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第176話 ホウ家領

 夜を徹して走り、午後になってようやくホウ家領にたどり着くと、領境には兵が出ていた。

 二千人ほどの兵が、領境から二キロほど越境して待っている。


「ユーリ殿、お待ちしておりました」


 そこにいたのは、いつかキルヒナの森の中で会った、ジーノ・トガであった。

 見覚えのある爺さんも並んで、俺に敬礼をしている。


「ご苦労。よく来てくれた」

「早速ですが、事情をお聞かせくだされませぬか」


 この爺さんは、藩爵という天爵の下に相当する爵位を持った爺さんだ。

 このあたり一帯を支配している。


「詳しくはカラクモにて諸侯の前で話そう。端的に言えば、父上、母上、女王陛下は席上で毒殺された」

「なんと……」

「やったのは魔女どもだ。(いくさ)になると思え」


 俺は、爺さんの顔に喜色が浮かんだのを見逃さなかった。


 王都から魔女を除き、天下を取る……。

 この言葉の響きは、やはり騎士たちにとって、心揺さぶられる思いがするのだろう。


 史上においては、シヤルタにおいても幾つかの将家がこの魅力に抗えず、旗を揚げ、暗殺され、また敗北し、歴史に消えていった。

 過去存在した国にあっては成功したこともあったが、それも滅びて久しい。


「では、早くカラクモへ」


 ジーノが言った。


「キャロル殿下が馬車におられる。毒を少量飲んで具合が悪い。カラクモより先に、近くの宿にて休ませたい」

「分かりました。では手配します」


 いや。


「いや、それだけは自分の目で見届けてから発つ。お前は諸侯に鷲を送るなり、鳩を放つなりして、カラクモに招集しろ」

「了解しました」

「それで、父上の鷲――白暮はどうなった?」

「近くの村で休んでおります。故障はないようです」


 そうなのか。

 よかった。


「……ん?」


 ジーノが、急に目を凝らした様子で、俺の背中の先を見た。

 そちらに伸びているのは、俺がやってきた街道だった。


 なんだ?


 俺も振り返ると、遠くから一人の騎士がカケドリに乗って歩いてきていた。

 血のシャワーでも浴びてきたかのように、身体中が、トリも、めちゃくちゃに汚れている。

 既に乾き切っている血は赤黒く変色しており、凄惨な戦いぶりを連想させた。


 ソイムだ。


 ソイムは、タラタラとカケドリを進めながら、チラチラと後ろを見つつ、こちらに歩いてきた。

 ついに俺のそばまで来ると、カケドリから降りた。


「ソイム! 無事だったのか!」


 やった! よかった!


「はい、まぁ。……はぁ」


 ソイムは深い溜め息をつきながら、出かけに持っていた奇妙な面頬を外した。


 なんというか、あー、疲れたぁ。という感じの溜め息ではない。


 がっかりしている感じだ。


 少なくとも、生きて帰れて良かった。

 みたいな歓喜はほんの一滴も感じられなかった。


「なんだ、どうしたんだ?」

「……あやつら、つまりませぬ。とんだ期待外れにございました」


 ソイムはトリを降りてなお、チラッチラッと街道のほうを見ている。

 これは、もしかして敵がやって来るのを期待しているのか。


 もう到着しちゃってるんだけど。


「なにがあったのか知らないが、良かったじゃないか。生き残れて」

「は~ぁ……」


 ソイムはもう一度溜め息をついた。

 深い深い溜め息だった。


 ソイムの凄惨な様子を見る限り、魔女どもが追手を放ったのは間違いなさそうだ。

 だが、なにやら追手はソイムの期待には添えなかったらしい。


 五人くらいしか来なかったのかな?


「あれだったら、私がいなくても頭領殿だけでどうとでもなったでしょうよ。それくらいの雑魚っぷりでしたゆえ」

「そうなのか……」


 なんか、残念だったな……。


「まさか、退却したまま帰ってこないとは思いませなんだ……」


 帰ってくるだろ普通……。

 なんなんだよあいつら……。


 そんな声が聞こえてくるようだった。

 一体、なにがあったのだろう。


 怪我はしてないみたいだけど……。


「若君、申し訳ありませんが私は少し休ませていただきます………久しぶりに酒を飲みたい気分ですゆえ」

「お、おう……しっかり休めよ」

「……はぁ……あやつら本当に……」


 ソイムはトリに跨がり、幾重にも血飛沫がまとわりついた血みどろの背中に哀愁を漂わせながら、トボトボと街道を進んでいった。



 ***



「着いたぞ」


 俺が馬車の扉を開くと、中にはキャロルとメイド長、そしてシャムがいた。


「はぁ……はぁ……」


 キャロルは返事をする気力もないようで、細い息を荒く漏らしながら、息も絶え絶えに虚ろな目をしていた。


「ユーリ……?」


 シャムも意識が朦朧としているらしく、目をシパシパさせている。

 石畳というのはアスファルト舗装の道路のように平滑なものではなく、速度を上げれば上げるほど激しく揺れる。

 客車には、木製のちょっとしたサスペンションのようなものが組み入れられているが、それでも眠れるような振動ではない。


 それを夜を徹して、午後まで乗っていたのだから、こうなるのは当たり前だった。


「メイド長、すまんがもう少し働いてくれ」


 メイド長だけは、若干の憔悴の色は隠せないが、背を立てて椅子に座っている。


 俺は馬車の中に入って、キャロルの膝の下と肩を持って、抱き上げた。

 できるだけゆっくりと、壊れ物を扱うように馬車から運び出し、乗り付けていた宿場町の宿屋に入る。


「こっ、こちらです」


 突然降って湧いた賓客の来訪に戦々恐々としている宿屋の主人が、一等客室に案内する。

 俺は彼に従って宿屋を進み、客室のなかに入った。


 このロッシという宿場町は、それほど大きくはない、通常の旅程だとあまり利用されない宿場町なので、宿屋もほどほどの大きさのものが一軒あるだけだ。

 一等客室といっても大したことはなかったが、今のキャロルには、とにかく休めるベッドが必要だった。


 俺はキャロルをベッドにそっと横たえる。


「メイド長、必要なものを用意させてくれ」

「かしこまりました。ご当主様」


 メイド長はペコリと頭を下げると、さりげなく宿屋の主人を部屋から退去させ、自分も出ていった。

 気を利かせたのだろう。


 俺はベッドサイドに腰掛けて、キャロルを見た。

 具合は悪そうだが、生命に喫緊(きっきん)の危険があるようには見えない。


「キャロル。ここで少し休もう」

「うん……」


 聞こえてはいるようだ。


「ここはホウ家領だ。もう安全だからな……少し眠ったほうがいい」

「行ってくれ……ユーリ。はやく……王都を……」


 キャロルはうわ言のようになにかを喋りはじめた。

 なにかに駆られるように声を発している。


「もう喋るな。体に悪い」

「私はいいから……いってくれ……しびゃくをとりもどして……」

「分かった。分かったから。じゃあ、行くからな」


 キャロルの手を握ると、少し発熱しているのか、熱いくらいだった。

 驚くくらい強い力で握り返してくる。


「頼む……」

「ああ、頼まれた。安心しろ、必ず取り戻すから……」


 俺はキャロルの手を離すと、部屋から出た。

 部屋を出ると、すぐにメイド長がいて、なぜか頭を下げていた。


「キャロル様のこと、お任せください。わたくし介護の心得もございますので、どうかご安心を」


 メイド長は、俺にだけ聞き取れる程度の小声で言った。


「吸い飲みで、薄くといた重湯を飲ませてやるといいかもしれない。部屋の湿度に気をつけてくれ」

「承知いたしました」

「うるさい兵どもは次の街に連れていく」


 路上で喧しく会話や命令伝達をする兵たちの声が、ここにも響いていた。

 通常業務として悪気なくやっていることなので、叱り立てるわけにもいかない。


 彼らも徹夜で行軍してきたわけで、眠らせてやりたいが、この宿屋を使わせてやるわけにはいかなかった。


「もう少ししたら、地元の兵が警備に回されてくる。眠りを妨げる騒音があったら、すぐになんとかしろ。町長には厳命しておくから」

「承りました」

「身辺には重々注意してくれ。この宿のスタッフの顔は全員覚えて、それ以外の者を宿内で見つけたら通報しろ。この宿は貸し切りにしておく」

「はい」


 本当に分かってるんだろうか。

 長い付き合いだし、仕事に不備があったことなど一度もないから、大丈夫なんだろうけど。


「王の剣を名乗る者が現れたら、兵を呼んで捕縛してくれ。敵側についているかもしれん。こちら側ならば抵抗はしないはずだ。その上でなら、キャロルと会話させてもいいからな」

「承知いたしました。そのように致します」


 王剣の行動原理については良くわからない。


 一種の狂信者のような振る舞いを見せるのだろうから、カーリャが王冠を被った瞬間カーリャの奴隷のような存在になってもおかしくはない。

 キャロルが一番詳しく知っているのだろうけど、今は尋ねられる状況ではない。

 次点で知ってそうなのはミャロだが、ここにはいない。


 そもそも、王剣は残っているのだろうか?

 シモネイ女王を守って、全員死んだのかも知れなかった。


「最後に、一番重要なことだ」

「はい」

「容態が急変したら、俺に急ぎ知らせてくれ」

「心得ております。ご当主様のお気持ちは理解しておりますゆえ」


 メイド長はもう一度頭を下げた。


「じゃあ、俺はカラクモに飛ぶ。後は頼んだ」

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― 新着の感想 ―
[一言] ソイム生還はさすがに爆笑 でも良かった
[良い点] 本懐を遂げた最期かと思ったら ソイム無双だった
[良い点] ソイム好き
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