第203話 山裾
ブォオオオオオ―――――!!!
角笛の音が天幕の中から起こると、雪渓に潜んでいた兵がシーツのような被せ物を脱ぎ、姿を表す。
その時には、こちらの軍は坂を少し登り、天幕の横から敵を射線上に捉えられる場所に移動していた。
「撃ェ!」
ジーノ・トガが号令を出すと、元第二軍の兵二百名が、一斉に発砲した。
途方もない音量の発砲音が耳をつんざく。
百名は天幕の向こうの敵の戦列を、そしてもう百名は、雪渓に潜んだ敵の伏兵を狙っていた。
雪渓のほうの敵は遠いが、天幕の向こうの敵は、五十メートルほどしか離れていない。
一斉に銃弾に貫かれ、バタバタと倒れた。
雪渓の上に迂回させていた連中も発砲を始め、ダンゴになって潜んでいた連中をなぎ倒す。
「弾込めェ!」
兵たちがせかせかとロッドを動かし、火薬を入れ、弾を込める。
こればかりは全員が同じ動作を一斉に、というわけにはいかず、バラバラだった。
「構えッ!」
ジーノ・トガがそう言うと、兵たちは一斉に銃を構える。
「撃ェ!」
再び火を噴いた。
俺はその間、ずっと懐中時計を見ていた。
最初ので三十五秒か。
急作りで仕立てた兵にしては、随分いいんじゃないか?
「弾込めェ!」
再び装填のプロセスに入る。
二百名が持っている銃は燧石式で、これは火縄の用意が必要ないので便利ではあるのだが、欠点もある。
火種となる燧石は機械にしっかりと固定されているのだが、これが結構な勢いでバチンと落ちる。
その勢いで鉄に擦れ、火花が発生して、火皿の中にある導火役の火薬を発火させるわけだが、燧石はこの火薬の爆発にも直に晒されることになる。
欠点というのは、それらの衝撃で、燧石の固定が頻繁にズレてしまうのだ。
予め入念に点検してあったのだろう。最初の斉射では一人も不発がなかったが、次の斉射では二人ほど不発が出ていた。
その者も、慣れているのか、慌てることもなく弾込めの時間を使ってセッティングを直している。
ここで慌ててゴチャゴチャやると、銃口が味方に向いたり、その状態でふいに発砲が起こってしまったりするので、落ち着いて銃口を上に向けて直すのは重要なことだった。
「構えッ!」
ジーノの号令に合わせて、敵に銃口を向ける。
「撃ェ!」
再び凄まじい音が耳をつんざいた。
耳が悪くなりそうだ。
それに、そこら中にモワモワと火薬の燃えた煙が漂っていて、空気も最悪だ。
「……おい、ユーリ殿、あいつら突っ込んでこないのか?」
百名の近接隊を率いているリャオ・ルベが言った。
突っ込んで来たときに、鉄砲隊を守る役割になっている。
「んー……程度が低い連中だしな」
雪渓に潜んでいた三百名は、更に高いところにひっそりと回り込ませていた鉄砲隊五十名に狙われ、上と下からズタズタにやられている。
下にいる連中は、最初の斉射を食らったあと、しばらくして突っ込んで来ようとしていたが、こちらに接触する前に二度目の斉射を喰らい、逃げ腰になっていた。
さすがに、雪渓の連中と一緒になって怒涛のように突っ込まれたら厳しいかもしれないが、リャオが率いているのはルベ家の精鋭部隊だそうなので、それでも退却する時間くらいは稼げるだろう。
だが、予想通り、そういう展開にはならないようだ。
「反吐が出るな。こんな奴らに、ノザ家はやられたのか」
リャオは、突っ込むでもなく銃弾の餌食になっている兵を見て、嫌悪感を丸出しにして言った。
確かに、兵というより賊に見える。
統制が効いていない。
「こう見るとみっともないが、あれでも勝ち戦になったら厄介なんだろう。負け戦だと逃げ腰になるのさ」
「それにしても、ひどい」
「ヴィラン・トミンが直接指揮を取れば、もう少しマシになるんだろう」
こういう連中は、勝ち馬に乗じればどこまでも調子に乗るものだ。
だが、死が栄誉とかいう思想はないし、命を賭しても国家を守りたいとか、家の栄誉のために戦うとかいう背景はない。
ただ、自分の欲望を満たすために戦っているだけだ。
負け戦になれば、戦う気はなくなる。それは、動機が消失するからだ。
略奪などで見返りを得られる見込みがなくなるのだから、それはそうだろう。
つまり、初っ端に鼻面に強烈なパンチを喰らえば、逃げてしまう輩ということだ。
それでも、頭のカリスマ性に惚れて、つまりは人望で戦うということも無いではないと思ったので、警戒はしていたが、そんなことはなかった。
「戦いたいなら行ってもいいぞ。まだ二百くらい残ってるが、勝てるだろう」
「行く」
やりたいらしい。
「本当なら、戻ってきた連中と蹂躙したほうが、被害が少なそうなんだがな」
「行かせてくれ」
リャオがそう言うなら、構わないだろう。
実戦経験を積みたいという事情もありそうだ。
ルベ家の軍なので、リャオがやりたいというなら止める理由はない。
「じゃあ、行け」
俺が言うと、リャオはカケドリに乗った。
こういう状況で銃兵を保護する動きをするには、カケドリに乗っているとむしろ不便なので、他は歩きだ。
「ジーノ! リャオが突っ込むそうだ。次の斉射のあと狙いを切り替えてくれ」
「了解――撃ェ!」
斉射の轟音が過ぎると、
「行くぞォ!! ルベ家の騎士たちよ、ついてこい!!」
リャオが槍を振って、突っ込んでいった。
その時、向こう側の天幕から走り出る影があった。
ヴィラン・トミンだ。
おっ? 勝ったのか?
すぐ後に、アホみたいな格好をしたドッラが出てきた。
勝ったようだ。
「おい、ジーノよ」
「弾込めェ! ――はい?」
「向こうの関所は閉めてくれてるんだよな」
「そのはずです」
俺は再び懐中時計を確認した。
急使が帰ってきてから、三時間ほど経っている。
連中に門の向こうに逃げられてはまずいので、俺は二騎の伝令を急使に立て、鷲を使って山の反対側を通って関所に向かわせ、警備隊長につまびらかに事情を知らせた。
帰ってきた伝令の話によると、事実関係を確認するまでは関所を閉じるという話に持っていけたらしい。
じゃあ、今すぐその確認をして来てくれ、ということで、伝令の一人が現地判断で鷲を貸した。
警備隊長は鷲に乗れる騎士だったのだ。
鷲を降りた伝令は、今もその関所に居る。もう一人は帰って来て、俺に報告をした。
向こうで死んじまっていなければ、もう帰ってきていてもおかしくはない。
「あいつら、あのまま敗走するな、たぶん」
薄く漂った白煙の中から見物していると、ドッラが物凄い勢いで槍を振り降ろして、不幸な兵の体が頭から二つに割れてしまうのが見えた。
その後もぐるんぐるんと槍を振りまわして、人が木っ端のように倒れてゆく。
ドッラに一番槍を取られた格好になったリャオの隊も、もうすぐ突っ込む。
どうも、もう終わりそうな気配がする。
「投降を促しますか?」
「頭がいるうちは投降しないだろう」
意思決定はヴィラン・トミンが独占的に行っているように見える。
ヴィランが抜けた状態の軍が、攻めるでもなく天幕の裏に隠れるでもなく、ふわふわと右往左往していたことからも、それは窺える。
集団の意思を掴んで、牽引する人材が不在なのだ。
「んん……もうちょっと粘ってくれればなあ……」
俺は後ろに伸びる街道を見た。
稜線に隠れる所まで退がっていた七百名が、銃声を聞いて戻ってきていた。
だが、まだ遠い。
カケドリだけ分離して駆けてきてはいるが、どうだろう。
カケドリが使えれば、なだらかな山裾を迂回して、連中の背後を一気に閉じることができる。
できれば、彼らにはカケドリが来るまで粘ってほしい。
「ああ、だめか」
あれでも少しは頭がよかったのか、リャオの隊が到着してぶつかる前に、ヴィラン・トミンは戦況を把握して、退がることにしたようだ。
それはもう早く、一目散に逃げてゆく。
殿とかいう概念をかなぐり捨てて逃げてゆく様は、いかにも山賊らしくて好感が持てた。
ここはうまい具合になだらかで、斜面を走ることができるが、もう少し行くとだんだんと急になる。
そうなってしまえば、追い打ちはできるが、迂回して封鎖などということはできなくなる。
「――だめだな。正攻法で関所まで進もう。面倒くさいが」
「ですね。我々は?」
「合流したら、残りと交代して、雪渓の上の連中を射撃の的にでもしておけ。人を撃つ練習になる」
雪渓の上の奴らは、駆け下がっての切り込みを試みていたが、上から下からの斉射を食らうと怯んで後退してしまっていた。
雪渓は多少窪地になっているので、隠れる場所がないではない。
「投降を促してはどうでしょう。恐らく応じるかと」
「いらん。向こうから降参するようなら、受け入れてやれ」
「仲間に加えるのであれば――」
「いや、オレガノで吊るす」
戦争で勝って略奪をするのならともかく、自領の中で追われる心配もなく村落を襲っていたような奴らは、人肉の味を覚えた獣のようなもので、しつけられるようなものではない。
十字軍の前に出して死んでもらうのもいいが、抵抗もせず死なれては士気が低下するだけだし、訓練で鉄砲を撃たせるのも勿体無い。
それに、生かしておいたら略奪を受けたオレガノの市民たちが納得しないだろう。
「そのほうが、事後の治まりがいい。どの道死ぬんだから、遠慮なく的にしろ」
「考えていたのですが、イイスス側に送ってみては? 向こうで撹乱をしてくれるかも」
「ヴィランが大山賊になって、後ろを荒らし回ってくれる、みたいな話か? あいつ三十超えてたろ。藩爵領を何年もほしいままにしておいて、あんな軍しか作れんようでは、大したことはない。怒り心頭で戻ってこられるほうが面倒だ」
「そうですか。まあ……そうですね。分かりました」
ジーノ・トガは納得した様子で頷いた。
後ろから、七百人の軍が来ていた。
俺は、自分が乗ってきたカケドリに乗る。
「じゃあ、頼んだぞ」
*****
二百の兵をジーノのところに置き、五百を伴って一時間ほど進むと、関所が見えてきた。
リャオに華を持たせてやるため、先行させていたが、その歩みが止まる。
俺は兵の中を進み、最前線に行った。
「リャオ、どうした」
「矢を放ってきた」
リャオの部隊の目前の地面に、一本の矢が突き立っている。
来るなということだろう。
このあたりになると低木が存在し、岩の隙間には土が詰まっている。
見ると、閉じられた関所の門の前で、大分目減りしたヴィラン・トミンの軍勢が何か騒いでいた。
確かに、門を開けないという約束は有効のようだ。
この道は傾斜五十度ほどの急斜面にできており、右側は登りで、左側は下りになっている。
まあ、頑張れば脇を通れなくもない感じに思えるが、登坂技術がなければ高確率で怪我をしそうな崖である。
関所の脇を通って進むには、かなり勇気が要りそうだ。
もちろん、軍を通すなどということは考えられない。
俺は懐中時計を見る。
警備隊長が出発したはずの時間から、四時間が経っていた。
もう午後三時になっており、日が長くなってきたとはいえ、そろそろ宿営の準備をしなくてはならない。
先程のピークの付近で準備は進んでいるはずなのだが、戻る時間を考える必要がある。
日が落ちてからだと、凍死の危険も考えなければならない。
「軍使を立てよう」
俺は言った。
「どんな内容で?」
「事実関係の確認が未だ取れぬのであれば、そちらで彼らを捕縛してみてはどうか、と。逆賊であれば、何れ知れる凶行を裁かれることを恐れ、捕縛には応じまい。そうでないのであれば、何れ罪なきことが知れるのであるから、捕縛に応じるであろう。縄を打たれたのを見届けたなら、我らは攻撃しない」
「よくもまあ考える。おい、リュック。お前聞いていたろ。行ってこい」
リャオがそう言って、背中に括り付けたバッグから白旗を取り出して渡すと、リュックと呼ばれた騎士は「はい」と応じ、旗を掲げて向かっていった。
向こうにたどり着き、ヴィラン・トミンの頭越しに何かを喋っている。
こちらは応答待ちで、暇になってしまった。
「ところで、ミャロはどうしている」
リャオが言った。
その話か。嫌だな。
ていうかこいつ、まだ引き摺ってんのか。
「王都で大忙しだ。魔女共を裁いて窯に入れる作業をしている」
他にも、ギルドを解体して経済を健全化させたり、魔女を再雇用して官僚機構を作り直したりといった作業をしているが、リャオには分からないだろう。
「そうか……」
「未練があるのか。女など選り取り見取りだろうに」
「手に入らないものほど――ってやつかもしれないな」
重症だ。
まあ、嫁でも娶ったら治るだろう。
立場柄結婚しないというわけにはいかないだろうし。
「それより……ミタルはちゃんと復興させるつもりなのだろうな」
「復興させるさ。半分関税で食ってたようなコツラハはともかく、ミタルは鉄の産地だ。単純に需要がある」
ミタルといえば、良工の集まる地として知られている。
確か、俺が今持っている槍も、過去の有名なミタルの刀鍛冶が打ったものであるはずだ。
ルベ家領は鉄鉱石の産地で、更に北に行ったキルヒナ領や、ボフ家領から木炭を輸入して鉄を作ることで発展してきた。
石炭は王家天領に鉱床があるのだが、コークスにできないので製鉄には利用されない。
コークスにしないまま石炭で製鉄をすると、硫黄や油分などの成分が交じるため、酷いクズ鉄になってしまう。
「もっと自信を持て。ミタルは自然に人が集まる立地の都市だ。すぐに復興するさ。もちろん約束は守るしな」
「確かに守れよ」
「おい、帰ってくるぞ」
軍使がこちらに駆けて来ていた。
関所のほうでは、上から縄梯子が投げられて、地面に落ちた。
なんだ、条件を飲んだのか?