第151話 別邸での再会
王城を辞し、行きと同じように馬車を使って別邸に帰る。
別邸の門に近づくと、馬車が速度を落とした。
どうしたのかと思い、御者席との連絡用に開けてある窓を覗くと、なんと野次馬は俺が出て行く時より多くなっているようだった。
懐から懐中時計を取り出して、時刻を確認すると、既に午前0時をまわっている。
なんじゃこいつら。何時だと思ってる。
野次馬の連中は、別邸の門前に掲げられた大きなランタンの火に照らされて、暗がりの中に薄く影が見えるだけだ。
馬車は、どうも野次馬を轢いてしまうのを恐れて速度を落としたらしい。
そら恐ろしいものを感じながら、こっそりと窓から観察すると、出てきた時にいた人々とは様変わりしており、服装がみすぼらしい。
どうも、スラム街でホームレスをやっているキルヒナ難民たちのようだ。
失業者なので暇なのだろう。
テルルを助けた恩義でも感じているのだろうか?
それだったらいいのだが。
「ユーリさま!」
「ユーリさま、我々を助けてください!」
聞き間違いかと思うような理解不能な言葉が、馬車に投げかけられた。
????
なぜ俺にそれを言うの?
純粋に不可思議な感覚に囚われながら、馬車は徐行しつつも予め作ってあった通行路を無理やり押し通り、門を通過していった。
そもそも野次馬にとっては俺が馬車に乗っているかどうかは未知なわけで、特に熱意もなく、馬車にしがみついたりもなかった。
なんだ、つまるところ、あいつらは乞食の一種なのかな?
まあ、放っておくのがいいか。
*****
別邸のドアをくぐると、懐かしい顔が出迎えてくれた。
「ユーリくん!」
ドアを開けた時、エントランスのソファに座りながらこちらを見ていたのは、リリー先輩だった。
リリー先輩は、久しぶりの俺の顔を見て、喜色満面の笑顔をしていた。
「リリーさん、ただ今戻りました」
「よー帰ってきたっ」
そう言うと、リリー先輩はトコトコと小走りで駆け寄ってくると、おもむろに俺に抱きついてきた。
出会ったころは、リリー先輩は俺より背が高かったが、今はもう違う。
リリー先輩は、背伸びしながら俺の首に腕を回して、ギュっと抱きしめた。
「ええ、その、ただいま戻りました」
顔が交差して、右頬と顔にリリー先輩の髪の毛がかかり、いい匂いがする。
思わず首筋に顔をうずめたくなったが、その時、向こうでシャムがこちらを見ているのに気づいた。
ソファの背もたれに体を隠して、顔を半分だけだしながらこちらを見ている。
3秒くらいだろうか。ひとしきりハグが終わると、リリー先輩はパッと離れた。
「ホントによかったわぁ。怪我はない?」
「え、えぇ。足をちょっと負傷しましたが、そのうちには治りそうです」
ていうか、おっぱい凄かったな。
むにゅう、って感じだった。
「えっ、大丈夫なんか? 歩けなくなったりは……」
「心配ありません。安静にしていればすぐ治ります」
「そか。よかったよかった。ほんまに心配したんやから」
リリー先輩は、俺の姿を見れて本当に安心した様子だった。
たいそう心配をかけてしまったようだ。
「ほら、座って座って」
我が別邸のエントランスには、一人がけのソファが六つ、長机を挟んで三つづつ置いてある。
やはり、リリー先輩が自然に座った前のソファには、シャムが座っていた。
「お、おう。久しぶり、今帰ったよ」
俺がそう言うと、
「………」
と無言で、シャムはなんかムスっとしていた。
「どうしたんだ? なんかあったのか?」
と俺が聞くと、
「いやらしい」
一言だけぽつりと言われた言葉が、ザクっと心臓に刺した気がした。
おっぱいの柔らかみを噛み締めていたところを見ていたのだろうか。
「い、いや……」
「ちゃ、ちゃうねん。久しぶりにあったから……ほら、挨拶みたいなもんやんかぁ」
リリー先輩のセリフが、なぜか言い訳じみたものに聞こえる……。
「そうそう。久しぶりに会ったんだから普通だって」
ここは同調しておこう。
「顔がいやらしかった」
えぇ……。
「じゃあ、シャムもやってみるか?」
「えっ」
シャムは一瞬眉をひそめた。
断りそうな雰囲気を感じる。
そもそも、シャムはそこまでスキンシップが得意なほうではない。
「やる」
やるのか。
言うは速いが、シャムはすっくとソファから立ち上がって、俺の前に立った。
シャムは身長が低いので、なんともリリー先輩のようにはいきそうにない。
おずおずと腕を開いてきたので、俺は片膝を折って、しゃがんでからシャムを抱き寄せた。
「……ん、ユーリ、おかえり」
「ただいま」
短いやりとりをすると、シャムはすぐに体を離して、若干照れくさそうにソファに戻った。
もともと、あんまりベタベタとくっついてくるタイプではないので、あっさりとしたものだ。
リリー先輩のほうを見ると、喜びとも憤りともとれないような、微妙な顔をしていた。
目が合うと、気を取り直したように笑顔を作った。
シャムは気を利かせたのか、リリー先輩の前のソファから一つズレた席に座ったので、俺はそのままシャムが座っていたソファに座った。
「それにしても、よく無事やったなぁ。一時は生きてないかもなんて話も流れたのに」
「死ぬかと思うようなこともありましたが、なんとかなりました。心配かけてしまってすいません」
「ええねんええねん。無事に帰ってきてくれたんなら、それで」
「私は全然心配してませんでしたよ」
とシャムが言った。
「絶対生きてると思ってましたし」
シャムはケロっとしている。
いや、相当あぶなかったんだけど。
というか、戦争とか、そういうものをよく理解していないのかも知れない。
なんというか、ちょっと危ない災害地かなにかに出張に行くとか、その程度に考えているのかも。
歴史や政治みたいな分野はサツキの担当だったので、俺は教えたことがないし、考えてみればそっち関係の話をシャムとした覚えすらない。
「よく言うわ。行方不明って知らせが来たときは、青ざめとったくせに」
リリー先輩が茶化すように言った。
そうなんか。
「ちょっ、やめてください。そんなになってませんから」
「食事も喉通らんかったんやで。変に噂立てる生徒に噛み付いたりするし」
「やめてくださいってば。違いますから!」
焦ってるシャムが可愛い。
なんだ、やっぱり人並みに焦ったり心配したりしてくれていたのか。
「まぁ、なんにせよ、よかったわ。随分と活躍したみたいやんかぁ」
「いえ、失敗続きでしたよ。なんとも現実は厳しくて」
「そうなん?」
聞いていた話と違ったからか、リリー先輩は意外そうな顔をした。
「ええ。本当は一ヶ月以上早く帰ってこられるはずだったのが、この有様ですし」
ホントに辛かった。
いろいろと経験になったような気はするので、できれば忘れたいトラウマのような思い出、とは思わないが、もう二度とやりたくはない。
反射的に色々と苦労を思い出すと、頭をよぎるものがあった。
「リリーさん。時計、ありがとうございました。ライターも」
ポケットから、ずっと持って歩いていたリリー先輩謹製の銀の懐中時計を取り出す。
一緒にライターも取り出して、机の上に置いた。
「あぁ……そか、使ってくれたんやなぁ」
使ってくれたもなにも……めっちゃ愛用してましたがな。
リリー先輩は、ライターはそのままに時計を取って、感慨深そうに蓋を開いた。
チックタックと、今も時を刻んでいるはずだ。
そのまま、教養院の制服のポケットから、自分の持っている懐中時計を取り出して、時刻を見くらべた。
文字盤を見比べると、仕事モードのスイッチがはいったようで、リリー先輩の顔は真剣なものになっていた。
「時計合わせはしたんか?」
そういえば、忘れていた。
リフォルムで合わせれば良かったのだろうが、鐘の音が響いた時にチェックしたら、五分もズレてなかったので、そのままにしておいた記憶がある。
「いや、してません」
「そか。乱暴に使ってても案外変わらんもんやな」
機械式の懐中時計というのは、案外ズレるものだ。
一般に売られている安いものだと、一日で十五分以上ズレてしまうものもある。
「どれくらい違ってますか?」
リリー先輩のものは、毎日ではないにしても、それなりに時刻合わせをしているはずなので、正確な数字なのだろう。
「ん、八分やな」
八分。
三ヶ月も時計合わせをしてなくて八分か。
クォーツ時計などを知っている自分からしてみると、その精度に新鮮な驚きはないが、一般の時計と比べると、段違いの精度だ。
「まあ、特に調子がええムーブメントのやつを使ったし……油もさしていったから、こんなもんやね」
このムーブメントは一日で十秒早い、このムーブメントは二十秒遅い。そんなのをたくさん集めて一番誤差のないものを選んだのかな。
逆に、ずっと動いていたから、姿勢差の面で良かったのかもしれない。
「いや、凄いです。感服しました」
「凄くないんよ。一応、ひと月で二分以内が目標やからね」
やっぱり、リリー先輩は時計には拘りがあるんだろうな。
クロノメーターを作る時も、あれは相当難しくてややこしい仕事だったはずだが、苦ではない様子だったし。
しかし、一ヶ月で二分以内の誤差というのは、機械式だとかなり限界に近い気がするんだけど。
潤滑油とか、なんか川魚の油を使っているとか聞くが、そんなのだとどうなんだろう。
「これだったら、大分高く売れるんじゃないですか?」
これだけ精度が良かったら需要は高いだろう。
「いや……さすがに売りもんにするにはちょっとな。それを沢山作るのはしんどすぎるしねぇ」
リリー先輩は苦笑いしながら言った。
「愛ですよ、愛」
と、横からシャムが口を挟んできた。
「そのためだけにこんなに面倒くさい時計を五個も作るなんて、愛がなかったらできませんよ」
といいながら、シャムはポケットから自分の懐中時計を取り出して、机に置いた。
文字盤を覆う蓋がないところ以外は、俺のと殆ど同型に見える。
蓋は転げたりしてガラスが割れたりするのを防ぐ目的のものなので、シャムのにはつけなかったのだろう。
毎回蓋を開けるのって、意外と面倒くさいんだよな。
他にも、俺のものには金属部分に複雑な唐草模様が掘られているが、それがなくのっぺりとした鏡面仕上げになっている。
だが、文字盤や針の形などは、俺のとまったく同じだ。
シャムの発言から察するに、これは俺の時計の五個の兄弟機の一つなのだろう。
「シャム、やめてな」
「だって……」
「航海士とかに使わせるのに五個作ったんやって言ったやんか」
そうなんか。
確かに航海士には需要ありそうだ。
「そんなの余ったのを配っただけじゃないですか。それに、先輩、それのメンテナンスに平均の二十一倍も時間をかけてましたよ。私、見てたんですから」
「それは……そんなにかけてないやろ?」
「いいえ、時計ではかりましたから」
二十一倍……。
「ちゃうねんて……」
「重いとか重くないとか気にしすぎですよ。ユーリだって言わなかったら分からないんですから」
「ん……うぅ……」
リリー先輩はいたたまれなさそうにしょんぼりとし始めた。
こんなにしょんぼりするリリー先輩を見るのは初めてかもしれん。
「ユーリは重いなんて思いませんよ。ね?」
シャムからしてみれば、リリー先輩が裏でやっていた陰ながらの膨大な努力を、俺が知らないままでいるのは悲しすぎる損失なので、なんとかしたいらしい。
だが、俺からしてみても、どう反応すればいいのやら……。
たぶん手編みのマフラーとかの数倍手間かかってるよな。
「……そんなこと、思いませんよ。今回命を拾ったのも、これのおかげみたいなものですからね。本当に助かりました」
なんか違うような……。
女性の扱いが分かっていない感じが……。
「そ、そう? あんま気にせんといてな?」
はい、気にしません。というのはおかしいだろう。
実際、感謝してるし。
「あとでお礼をさせてもらいます。期待しておいてください」
ああ、なんか変なこと言ってしまった。
お礼ってなにすりゃいいんだろう。
単に宝石でもついた高価なアクセサリーをプレゼントすりゃいいんだったら簡単だけど、そういうこっちゃないよなあ。
これが一般社員だったら、社内で厚遇するとかになるけど、そういう話でもないし。
いや、それ以前に「ええってええって。適当にあとで埋め合わせてよ」みたいに断ってくるだろうか。
今まではそうだったしな。
「ホント!?」
リリー先輩は、希望が輝くような顔で俺の方を見た。
あ、この感じ……。
「は、はい。本当です」
「あっ……いやいや、無理せんでもええからな?」
「大丈夫です。無理にならない範囲で」
無理にならない範囲ってなんだろう。
難しい。
誰かに相談でもするかこれ。
誰だろう。
カフあたりかな。
まさかキャロルやミャロに相談するわけにもいかない。
「よかったですね、先輩」
と、シャムが嬉しそうな表情で言った。
さっきはリリー先輩とのハグを見咎めていたような気がするが、仲が進展するのは構わないのだろうか?
良くわからない。
複雑なお年頃なのかもしれない。
「うん。それじゃ、そろそろ今日はおいとまするわ」
リリー先輩がそう言うと、
「えぇ……先輩、泊まっていったほうがいいんじゃないですか?」
とシャムが言った。
「いや、ユーリくんも疲れとるやろうし……」
「あの時の積極的なあなたはどこにいってしまったんですか……」
「シャム、黙ろ? な?」
「はいはい」
とはいえ、俺もさすがに今日は疲れることが多すぎたから、早く眠りたいのは事実なんだよな。
朝っぱらから長距離飛行したあとに、いろんな報告をされ報告をして、頭も体も疲れ果てている。
リリー先輩がソファから立つと、追うようにしてシャムも椅子を離れた。
「シャムも寮に帰るのか?」
「はい。作戦会議しないといけないので」
作戦会議?
また似つかわしくない単語が出てきた。
「それじゃ。ユーリ、あとで質問が何個かあるので、聞きに来ます」
シャムの質問て、最近数学を考える脳を使っていないせいで、ついていけなくなりつつあるんだよなぁ……。
今から不安だ。
「またあとでな~、おやすみ」
「はい。また後で。おやすみなさい」
俺がそう言うと、リリー先輩とシャムは軽く頷いて、玄関を抜けて外に出ていった。
しばらく座っていると、パカパカと小気味いい音をたてながら、馬車が出発する音が聞こえてきた。