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第015話 ルークの青春*

 その日、二十歳の俺は、騎士院の談話室で斗棋を指していた。


 相手は親友のガッラだった。

 まあ、ぶっちゃけ今は少し劣勢だが、ここから逆転することもできるのが、斗棋の面白いところだ。

 奥深いところでもある。


 よし、ここだ。

 ぱちりと駒を置く。

 ガッラはつまらなそうに、殆ど間を置かず次の手を指してきた。


 こいつちゃんと考えてるのか。

 俺が考えてる間も退屈そうな顔してまともに盤面もみてねえしよ。


 しかし、ここは悩ましい。

 うーん。

 ここがあーしてこうなって……こうだから……。

 よし、ここだ。

 俺は次の一手を差した。


 ガッラはまたしても間を置かずに次の手を差した。

 パチン。


 あっ。

 そこは想定外だ。


 うわ。

 なんだこれ。


 ここにやられたら鳥も死ぬし矢道も塞がれるじゃねえか。

 それでこうしてあーして、あ、二手目で鷲も取られる。

 ああ、糞。

 まいったなこれ。


「待った」


 俺は間髪容れずに待ったをかけた。

 これはいかん。


「……まあ、いいんだけどよ。お前ちゃんと考えて指してんのか?」


 ガッラが呆れた顔で言ってきた。

 糞。


「考えてるって……」

「でもこれ普通気づくぞ。定跡じゃねえか」

「たまたま気づかなかったんだよ」


 気づかなかったんだからしょうがないじゃないか。

 五回目の待っただけど……。


 そして、その十五分後には負けていた。


「くそっ!」


 俺は悔しさのあまり盤面を叩いた。


「いや、本気で悔しがれるお前が凄いよ」

 呆れられた。

「……」


 ガッラは俺を馬鹿にしているわけではなかった。

 呆れられているのでは怒れもしない。


 はあ、斗棋上手くなりたいのに。

 好きこそものの上手なれというのに、なんで上手くなれないのだろう。


「道場に行って組手しようぜ」

「……いやだ」


「斗棋に付き合ってやったんだから、こっちにも付き合えよ。今度は俺が教えてもらう番だ」

「………」


 そう言われれば付き合うしかなかった。



 ***



「フッ!」

 と短い息を出しながら、ガッラの拳が近づいてくる。

 俺はその拳を掻い潜って、体ごと体当たりするように両腕でガッラの足を掬った。

「うぶっ!」


 と間抜けな声を出しながら、ガッラは前のめりに倒れこんだ。

 すぐに足を引きながら、双手刈りから寝技に持ち込もうとする俺を、蹴っ飛ばそうとするが、もう遅かった。

 ガッラの片足は既に取られて、俺に足の腱を決められている。

 腱がクッ、と一瞬伸びたところで手を離した。


「クソッ……」


 ガッラは拳で床板を叩いた。

 自分より体格が小さな俺に、手玉に取られたのが悔しいのだろう。


 さっきと逆だ。


 しかし嬉しくもなく、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 ガッラほど毎日汗みずくになって訓練しているわけでもないのに、なぜ勝ててしまうのか、自分でもよく分からない。


 王鷲に好かれるものは鷹の目を持っているから強い、などとよく言われるが、そのせいなのだろうか。


 好きこそものの上手なれというなら、俺に斗棋の才能をくれて、ガッラに戦いの才能をやればいいのに。

 そうすりゃみんな幸せなのに、世の中どうしてこう上手く出来ていないのだろう。


「気にすんなって」

 俺は努めて気楽に言った。


「気にしねえわけがあるか」

 ガッラは本気で悔しそうだ。

「お前は槍を頑張ればいいんだよ。柔術なんて戦場でなんの役に立つ」


 本心からそう思う。

 まわりじゅうに敵がいる戦場で、敵を引っ倒して、寝転がって技を極める暇があるだろうか。


 足を取れたとして、地べたにひっくり返って腱をぶっ千切っている間に、別の兵隊に槍で一突きされて終わりだ。

 一兵卒ならそれでいいかもしれないが、騎士の死に様ではない。


 ガッラは、その恵まれた体格で身の丈を超える豪槍を扱えるのだから、それで思う存分敵を串刺しにすればいい。

 こんな小手先の技術に執着する必要はない。


「俺は誰にでも勝てるようになりてぇんだよ。っと」

 ガッラは一息で立ち上がった。

「もう一本やろうぜ」


 まじかよ。

 勘弁してくれよ……。



 ***



 練習が終わるころになると、教養院のほうから来ていた女学生が、物見窓に並んでいた。

 こそこそとくだらない世間話をしているのだろう。

 いつものことなので放っておいた。


 道場を出て、井戸端に立って下着姿になり、頭から水をかぶる。

 ガッラも一緒になってそれをしていた。

 木陰からこそこそと何人もの女学生が覗いている。

 逆のことをされたら男を吊るし上げにするくせに、都合の良い連中だ。


 裏では、俺とガッラが夜な夜な妙な行為に勤しんでいるという噂も立っていて、本当に迷惑だ。

 誰か俺に恨みでも持ってるやつが流してるのかしらんが、いいかげんにしてほしい。


 教養院では、俺とガッラがカマ野郎がやるような交合をしている官能小説みたいなものまで出回っていて、回し読みされているらしい。


 想像するだけで鳥肌が立つ。

 気持ち悪ぃ。

 誰がそんなことするか。


「あ、あのっ!」

 水浴びして上半身裸の俺のところに一人の女学生が来た。

「これっ読んでくださいっ!!」

 手紙が差し出される。

「お、おう」

 思わず受け取ってしまった。


 ああ、受け取ってしまったからには断りの手紙も書かなければならない。

 ガッラにもからかわれるだろう。


 クソ、本当に面倒だ。



 ***



 場面は移り変わる。



 ***



 聞くところによると、南方のクラ人の国には、何万人もの人間を収容する大スタジアムがあり、そこは奴隷同士が殺しあうのを見世物にするためだけに作られた施設なのだそうだ。

 奴隷を嫌うシャン人にはそのような風習はない。

 よって、そのような施設もなかった。

 だから、今俺が戦っているのは、野外演劇用の露天の半ドームだ。


 一年に一回催される騎士院演武会は、騎士院在院生の中でもっとも強い二人が模擬戦をする催しである。

 一試合の模擬戦をするだけでは十分もたたず終わってしまい、それでは味気ないので、前座で剣や槍の演舞などもするのだが、それはあくまでも前座である。


 今年闘うのは、俺とガッラだった。


 俺は、ガッラと俺以外、誰もいないステージの上に立っていた。

 演武者は最初に客席に向かって礼をする。


 礼といっても頭を下げる礼ではなく、膝を折って片膝立ちになり、胸に手を当てて礼をする、屋外において貴族がするべき最敬礼だった。

 ここまでの礼をするのは、客席の一部に設けられた特等席に、女王陛下が参席しているからだ。


 うやうやしく礼をして、立ち上がった。

 次はガッラに向かってお辞儀をする。


 これは相互の礼といって、ほんの少し上体を傾けるだけでよい。

 なぜなら、今から戦う相手に対して、視線が切れるほどに頭を下げるのは油断であり、むしろ相手に対して礼を失することになるからだ。


 それが終わると、お互いに槍を構えた。


 ガッラは硬い表情をしていた。

 石のような顔をしている。

 今まさに俺を打ち倒さんとする戦士の顔だった。


 その手に持っているのは、俺が持っているものより一回り大きい槍。

 刃は潰れているが、ガッラの力で思い切り振り回した槍が頭に当たれば、俺は頭蓋を潰されて死んでしまうだろう。

 俺の持っている細身の槍とて、目を突けば目が潰れるし、胸を突けば胸の骨が折れる。


 むろん寸止めが原則ではあるものの、死合には変わりなかった。


 俺の心はなんとなく(うわ)ついている。

 浮ついているのを自覚していた。


 ガッラに打ちのめされる恐怖で浮ついているのではない。

 なぜ、出たくもない俺が、このような名誉の場に立っているのだろうかと、不思議に思っている。

 それが心を浮つかせている。


 俺にはガッラほどの熱意もなければ覚悟もない。

 なのに何故。


「ウオオオオオオォォォオ゛オ゛!!!」

 ガッラが吠えながら猛烈な勢いで寄せてきた。

「オア゛ッ!!!」

 勢いそのままに凄まじい突きが放たれる。


 まるで、たけり狂った大熊のような迫力だ。


 しかし、俺の体は何も考えずとも動いた。

 槍でガッラの槍をいなす。


 ガッラの槍は丸太のように重く、ハタくようにしていなしても微動だにしない。

 だが、ガッラの槍は動かなくても、力を込めれば俺の体を動かす助けにはなる。


 槍の力を借りながら瞬時に体を低くし、一撃をかわした。

 自由になった槍の柄でガッラのスネをしたたかに打ち、地を滑るようにして反転した。


 位置が逆転して、再びガッラと向かい合う。

 一瞬だけ目があい、しかしその均衡はすぐに崩れた。


 短い距離で乱戦となった。

 瞬きする間もなく払っては突き、突いては払いの応酬となる。

 ガッラの槍がおこした豪風が俺の頬を撫でる。

 命中すれば頭蓋が割れる一撃が髪を掠める。


 五合、十合と打ち合い、十一合目に槍同士が強かにぶつかり合った時に、嫌な音が聞こえた。

 ビシッと乾いた音がして、俺の槍の柄にヒビが入ったのだ。


 ガッラの顔に喜色が浮かんだのが見えた。

 槍を折るのも戦術の一つなので、ヒビの入った槍を完全に折りに来るのは、卑怯ではない。

 ガッラにとって千載一遇のチャンスであることは、頭で考えるより先に感覚として理解した。


 ガッラは俺の槍を完全に折ろうと、ぶっ叩きにきた。

 本能にまで刷り込まれた戦技がそうさせたのか、俺は反射的に槍を手放していた。


 半分折れた槍などくれてやる。

 こんな棒で戦うくらいなら素手のほうがいい。


 寸前で手放した俺の槍がひっぱたかれ、柄がぶち折れて床にあたり、勢い余って跳ね返った。

 そのときにはもう俺はガッラの懐に入っていた。

 服の襟をぐっと掴み、勢いよく足を絡ませる。


 思いもよらぬ攻撃に慌てたガッラは、腰が浮いていた。

 どっしりと構えていれば、体重に劣る俺に投げられることなんてないのに。


 電光石火の勢いで足を払うと、襟に力を入れてひっ転がした。

 ガッラは尻もちをついて、俺は襟と袖を掴んでいた。

 体勢をたてなおされる前に、そのまま飛びついて十字腕ひしぎに移行した。

 ぐっと力を入れて、腱が伸びた感触があった。


 そこから、とんでもない力で振りほどかれると、体ごと振り回され、床にたたきつけられ……。


 立ち上がろうとした時には、ガッラの大きな拳が眼前に迫っていた。

 顔面に強い衝撃がきて、俺は気を失った。



 ***



 気がついた時には、演武会は終わっていた。


 俺は屋外ステージの外で、簡易に作られた寝台の上に横たえられていた。

 鼻には冷たい水で濡らされた布が掛かっており、それを剥がすと、布はヌチャっとした血でぐっしょりと濡れ、糸を引いていた。


 手で顔をさすると、外傷ではないことが解った。

 となると、鼻血だろう。

 思えば、鼻の奥がツンとしてジクジクと疼いている。

 鼻の骨でも折れたか。


 それでも、俺はなんだかホッとした気持ちがしていた。

 気鬱なイベントだったが、なんとか大過なく終わった。


 俺はもう一度寝ることにして、目をつむって再び身を横たえた。


 そうしてベンチで寝ていると、ふいに影ができた。

 まぶたの上から差す陽光が消え、真っ暗になった。


 目を開けると、そこにはガッラがいた。

 ガッラは黙って俺の襟首を掴むと、引きずり上げた。


「なぜ手加減した!!!」


 ガッラは男泣きに泣いていた。

「情けでもかけたつもりか!!!」

 こんなガッラを見るのも初めてなら、こんな怒声を浴びせられるのも初めてだった。


 そうだ。俺は土壇場でガッラの腕を壊すことができなかったんだ。

 と、今更ながら試合の内容を思い出した。

 ガッラはそれに怒っているのだな、とすぐに理解した。


 腕ひしぎという技は、腕が伸びきってしまえば、返すことは不可能だ。

 腕が曲がっていれば力の入れようもあるが、伸びきってしまった腕には、驚くほど力が入らない。

 対して、極めているほうは体全体を使って、腕の肉だけでなく背の肉まで動員して、存分に力を入れることができる。


 大人と子供ほどの体格差があれば別だが、俺とガッラほどの体格差であれば、必ず技をかけたほうの力が勝る。

 戦技の世界では、それは自然の摂理と似たような、絶対的な法則なのだ。


 ガッラほどの戦士がそれに気づかないわけがない。

 俺は、彼の誇りを傷つけたのだ。

 いくら優勝という栄誉が与えられても、ガッラはその称号を誇りとは思えないだろう。


 俺は間違ったことをしたのだ。


 だが、ガッラの腕を壊さなかったのが間違いだったとは思わない。

 それなら、そもそも演武会に出たのが間違いだったのだ。


「あれはお前の勝ちだ。心構えができてなかった俺が未熟だったんだ」


 俺は鼻声でそう言って慰めるのが精一杯だった。


 俺が自分の人生に疑問を持ち始めたのは、この時からだった。

 決められた道を歩くように歩んできた騎士になるための生き方。

 ほんとうにそれが俺にとって正しい道なのだろうか、と。



 ***



 だが、俺は疑問を感じつつも、今まで歩いてきた道を外れることはできないでいた。

 騎士になるためだけに生きてきたのに、どうして今更生き方を変えられる?


 そうして、騎士院の卒業も間近になったある日、教養院である女が死んだ。


 そいつは七大魔女(セブンウィッチズ)の分家の出で、長女だった。


 政治を司る七大魔女(セブンウィッチズ)は、家柄だけでいえば五大武家(フィフスブレイブス)より格上とされる場合が多いから、分家とはいえ、次男でお家を継ぐ目もないと思われる俺より、身分で言えば若干上と思われるような女だった。


 そいつは俺にしつこくアプローチしてきていたのだが、やけに太り気味で陰気な雰囲気をしていて、端的に言えば好みではなかったので、告白されても振った。

 というか、このころの俺は毎日のように女に告白されてはそのたびに振る生活をしていたので、単純にその中の一人だったといえる。


 女に困らない生活といえば聞こえはいいが、俺は金にも困っていなかったので、性欲を満たすだけならば娼館にいけばよく、ありていに言えば教養院の女は眼中になかった。

 教養院の女というのは、とにかく面倒くさい。


 奥ゆかしいことが男ウケがいい要素とでも考えているのか、性格は暗いし、服一つ脱がせるにも市井の女と比べると数段めんどくさい手順を踏まねばならず、しかもヤったあとは責任を問われ、噂は尾鰭がついて流れる。

 相手にするのも馬鹿馬鹿しいので、騎士院にいる騎士の卵たちは、寮で教養院の女に入れ揚げている奴がいると、首根っこひっつかんで酒場に連れて行き、市井の女の良さを教えてやるのが常だった。


 だが、その自殺した女が他の教養院の女と違ったのは、振った後、諦めることをせずに、四六時中俺の生活に張り付くようになったところだった。

 通常、教養院の生徒が入る用事はまったくない騎士院の施設にまでついてきて、柱の陰からこっそりとこっちを見張っていたりした。


 はっきりいって、めちゃくちゃウザかった。

 妙な噂は立てられるし、チョロチョロと視界に入ってくるたびに、イライラする思いがした。


 そうして、ある日いい加減にしろと大声で怒鳴ったら、その日からまったく視界にあらわれなくなり、次に名前を聞いたのは訃報だったのである。


 それを聞いた時は、悲しくはあったが、若干の嬉しさも感じた。

 もう煩わされることはない、と感じた俺を、誰が責められるだろう。


 だが、それだけでは済まなかったのである。


 女は遺書を残しており、そこには俺に嫌われたのが悲しくて自殺しますというような内容が書いてあったらしい。

 その話を聞くなり、俺は寮の自室のドアと窓を黒い布で覆い、ホウ家の別邸の玄関口にも黒い布をたれかけさせ、寮に閉じこもった。


 これは喪に服すという世間的なポーズになる。

 そうして、二日ほど閉じこもって、葬式に出席すると、遺体に花を添えてやった。


 これで、対外的にはなにも問題はないはずであった。

 立場上の礼は尽くしたということになる。


 だが、俺は、葬式のその場で、女の兄に決闘を申し込まれたのだ。


 最初、俺は恭しく差し出された封筒が決闘状だとは思わなかった。

 遺品の一種とか、親としての思いが綴られた(ふみ)とか、そういうものかと思った。

 だが、帰ってから読んでみると確かにそれは決闘状であった。


 むろん、決闘などというものは承諾しなければ良い。

 だが、死んだ女の実家が政治力を持っていたことで、容易には断れない雰囲気になった。


 兄はしなくてもいいと言ってくれたが、父には決闘に勝って(きも)を鍛えてこいと言われた。

 俺は父に逆らうことはできず、決闘をすることになった。



 ***



 決闘は約束の日に秘密の場所で行われた。

 秘密の場所は、普段は厳重に立入禁止とされている、王都の一角にある魔女の森(ウィッチズグロウ)の一部であった。


 こちらからは、俺の父親とガッラが立会人として参加した。

 向こうには名前もしらない女が二人と、近衛の騎士らしき男が立会人として居た。


 おおかた、立会人の親族に半ば強制されるかたちで、決闘状を書かされたのだろう。

 決闘の相手は見ていて悲しくなるほど動揺し、緊張して、震えて、汗をかいていた。


 妹に似た顔をしていて、少し太い体は、明らかに鍛えていないのが解る。

 見るからに不本意そうであり、何が何でも妹の仇を取ってやるという感情を抱いているようには、到底見えなかった。


 こんな男を決闘に引っ張りだすとは、魔女の家というのは本当に嫌になる。


 決闘は相手方の指定で剣ということになった。

 伝統的に武人の得物といえば槍と決まっているが、中途半端な長さの剣術を好む武人というのも、中にはいる。


 どちらかというと使い慣れぬ武器だが、決闘相手とくらべれば、俺の方は四六時中訓練をしている、いわば専門家なのだから、これくらいのハンデは受け入れるべきだ。

 俺の方も否やはなく、そういうことに決まった。


 だが、受け取ってみれば、剣といっても武人が使うようなものではなく、槍で叩けば折れてしまうような、片手で持てる細いサーベルのような片刃剣だった。


 こういう剣は、槍を振るえなくなった老騎士が、それでも指揮はしなければならないときに、一応は帯剣するために腰にさすものだ。

 いつも振り回している槍と比べると、頼りない羽根を持っているような感じがした。



 ***



 双方とも剣を持ち、決闘の合図を待った。


 今からこの男を殺さなければならないのか、と思うと、俺は自分でも驚くほど慄然としていた。

 ガッラと戦った時でさえ腰が引けてはいなかったのに、今は腰が引けていた。


 俺は、場に立つまで、相手を殺せばいいやと気軽に思っていた。

 決闘なのだから仕方がない、と。

 だが、場に立つとまるで考えが変わっていた。


 恨み合っているはずの決闘人どうしが、いまさら話し合いを持つことはできない。

 だが、予め裏で申し合わせをしておくことは、努力すればできただろう。


 なぜ、俺はそれをしなかったのだろうかと、その時になって後悔した。


 決闘は基本、どちらかが死ぬまで続けられる。

 事前に話し合いの場をもてば、例えば腕に剣を刺して、流血した時点で降参して終了。ということもできたかもしれない。

 だが、今となっては遅かった。


 合図があり、決闘が始まった。

 相手はブルブルと震えて、オアーとかウワーとか勇気を奮って声を出している。


 よし、腕を落とそう。


 腕が落ちれば、それは明々白々に戦闘不能ということになるから、普通はその時点で決闘は終わりとなる。

 腕がなくなるのは可哀想だが、俺に決闘状を渡し、どちらかの死亡が前提の場に引きずりだしたのは彼なのだから、それくらいは諦めてもらわなければならない。


 相手は右手で剣を持っている。右利きだろうから、左腕を落とそう。


 俺は猫のような柔らかかつ素早い動きで近づくと、相手の目の前で一瞬止まり、そのことで一撃を誘発して、滑るように脇に回り、肘から下を強く撫でるように切り落とした。


 切れ目から噴水のように血が噴き出、腕がぼとりと地面におちた。

 アアアアアア、と叫んで、決闘者は剣を放り捨てて傷口を手で覆った。


 心にずんと重しが乗った気がした。

 これが俺がやったことなのか。

 こんなに血がでて、こんなに痛そうで、今まさにこの男は不具になった。


 だが、とにもかくにも、これで終わった。

 これで、この男は戦えない。


 そう思ったら、向こうの立会人が待ったをかけて、枝肉でも縛るように細い紐で傷口を縛り上げ始めた。

 嘘だろ。


 止血が終わると、無理矢理に剣をもたせ、妙な励ましをして、立ち上がらせる。

 向こう側の立会人が、なんだかひどく醜いことを叫んでいた。

 まるで悪夢を見ているようだった。


 相手は顔から血の気が失せて、気持ち悪そうだ。

 元から体のバランスが悪かったのに、左腕を庇っているためにそれがさらに悪化している。

 まるで戦い方を知らない子どものようだ。


 いや、元からこの人は戦い方など知らなかったのだ。


 だが、俺には決闘を放棄するという選択肢はなかった。

 一度受諾した決闘を放棄するということは、つまりは相手方が主張する罪を認めるということになる。

 この場合は、自動的に殺人罪が成立することになる。


 つまり、俺が自殺した女を殺害したのと同じことになるのだ。

 その場合、俺は死ななければならないだろう。


 負けたり、決闘を放棄するという選択肢がない以上、相手に負けを認めさせなければならない。

 だが、決闘相手のこの人は、なんらかの事情があって負けを認められないのだろう。

 腕を落とした時点で、尋常な勝負で俺に勝つ見込みがないことは、この人も解っているはずだ。

 ならば、足を落としても、残った腕を落としても、死ぬまで戦いは続行されるのかもしれない。


 殺さねばならないのか。


 結果的に殺さねばならないのなら、これ以上腕や足を落としたり傷を負わせるのは、無用の苦痛を相手に与えることにしかならない。

 であれば、一気に、気づかないほどに鋭く、命を断ってやったほうがいい。


 これが悪夢なら、早く終われ。

 そんな気分で、俺は両手を重ねるようにしてサーベルを握ると、相手の剣を巻き上げ弾き飛ばした。

 巻き上げられた剣は、手を離れて空高く飛んでいく。


 そのまま、間髪容れずに膝を蹴ってうつ伏せに倒すと、首の後ろめがけておもいっきりサーベルを振り下ろした。

 そうして、一気に首をはねた。


 首が地面におち、主を失った体から力が抜ける。

 首から血がびゅーびゅーと噴きだし、土を赤黒く染め、そのうちそれも絶えた。


 俺は返り血を浴びながら、自分のしたことの意味を思った。

 俺は、この人の命を断ったのだ。


 血に汚れたサーベルを相手方に返すと、俺は茫然自失の体で自分の家に帰った。

 ガッラに何度も声をかけられたが、内容がよくわからなかった。

 俺は人を殺した。


 だが、それは異常なことではなかった。

 とどのつまり、騎士というのは人を殺すための職業なのだから、これは騎士としてはむしろ日常なのだ。


 俺はずっと人を殺すための技法を学んできたのだから、それを活かすということは人を殺すということなのだ。

 今しがたやったようなことを日常的にやるのが騎士としての本分なのだ。

 それを思うと、気が遠くなるような思いがした。


 俺はその晩、眠れなかった。

 一晩中、考えていた。


 だめだ、俺は。

 とてもやっていかれない。

 日が昇ったときには、心底からそう思っていた。


 俺はなんて馬鹿なんだろう。

 ここまでやらなければそれに気づけないとは。

 俺は騎士にはなれない。

 最初から騎士なんて目指すべきじゃなかったんだ。



 ***



 俺は、酒を飲みながら、途中で脱落した騎士としての人生に思いを馳せていた。

 死んだ兄貴のことを思い出していたのもある。


 あのとき、親父には激怒されたが、兄貴は不思議となにもいわなかった。

 それどころか、俺が好きな王鷲の牧場をやりたいと言うと、自分の懐から幾らか金を貸してくれた。


 元々トリが好きだったこともあり、牧場経営は上手くいった。


 俺の育てた王鷲が一級品だったという自負もあるが、経営が上手くいった理由の一番は、結局は実家だった。

 ひっきりなしに遠征にいき、行く度に大量の兵を死なせ、帰ってきては補充するホウ家には、カケドリが常に不足していた。


 昨日今日始めたばかりの牧場では、トリを売りにだしても買い叩かれてしまうものらしいが、俺の場合はそれはなかった。

 むしろ多少色をつけて買ってもらえたくらいだ。

 俺は育てては納めて、納めては育て、そのたびに金を貰い、牧場はどんどんでかくなった。


 そのうちスズヤと結婚し、ユーリが産まれ、そのユーリは兄貴に見込まれた。

 サツキさんが預けてきたサツキさん宛の遺書には、そのことが書いてあった。


 国家存亡の際ゆえにユーリを当主とするように計らえ。ついては弟を説得し、臨時に当主にするようにと。

 これだけの指示で、王城への工作から、親族の説得まで短期間ですべてやってのけたサツキさんには、頭がさがる。

 

 兄貴の考えもわからないではない。

 ユーリは誰でも解るほどに優秀だ。

 ユーリと話した者は、皆口をそろえてよく出来た息子だと言う。


 だが、優秀なだけでは騎士はつとまらないのだ。

 自分で言うのもなんだが、俺ほど将来を嘱望(しょくぼう)された騎士候補生はいなかったのだから。


「ただいま戻りました」

 ガチャリとドアが開いてユーリが帰ってきた。

「……帰ったか。何かあったか?」


「サツキさんに地図を見せてもらったりしました」

「そうか」


 なんだかんだ上手くやっているらしい。


 俺はユーリがやった昼間の動きを思い出す。

 テーブルクロスを使って足場を崩すというのは機転が利いていた。

 あの状況であんなことができるのだから、肝も据わっている。


 加えて王鷲を操る才能もあるのだから、騎士としての才能は全方面で十分だろう。

 騎士院を卒業できないということは、まずない。


「ユーリ、王鷲は好きか?」

 俺がそう聞くと、

「好きですよ。何度も言ってるじゃないですか」

「じゃあ、牧場仕事は好きか?」


「好きです。とても平和で素敵なお仕事だと思いますよ」

「そうか。俺もそう思ってる」


 こんなことになってしまったが、俺はユーリを牧場主にするつもりだったのだ。

 今でも半分はそう思っている。


「昼間にも言ったが、ユーリは一度騎士院に入らなきゃならない」

「そうですね。正直、気乗りしませんが」

「言っておくが、今日のことがあったからじゃなく、最初からそう決めていたことだ」


 俺は駄目だったが、ユーリもそうとは限らない。

 ユーリはこれほどの才能を持っているのだから、最初から道を狭めるのは勿体ない。

 一度は入って、試してみて、水に合わなかったら辞めればいいのだ。


 水があえばそのまま騎士になってもいい。

 騎士がだめなら牧場主になればいい。

 最初からそう思っていたのは本当だが、こうなってしまった以上は、そう単純には行かないだろう。


「そうですか。まあ、行くだけ行ってはみますけど、まだ先の話なんですよね?」

「そうだな。だけど、牧場主の息子として騎士院に入るのと、ホウ家当主の息子として騎士院に入るのとでは事情が変わってくる。わかるか?」

「……少しは察しはつきますけど」


 少しは察しがつくというのが、なんだか空恐ろしいところだ。

 これは虚勢で言っているのではなく、本当に解っているのだ。


「騎士院に入るのは十歳からで、卒業は人によってまちまちで、頑張れば早く卒業できる。早く卒業したいなら、あらかじめここで勉強……」

 言いかけて、その必要がないことを思い出した。


「ユーリのことだから勉強は必要ないかもしれないが、多少は武芸を習っておいたほうがいいかもしれない」

「そうですか。それでは、牧場仕事の合間にでも教えてくれればいいですよ」


 えっ、俺が教えるのか。

 いや、それはダメだ。


「親子では武芸の教えっこはしないことになってるんだ。情が入るからな」


 俺がそういうと、ユーリは見ていて可哀想になるくらい嫌そうな顔をした。

 ユーリは優秀だが、どうにも人見知りなところがある。


「……まあ、騎士院のことはいいです。それより、お母さんにどう説明するのか考えておいたほうがいいんじゃないですか。サツキさんはああ言ってましたけど、当主ともなれば妻を連れ立ってどこかの催しに行くなんてこともありそうですし」


 息子に言われて思い立つのは情けない限りだが、スズヤのことは、今思い出した。

 考えてみれば、ユーリの言うとおりだ。


 将家の当主の嫁となれば、普通は教養院で何年も礼儀作法や教養知識を学んだ女性がなるわけだから、何も知らないスズヤは恥をかいてしまう。

 一番負担がかかるのはスズヤかも。


 まあ、全部断ってもいいんだろうが。

 ああ、気鬱だ。

 面倒くさい。


「……とにかく、今日はそろそろ寝ましょう。明日会議中に任命されるわけですから、居眠りしていたら締まりませんよ」

「ああ、そうだな。そうするとするか……」


 考え事が多すぎて眠れないかと思ったら、酒のせいかすぐに眠りの帳が降りてきた。

    

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