第185話 カースフィット
白暮に乗って上空から戦場を見渡すと、もはや第二軍は機能していなかった。
第二軍は、ホウ家軍の両腕に抱かれるようにして半包囲されており、背中もカケドリ隊に抑えられつつある。
後ろの連中は大通りに逃げこもうとし、後ろにいた若干名は逃げ込めたらしいが、すぐにカケドリ隊に遮断されたようで、今や完全な包囲が完成されつつあった。
戦術理論で言えば、こうした包囲が完成する前に、指揮官は軍をなんとしても運動させ、包囲を阻止しなくてはならない。
軍が動揺してしまい、まともな運動ができない状態なのだろう。
第二軍の基本戦略は、王都を防衛し、もし負けたら王城島に逃げ延び、そこに立てこもるというものだった。
それは近衛軍代々の戦法であり、歴代のシヤルタ王家はシビャクが攻められる度そうしてきた。
王城島は元々、援軍を前提に短期間立てこもる施設なので、長期間籠城できるようにはできてはいない。
王城島は王都の一等地にあり、中には商業施設や役所の類が軒を連ねている。
僻地にある要塞のように、敷地の許す限り兵糧蔵や食料庫を並び立てる、などということはできるはずがなく、兵糧蔵は王城の裏手の一番商業価値がないところに、気休め程度にほんの少し建っているだけなのだ。
中洲にあるために、地下室は湿気が多すぎて食料保存には向かず、そちらを利用することもできない。
第一軍と第二軍合わせて一万八千人、それに加えて魔女の一族全ての食を賄う、となると、一ヶ月兵糧が持つかどうかというところだろう。
そういった理由によって、何度か起こった内乱においても、王家と魔女は例外なく王都外で決戦することを選び、市街地を守ってきた。
こういってはなんだが、王城島に入る前に多少数が減っているほうが望ましいわけだ。
負けるか負けないかは戦ってみないとわからないことだし、魔女からしてみれば王都は収入の根拠地なので、戦いもせずむざむざと渡して荒らされるのは気に食わなかったのだろう。
だが、今回は王城島のほうが先に陥ちてしまった。
橋からは黒々とした煙が上がり、王城の尖塔にはホウ家の旗が翻っている。
負けても逃げる先がないとなれば、兵としては死にもの狂いで戦うか、手を上げて投降するか、武器をかなぐり捨てて遁走するか、それくらいしか選択肢がない。
死にもの狂いで戦うような兵ではない。
ゆっくりと腕を閉じられながら、逃げもせずに縮こまっているのは、そういうことだろう。
俺は本陣を目指してゆっくりと降下していった。
*****
「閣下! お待ちしておりました」
白暮が羽ばたくのを止めると、降下の最中から走り寄ってきていたディミトリが言った。
ディミトリには、全軍の指揮権を委譲しているのだ。
「ディミトリ、よくやった。見事な包囲だな」
「ありがたき幸せ」
ディミトリは膝をついて、大げさに敬礼している。
俺は、それを見ながら白暮から降りた。
「カケドリを使っていたが、北――ボフ領への街道は抑えてあるんだろうな」
「ご指示通り、三百騎を向かわせております。ノザ領へは、百騎ほど」
打ち合わせどおりのようだ。
会戦に勝っても、逃げる魔女を放っておいたら意味がない。
街道を抑えて閉じ込めなければ。
「上から見た限り、交戦は止まっているようだが、どうなっているんだ。連中はもう降伏したのか?」
「それについては、多少込み入った事情がございまして。私について来てください」
込み入った事情?
「歩きながら説明しろ」
俺は白暮から離れながら言った。
何も言わずとも、世話役が白暮の手綱を預かってくれる。
「キーグル・カースフィットは連行されてきました。ですが、投降してきたわけではなく……」
キーグル・カースフィットというのは、カースフィット家の現当主の名だ。
相当な高齢と聞いたが、指揮に出てきていたのか。
それにしても、連行されてきたとは。
もうこちらの手の内にあるのか?
展開が早すぎる。
「なんだ」
「裏切りにあったようです。首に短刀を突きつけられて、脅しつつ陣を抜けてきたようで」
「あぁ……しかし、それもまた根性が据わった話だな」
第二軍だって、全員が全員戦意喪失しているわけではない。
敗軍にあったところで、カースフィットの眷属たちは、未だに意気軒昂だろう。
兵には戦えと叫んでいるはずだ。
キーグル・カースフィットを捕らえて投降してきたということは、そいつらの中をかき分けてきた、ということだ。
簡単なようだが、根性が据わっていなければできることではない。
「ここです」
ディミトリは、小さな陣幕の前で止まった。
カーテンのようになった入り口を開く。
陣幕の中には、六人の人間が居た。
ヨボヨボの婆さん、おっさん、そしてその四方を取り囲んでいる騎士四人だ。
キーグル・カースフィットは、自殺防止のためか、猿ぐつわを噛まされていた。
この婆さんがカースフィットの現当主なのか……。
この高齢で軍の指揮をしていたとはね。
神輿にでも乗りながら指揮をしてきたのだろうか。
おっさんの方は、第二軍の兵装を身に付けているが、なんだか顔がやたら細長く、鼻がでかい。
シャン人には珍しい顔だな。
体は細身だが、かなり鍛えられている感じがする。
こいつが、キーグル・カースフィットの喉に刃を突きつけて、陣中突破してきたわけか。
第二軍にも、意外と根性がある奴がいるんだな。
それにしても、こいつの顔……。
確かに肝が据わっていそうな……。
………ああ。
そういうことか。
「そのおっさん、なんで縛ってないんだ?」
「武器は奪ってあります。報奨金が欲しいとのことでしたので。場合によってはくれてやっても構わないかと」
ディミトリが言った。
まあな。
凄い功績だしな。
「ふうん。暴れたら、ちゃんとお前が取り押さえろよ」
「はい。承知しております」
俺は、カースフィットの近くに寄った。
猿ぐつわをされた顔をあげ、カースフィットはこちらを見ている。
俺は、その顔をまじまじと見た。
老婆は、憎々しげに俺を見あげている。
「ふーん……どうなのかな。そっくりさんなのか、区別がつかねぇや。見たことがないから」
「……彼女が偽物だと? 私は催しでキーグルの顔を見たことがありますが……」
「なあ」
俺はディミトリの言葉を無視して、こいつを連れてきたというおっさんを見た。
「魔女どもってさぁ、結局第二軍を信じちゃいないんだよな。結局、大事な所はならず者で固めるっていうかさ。ま、そういうやり方のほうが慣れてるんだから、しょうがないよな」
そんなことを言い出すと、おっさんの眉がピクリと反応したのを、俺は見逃さなかった。
壊し屋・ブロンクスを見た時に感じた何かがなかったら、俺も気づかなかったかもしれない。
「ディミトリ。王都には影絵っていう暗殺者がいてさ。誰も姿を見たことがないっていう正体不明の暗殺者なんだよ。小説みたいだろ。
俺はさ、商売やってる時に、卸し先の商店の店主を一人そいつに殺られたんだ……悔しい思いしたよ。
羊皮紙をやめてホー紙専門店にするって言ってた男でさ……他には卸してない大判のホー紙を俺から買って、店の目玉商品にするんだって言ってた。
まだ若いのに殺されちまって……家族は俺が引き取ったんだ。嫁さんは、今はスオミで事務仕事してるよ」
さすがに察したのだろう。
ディミトリは険しい顔で男を見下ろした。
まだ動かないか。
「ま、そんなわけで、俺は影絵って奴について調べたんだよ。
笑っちまう話があってさ。
駆け出しのころは鼠面って呼ばれてたっていうんだよな。
大物になってからはその呼び名を嫌って、そう呼ぶやつを殺していったんで、裏世界じゃ今や禁句の一つらしい。
そういうわけでさ。わかるだろ?」
おっさんは、どことなく顔が細く、鼻が大きく、鼠を連想させる面構えをしていた。
「おい、その者を捕縛しろっ!」
ディミトリが、そう言いながら俺を庇うように一歩ずれた時だった。
「キィェエエイッ!!」
奇声が鳴ったかと思うと、視界に銀色の何かが踊った。
暗器か。
長い。
俺の前にディミトリがいたので、何を取り出したのか、良く動きが見えなかった。
もう一度銀が煌めき、今度はジャリン! という金属と金属が擦れる音がした。
どうやら、ペラペラとした柔らかい鉄を刃に仕立てた暗器を持っていたようだ。
ベルトにでも隠していたのだろう。
「キェエエッ!」
だが、この武器には弱点がある。
鎖と同じで、振り回さなければ戦えず、長い予備動作が必要な点だ。
総勢五人の人間に囲まれている今では、多人数を一度に攻撃できる有効な武器だが、一人に対しての攻撃速度は遅い。
四人は槍を持っているし、ディミトリは短刀を抜いている。
ベロンベロンとした曲がる剣を振り回して攻撃するのと、一直線に短刀で刺すのと、どちらが早いかは明白だ。
それに、俺を殺すのならば、ディミトリは一瞬で片付けなければならない。
鼠のおっさんは空中に躍り上がり、ディミトリにハイキックを食らわせた。
「ムッ」
ディミトリは、首の横でガッチリとハイキックを受け止め、両手で男の足の裾をガッチリと握った。
手放した短刀が地面に転がった。
「――フンッ!」
背中を丸めながらこちらに振り返ると、一本背負いの要領でぶん投げる。
俺に当たるコースだったので、横に避けた。
遠慮なしにブン投げられた鼠の男は、反動で体がバウンドするほどの勢いで、地面に叩きつけられた。
ディミトリは、足を握ったまま、油断なく見据えている。
鼠のおっさんは、叩きつけられたショックで頭が揺れたらしく、立とうとしているっぽいが、全身をガクガクふるわせているだけだった。
ディミトリも中々できる。
あそこで短刀を棄てて背負投げに行くのは、なかなか思い切りがよい。
「……殺しますか?」
「裸にして、縄で縛っておけ」
証言させれば、死刑にできる魔女どもを増やせそうだ。
公開処刑をすれば、市民の溜飲もいくらか下がるだろう。
「むう……分かりました」
ディミトリは若干不満そうな口ぶりで、手を離した。
とはいえ、危険な男だ。動いているとまずい。
俺はピクピクと動いている鼠のおっさんの頭を、スターシャの恨みとばかりに思い切り蹴飛ばした。
頭がすっ飛ぶように動き、ガクリと倒れ、ピクりとも動かなくなった。
やべ、死んだかな。
「……死んだのでは?」
ディミトリは同じことを思ったようで、若干不満そうな口ぶりだった。
殺すなら、自分で殺したかったのだろう。
「……たぶん生きてるだろ。死んだら死んだで構わない」
「そうですか」
ディミトリは、気にするふうでもなく言った。
「それより、この影武者なんだが」
俺は、猿轡を噛まされたまま俺を睨んでいる老婆を見た。
「申し訳ありません。見破れませんでした」
「いや、いい。本物かもしれないしな」
「本物……ですか?」
そんなはずはない、という目で言っている。
「そういう可能性もある、という話だ。もう第二軍に勝ち目はない。ならば側近の暗殺者を連れて、俺を殺しに来る……どうせ負けて捕まるくらいなら、そんなに悪い交換条件ではないだろう」
「はぁ……まあ、確かに。ですが、魔女がそんな気合の入ったことをしますかね」
「もしも、の話だよ。どちらにせよ、こいつは俺が預かる。お前は、第二軍に投降を促してくれ。夜まで、長いようで短いぞ」
夜になったら、王都から夜陰にまぎれて脱出しようとする魔女たちを止められなくなってしまう。
その前に、第二軍の降伏処理を終わらせて、それなりの人数できっちりと王都に蓋をしておきたかった。
「ハッ! それでは、失礼します」
「ああ。頼んだ」
俺は、ミャロを呼びに行った。
*****
俺は馬車に乗って、ミャロと影武者を連れて王城島に向かっていた。
時計を見ると、午後三時を指している。
戦が始まったのは朝だったが、そろそろ夜まで時間がない。
南の方では、既にディミトリが第二軍の投降処理を始めている。
抵抗する動きもないではなかったが、兵が完全にやる気をなくしているところで、自らを完全包囲している軍隊に向かっていけと言われて、戦おうとするはずがない。
三ヶ所用意された武装解除場所で、着々と投降が進んでいるようだった。
彼らには罪が課せられ、特に重罪の者を除いては、今後一年間の軍役で免罪されることになっている。
跳ね橋があったところに差し掛かった所で、
「止まれーい!」
と大声がかかり、馬車が停止した。
俺は馬車のドアを空けて、わざわざ降りた。
「ゆ、ユーリ閣下! これは失礼しました!」
「いや、いい。橋も見ておきたかったしな」
王城島には、予め用意していた丸太が渡され、既に橋ができていた。
繋がれた丸太の上には板が打ち付けられ、両端はスロープが作られている。
塗装もなにもない、打ちっぱなしの橋だが、通行には支障なさそうだった。
跳ね橋を修理するまでの代わりにはなるだろう。
「その調子で検問してくれ。頼んだぞ」
俺は検問の兵を褒めてから、馬車に戻った。
御者が馬に鞭をうち、すぐに走行が再開される。
「というわけで、ユーリ閣下は、魔女の協力を望んでおられます」
ガタゴトと揺られながら、ミャロは猿轡を噛まされたままの影武者? に説明を続けた。
「王都の都市機能は、魔女によって維持されています。これは誰が見ても明白なことです。シビャクという大都市を作り上げ、きちんと維持しているのは、魔女の力によるものです。ユーリ閣下は、そのことを高く評価されています。ただ一つ問題にしているのは、商業が閉鎖的なこと。これは、商業の自由化を求めているユーリ閣下の考えにはそぐいません」
やはり、こういう役目を任せると、ミャロはピカイチの仕事をする。
よくもまあ、台本もないのにスルスルと言葉が出てくるものだ。
俺が「んなわけないだろバーカ」という顔をしていると台無しなので、俺もマジメな顔をして座っていた。
「ユーリ閣下のお考えは理解いただけたでしょうか? ユーリ閣下には、魔女たちを軒並み逮捕する心算はありません。協力を仰ぎ、きちんと仕事をしてくれている役人たちには、これまでどおりの仕事をしてもらい、魔女家は商人からは良心的な献金をもらって、シビャクをこれまで以上の形で運営していきたいだけなのです。そのためには、魔女の協力は不可欠です。そうですよね?」
俺に振ってくる。
「その通り。魔女たちとは様々な因縁があって、今日のように敵対もしたが、俺は評価していないわけではない。むしろ敵として十分に評価していた。強い敵が味方になってくれるのなら、味方にしておきたい、というのが俺の考えだ」
ああもう、陣幕の中で素を出しちまったから、面倒臭いな。
「ボクたちは、これから貴女を無条件で北側に渡します。貴女には和解のメッセンジャーになって頂きたい。ぜひ、お願いします」
*****
北側の橋は、まだ工事中だった。
予想外だ。
橋には、三つばかり丸太が渡してあるだけで、まだほとんど完成していなかった。
「ユーリ閣下! すみません、工事は遅れておりまして……」
「いや、いい」
馬車を降りた俺は、大工のおっさんに言った。
「通るだけなら通れるんだろう。釘は打ってあるようだし」
右端から並んだ三本の丸太は、かすがいと針金で固定されており、上に乗ったら転がりそうな感じではない。
「はい。大丈夫かと思います」
「じゃあ、ミャロ。送ってやれ」
「あっ、はい」
ミャロは、影武者の老婆の手を取り、王城島の反対側、魔女の森のある北側へ、丸太の上を歩いて送っていった。
「足元に気をつけて……」
そう言いながら、丸太の上を恐る恐る進んで行く。
「おい」
横に並んだ女が、俺に声をかけてくる。
「ティレトか。分かっているな」
俺は小声で返した。
「ああ、分かっている。既に向こう側に仲間が待機している。少ししたら私も渡るからな」
老婆のすぐあとに渡ると怪しまれるので、そういう工夫なのだろう。
「頼んだ。失敗は許されないぞ」
「誰が失敗などするものか」
ティレトは静かな怒りに燃えているようだった。
その言葉には、隠しきれない感情が滲んでいる。
そうしているうちに、老婆を送り届けたミャロが帰ってきた。
片手には、老婆の口に付けていた猿轡を持っている。
「ミャロ、ご苦労だった」
「はい」
「確認していなかったが、あいつ本物なのか」
結局、猿轡もつけたままで、本物かの確認など一つもしていなかった。
そちらのほうが、老婆にとっては信じる要素になるかと思ったからだ。
「本物だと思います。あんなに良く似た影武者を用意するのは大変かと……尋問もしていないので、良くはわかりませんが」
「悪かった。ちょっと……声を聞いたら、自分でもどうなるか不安でな」
ずっと猿轡を付けたままでいるように指示したのは、俺だった。
声を聞いて、怒りが爆発したら、その場で斬り殺してしまうんじゃないかと不安だったのだ。
送り届けをミャロに任せたのも、手を握ったら自分でも何をしでかすか分からなかったからだ。
「いいんですよ。それがボクの役目ですから」
ミャロは微笑みを浮かべて、そう答えた。
「仲間が追い始めた。じゃあな」
ティレトが短い別れを言って、自然な足取りで丸太橋を渡っていった。