第3話
エリックは半日文句も言わず手伝った。
その結果―――
農民ってすごい!
と新たな認識を手に入れた。
「あんなちっちぇえものを延々延々摘み取る作業がずっと続くなんて耐えられないっ」
作業の単調さと細かさにうんざりしてしまった。
ようやく解放された今、近くの木陰にぐったりと座り込んでいる。
そんな様子を見て、リュシールがくすくすと笑いながら、エリックの近くに座った。
「大変でしょう?」
リュシールはそう言って、被っていた農作業用の帽子を脱ぎ、指先が黒く汚れた手袋を脱ぎ捨てた。
輝くような金髪と、真っ白な手が現れ、エリックは思わず目をそらしてしまった。
やましいことがあるわけではないのに、何故か直視できなかった。
そらした目を自分の手に向ける。見慣れた浅黒い手が、シュフルの草の汁のせいで爪先まで真っ黒くなっていた。
「ここは最終だから、まだ楽な方よ。花が一斉に咲くわけじゃないから、種取りは3回に分けるんだけど、最初の1回目はさらに大変。白い花の中から種になった物だけを選らないといけないんだから」
その言葉を聞いて、エリックはげっそりとした様子を隠すことなく「無理だ」とつぶやいた。
「けど、今年は出来がいいから、大変でも嬉しい。去年はちょうどこの時期に嵐がきて、3分の1ほどダメになってしまったから」
自然相手には勝てない、とどこか大人びいた表情でつぶやく。
身長がエリックよりずっと低くても、リュシールの方がよっぽどしっかりしていた。
兄弟たちからの過度な干渉にうんざりして、国を飛びだしたエリック。ただなんとなく、あっちへふらふらこっちへふらふらと旅を続けていた、国から渡される資金で。
改めて自分のダメさを思い知らされたエリックが、静かに落ち込むその横で、リュシールは大きく伸びを一つしたかと思うとゴロリと無防備に寝転んだ。
捲れ上がったスカートの裾から、隠れていた白い足までチラリと覗く。
「おいっ」
「何?」
「そんなところで寝転ぶなよ」
「いいじゃない。気持ちいい天気だし、いい風だし。それに昨日は夜遅くまで起きてたから眠い。今日も午後から勉強だし…」
「農作業じゃないのか?」
「うん。今日は午前中だけ手伝いで、午後は勉強とかいろいろ。やることがいっぱいで嫌になっちゃう」
ゴロゴロと駄々をこねるかのように寝がえりを繰り返す。
さっきとは打って変わって、子供っぽいしぐさに、エリックも思わず笑ってしまった。
「そんなお転婆で、年頃になったときもらい手に苦労するぞ」
特に意識して言ったわけじゃない、何気ない一言だった。
「もらい手ならもう決まってるからいい」
「は?」
「もう婚約者がいるから」
その返事に、エリックは何故か息が詰まった。
同時に、ようやくリュシールがただの農家の子供ではないことに気がついた。
手入れの行き届いた、艶のある髪と白い手。そして幼いうちから決められた婚約者。
「いいのか?」
思わずそう聞いてしまったのは、婚約者がいると告げたリュシールの横顔がどこか諦めが感じられたからだ。
地面に寝転んだままのリュシールが視線を上げた。エリックの真剣な目を見つめ返すそれには、わずかだが悲しげな色があり、本来の綺麗な青色を曇らせていた。
「嫌なら俺が連れて逃げてやろうか?」
半分本気で、半分冗談だった。
デガルト帝国の王子というエリックの立場を使えば、ある程度の無理はきく。そうしてもいい、と半ば本気で思っていた。
しかし、リュシールはその言葉を聞いた瞬間、見開かれたその目が怒りに染まった。勢いよく立ちあがったリュシールのもつれた髪に、草がからまっているが、そんなこともかまわずにエリックを睨み下ろした。
「例え冗談であってもそんなことを言わないで!」
「おい…」
「私の結婚は私だけの物じゃない! 私を大事にしてくれている、たくさんの人のための物よ。私は『義務』を放棄したりしない!!」
いい女だ。
怒りに輝く青い目に魅入られながら、子供にするべきではない称賛が思わず浮かんだ。
これが欲しい、この瞳をずっとそばに置きたい。
生まれて初めてとも言える猛烈な渇望に戸惑っていると、リュシールは無言なエリックに見切りをつけて、パッと身をひるがえして駆けて行ってしまった。
「あ、待てっ」
咄嗟にそう呼びとめたが、リュシールの姿は茂みの奥へと消えてしまった。
追いかけようにも、ここはリュシールの庭のようなもの。見つけ出すのは困難だろうと諦めざるをえなかった。
「絶対に手に入れる」
あれが欲しい。それを原動力にエリックはずっと先延ばしにしていた帰国を急ぐのだった。