第118話 再会
俺は、たいそう具合のいいソファに座って、外科医に足を見せていた。
「傷が若干腫れてはいますが……これは無理をして動かしたせいでしょうな。化膿で腫れているわけではなさそうです」
「そうか。これを塗ったのが良かったのかな」
と、俺は持ってきていた軟膏を医者に見せた。
「おお、これは……ユルミ家の軟膏ですな。本来は擦り傷などに塗る薬ですが、縫った傷に塗るのも悪くはない。良い処置をしましたな」
「たまたま見つけたのは、運が良かったらしい」
「そのようですな。ただ、糸は……少し引き攣れているようだ。縫い直したほうがよいかもしれませんな」
「そうか?」
なんだかんだいって痛いので抵抗があるんだが。
麻酔とかないし。
「縫いがきつすぎるので、これでは治りが遅くなりますな」
「そうなのか」
縫いがきつかったからこそ、今まで無茶を繰り返しても傷が開かなかったのかもしれないが。
今となってはきつすぎる、という感じなのかもしれない。
「傷はくっついておりますから、もう抜糸してしまっても構わないのですが……それは、数日ベッドの上で安静にしていられるのであれば、の話です。そうも行かぬのでしょうから」
それは無理だろうな。
傷はおおかたくっついているが、縫っておかないと無茶をしたとき開く可能性があるので、負担にならない程度に縫っておく、みたいな話のようだ。
「では、頼む」
「承知しました」
***
「終わりました」
鋏でちょきんと余分な糸を切ると、医者はそう言って仕事を終えた。
「糸は、動物の腸でできたものを使いました。塗り薬は、その軟膏が肌に合うようですから、それを使い続けるのが一番かと」
「そうか。助かった」
「それでは、失礼いたします」
「ああ」
医者は椅子を立った。
「どうかご無事にお帰りください。ご健勝をお祈りしております」
「……うん、そうだな。精一杯……頑張るとしよう」
そちらもご無事で、とは言えなかった。
老年に差し掛かったこの医者は、恐らくは生きてリフォルムから出ることはない。
城を枕にして、死ぬ。
そんな人間に、無事を祈られ、どのような言葉を返せばいいのだろう。
「ふふ、シヤルタの方々が羨ましいですな」
医者は、ぺこりとこちらに一礼をし、客間を出て行った。
「いいお爺さんだ」
先に治療が終わり、椅子に座っていたキャロルが、ぽつりと言った。
他人の目を気にしてピンと張っていた背中をほぐし、今は脱力して背もたれに体重を預けている。
なんだか落ち込んでいるらしい。
城に来てダウナーな気分になったか。
わからんでもない。
城は全体的に空気が暗く、殺伐としている。
俺も、早く出て行きたいところだった。
「なぜ、戦争になるんだろうなぁ……」
なんか変なことを言い出した。
「また、子どもみたいなことを言い出したな」
「考えていたんだよ……シヤルタだって、ホウ家領の南あたりが一番豊かだ。リャオのところの山の背側など、峡谷が風光明媚というだけで、人など殆ど住んでいないじゃないか」
ルベ家領地の山の背側は、針葉樹林と凍った大地の土地で、人は本当にまばらにしか住んでいない。
殆どが、フィヨルドの最奥に構えた漁村で、夏に保存食を作り、冬にそれを消費する、細々とした生活を送っている。
「クラ人の国というのは、みんなそれより更に南にあるんだろう……。全部がそうとは思わないが、殆どの国はシヤルタやキルヒナより豊かな国土を持っているのじゃないのか? 国土の全てが、ホウ領のように豊かで……十分すぎるほど、恵まれているじゃないか」
実際のところ、殆ど、ではなくて全ての国がそうだろうな。
悲しいことに。
アルビオ共和国あたりは……いや、やっぱり無理だろうな。
悲しいことに。
「持たざる者が持てる者から奪うのは理解できるが、逆は理解できない、ってな話か?」
「そういうことになるかな……」
「自分で作るより奪ったほうが楽に得られる、というのは一般的な事実だしな。それを国の中でやったら警吏に罰せられるが、国を罰する警吏はいない」
国を罰する警吏という存在は、何度も制度として考えられ、また自称されたりもしたが、成功した試しがない。
国際社会は、いつの時代も、どこの世界でも、無秩序なままだ。
まあ、キルヒナが本当に、完全なる不毛な大地で、シャン人にも奴隷としての価値がない、というのなら別なのだろうが、現実には十分に旨味があるから侵略してきているんだろう。
「それで、おまえは納得できるのか?」
「納得できるけどな。弱いから奪われているだけだ。鷲が鼠を食うのと同じで」
「私たちは、弱い鼠だから、食べられても仕方がない?」
「そうだな。できるのは、死ぬ間際に文句を言うことくらいだろう」
「それは、なんの意味もない」
「残念ながらな」
「そうなのか……そういうものかも知れない」
「その代わり……奪われる側になっても、文句は言わせないがな」
「………」
返事がなかった。
「……ん? どうした?」
違和感に気づいてキャロルのほうを見てみると、こちらを見て、強張った顔をしていた。
「いや……今の……少し背筋が凍る思いがした」
「なにがだよ」
「いいんだ。私たちに向けられることはないんだし」
よく判らんが、会話に区切りがついてしまったな。
何気なしに時計を見ると、今は午後八時だった。
食事は済ませてしまったし、あと四時間……なにをしようか。
いっそ、寝ちまうという手もある。
その時、急に廊下でドタドタと走る音がし、ドアの前で止まったかと思うと、ガチャ、とノックもなしにドアが開いた。
勢い良く開けられたドアのノブは、小柄な女の子が握っていた。
ミャロに似ている。
つーか、ミャロだ。
懐かしい。
懐かしさで胸がいっぱいになる。
俺を見つけると、強張った顔がほどけるように崩れた。
「ユーリくん……っ」
「ミャロ……戻ったぞ」
俺は、椅子から立ち上がってミャロを迎えた。
一目散に駆け寄ってきたミャロが、俺に抱きつく。
勢いがあったので、そのまま後ろに倒れ、フカフカのソファに座る格好になってしまった。
ミャロはなおも離さず、俺の胸に顔を押し付けている。
「……私は、少し出ている」
キャロルは、席を立ち、新しく貰ったばかりの松葉杖をついて、開けっ放しのドアから部屋を出た。
パタン、とドアが閉まった。
「ユーリくんユーリくんユーリくん……」
ミャロは、くぐもった声で俺の名前を呼びつづけた。
俺は、そっとミャロの頭をなでた。
「よくやってくれたな。ミャロ」
「うあぁ……ボク、不安で……死んでしまったかと思って……ぐすっ」
「ああ。だが、こうして無事に戻った」
足以外はな。
「良かったぁ……本当に……」
「うんうん」
良かった良かった。
頑張って生きて戻ってきた甲斐があった。
俺は、そのまましばらく、抱きつかれたままミャロの頭をなでていた。
服の腹に涙が染みてきて、肌に触れ、濡れた感触があった。
心配させてしまったな。
「そろそろ落ち着いたか?」
「あ、はい……」
「そうか」
「あの……」
ミャロは、腹に抱きついたまま、上目遣いに俺を見た。
「夢では……ありませんよね?」
俺は、ミャロの頬をつねった。
「なにふるんふぇふふぁ」
「痛いか?」
「いらいれす」
「頬をつねって痛いようなら、夢じゃないらしいぞ」
ミャロの頬を離した。
「そうですか……あっ、し、失礼しました」
なにやら正気に戻った様子で、ミャロは俺の胴から離れた。
「四回ほど……ユーリくんが戻ってくる夢を見てしまって、起きた後、とてもがっかりしたものですから……」
四回か。
多いな。
俺でも三回だったのに。
「そうか……そういえば、ニッカで手紙を読んだ」
「あっ……えっ、読んだんですか?」
「ああ。随分と助かったぞ。あれのお陰で作戦を立てて、馬を奪えた」
「そうですか……それはよかったです。それで、あの……二階の手紙のほうは……?」
二階の手紙?
なんのこっちゃ。
そんなのもあったのか?
「角笛んとこに置いてあったギュダンヴィエルの家紋のやつか?」
「あぁ~、えっと、違います……」
違うらしい。
あれは、後で調べたが家紋の文様以外は何も書いていなかったから、手紙とは言わないよな。
「すまん、気付かなかった」
「いいんですいいんです! ぜんぜん大したことは書いていませんでしたから……」
「地下に置いてあった火薬で敵ごと家を吹き飛ばしたから、今頃は瓦礫の下だな」
「あっ……そうなんですか。安心しました」
そうはいいつつ、ミャロはなんだか残念そうなように見えた。
どういった手紙だったのだろう。
「心配をかけて、すまなかったな」
「いえ、こうして帰ってきていただけただけで、十分です」
「そうか。ニッカ村を引き払ったのはいい判断だった。よく留守を守ってくれた」
「いえ……、リャオさんが居なかったら、ボクだけでは、まとめることは出来なかったと思います」
「お前が居たから、やつも冷静な判断をできたんだろうさ」
ミャロには隊員に対する求心力はない。
ミャロ単体であったら、隊員に侮られ、まともな指揮はできなかったであろう。というのは、残念ながら事実であろう。
その点、リャオは生まれも身分も、性格も騎士たちに慕われるに相応しい。
かといって、ミャロが無能で、リャオが有能、ということにはならない。
「じゃあ、そろそろ隊の話を聞かせてもらっていいか」
「あっ、はい……取り乱してしまって、失礼しました」
「大丈夫だ。俺も、最初から機械みたいな反応だったら寂しかったよ」
ミャロに抱きつかれた時、なんとも言えない暖かな気持ちになった。
自分の居た場所に戻ってきたのだ、と。