第124話 三百人
身なりをある程度整えて、城門の方へ杖を突いて行くと、途中で昨日の女が待っていた。
廊下に唐突に置かれたイスに座って、膝の上には綺麗に形の揃った書類があった。
「ユーリ様」
膝の上の荷物を、一度椅子の上に置くと、書類を持って立った。
椅子の上には、昨日見た玉璽が入った箱が置いてある。
一緒に持ってきたらしい。
「必要な書類です。ご確認ください」
「ありがとう」
束を受け取り、ささっと目を通した。
全部で七枚か。
軽く読んだところ、悪いところはない。
「ミャロ、不備がないか確認してくれ」
と、ミャロに紙の束をやった。
「はい」
ミャロは早速、書類に目を通し始めた。
「キャロルは、箱の中身を確認してくれ」
「わかった」
状況的にほぼありえないが、中身が鉛の塊にでもすり替わっていたら大変だ。
後世に、シャン人の至宝はユーリとかいう間抜けのせいで失われました、と語られるのは、嫌な気分だからな。
「大丈夫だ」
大丈夫だったらしい。
少し遅れて、ミャロが読み終わった。
「問題ないかと思います」
「そうか」
紙の束を受け取った。
「これをどうぞ」
すかさず差し出されて来たのは、筒だった。
書類を折らずに、丸めて収納できるもので、木の薄板を蒸したものを、筒状に曲げて作るやつだ。
卒業証書を入れるあれで、蓋になる部分がついている。
これは上等なもので、木の筒の上から更に蝋引きした羊皮紙が張ってあり、ちょっとした雨をはじくような加工がしてある。
「助かる」
七枚をくるくると丸めて、筒にいれて蓋をした。
「女王陛下ご夫婦は、お見送りには参りません」
そうか。
恐らく、娘の同行が露見する確率を少しでも減らしたいのだろう。
普段は、避難民の出発程度では、王自ら顔を見せて激励ということはしないのかも知れない。
「子煩悩なのだな」
「はい」
女は、困ったようにかすかに微笑んだ。
女王と王配……というより、王室を慕う気持ちが伝わってくるようだ。
夜衣といったか。
こっちの懐刀は、シヤルタの王剣とは大分趣が違うな。
といっても、俺が知ってる王剣というのは、ティレト、とか言ったか。あいつだけだ。
あいつが無愛想なだけかな。
「で、その”荷”はいつ届く」
「少し遅れることにはなりますが、出発までには責任をもってお渡しします」
「分かった」
別れを惜しんで泣いてでもいるのかな。
まあ、遅刻しないのであれば、構わないが。
「箱は、これにどうぞ」
女が厚ぼったい生地のショルダーバッグを差し出してきた。
恐らく、すっぽりと入るようになっているのだろう。
角に当たる部分には、厚さが一センチもありそうな分厚い当て布がしてある。
至れり尽くせりだな。
向こうからしても、途中で壊れたなどということは、あって欲しくないのだろう。
「助かる」
椅子に置いてあった玉璽の箱を手に取る。
異様な重さがあった。
片手で持って、もう片手で開いたショルダーバッグに入れようと思ったのだが、これは両手でないと持てない。
そりゃそうか。金印が入ってるんだもんな。
金というのは体積に比して異様な重さを持っている。
それに加えて翡翠だって軽くはないのだから、そりゃ重いだろう。
というか、なんで予備の印を金で作ったのか。
別に固い木で作ってもいいのに。というかそっちのほうが便利だろうに。
「どうぞ」
夜衣の人がショルダーバッグを開いて持っていてくれた。
俺は両手で箱をがっしりと持って、中に収める。
案の定、あつらえたようにピッタリと収まった。
ショルダーバッグを預かると、肩が痛いくらい重かった。
「それでは、”荷”を受け取るときに、また」
俺が言うと、
「はい。お気をつけて」
ぺこりと礼をして、夜衣は去っていった。
***
城門の横の勝手口から、城の外に出ると、もう起きて準備をしているはずの兵たちの姿がなかった。
もう起床時刻は過ぎているはずだ。
「さきほど、朝食の鐘が鳴ったのを聞きました。食堂に集まっているのでしょう」
俺の疑問を見透かしたように、ミャロが言った。
「そうか」
「馬はそこに繋いであります」
「あぁ、懐かしいな」
勝手口のすぐそばの馬留めに、ここまで乗ってきた馬が二頭と、カケドリが二羽、繋がれていた。
一羽は、ミャロのカケドリだ。
ホウ家の別邸にいた鳥なので、見覚えがある。
「ボクは馬に乗りましょうか」
ミャロはカケドリを見て、言った。
「あー……そうだな」
一瞬、キャロルを見る。
ミャロとは、未だになんだか気まずそうにしている。
負傷した一人がカケドリを置いて帰ってくれたお陰で、二羽余っている。
ここは、俺とキャロルが乗るべきだろう。
カケドリは、跨るときにしゃがませることができるし、それ以前に、ミャロが俺たち二人を差し置いてカケドリに跨っているという絵面は、問題を生じかねない。
「そうしてもらってもいいか? 馬は乗れるよな」
「あまり上手ではありませんが」
「向こう側の調教だから、少し勝手が違うが、すぐ慣れるだろう」
「分かりました」
俺がミャロのカケドリに近づくと、俺の顔を覚えていてくれたようで、膝をすっと折り、乗りやすい形になってくれた。
手杖を脇に抱えて、カケドリに跨る。
「よし、行こう」
そこで気づいた。
馬を一頭置いていくことになってしまう。
俺が手綱を持って引けばいいか。
***
市街へ出ると、通達があって準備しているらしく、大通りは俺たちが連れて帰る予定の避難民でいっぱいになっていた。
男と、あとはやっぱり女子どもが多い。
自力で歩けないのは、体重の軽い幼児くらいしかいないように見える。
老人は付いて行かせないと言ってたよな。
いつ頃、どういう通達があったのかは知らないが、さぞや揉めたことだろう。
「収拾がついてねえな」
「そのようですね」
一応、カケドリが歩くためのスペースは一直線に空けてあるのだが、それでも進めるのが怖かった。
突然、子どもが飛び出してきたら踏んでしまうかもしれない。
そのうちに、戸口の開いた屯所のようなところに、兵が固まって所在なさ気にしているのが見えた。
あれが、預けられる三百人の兵とやらか。
近づいて、何をしているのか見てみると、こちらもまるで統率が効いていなかった。
さすがに、地べたに寝転がって横になってるのはいないが、座ってるのと立っているのでバラけている。
一応は全員騎士院に居たはずなので、これは最初から指揮がされていない証拠だ。
誰かに立っていろと命令されていれば、こいつらは立っている。それくらいの教育は受けているはずだ。
そうしていないということは、元の部隊から抜かれて「ここにいけ」と言われただけで、それ以降誰からもなんの命令も受けていないのだろう。
「一応の指揮官役に収まっている奴はいるのか」
「いないようです」
やはり居ないらしい。
そのへんは、俺に無断で指名すると、混乱のもとになると考えたのかも知れない。
そこら辺は、割りと重要な問題なので、向こうの不手際とは言えない。
それでも、こういう場合は仕切りたがりが現れて仕切ったりするもんだと思うが、王配が言っていた通り、仕切れるようなポジションにいた高位の連中は軒並み加わっていない状況なのだろう。
「ふぅ~……面倒だな」
これを収拾するというのは、中々骨が折れそうだ。
「隊の奴らは、こっちに来てるか」
「カケドリの隊は、今頃は市門のあたりに到着しているはずです。こちらの荷物の警備もあるので、鷲のほうの兵は陣払いした拠点に残していますが」
「そうか……わかった。兎にも角にも、避難民共を歩き始めさせよう」
俺は周辺を見渡した。
「そのためには、これじゃあどうにもならん」
避難民の連中は、皆が揃って大荷物を抱えている。
小さな引き車くらいならまだしも、中には路上に持ちだしたタンスを運ぼうとしている奴までいる。
シヤルタまでタンスを引きずっていくとか、もう戦時とか平時とか関係なく無理だと思うんだが……。
まずは、なんとかして、大荷物を手放させるのが先決だ。
それをしないと、移動を始めることすらできない。
「とりあえず、三百人を隊と合流させよう」
***
「おい」
俺は、三百人が中に居たり外に居たりする屯所の入り口に立つと、誰ともなく声をかけた。
「ハッ!」
真面目に立ったままでいた奴が、敬礼をしながら返事をする。
ずっと立っていただけあって、真面目なのだろう。
この状況だったら、俺は座っている側の人間だろうな。
「話をどれくらい聞いているか分からないが、俺がお前の上官になるユーリ・ホウだ。さっそく、命令を出したいんだが」
「ハッ! どうぞ!」
「こいつらの中で、お前が一番優秀と思うやつを連れて来い」
俺がそう言うと、男はぽかんと口を開けた。
だが、すぐにその異常な命令を受け入れ、考える素振りを始めた。
それはこの俺です。と言い出したらどうしよう。
それはそれで面白いか。
「失礼ながら、頭のいいやつと、腕が立つやつと、二人心当たりがあります!!」
そうなのか。
まあ……ぶっちゃけどっちでもいいんだけどな。
本当は、人望があるやつ、と言いたいんだが、それだと将家のしがらみがあるからマトモな返事はこないかな、と思ってのことだし。
「腕が立つほうは、それなりの頭か?」
「いいえ、馬鹿です!」
馬鹿なのか……。
馬鹿にも色々種類があるから、人に好かれる類の馬鹿なら使いでがあるんだけどな。
「頭のいいやつを呼んできてくれ」
これがベターだろう。
***
連れられてきたのは、なんともむっつりとした男だった。
ボサボサの黒髪は寝起きのまま酷い寝癖がついていて、ジトッとした目でこちらを見ている。
体は中肉中背だが、あんまり鍛えているほうではないな。
少し太り気味に見える。
「連れて参りました!」
「………」
普通は、こういう場合自分から姓名を名乗るものなんだがな。
これは常識なので、キルヒナの騎士院だから違う、ということはない。
「どうした。なぜ名を名乗らん」
「こいつの名は、ギョーム・ズズであります!」
横から口がでてきた。
「お前には聞いていない。自分で名乗れ」
うーん。
なんだか、俺のほうを値踏みするように見ているのが、気になるな。
三百人の連中も、だいたい何が起こっているのか察しているらしく、こちらに耳目が集まり始めている。
「名乗るほどの者かどうか見極めておるのだ」
ほほーう。
「なっ……! 無礼なッ」
そう言ったのは後ろで馬にまたがっているキャロルだった。
まあ、こいつはこういうのに慣れてないからな。
俺は会社関係でこういうのに慣れてるから、なんとも思わんが。
カフもそうだったが、こういうのの中にも面白いのはいるんだよな。
これで無能だったら、単なるゴミだが。
「おい、槍を貸せ」
と、俺はさっきの男に言った。
「あっ、あのっ……こいつは無礼な男ですが……」
「黙れ。貸せ」
俺が高圧的にそう言うと、槍の柄が差し出されてきた。
ギョームというらしい男は、微動だにせず立っている。
ぐっ、ぐっと左足で鐙を踏んでみる。
傷の具合は、大丈夫そうだ。
あんまりミスると、殺しちまうからな。
死んじまっても、無礼討ちってことで収まるから、構わないっちゃ構わないんだけど。
目を細めて、距離を測った。
柄を、ちょうどいい長さに握りこんで、槍を肩に担いだ。
「フッ――!」
大きく弧を描いた穂先が、ピュンッ、とギョームの額をなでた。
額にかかっていたボサボサの髪が、ふわっと踊る。
髪に触れたのに、切れなかった。
スパっと髪が切れる感じだったのにな。
なんとなく気になって、穂先を手繰り寄せて見てみると、刃には荒い研ぎ目が出ていた。
良い砥石で丁寧に研がれた刃は、研ぎ目が消え、濡れているように見える。
戦争中じゃ、万全の状態にならないのも、仕方ないのか。
せめて槍の手入れくらいはして欲しいもんなんだけどな。
まあいい。
「貴様、自らを才有りと称するなら、隊を取りまとめて市門まで連れて来い。命令を聞くのが嫌なら、隊から消えるがいい」
目の前を刃が通りすぎても目も瞑らなかったところを見ると、度胸はあるのだろう。
驕りがすぎるのか、世に拗ねているのか知らんが、そのあたりは大した問題でもない。
まあ、出来なかったら出来なかったで……。
というか、みんな見てるし、よっぽどの間抜けでもなければ各々自分で来るだろ。
「槍を返すぞ。礼を言う」