第271話 コートフェルミ郊外にて
シャンティニオンの陥落から二週間後、俺はガリラヤ連合の東部、コートフェルミ近くの耕地で会談の場に座っていた。
「では、フリッツ殿が死んだのはあくまで事故だったと?」
敵軍の現在の総指揮官であるらしい、オルセウスという男が言った。
「そうだと何度も言っているだろう。疑うなら、降伏したあとにシャンティニオン――一応言っておくが、ガリラヤニンのことだぞ。に行って、事件を捜査した警吏を尋ねて事情を訊いてみろ。何も口封じなどしていないから、素直に話してくれるはずだ」
「当然、そうさせてもらう」
「じゃあ、いい加減話を進めて構わないか? あれが俺の手引きかどうかなんて、心底どうでもいい。疑い深い女にやってもいない浮気を責められているような気分だ」
「………」
このオルセウスという男は、フリッツと相当懇意だったのか?
何やら私怨のようなものを感じる。
「それで、降伏の条件だがな」
これ以上ゴチャゴチャ言われても面倒なので、俺は無理やりに本題に切り込んだ。
「統治における待遇の優遇というのは、一切受け入れん。そもそも、現在想定している都市国家地帯と同様という待遇自体、十分に優しいものだしな。これ以上となると我が国の国民以上に恵まれた待遇ということになってしまう」
「税制に関しては何も条件はない」
オルセウスの隣に座っている、アリョーシャという老人が言った。この老人は、ガリラヤ連合第二の都市、コートフェルミの市長であるらしい。
フリッツはこの男を形ばかり副大統領のようなものに指定していたらしく、現在の首都を欠いたガリラヤ連合残党の指導者という立場にある。
「条件はここに纏めてある。確認していただこう」
アリョーシャが一枚の紙を差し出してきた。
紙は丁寧にもこちらに向いていたので、机の上のそれを軽く読んでみると、コートフェルミを始め大都市幾つかの自治権、立法権、裁判権などと、案の定訳のわからないことが書いてあった。
「――はあ」
思わず溜息が出てしまった。差し出された紙を拾うと、すぐに二つに破って捨てた。
一生懸命考えてきたであろう条件を破かれたことで、顔をしかめる二人に対して、俺はどう説明したらよいものかしばし迷った。
少しして、
「貴殿らに忠告が二つある」
と言った。
「まず、自分たちを打ち負かした相手のことを、大都市に自治権を与えたら後々面倒なことになることを想像できないほどの大莫迦野郎だとは思うな」
そう言った後、
「もう一つ。俺は、この世の多くの人間と同じように、面倒臭いことは嫌いだ。自治権など絶対与えない。また、愚にもつかん条件から出発して、覚えの悪い子を親が導くように、少しづつ歩み寄るような話し合いをするつもりはない」
こういうことになるから、フリッツに生きていて欲しかったのだ。
世の中には、脳みそが腐ってでもいるのか、そもそも立場が分かっていないのか、付き合うのが非常に疲れる馬鹿げた話し合いしかできない連中がいる。
「これが我々が出す降伏条件だ」
俺はあらかじめ作っておいた紙をひらりと投げた。
「うちの宰相が作った。多少の条件の擦り合せは可能だが、ここから大きく譲歩することはないと思ってくれ。これが受け入れがたいというなら、気は進まないが戦争を続けるしかないな」
シャンティニオンを放ってはおけないので、ミャロは今シャンティニオンにいる。
譲歩案は、基本的には降伏した将兵に対する措置に対しての待遇緩和策が主となっている。
最後まで抵抗して白旗を挙げたのではなく、面倒をかける前に降伏したのだから、課せられる労役などを大幅に軽いものにしてやるという内容だ。
「せ、政庁を破壊するだと?」
だが、アリョーシャは意外なところが気になったようだ。こいつはシャンティニオンの政治家ではないので、政庁というか大聖堂に関しては割とどうでもいいと感じているものかと思っていた。
「ああ。主だった柱に穴を掘って、火薬を詰めて爆破する。それは譲歩できない条件だ」
「小僧! あの建物の歴史的価値を分かっているのか!? ガリラヤニンの歴史を見守ってきた聖堂だ! 壊すことなど許されん!!」
老人は血相を変えている。血圧が心配である。
「俺は、貴殿らとは違って種族的な罪過といった概念は好まないが、自らのことを棚に上げるのはよくないな」
人間ってのは、つくづく自分本位にしか物事を考えられない生き物だ。
それは仕方がないことだが、面倒臭くもある。
「九百年前、同じく千年の歴史を誇ったシャンティニオンの皇城を破壊し、更地にしたのは誰だった?」
「なっ」
この老人は、その件についてはまったく意識をしていなかったようだ。思いもしなかった話を急に繰り出されたような顔をしている。
「天から星でも降ってきて全壊させたと考えているのなら、歴史的認識にだいぶ隔たりがあるようだな」
「もちろん、分かっている。だが、それとこれとは」
「別の問題ではない」
俺はお決まりのセリフを遮った。
「貴殿らの祖先は同じことをして、シャンティニオンの歴史を踏みにじるように大聖堂を建て、そして現在に生きる貴殿はそのことについて一欠片の罪悪感も抱いてはいない。ならば、俺に貴国の歴史を畏敬しろというのは公平ではないな」
「しかし――」
「アリョーシャ殿」
オルセウスが老人の反論を遮った。
「――ユーリ殿。しかし、そういった対立は貴殿の訴える融和の精神を破壊するものなのではないか?」
「譲歩はしている。そこに書いてあるだろう」
ちょっと厄介なことになってきやがった。
机の上にある条件には、爆破に際して二週間の猶予を与え、歴史的遺物の持ち出し、あるいは美術的価値のあるレリーフの切り出しの作業を許すという一言が与えられている。
そもそも俺はあの大聖堂を憎く思っているわけではないし、あんな象徴的な建物が建ったままだと統治上の問題が非常に大きいのでぶっ壊しはするが、文化財保護の精神を有していないわけではない。
なので、さすがに別の所に移築などという十年くらいかかる仕事を許すつもりはないが、この程度の作業は無条件でさせてやるつもりだった。
それをここで文章に付け加えたのは、折角ならその条件を恩着せがましく与えてやろう。という魂胆だったのだが、いつのまにかやるやらないの話になってしまった。
「我々が降参しなければ、有無を言わさず政庁を吹き飛ばすという脅し文句に思えるな」
「別に、そう考えてもらっても構わない。実際、どんなに泣いて乞われようが、罵られようが、最終的には有無を言わさず吹き飛ばすしな」
まあ、どっちみちこの会談が決裂すれば戦争再開なのだ。
決裂すれば、有識者と人足を集めてこっそりと作業させ、爆破するだけのことである。
「それより、オルセウス殿。貴殿はもう一つの条件について考えたほうがいい。将兵の待遇についてをな」
俺は無理やり話を変えた。
「戦いもせず武装解除をして、五年の労役に就け……か?」
シビャクの会戦で捕らえた連中は二十五年の労役ということになっている。
五年というのは格安だ。
「戦いもせずに、ではない。既に我々は一度戦っている」
「そうだったな。だが、この条件であれば、国外に脱出すれば労役に就く必要はなくなる。五年も無償の労働をするくらいなら、多くの者はそちらを選ぶだろう」
「期間はもう少し短くしてもいいがな。実のところ、我々は君らに罪を課したいわけではないのだ」
「……は? どういうことだ」
オルセウスは疑問を顔に出して言った。
「我々としては、戦争という殺し合いのあと、憎悪が高まった兵を故郷にバラバラに帰すのは、毒を持った粟の種粒をわざわざ畑にばら撒いて回るのと同じようなものだと考えている。武装解除といっても、刃物を手に入れられない世の中ではないしな。そこら中で鋤鍬などを持って小さな抵抗をされると面倒なのだ。その意味では、全員が故郷に戻って大人しく畑を耕していてくれるのであれば、労役などなくても構わないくらいだが、実際は大人しくしていろと言っても、大人しくなるわけでもない。都市国家地帯で一度試みたが、実際に上手くいかなかった。血気盛んな連中の頭を冷やす意味で、数年くらいは労役をやってほしいわけだ。別に、死者が出るような過酷な労働を課すわけではない」
実際のところ、これは新聖典を読ませてカソリカ派から足抜けさせることが目的としては大きいのだが、この場では黙っておいたほうがいいだろう。
「まあ、貴殿らが我々の国に侵略したときは、一般民衆までも全員奴隷として縄を打って引っ立てていったのだ。それを考えれば、五年というのはそう法外な要求ではないだろう」
「だが、国外に脱出するという方法が残されているのに、それでは兵が納得しない。今二十歳の者は、二十代の半分を労役に費やされることになるのだ。大きすぎる損失だ」
「じゃあ……そうだな。一年負けて四年ということにするか。そのあたりが落とし所だろう」
「三年だな。それ以上は納得させられない」
「三年と半年」
「………」
そういうフリをしているのか、オルセウスは難しい顔をして黙ってしまった。
元々三年と半年のつもりで、多めに書いておいたので、これはこちらの思惑通りである。
「むしろ、三年と半年のほうが都合がよかろう。失念しているのかもしれないが、これから冬になる。だが半年後は春だ。冬に大飯食らいの男が帰ってきて、歓迎されることはないと思うがな」
俺が言うと、オルセウスはハッとした顔で俺を見た。自分が踊らされていたことに気づいたような顔だ。
「三年半で故郷に帰れる道を選ぶか、あるいは国外に逃げて流浪する道を選ぶか……こちらとしては、どちらでもいい。障害がいなくなるのは一緒だしな」
「……なるほど」
「ああ、それか、戦争継続だったな。元よりそのつもりだったから、それでも別に構わない。辛い思いをする貴国の国民には忍びないがな」
というか、首都がああいう形で失われ、そこの総督も従順になっている状態で、どれほど戦えるのかという問題もある。
このオルセウスという男はそこそこ有能そうだし、面倒っちゃあ面倒なことをしてきそうだが、こんな状態では脱走兵が山程出るだろうし戦うどころではないだろう。
「それで、アリョーシャ殿。どうするつもりなのだ? オルセウス殿がその気でも、制度上決定権を持っているのはアリョーシャ殿のほうだろう。これで受けてくれるのなら手っ取り早い」
「……受けるにしても、条件というものがあろう。これでは、こちらには何も利益がないのと同じだ」
「イイスス教圏の外交文化においては、敗戦国は賠償金を払うのが当たり前と聞いているがな。その手の賠償を要求されないだけ得をしていると考えればいい」
「こちらは自ら剣を置いて降るのだ――それでは収まらん。やはり、行政における副市長権限の拡充を要求する」
「駄目だな。話にならん」
現在の制度では、各都市の市長……というか代表者はもちろんシャン人になっているが、実際に統治するには都市について実情を知っているクラ人がどうしても必要なので、代表者を副市長として立てて共同でやることになっている。
本当のところ、制度上は副市長を設置する義務はないのだが、現実的にはやはり必要なので、殆どの自治体はそういう形で運営されている。
もちろん、その副市長に最終的な決定権はなにもない。代表者によって裁量権を与えられ、細々とした仕事を自分の裁量で済ませることは行われているが、例えば立法まで任せて副市長に勝手に地方条例を作らせるなどということは禁止されている。
「ただ、こちらが差し向けた圧政者によって、市民の生活が抑圧されるのではないかという不安があるのなら、新しい制度を作ってやってもいい」
「新しい制度だと?」
「ああ。悪政や不公平な裁判があった場合、副市長から特別な申し立てをシャン人の市長の頭を飛び越えて出せるようにしよう。それならば多少は安心だろう。もちろん、こちらはその申し立てを無条件に受け入れたりはしないが、それなりに有能な連中を派遣して調査させる」
「……それを実際に実行するという保証は? 形骸的な制度になるのではないか」
「我々にとっても、不平不満を圧政で抑圧するような市長は望ましくない。反乱の火種になるのでね。あとは……まあ、その調査チームの中にであれば、クラ人を一定数入れてもいいだろう」
「ふむ……」
アリョーシャは手を髭にやり、考え込むようなポーズをとった。
俺の言った案は、これもまた元々実行に移すべく制定しつつあるものなので、実際には譲歩でもなんでもない。
広い新領土を治めるための文官は、必要とされる数が多すぎて人材が追いつかず、まったく質の保証ができていない。どうしても魔女の出の者を使わざるをえず、その中には当然クズも混ざっており、クズの中にはその土地を自分に与えられた封土のように勘違いしだすアホもいる。
そういった連中が滅茶苦茶をやって、クラ人が悲鳴を上げて、場合によっては一揆のような真似をやらかすといったことは、そこそこの頻度で起こってしまっている。なので、そういった制度が必要であろうというのは、ミャロと俺の共通見解であった。
まあ、この老人は手ぶらで降伏したというのではバツが悪いので、名望を損なわない程度の土産が欲しいだけだろう。
懐の傷まない適当な手柄を与えてやれば面目が立つ。
「なるほど。了解した。条件が以上なら、少し時間を貰いたい。話して合意をとりつけなければならない者が大勢いるのでな」
「では……まあ、明日の朝までだな。それまでに結論を出してもらおう。俺も忙しいから、それ以上は時間を取れん」
「この会談以上に重要な事柄があるとは、到底思えぬがな」
アリョーシャは老人独特の年齢からくる高慢さを態度に表しながら言った。
くだらない忙しいアピールとでも思ったのか。
まさか。こんな敗残兵の処理など、まあ重要といえば重要だが、それほどのものではない。
「貴殿らは知らないのかもしれないが、シャンティニオンを獲ったところで、船で地中海に乗り入れるには細々とした海峡を通る必要があるのだ。その海峡にはテリュムウールという竜帝国第二の都市が聳えていて、海峡の両側には巨大な防鎖塔があって、いつでも海峡を封鎖できるようにしている」
俺は両人にとっては分かりきっている、常識的な知識を口にした。
防鎖というのは、海峡や川に鎖を張って封鎖してしまう設備である。コンスタンティノープルにそれがあったように、大陸の形状から来る宿命的な地政学的要因によって同じ場所に存在しているテリュムウールにも、同様に防鎖の設備があって海峡を封鎖できるようになっている。
「貴殿らは海峡の通過に一々金を払っていたようだが、我々は払うつもりなどないのでね。幸いなことに、クルルアーン竜帝国は現在我が国と交戦関係にある。今なら何をしても咎められる謂れはない」
「貴殿は、これからクルルアーンと戦うつもりなのか?」
オルセウスが言った。
クルルアーン竜帝国は、巨大な版図を誇る大帝国である。十字軍に加えて、クルルアーンまで敵に回すのは正気の沙汰ではないと思っているのだろう。
「いいや。だが、たまたま戦場でよい拾い物をしたのでね。せいぜい利用させてもらうつもりだ」
こちらは、向こうにとって次期龍帝となる少年を握っている。
そういった王室内部の権力関係は状況の変化で移り変わりやすいが、少なくとも現状では、彼を取り返さない限りこちらを攻撃することはできない。
俺はアリョーシャ老人を見た。
「どうだ? それなりに、重要な用事だろう」