第135話 内部の不調和
「戻った」
俺の目の前に現れたドッラは、普段通りの顔をしてそう言った。
肩には愛用している薙刀形の槍を担いでいる。
「お前、なんでここにいる」
喧騒から少し離れたところで、俺は椅子に座っていた。
閑散としているが、本陣のつもりだ。
それにしても、こいつはなんでここにいるんだろう。
ドッラには、顔見せが終わったテルルを、速やかに向こう岸にまで送り届ける仕事を命じていたはずだ。
「お前に言われた仕事が終わったからだろうが」
ドッラは不本意そうに言った。
もうテルルには本当に用がないので、そのまま先に行っちまっていい、と言っておいたんだが。
てっきり、王都方面に進んでいってるものと思っていた。
「テルルの護衛はどうしたんだ? 橋の向こうに放ってきたのか?」
「向こうに行ったら、なにやら王家の連中が現れて、引き取りたいと言ってきたから、預けてきた」
そう報告した後、
「もしかして、まずかったか」
と、若干不安そうな様子でドッラは言った。
いや……。
王都の連中……王家の遣いの者であれば、預けちまって構わないだろう。
ここまでくるのは王剣だろうが、そうでないにしろ、ドッラよりかは行き届いた世話をしてくれそうだ。
問題は、偽物だった場合だ。
この状況で現れるとなったら、情報に強い魔女家になるか。
だが、魔女家にしろ将家にしろ、王家を騙って王女を拐かすなどということをすれば、ただでは済まない。
それほどのリスクに見合う価値がテルルにあるとは思えん。
やはり、タイミングからしてみても、立場からしてみても、王剣で間違いないだろう。
「まずかないが、どうやって戻ってきたんだ」
民衆を押しのけてきたなら問題である。
「欄干を走った」
えぇ……。
なにこいつ……。
まぁ、こいつだったら激流にポチャっても普通に岸に這い上がれそうだから、構わないっちゃ構わないんだが。
「一人で来たのか。兵どもはどうした」
「流れの整理をやっていた奴が、人手が足りないというから、貸してきた」
「ふーん……」
別にいいか。
列整理とかって気の利いた性格が必要な仕事だしな。
ぶっちゃけドッラには向いてないし、預けたほうがいい仕事しそうだ。
「それにしても、お前、もう少し説明したほうがいいんじゃないか」
と、ドッラは何やら眉間に軽く皺を寄せながら言った。
「何をだ」
「あの子、ずいぶん怯えてたぞ」
あの子、というのはテルルのことだろう。
そういや、なんだか青ざめたような顔をしていたな。
さすがに、彼女のナイーブな側面を気遣っているような状況ではないから放っておいたが。
「お前が……その、敵に身柄を売ると思っていたらしい」
なんだそりゃ。
そんなこと考えてたんか。
「ありえん。何を考えとんだ」
元々ちょっとアレな子だとは思っていたが。
被害妄想かよ。
まあ、年齢と身の上を考えれば、視野が狭窄したっておかしかないか。
それにしたって、自分が助かるために姫を売るなんて、そんなことをしたら俺が騎士として終わることくらい分かるだろうに。
我先に姫を売る騎士など、誰が認めるわけもない。
キャロルがとっ捕まって、その身柄と交換なんて場面なら、多少は話が違ってくるだろうが、そういった異常事態でない限りは、看過されようもないことだ。
ちなみにキャロルはかなり渋ったが、今は鷲に乗って対岸に渡っている。
「理解に苦しむな、女の考えは」
「そうか? 隊の連中も似たようなもんだろ。さっきから、お前を不信な目で見ていく奴が多いぞ」
「まあ、橋燃やしたからな」
なんの意味があって橋を燃やすのかとか、まったく説明してないし。
橋を一時通行止めにまでして、生木を運んできて橋の各部にぶっ刺して燃やし……その行為の意味も分からない。
不信感を抱かれるのは当たり前だ。
だが説明している時間もないし、大多数が説明を理解できるとも思えない。
むしろ、説明して理解されず、反対された時のほうが厄介だ。
「殺気立ってピリピリしてやがる」
「これから戦って死ぬかもしれないと思っているからな。わけの分からんことをする指揮官の命令に従って、大して思い入れもない民を守って」
「教えないのかよ」
「教えたら誰もが理解できるわけじゃない。反乱が起きなけりゃ、構わん」
過程でどんだけ不信感を抱かれようとも、結果が良ければ何も問題はない。
そもそも、軍行動というのは常に下に全てを話し納得してもらう質のものではない。
キャロルがリャオに対して言っていた意見は、なにも特殊なものではないし、同じメンタリティを持っている奴らは、隊内に相当数いるだろう。
民を守る、守らないで意見は割れる。
命令違反も起きるかもしれない。
そんなんだったら、最初から何も知らせないまま命令に従わせた方が楽だ。
「まったく、お前は……」
「どうせ来たんだ。殿をやってみるか? 刃を交える機会があるかもしれん」
「あるかもしれん、ってなんだ。今からくる敵と戦うんじゃないのか」
「いや」
俺は懐中時計を取り出して、開いた。
「あと十五分だな。それだけ待って報告がなかったら、兵は引き揚げる」
「……? どういう意味だ?」
「十五分経って報告がなかったら、隊を率いて向こう岸に渡る。正面からぶつかるのは無意味だ」
「避難民がいるぞ」
「割り切るしかない」
ぶつかること前提に避難民を守って粘るというのは、ただの自己満足にすぎない。
純粋に高貴だとは思うし、他人がやったら尊敬もするが、俺には無理だ。
あとで吐くほど悩むことになるかもしれないが。
「むう……」
ドッラは複雑な顔をして、押し黙った。
何か意見するつもりはないらしい。
こういうとき正義感を持ち出されると厄介だから、助かるよな。
こいつも正義感がない人間ではないが、世界を己の正義に染めるために生きている類の男ではない。
「……んっ?」
ドッラは、唐突に顔を上げて、あらぬ方向を見た。
そちらを見ると、こちらに走ってくる影がある。
ギョームだ。
俺が座っているところまで駆けてきた。
運動は苦手そうだが、騎士院にいただけあって、ふぅ、と一息つくと、既に息は整っているようだった。
「どうした」
「リャオ殿の命令で意見を伺ってくるように言われたのだ。どうするおつもりだ」
ギョームは若干早口で、焦っているように見える。
斥候に橋を見せたときの前線基地は、まだ生きている。
再び斥候が来たとき、石橋を見られたら困るからだ。
斥候が来ても橋が見えない場所に前進させ、来たら追い返すようにさせている。
リャオが指揮しているのは、そこだ。
「前線はピリピリしてんのか」
「ピリピリしてるなんてもんじゃない。俺たちにだけ戦わせるつもりかと殺気立っておるぞ」
そうなんか。
考えてみりゃ、連中はルベ家出身の奴らが多いもんな。
対してこっちは、難民誘導の仕事にかかりきりなのでサボっているわけではないとはいえ、安全なところにいるのは事実だ。
自分たちに被害担当をさせるつもりか、見捨てるつもりか、と思われているんだろう。
つまりは、戦々恐々とした気分が行き過ぎて、殺伐としているわけだ。
リャオがミャロのように俺の判断を信じ切っている人間であれば、また話は違うのだろうが、あれはあれで大分反対していたからな。
考えることが多い。
追いついてないな。
「まぁ、ちょっと休んでけ」
「……どういうおつもりか」
こいつも空気に飲まれているのか、余裕が無いようだ。
怖い目つきをしている。
「報告待ちだ。あと……十分ちょい経って報告が来なかったら、前線は撤退させる。その連絡を持って戻れ」
わざと生かして帰した斥候は、もうとっくに報告を済ませ、指揮官は意思決定を済ませているはずだ。
軍本体が止まらないのであれば、そろそろ接触してしまう。
敵が止まるとは限らないわけで、そのまま突っ込んでくる可能性もある。
接触するまでは待てない。
「……そういうことであれば、待つとしよう」
ギョームはそこらにあった木箱に尻をおろした。
「ギョーム、お前は俺の狙いがわかってるんだろう。なんでお前まで焦っている」
「……偶然に頼りすぎている。機会を逃せば酷いことになるぞ」
「敵さんの考えることを読むのは、偶然に頼るとは言わねえよ」
極論を言えば、撤退戦で殿を準備したり、包囲を警戒した陣を敷くのだって、敵の判断を読んでやることだ。
この状況だから、当然追ってくるので殿を用意する。包囲を狙ってくるだろうから、それをさせないよう兵を置く。
今回のとの違いは、それが学校で教わるような常道なのか、あるいは前例のない独創なのか、という部分でしかない。
冒険的ではあるにせよ、独創であれば偶然頼み、と評価するのは、自分ではリスクを見積もれませんと言っているに等しい。
「だが、事実止まっていない」
「止まるとしたら、接触する間近だろう。分離するにしても、できるだけ道を使う」
このあたりは、俺が前に強行軍をしたところよりかなり北で、かつ標高も高くなっている。
木々や下生えの密度が低く、歩きやすいが、それだって一応は舗装されている道を歩いたほうが、よっぽど速く歩ける。
可能な限りそれを使いたいはずだ。
遠くで止まればそれだけ即応性も失われ、同期して一気呵成に攻めるといったことも難しくなる。
遠くで止まる理由はないが、近くで止まる理由は多い。
敵からしたら、前線陣地の至近、目の前で停止したって構わないのだ。
それだって、問題はそう多くはない。
プレッシャーをかけすぎると包囲を完了する前に逃げてしまうかも、という恐れがあるから、その選択はしないかもしれないが、してもおかしくはない。
「だが、敵が虫並の脳みそしかない連中だったら、全てがわやになる策ではないか」
「虫だったら、船を使っての作戦なんて思いつかねえよ」
「たとえばの話だ」
「つまらん仮定だ。虫と戦っているわけじゃあない。相手が虫だったら策が成り立たないなんてのは、喩えになっていない」
俺がそう言うと、ギョームは悩ましげに首を振った。
「さっぱりわからぬ。貴殿にはおれとは違うものが見えているのか? なぜそんなに平然としていられるのだ。なにか、よほどの確信でもあるのか」
「確信……?」
なんでそんな話になるのか、それこそさっぱりわからん。
「敵が止まる確信なんてあるわけねえだろ」
敵の指揮官の人となりを事細かに知ってるってならまだしも、会ったことも話したこともない指揮官の判断に確信なんぞ持てるはずがない。
「では、なぜ平然としている。衝突して、踏みにじられるのが怖くないのか」
「お前……生きるの死ぬので目が曇ってるんじゃねぇか」
「なに?」
「俺は最初から逃げると言ってる。結果的に逃げる過程で撤退戦を演じることになるかもしれないが、それは失敗の結果だし、最小限の被害になるように工夫すりゃいい話だ。最終的には避難民を壁にして逃げてもいいんだから、不安になる必要はない」
「まあ……それはそうだが」
「兵に犠牲が出るとしても、最初から勝ち目のない無意味な戦いでの損失と、負けないための工夫の結果としての損失では、意味合いがぜんぜん違うぞ。最初からなにもしないための言い訳にするな」
「……だが、敵が止まらなかったら、多少なりと兵に損失はでるぞ。それでいて民は守れない。そうしたら、貴殿はいい面の皮ではないか。そういう怖れはないのか」
「そんときは、俺が無能だったってだけだろう」
ぶっちゃけ、これで思いっきり叩かれて無能呼ばわりされても、どーでもいいしな。
落ち目国家で多少の名誉を得たり失ったりすることに、なんの意味があるのかとも思うし。
「お前ら、ずいぶん親しげに話してるが、そいつは誰だ?」
ドッラが口を挟んできた。
立ったまま、腕組みをしながら、不審人物を見る目でギョームを見ている。
「以前紹介した場にお前もいたんだが」
「隊の面子の顔は大抵覚えたはずなんだがな」
「いや……」
まあいいか。
恐らくドッラが言っているのは、シヤルタからの面子の話なんだが。
こいつも、あんときは姫様のお守り始めたばっかりで右往左往してたしな……。
「おれはギョーム・ズズだ。リフォルムより加わり小隊を一つ任せられておる」
ギョームが端的に自己紹介をした。
「ふうん、そうか。覚えておく。俺はドッラ・ゴドウィンだ」
ドッラは付け足すように自己紹介した。
「別に覚えてもらわなくてもよい」
「ユーリと掛け合いができる者はあまりいないからな。覚えておく」
ギョームの皮肉めいた返答には気づかなかったらしい。
覚えておいて損はないので覚えておく、ということだろうか。
自分から名乗っておいて、覚えられてはたまらないから忘れろ。という理屈はないので、ここはドッラの勝ちであろう。
「俺は誰とでも話はするぞ」
「お前、張り合いのない相手と話す時は、仮面を被って中身のない話をするからな。つまらないんだな、とすぐ分かる」
「……っ」
反論しようと思ったが口に出なかった。
確かに話しててもつまんないな、こいつ話が通じないな、と思った時は、モードを切り替える部分はある。
それにしても、ドッラにそれを見透かされていて、指摘されるというのは、ショックが大きい。
「せめて如才ないと言え」
「如才なくなるからな。すぐ分かる。如才なくなくない……ん、違うか」
ドッラは、口に手を当て、考え込むような仕草をした。
「あー……もういい」
言葉がこんがらがったらしい。
解きほぐすのも面倒だし、ぶんなげとけ、という感じであった。
その時、影が落ちて、体が受けていた陽光の温かみが一瞬消えた。
「来たな」
と、俺は上を見て言った。
雲や小鳥とは影の過ぎ方が違う。
「ここに降りてくるのか。危険ではないか」
「選り抜きの腕っこきだ。問題ねぇよ」
降りてきたのは、やはり偵察を任せていたミーラの鷲だった。
老熟した雌の鷲は、貴婦人を思わせる落ち着きを見せながら、狭い林冠部に取り乱しもせずに、するりと抜けてきた。
減速をし、申し分のない着地をすると、ミーラは帯を急いで取り外し、地面に降りた。
すぐさま、短い距離をこちらに駆けてくる。
「報告いたします! 敵は、動きを止め一部を分け、その一部は森の横断を始めました!」
「よしッ!」
俺は思わず膝を打った。
「ちゃんと太陽に隠れてきたか」
「御言いつけどおり」
「敵は、どれほど別れた」
「三分の一ほど……かと」
三分の一か。
三百人から四百人ほど……と考えても、こちらとぶつかるには十分な数だ。
向こうからすれば、包囲戦の一正面に過ぎないのだから。
散り散りになって逃げた場合に備えて、森の中にいくらか残すにしても、それだけいれば無理はない、と考えたのだろう。
「ギョーム、お前は情報を持って帰って、もうしばらくそこに居ろと伝えろ。よほど心配なら、こっそり敵陣を見に行ってもいい」
「了解した」
「あと、カカシの用意もしておけ、と言っておいてくれ」
「カカシ?」
リャオには話をしておいたはずだが、まだ用意をしていないらしい。
やはり、かなり疑っているみたいだな。
「リャオに言えば分かる。ドッラ、殿をするつもりがあるなら、一緒に行け」
「おう」
ドッラはそう言って、石突を地面に突いていた槍を翻し、ひらりと肩に担いだ。
いわゆる薙刀状の槍なのだが、先に付いているのは長刀のようなものではなく、鉈のように短く重ねの分厚い剣だった。
およそ美術的価値のなさそうな無骨な槍だが、親が持たせたということは、名のある刀工の作なのだろうか……。
ドッラは、腹が減っていたのか、俺のそばにあった干し肉とパンをひったくり、先に駆け出したギョームを追いかけるように駆けていった。