第255話 リリーの初夜
二週間後、俺は王都のホテルの一室に、リリーさんと入っていた。
今度は、攫われてしまって来ることができない、などということはない。
リリーさんは、胸元の閉じた紺糸のドレスを纏って、テーブルの反対側の椅子に、ちゃんと座っていた。
胸には俺が以前プレゼントした象牙のブローチが飾られている。紺地の布と色の相性が良く、白く輝いて見えた。
「なかなか美味しい料理ですね。どうですか?」
混んでいるレストランで注目を浴びながら食事をするのもなんなので、料理は部屋に運ばせていた。
間取りの広いスイートルームなので、そんなことをしても違和感はない。
「うん、そうやね」
リリーさんはナイフとフォークを操って、白い皿に載った料理を少しずつ口に運んでいる。
どことなく動きがぎこちない。食が進んでいないようだ。
すごく緊張して、味が分からなくなっているように見える。
女性のほうがこうなるというのは、めずらしいというか、立場が逆なような気がする。
普通、初夜に挑む場合というのは、エスコートをする男のほうが緊張して味が分からなくなるものだ。
「緊張してますか? お酒でもいかがです?」
「うぅん。酔ってなんか変なことしたら困るし……」
酔ったらどんなことになるのだろう。
「どんなことを心配しているのか分かりませんけど、大丈夫ですよ。リリーさんは十分魅力的なんですから」
「えっ――?」
リリーさんは、ちょっとびっくりしたような目でこっちを見た。
「何度も言いますけど、リリーさんはものすごく魅力的です。俺が興奮しないなんてことはありえません」
ていうか現時点でめっちゃエロいしな。
「そ、そう?」
リリーさんはなにかテレテレしている。かわいい。
「そうですよ。うまくいかないなんてことはあり得ませんので、もっと自分に自信をもってください」
「うん……わかった」
「あと……以前、心変わりしたなら言ってくださいって話したと思うんですけど」
「だいじょ」
とリリーさんが言ったところで、俺は手のひらを少し上げて返事を止めた。
「あれは無しにさせてください。もう心変わりしてもだめです」
「えっ、どういうこと?」
「この間の一件で、やっぱりリリーさんは俺にとって大切な人なんだってことが分かりました。他の男のものになるのは嫌です」
「じゃ、じゃあ……もし駄目っていうても、その、するってこと……?」
「はい」
俺がそう言うと、リリーさんは、
「うふふ」
と艶めかしく、そして嬉しそうに笑った。
「うれしぃ……迷惑に思われとるんやないかって、心配やったから」
「いや、最初から迷惑ではないですよ」
この人は自分の体をなんだと思っているのだ。
「あと、これ」
俺は机の上に小箱を置いた。
「よかったら、なんですが……」
「なに? プレゼント?」
「はい」
リリーさんは机の上の小箱を開けた。
「これ……指輪?」
「はい。結婚ができないなら、せめて……と思って」
俺は懐のポケットからもう一個の指輪を取り出すと、自分の左手の薬指にはめた。
シャン人には、結婚したら指輪をはめるという習慣はない。
「どうですか?」
「ものすごく嬉しい……けど……」
意外なことに、リリーさんはなにかに迷っているようだ。
ものすごく喜ぶと思っていた。いや、実際喜んではいるのか。
「なにか問題がありましたか?」
指のサイズは秘密裏に調べたから間違ってはいないと思うけど。
「これを貰う前に、一つだけ約束してほしいの」
約束?
はて。
「私はユーリくんを束縛しとうないねん。これが結婚の代わりだとしたら、それは必要ないから」
「へ?」
思わず変な声が出てしまった。
「……他の女とえっちなことしても何とも思わないってわけやないよ? でも、この指輪をお互いにすることで、例えばシャムやミャロはんと関係を拒むようになったら、そんなの不幸やん」
??? そもそも俺はシャムやミャロと妙な関係になっているわけではないのだが。
さすがに、そのへんを勘違いしているわけではないだろう。
すると、リリーさんは将来的にどうこうなった時の話をしているのか。
「うぅん……よくわからないんですが、シャムやミャロと協定を結んでる……とかなんですか?」
そうでなければ、今そんなことを気にする意味がわからない。
「いや、キャロルさんが……」
今日は絶対に口にすまいと思っていた人名が、リリーさんから出てきた。
「キャロルがそんなことを?」
「ちゃうよ。キャロルさんはユーリくんを独占したことで凄く悩んどったから、それを見て思ったんや。そんなんダメやなって」
ダメっていうか……それが普通だと思うけど。
「リリーさんはそれでいいんですか?」
「そりゃ、よくはないよ……」
と、リリーさんは顔に暗い影を落とした。
よくはないのか。倫理観に関して、特殊な考え方をしているわけではないようだ。
「でも、シャムとかどうするん? ちゃんと会話についていける男の人なんて、この国にユーリくんしかおらんよ。ユーリくんのことが好きなのに、一生独身でおばあちゃんになっていくシャムなんて、見たくないもん……」
「それは……うーん、まあ、でも、別に現時点でなにを言ってきてるわけじゃないんですし、とりあえずはいいじゃないですか」
そもそも、そういうのって当人の問題だと思うし。
「……まあ、年下やし、ああいう子やからね。でも、もしそうなったら、私を理由に断るんじゃなくて、ちゃんと接してあげて。この指輪は――」
と、リリーさんは、畏れ多いものを手にするように、箱の中のクッションから指輪を拾った。
ふたの陰からシンプルな銀色の指輪が現れる。
「そういう約束じゃないっていうなら受け取らせて。それとも、そうじゃないと嫌?」
「嫌じゃないですけど……でも、逆の立場だったら、俺だったら絶対嫌です」
「逆の立場って、私が浮気したらってこと?」
リリーさんは、思ってもいなかったことのように、フフっと笑った。
「まあ、そうです」
「あははっ、それは絶対ありえへんから安心して」
うーん……。
「でも、そんなのって俺に都合良すぎじゃないですか?」
一方的に片方だけ浮気って。ていうか浮気しないけど。
「罪悪感があるなら、その分時間を作って、できるだけいっぱい会いに来てよ」
リリーさんは、そう言ってはにかむように微笑んだ。
「一途に私を想ってくれとったとしても、会いに来てくれなかったら意味なんてないんやから。そのぶんいっぱい会ってくれたらええよ」
「……わかりました。もとから出来るだけ会うつもりでしたけど」
「そうしてくれたら嬉しいわ。じゃあこれ、もらうね」
と、リリーさんは指輪を自分の指に通そうとした。
「待ってください。僕が嵌めますから」
「えっ?」
「そういうものなんです」
と言って、手を差し出すと、リリーさんは指輪を俺に渡した。
「左手を」
「うん」
差し出された左手をとり、薬指に指輪を通す。
「ぴったりですね。よかった」
「うわ、なんか、これ……」
リリーさんは、指輪のはめられた自分の手をうっとりしたような表情で見ると、感極まったように顔に手をやった。
「ちょ、ちょっとごめん。なんかうれしくて――」
ハンカチを取り出すと、眼鏡をずらして、溢れ出てきた涙を拭いた。
うわー、なんか、こっちまで嬉しくなってくるな。
「あ、ありがと……すっごい、嬉しい……なんかよく説明できへんけど……」
「喜んでいただけたようで、よかったです」
「うん……ぐすっ」
本当に俺のことが好きだったんだな。
リリーさんのような立派な女性に好かれるというのは、純粋に嬉しいし誇らしくもあるが、なんでだ、という気持ちも強い。俺は好き放題やってるだけなのに。
「ありがとう……ぜったい大切にする」
「一応、いつも身につけておくものなので、しまっておかずに使ってください」
「うん……あ、これ、白金?」
「そうです。ちょっと混ぜものをして鍛造させました」
「それなら丈夫やね……うん、ありがとう」
リリーさんは、指輪を抱くようにして左手を胸に抱いた。
「それじゃ、食事はそこそこにしておいて、そろそろ本番にしましょうか」
俺は椅子を立った。
「……えっ?」
「考えてみたら、お腹が空いたらいつでも注文できるホテルですしね」
気持ちも十分ほぐれたことだし、今が好機だろう。
こういうのはタイミングが重要だ。
「えっ、えっ、もしかして、いま始めるつもりなん?」
「はい」
「こ、心の準備が……」
家を出る時に湯浴みまで済ませてきたのに、いまさら何を言っているのか……。
「大丈夫ですよ。準備は僕のほうでするんですから」
リリーさんに近寄ると、俺は自分を見つめるリリーさんの頬に手を添えて、身をかがめると軽い口づけを交わした。
「うむっ――ぷぁ……ぁ」
「初めてでしたか?」
そう俺が訊くと、リリーさんはとろんとした目をしてコクコクと頷いた。
「もう一度しても?」
そう訊くと、リリーさんは小さく頷く。
唇を、今度は少し深く交わした。
「ふわぁ……き、キスしてもうた……」
「はい。してしまいましたね」
「うん。幸せや……」
なんでこれで一段落したような雰囲気を醸し出しているのだろう。
これからが本番なのに。
「さ、続きはベッドでしましょう」
俺はそう言うと、椅子に座ったリリーさんの膝の下と、腰のあたりに腕をいれて、おもむろに抱き上げた。
「ふぇっ!?」
「首に腕を回してください」
「ええっ!?」
リリーさんが慌てて俺に抱きつき、柔らかな胸が胸元にあたって形を変えた。
やっぱいいな。
ていうか思ったより軽い。
俺はリリーさんをベッドまで運んで、優しく横たえた。
「安心してください、すぐにはしませんから。夜は長いんです。時間はたっぷりとあります」
そう言いながら、俺はドレスの上からリリーさんの柔らかい肉体に指を這わせていった。
太ももを外側からさすりながら、ドレスのボタンを外していく。
「あ――っ」
「ゆっくりと、リリーさんの体を開いていきますね。本番はそれからで」
***
はー、最高だった。
「……うっ、うっ」
リリーさんは枕に顔を当てて嗚咽を漏らしている。
めちゃくちゃ気持ちよさそうにしてたのに、なんでだ。
「どうしたんですか?」
と言いながら、俺はリリーさんの背中を撫でた。
「あ゛ぅ!」
リリーさんの背中がビクンと跳ねる。
「ちょっ、ユーリくん……敏感になっとるから……」
「すみません。でもなんで泣いてるんですか?」
「う、嬉しいやら恥ずかしいやら情けないやらで……」
「情けない?」
「わ、わ、わたし、一応年上なのに……」
年上って……年上だろうがなんだろうが、初めてなんだからどうしようも……。
もしかしてこっちをリードするつもりでいたのか……気づかなかったぜ……。
「それにユーリくんずっとえっちなことしてきてわけわからへんし……」
確かにおもちゃにされてた感じではあったけれども。
「まあ、気持ちよかったなら何よりじゃないですか」
気持ちがいいのはいいことだ。少なくとも、痛いのや辛いのよりはずっといい。
「もっと痛かったりするのかと思ってたのに、ぜんぜん違うし……」
「でも、次からはもっとずっと気持ちいいはずですよ」
「えっ、これより?」
リリーさんはそう言ったあと、夏用の薄布団で隠れた自分の下半身を見た。
生々しい。
「あ、そうか。そうやもんね……」
「今日は初めてなので一回だけでしたけど、週一くらいの頻度なら二回とか三回とかできるものなので」
と俺が言うと、リリーさんはなぜか怯えるような表情を作った。
「そんなの、頭がおかしくなってまうやん……」
「大丈夫ですよ」
キャロルも似たようなことを何度か言っていたけど頭おかしくなってなかったし。
「ぜったい大丈夫やないよ………」
リリーさんは、少し不安そうな顔を作って、薄布団を深くかぶって体を隠した。
「じゃあ、もうしませんか?」
と、俺が意地悪なことを言うと、
「する……気持ちよかったし……」
布団から半分出した顔を赤らめながら、上目遣いに言ってきた。
心を鷲掴みにされるようなその表情は、思わず恋してしまいそうなほど可愛らしかった。







