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8章:かもしれないな。思い出せないが。

 あれから数日、オレの体調もすっかり良くなり歩き回れるほどになった。怪我をしていた右肩と脇腹も傷口がだいぶ塞がり、無理をしなければ違和感が無いくらいになった。言えばほぼ完治したということだ。

 ただ一つを除けば……。


「――記憶喪失?オレが?」


 町の病院の診察室でオレは助けてくれた女性――奏歌に付き添ってもらって医者の診断を受けていた。


「原因は分かりませんが、きっと脳に強い衝撃を受けた可能性がありますね。まあ、心配することはありません。MRIの診断結果を見ても脳に損傷はありませんし、麻痺や言語障害などの後遺症もないですから」


 医者はいくつかある診断書をまとめながらオレにそう告げた。


「しっかり食べて、睡眠をとれば次第に治りますよ」


「そうですか、よかったね郁斗」


 奏歌は自然な笑顔でオレに向く。


「ただ、いくつか気がかりなことがあって、郁斗さんの親族や職場などに心配をかけていると思いますよ。それに現状ではあなたの身分を証明するものが何もないので……郁斗という名前も本当かどうかわかりません」


 心配そうな面持ちで医者は腕を組む。確かにそうだろうな。何か一つでもはっきりとオレにつながる物があればいいんだが。


「とにかく今は前向きに早く記憶が回復することを願いましょう、ね?」


「そうだな、では今日はこれでありがとうございました」


 医者に礼を言い、奏歌がオレを連れて行こうとすると医者が呼び止めた。


「ところで身体の方は大丈夫なのかい?怪我とかないんですか?」


 この質問にはNOとしか答えられない。なぜならオレの身体には銃創が二ヶ所もあるからだ。これを見せたら厄介事になるのは目に見えている。


「ああ、大丈夫です。では失礼します」


 冷静に切り抜けて診察室を後にする。


 病院内のロビーにあった長椅子に腰掛けてオレは大きなため息をついた。一体これからどうなるんだろうか?考えただけで頭痛がする。


「元気出してよ郁斗。きっと良くなるって」


 もう一度ため息をついたタイミングで奏歌に声をかけられ、目の前に缶ジュースを差し出された。プルタブを力なく開けて中身を一口飲むとチョコバナナの甘さが口の中に広がった。


「そうか……そうだな。ジュースありがとうな」


「ううん。さあ帰って少し休まないと」


 奏歌に促されてオレは病院を後にした。



 奏歌の自宅に戻るとオレはベッドに寝かしつけられた。別に具合が悪かったわけではないが脳と身体を休ませることによって、記憶が戻ることがあると医者が言っていたからだ。


「じゃあ、具合が悪くなったらすぐ呼んでね」


 奏歌はキッチンで夕食の準備をするらしい。それにしてもこの奏歌という娘、オレを助けて看病してくれたこと、病院の段取り、手際の良さなど、よくできた娘である。おまけに明るくて心優しくて親切だ。気のせいか彼女の笑顔を見ていると記憶喪失の不安も忘れそうになる。

 オレはベッドの中で彼女の背中がキッチンの扉に消えていったのを確認して、静かに目を閉じた。


                 ☆☆☆


「さあ、遠慮しないでいっぱい食べてね!飲みたかったらお酒もあるからね!」


 奏歌は張り切ってオレの前に料理を並べた。牛肉とアスパラの炒め物にマグロとサーモンの刺身、小エビとチーズのサラダにフルーツヨーグルト。そしてビールとカクテル。


「……」


「あれ?……もしかして嫌いなものある?」


 奏歌はきょとんとした顔で絶句しているオレの顔を覗き込んだ。


「いや、何というか、こういう料理を最近どこかで食べたことがある気がした」


「居酒屋じゃない?」


「かもしれないな。思い出せないが」


 牛肉とアスパラを箸でつまんで口にする。肉のジューシーな食感とアスパラの香ばしさが口内に広がる。素直に美味だ。しかし残念なことに記憶の断片は沈黙のまま何も思い出すことはなかった。


「何か思い出した?」


 奏歌は両拳を握りしめて身を乗り出しオレに迫る。


「いや……だめだ」


「そっか、悔しいなぁ」


 彼女は力なく座り直した。あまりに残念そうな表情をするものだから、オレは話をそらすことにする。


「でも、その、あれだ。キミは料理が上手いんだな。きっと料理が好きで得意なんだろう?」


「ううん、好きも得意も何も私料理人だからね」


 ピッと伸ばした2指と3指をくっつけて包丁で切る仕草を見せる奏歌。


「私をお嫁さんにしたら毎日美味しい料理が食べれるよ!」


 そう言って得意げに胸を張る彼女は、くっつけた指を離してVサインにしている。


「そうだな……考えておくよ」


「な!?や、やだなぁ郁斗ったら!私そんなつもりで言ったわけじゃないのに」


 オレが何気にそう言った途端に彼女は両手を振って赤面しながら否定した。動揺しているのか、つまんだサーモンの刺身がフルーツヨーグルトに溺れていることについてはあえて触れないでおく。


「で、明日はどうするんだ?どこか出かけるのか?」


 シャクシャクとサラダを混ぜながら彼女に聞いてみる。


「そうね、まずは一度郁斗が倒れていた河岸にいってみよう。もしかしたら記憶を戻す手掛かりがあるかもしれないから」


「なるほどな」


「それから、夕方からは居酒屋で仕事なの。よかったら来てみる?というか、ぜひ来てほしいの!」


「え?でも、いいのか?オレは一銭もないぞ?」


「そうそう、それそれ!一銭もないから来るのよ!皿くらいは洗えるでしょ?」


 どうやら奏歌はオレに働かせる魂胆らしい。でも少し考えたら、記憶が戻らない間は仕事のひとつでもしていた方がいいかもしれないな。まあ、一銭もないのはよろしくないしな。


「わかった。何が出来るかわからないが、行くよ。皿洗いの見返りにまた美味しい料理でもお願いするよ」


「お安いご用よ!やっば、郁斗が来るなんて言うから緊張してきた!」


 いや、キミが言いだしたんだろう?今度はフルーツヨーグルトにマグロが浸かってるぞ?刺身は醤油をつけて食べるものだからな。

 だけど何だ、気のせいじゃない。やはりこの娘と一緒にいて楽しそうに笑いながら話をしているのを見ると、不思議と気持ちが安らぐ。無意識に笑みがこぼれてしまう。記憶を失ってここ数日笑うような気力がなかったものだから、少し笑っただけで今後の不安を忘れてしまう感覚がした。オレはビールを喉に通しながらそれを感じていた。

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