明日から少し考えてみよう。今日はそろそろ日も暮れるし、お開きにするとしようか」
「そうですね」
「ディミトリは何かあるか?」
「いえ、ありません」
メリッサは最初アルビオ共和国の略奪状況などディミトリの管轄とは離れたことを喋っていたので、関係ない話を長々とされて疲れただろう。
俺は椅子を立つと、机を回り込んでメリッサのところに行くと、
「メリッサ殿、どうもありがとう」
と握手をした。
「いえいえ、大丈夫です」
「そちらが問題なければ紙などは張ったままでいい。明日も使うだろうから。ここはそういう機密を放って帰ってもいいよう警備が厳重な区画に作った会議室なんでね」
そもそも会議室はもう一つあって、そちらには新大陸の資料が散らかっている。新大陸の会議をそこらへんの会議室でやると、忘れ物があったりしたとき大問題なので撤収に毎回たいへん気を遣わなければならない。なので撤収しなくていい場所に会議室を作ったのだ。
「そうなんですか。それでは、書類かばんだけ持ち帰らせてもらいます」
「うん」
俺は扉を開けて廊下に出た。
すると、
「やだあああああああ――」
女児の叫び声が遠く聞こえてきた。この部屋の扉は、重い樫材で出来ている。防音が効いて今まで聞こえなかったのだろう。







