8章:違います!これは自分の意思です!僕の気持ちです!
「ここは?もしかして?」
僕は帆乃風さんのナビで、とある工場に辿り着きました。工場の名前は、
「滝川モータース。私の勤務している整備工場よ」
「こんな時間に入っちゃって大丈夫なんですか?」
時計は23時を終えて日付が変わろうとしています。いくら帆乃風さんが従業員だからって、時間的に入るのはマズいんじゃないかな?
「心配いらないわ、工場長はいつでも好きに入っていいって言ってるから」
「そうなんですか」
「一旦ここで落ち着いて、これからの事を考えるわ」
「はい。事情も聞かせて下さいね?」
「わ、わかってるわ……」
そう言って帆乃風さんは事務所のセキュリティを解除して中に入りました。
☆☆☆
「そうね……どこから話せばいいかな?」
「長くなっても構いませんよ。僕は全部話して貰いたいくらいですから」
「ゴメンね……ナオ君もしかして怒ってるの?」
目を逸らしてまともに顔を合わせずに帆乃風さんは僕に問います。
「お、怒ってなんかないです!僕は只、帆乃風さんが全部話してスッキリしてくれればいいと思っているだけですから」
そうだ、別に僕が話を聞いた所で何が出来るか分からないです。でも、はっきり分かっているのは、今、この瞬間も帆乃風さんは苦しんでいるということです。だから、その苦しみを僕が少しでも消してあげたいという気持ちは誰にも負けません。だって、帆乃風さんは僕達の仲間ですから。そして、僕は帆乃風さんが……。
「ナオ君……」
そして帆乃風さんはソファーに腰掛けて静かに口を開き始めます。
「始まりは8年前、私が中学2年の頃よ。当時私の父が酒に溺れて母に暴力を振るっていて、私は学校ではいじめられっ子だったの。やがて父と母が別居することになって、私は母と二人で暮らす事になったわ」
帆乃風さんテーブルにあった雑誌を整理しながら続けました。
「その後も私は変わらずいじめられてたし、家は貧しくなるし、やがて母も病気で入院してしまって……。それでも私は頑張って母を支えたんだけど、中学を卒業するころ癌で母が亡くなって……」
あまりにも辛い話に僕はまともに話を聞けなくなりそうになる。一度深く息を吸って心身を落ち着かせた。
「私は生きていく希望を失ったわ。何もかもが嫌になってしまって、ついに自決するに至ったわ。それが中学卒業後の3月のこと」
締まるような僕の胸とは裏腹に、淡々と語る帆乃風さんは吐き捨てるような口調で続けます。
「波止場で石を抱いて海に沈もうとしたわ。誰にも見つからずに静かに消えたかったから……。私は躊躇わずに飛び込んだわ」
「なんてことを……」
「死んだと思ったわ。でも目が覚めたらベッドの上だったの。私は見知らぬ男に助けられていたわ」
ショッキングな話を彼女は淡々とさらに続けます。
「私はその男を呪ったわ。なんで助けたのか?なんで死なせてくれなかったのか?そしたらその男は私にこう言ったわ。“いや、お前は間違いなく死んだ。自分が死んだ事に気付いてないのか?”と」
「それは一体?」
「その男はバンドをやっていて、死神をモチーフにした内容だったの。私はそれに魅せられてバンドをやる決心をしたわ。それがラ・モールよ。その男はギタリストで名前はコウ」
「帆乃風さんが昔やっていたバンドですね」
「そうよ。最初は楽しかったわ。何よりも、そのバンドが私の居場所だと信じていたわ。いじめられて孤独だった私が輝ける、そんなバンドだったの」
「だった?」
「そうよ、その後私は驚愕の事実に対面したわ」
「それは?」
「ラ・モールの表向きは、妖しくてスリリングでコアなバンド活動をしているけど、裏側では闇ルートでドラッグの売買をしている、その名のとおり死のバンド活動をしているの」
「そんな…まさか…?」
「事実だったのよ。それを知った私は即座に脱退したわ。私達の音楽がそんなことに荷担していたことがショックだった…。周りが薬で汚染されていくのが何よりも許せなかったの」
感情が高まったのか帆乃風さんは小刻みに身体を震わせました。
「そりゃあ当然ですよ!そんなこと止めて当たり前じゃないですか!」
聞いていた僕はつい苛立たしく声を上げてしまいます。
「その後、バンドを辞めた私は結局独りになったわ。もう誰も信じられなくなって誰とも演らないって決めていたの。…そんな時にそこに現れたのが郁斗さんと鋭士さんと咲姫だったの」
帆乃風さんはシャッターの降りた事務所の入口に手のひらを指しました。
「彼等は私にバンドの、…音楽の本当の楽しさを教えてくれたわ。私は凄く嬉しかった。もちろんナオ君、あなたもよ」
「そんな、僕はただ……」
そこまで言いかけて僕は、伏し目がちになった帆乃風さんに気が付き言葉に詰まりました。
「でも、こうなる事は分かっていたの。私がラ・モールのメンバーであった以上、この現実からは逃げられない。彼等はもう一度私に死神の役を演らせようとしているの。邪魔する者は容赦しない、彼等は絶対に途中で諦めたりしないわ。絶対に。私の選択肢は二つに一つ、ラ・モールのベーシストとして生きるか、SHINEのベーシストとして死ぬか……それだけよ」
そこまで言うと帆乃風さんはふいっとそっぽを向いてしまいました。
そうか、そうだったんだ。帆乃風さんはずっとたった独りで苦しみ抜いて闘っていたんだ。助けなきゃ!でも、どうしたらいいんだろう?僕に何が出来る?一体何が?
しかし、答えが出ないうちに勝手に口が動いてしまいました。
「僕も……」
「?」
「僕も、帆乃風さんに伝えないといけないことがあるんです」
帆乃風さんは首をかしげてこっちを向きます。
「この前帆乃風さんの気持ちに応えれなくて、ゴメンっ!……なさい」
「な!?そ、そんなこと、もういいのよ!?もう済んだことだし……」
「違うんです!続きがあるんです!」
「続き?」
「そうです。僕はあの後咲姫さんに告白して振られました」
「ええっ!?」
帆乃風さんは驚いて目を丸く見開いて、声を返しました。
「咲姫さんに言われて気が付いたんです。帆乃風さんがどれだけその想いを大事に温めてきたのかを。それなのに僕は……。だから謝ります」
「そう……、咲姫にそう言えって言われたのね。」
そう呟いた帆乃風さんの眼はふて腐れた様な、諦めた様な色を放ちました。
しかし、それに負けないくらいの屈託のない視線を僕は彼女に向けて放ちます。
「違います!これは自分の意思です!僕の気持ちです!」
「やめてっ!!そんなこと言わないでっ!!全部私が悪かったのよ!戯言だったのよ!所詮私には人を好きになる資格なんてなかったのよ!死神は死神らしく腐っていけばいいのよっ!!」
「死なせはしませんっ!」
「っ!?」
「僕があなたを守りますっ!」
「僕はあなたが―――帆乃風さんが大好きですからッ!!」
「ッ!?」
眼を丸く見開いて驚愕する帆乃風さんを見てはっと我にかえった僕は、強烈な自己嫌悪に陥りました。何てことを言ってしまったんだろうと悔やんで物に当たり散らしてしまう。そこにあった柱に拳を叩き込んみました。何度も何度も。拳が血で滲み始めズキリと痛みが伝わってきました。
「くっ……言うべきじゃなかったです」
僕はもはや混乱していました。訳が分からなかったんだと思います。
どれだけ拳を柱に叩き付けたんだろうか?血がベットリとこびりついて拳の感覚がほとんど無くなりかけたその時でした。
突如僕は左腕を掴まれて動きを封じられました。それと同時にフワリといい香りがしたかと思うと、柔らかな身体と唇が押し付けられて---。
「っ!?」
見ると頬を桜色に染めた上目づかいの帆乃風さんがそこにいました。涙で瞳を潤ませて。
「帆乃風さん……」
彼女は何も言いませんでした。
そしてもう一度、唇が無防備な僕に押し付けられました。いえ、それよりも先に僕の方から彼女を抱きよせ唇を触れ合わせました。鼓動が急加速して破裂するんじゃないかと思いました。もはや拳の痛みなんかまるで忘れてしまったようです。それから二人の身体は一度離れ、再び同時に抱き寄せ合いました。
☆☆☆
「ちょっと待っててね。今救急箱取ってくるから」
帆乃風さんは血の滲んだ僕の手を一旦離すと、休憩室から出ていきました。
部屋には僕一人が残されています。懐からケータイを取り出して他の三人に連絡を取ってみたが、残念ながら未だに繋りません。
「どうしよう、皆まさか……」
さすがに不安と焦りが脳内によぎります。
「繋らないのね」
救急箱を手に帆乃風さんが戻ってきました。
「はい…。でも心配ないですよ!みんなきっと大丈夫です!」
根拠はないけど、そう思いたいです。
「そ、そうよね」
帆乃風さんは救急箱から取り出した消毒液をガーゼに染み込ませ、手際良く僕の左手の甲を綺麗に消毒してくれました。
「痛くない?」
「だ、大丈夫です!ハイ」
つい、返事が硬くなってしまいました。
「包帯巻くから、痛かったら言ってね」
「は、はい。」
さっきから鼓動のテンポが高鳴って抑えきれません。今までこんなに近くで帆乃風さんの顔を見たことがなかったから気が付かなかったんですが、彼女はすごく端麗です。可憐で美人さんです。上手く表現が出来なくてすみません。普段は神秘的というか何というか、こっちが構えて畏まってしまうんですが。
そんな風に思っているうちに包帯が巻き終わりました。
帆乃風さんは後ろめたそうに僕に言います。
「……ご、ごめんね、あんまり上手くなくて」
僕は無言で左手を握って開いてを繰り返しました。緩すぎずきつすぎず、安定感、そして安心感がありました。どこがですか、帆乃風さん?
「ありがとうございます。上手ですよ帆乃風さん」
僕がそう告げると、彼女は頬を赤く染めて手を合わせて喜びました。
「本当?嬉しい!はじめて巻いたのよ」
「そう言われると何だか僕も嬉しいですよ!」
「ナオ君……ありがとう」
そういえば、ひとつ気になったことがありました。今さらですけど、
「帆乃風さんは……」
「えっ?」
「帆乃風さんは、僕の何処が好きなんですか?」
ちょっと聞きにくかったです。でも思い切って聞いてみました。すると彼女は赤く染めた頬にさらに上乗せしたような色を見せ始めました。気を紛らわせたかったのか、そこにあったレンチを両手でマイクを持つような感じで握り始めました。
「わ、私……あの……初めて会ったときから……おぼえてる?ゲーセンでドラム○ニアでのプレイ。それがきっかけだったんだけど」
「ええ、あの時はいきなり話しかけられて一瞬びっくりしてしまいましたよ」
「そ、そうなの。それなの。つい話しかけてしまったの、あの、あの雰囲気が……無意識に好きになっちゃったの。話をしていくうちにだんだん好きになっちゃって……それだけじゃないわ、すごく優しいところとか……ええと、その……真っ直ぐで一生懸命なところも、私自身がそれを見て、感じて……頑張らなきゃなって思えてきて、だからバンドで練習してる時とか、合わせてる時もすごく楽しいし、この前のライブも最高だったし、それ以外で一緒に楽器店とか居酒屋に行ったりするのも……いや、ナオ君と会えるだけでも嬉しいし、それから、それから、笑顔……笑顔が好き!ナオ君の笑顔を見ていると、私も笑顔になっちゃうの、すごく安心するの!だから……す、好きなの、好き……ううん、大好き!!」
僕は帆乃風さんの会話が無事に終わって安心しました。というかこんなにテンパった帆乃風さんは初めて見ました。口調もなんかあどけない女の子みたいであの時以上にびっくりしましたよ。でも不思議とそんな帆乃風さんが可愛く見えてしまった。そして嬉しくて、たまりません。僕の顔も間違いなく真っ赤ですよ。わ、笑わないでくださいね?それから、すうっと息を軽く吸って僕は言います。
「ぼ、僕も……大好きです!!」
「キャーーーー!!」
なっ!?帆乃風さん今“キャーーーー”って言いましたよ!?帆乃風さんからそんな声を聞いたのも初めてなんじゃないでしょうか?あなたは本当に帆乃風さんですか!?しかも握っていたレンチが∩の字、いや、それを通り越してなんかΩ(オメガ)みたいになっちゃってるし!?
「ご、ごめんね、取り乱しちゃって……」
「い、いえ、僕の方こそすみません、いきなりすぎて……」
その時外からバイクのエンジン音が聞こえてきました。奴等です。どうやら居場所を突き止められてしまったようです。
帆乃風さんは即座に立ち上がり僕の腕を引っ張りました。
「こっちよ、ナオ君!」
帆乃風さんは大扉を開けて走りだしました。僕もそれに続きます。
その先は整備ドックでした。車を持ち上げるリフトが数か所にあって、整備中の車が2台ほど載っていた。周りにはプレス機や、薄暗いからよく見えないけど工具らしきものが壁にびっしり掛かっているという感じです。
僕たちは作業場の部品棚の陰に隠れましたが、見つかってしまうのも時間の問題です。
「何してるんですか?」
帆乃風さんは部品棚からゴムバンドを取り出して太腿に巻きつけ始めました。
「ナオ君は……逃げて」
え?今何て?
「これは私の問題なの。ナオ君には関係ないわ。だから逃げて」
帆乃風さんはそう言いながらいつの間にかミニスパナを手にし、先ほど巻きつけたゴムバンドと太腿の間に一本一本挿めていきました。
「これ、外に止めてある代車のキーだから早く」
そう言ってキーを渡されましたが、そのまま返しました。
「僕はそんなことはできません。言ったはずですよ帆乃風さんは僕が守るって。それに僕は免許持っていないですから」
「で、でもナオ君を巻き込みたくないわ。お願い、私の事はいいから逃げて」
帆乃風さんの訴えるような眼が僕に刺さります。気持ちはわかりますけど、いくらなんでも無茶すぎます。それに……
「女の子を一人残して逃げるなんて、漢じゃないです」
「ナオ君……ありがとう」
事務所の方から何人かの足音が聞こえてきました。おそらく奴等が侵入したのでしょう。
「さあ、立って一緒に逃げましょう帆乃風さん」
僕は立ちあがって、帆乃風さんの手を引きました。
「う、うん」
薄暗いドッグの奥の扉を目指して足早に走ります。そしていざ扉を開こうとしましたが……
「開かないですね。鍵が掛かっていますよ?」
「そんな、ここはいつも開けてある筈なのに?」
困惑した表情の帆乃風さんを見たその時だった。
ぱ…ぱぱ……ぱっ
薄暗かった整備ドッグが一瞬で明るくなりました。誰かが明りを点けたのです。
「そこは開かねえよ、帆乃風ちゃん?」
声がした方へ振り向くとそこに居たのは、黒のロングコートとレザーパンツにブーツといった全身黒ずくめの姿。そして黒みのかかった紅い髪の男が、リフトのアーム部分(車を支える鉄骨)に寄りかかっていました。
「何の用?不法侵入よ?」
「オイオイ、オレ達は開いていたから入ってきたんだぜ?」
男がそう言うと、ドッグの表側のシャッターが開いてバイクに乗った男達が5人、いや6人ほど侵入してきた。
「用もあるんだぜ?ぶっ壊れたバイク直してくれや?」
「ふざけないで!」
帆乃風さんは苛立ち交じりの口調で応えました。
「おおっと、挨拶が遅れたな。はじめまして、那秧くん」
「僕はあなたなんか知らないです」
「オレはコウっていうんだ。そこの女から聞いてるだろ?」
この男が帆乃風さんがさっき言っていた“ラ・モール”のギタリストということです。
「帰って下さい。僕達に関わらないでください」
バイクに乗っていた4人の男達が僕達のまわりを取り囲みました。その内の一人が馴れ馴れしく僕の肩に手を置いてきた。
「嫌だと言ったらどうする?」
「こうですッ!!」
「ブゲハッ!?」
先制攻撃、そして宣戦布告です。僕は肩を組んできた男の顔面に裏拳をお見舞いしました。男は鼻と口から血を噴き出して大の字に倒れました。
「野郎ーッ!!」
取り囲んでいた別の男が掴みかかってきます。僕は身を低くしてそれをかわし拳を突き上げて男のみぞおちに叩きこみます。ボディーブローってやつです。男はドサリと床に沈みました。
「動くんじゃねぇ!!」
残った2人の内の一人が帆乃風さんを羽交い絞めにして、もう一人が彼女の首元にナイフを突き付けています。しまった、卑怯なやつらです。
「帆乃風さんを放せ!!」
「うるせぇ!コウさん、この女このまま連れて行きましょう!」
2人の男はジリジリと拘束した帆乃風さんごと、移動をしようとする。くっ、どうしたらいいんだ?
「バカどもが」
リフトのアームにふんぞり返って座っていたコウがそう呟いた。それに気を取られて視線を帆乃風さんに戻した時……
帆乃風さんはナイフの男の股間を蹴り上げ、それと同時に羽交い絞めの男に肘鉄を食らわせてクルリとターンしてから回し蹴りを炸裂させた。股間を蹴られた男は前かがみで悶絶し、回し蹴りを食らった方は棚に突っ込んで置かれていた部品をぶちまけています。
「な!?」
僕は一瞬そう口にして、帆乃風さんのもとに駆け寄りました。
「自分の身くらいは守れるのよ」
そう言って帆乃風さんは軽くぱちりとウインクしました。正直に驚きましたよ?すごい格闘術です。とても女性とは思えません。でも、
「無茶しないでくださいね?」
「うん、わかったわ」
「ワリイな、こいつらには手荒なことはするなって言っておいたんだが、どうも血の気が多くてな」
しかしなんなんでしょう、このコウという男の余裕っぷりは?さらには残りの二人のバイクの男も気になります。あれだけ派手に(帆乃風さんはド派手でしたが)暴れたのに、眉ひとつ動かさないでじっとしています。もう一人なんてメットも取らずにバイクにまたがったままです。はっきり言って不気味ですよ。
「ちょっと余興がすぎたけど、考え直してくれたか?帆乃風」
「くどいわ、私はラ・モールには戻らない」
「冷てえな、昔のよしみでまた一緒にやろうって言ってんのに。SHINEなんてクソバンドなんざお前には似合わねえぜ?」
「私たちのバンドをバカにしないで!!」
そうです。僕達のバンド“SHINE”をクソバンド呼ばわりするなんて、許せないです。
「なあ、思い出してくれよ…昔のオレ達はブッ飛んでいたじゃねえか?二人で色々やったよな?それにお前はオレと……」
「やめてッ!!」
コウが喋っているのを遮って帆乃風さんが絶叫しました。
「もうあの時の私とは違うの。それにあなたは罪もない人を傷つけて苦しめている。ドラッグという凶器で。私はラ・モールの音楽のやり方で苦しんできた人を何人も見てきたわ。だから私はもうそんな光景を見たくない。あなたは間違っているわコウ!」
「それは違うな」
コウは冷静に返す。
「オレ達のやり方は認められてんだよ。やつらはオレ達のサウンドが聞きたくてクスリキメてんだよ。ライブに来るやつはいくらでも歓迎してるぜ?オレ達はブッ飛んでイカレた世界を提供してんだよ。お前らみたいなクソバンドのヌルい世界とは違えんだよ」
「黙れっ!!」
とにかく頭にきました。この男、マジで許せません。
「よくもクソバンドと言ったな!!」
僕はコウに向かって飛びかかりました。が、
「ナオ君、危ない!!」
帆乃風さんが叫んだとほぼ同時でした、僕の拳はコウには届きませんでした。吹っ飛ばされて気が付けば作業台の下に潜り込んでいました。どうやら黙って立っていた男からとび蹴りを受けたようです。
「シンバ、帆乃風が決めくれるまで、那秧君に見せてやれよ。ヌルい世界ってやつをな?」
「……」
シンバと呼ばれたその男は無言で僕に近づいてきます。その男は体格ががっしりしていて、身長は僕よりも大きいです。でも、でも負けるわけにはいきません。僕はなんとか立ち上がりましたが、足首を痛めたようで鈍痛が響きます。
なんて速いんでしょう!?シンバの巨体から繰り出される拳は一発一発が俊敏でした。躱わすのがやっとです。良く考えたらあの体格で飛び蹴りを出したのですから相当素早いってことです。
どむっ!
かわせずに一発受け止めましたが、あまりの重さに吹っ飛びそうになったので、後ろに跳躍しましたが右足首が痛みました。思わず片膝を付いてしまいます。そのタイミングでシンバの唸るような強烈な蹴りが僕に向かって放たれようとしているのをボンヤリとながめていました。
その蹴りの衝撃は意外にもそれほどではありませんでした。無意識に両手で顔面をガードしていたのでダメージは少なかったのです。でも何故でしょう?このシンバという男、故意に手を抜いたのでしょうか?---その理由はすぐに理解できました。
「それ以上ナオ君に酷いことをするなら……私が許さない!」
帆乃風さんでした。シンバの右肩口には深々とミニスパナが突き刺さっていて血が滲んでいます。それでもシンバは苦痛の表情を全く見せませんでした。帆乃風さんは右手に同じミニスパナを握りしめてシンバを睨みつけ、今にも飛び出しそうな構えをしていました。
「ダメです帆乃風さん、逃げてください!!」
僕は叫びましたが、先にシンバが動きました。強烈なタックルが帆乃風さんの華奢な身体をふっ飛ばしました。彼女が床にドサリと倒れる音とミニスパナの金属音が妙に大きく響きました。
キンッ!キィーン!
血にまみれた2本のミニスパナを肩から抜いたシンバは、倒れた帆乃風さんの傍らに投げ捨てて僕の方へゆっくり近づいてきます。
「うおおおあああッ!!」
もう、怒りました。
僕は雄叫びを上げてシンバに突撃しました。足の痛みなんてかまってられません。よくも帆乃風さんを……帆乃風さんをッ!!
僕の怒りの鉄拳はシンバの顔面にまともに入りました。すかさずボディーにも拳を叩き込んでいきます。最後は復讐の飛び蹴りで借りをお返します。シンバは背中から置いてあった車のドアの上に落下して、その窓ガラスを粉々に砕きました。
「はあ、はあ……帆乃風さんしっかりして下さい!」
僕は足を引きずりながらも彼女のそばに駆け寄って揺さぶりました。
「う……」
彼女は2、3回咳込んで目を開けました。見た感じ大きな怪我はしていないようだったので安心しました。
「あいつはやっつけましたよ。ふう、無茶しないでって言ったじゃないですか。」
「ナオ君その足、怪我してるの?」
僕が足を引きずっていることを指摘されました。
「大丈夫です。大したことないです。」
本当はすごく痛いです。激痛です。でも悟られないようにニッコリ笑顔で返しました。しかし帆乃風さんの顔は恐怖で引きつっているようでした。一体どうしたのでしょうか?
突然帆乃風さんが叫びました。
「危ないッ!!」
後ろを振り向くと車のドアを軽々と振りかぶったシンバが視界に入りました。そして、
「うわああッ!!」
ドアの鉄板部分で殴られてリフトに乗っていた車のボンネットの上に叩きつけられました。起き上がる間もなく追撃が僕を襲いました。不思議と5発目、6発目と殴られる回数を数えながら変形していくドアを冷静に見ている自分がいました。ああ……だんだんと意識が薄れていきます。痛みも感じなくなってきました。僕、多分死にます。
「嫌ああああッ!!もうやめてーッ!!」
その声を聞いて身体に激痛の感覚が戻りました。シンバの動きが止まったようです。ズルリと僕はボンネットから滑り転げ落ちました。
「よーし、そのぐらいにしておけよシンバ。で、どうだ帆乃風?決まったか?」
さっきまで黙って見ていたコウが煙草に火をつけながら帆乃風さんに問います。
「…………」
「なんだ?お手付きか?どうやらもうちょいと時間が掛かりそうだな。……シンバ。」
シンバの手が僕の髪を掴んで顔を持ち上げる。
「うああ……」
「やめて!!」
帆乃風さんが叫んでもシンバは手を離さなかった。と、そこへ煙草をふかしたコウが僕の顔に煙を吹きかけながら覗き込んできた。
「そうだ、忘れないうちに教えといてやるぜ。あの女はな俺とデキてんだよ。とっくの昔にヤッちまってんだぜ?那秧君はそんな尻軽女を庇うってのか?さっさと売っちまえよ?それがキミの為ってやつだぜ?」
そうですか……。そうですよね。そんなことだろうと思いましたよ。冷静になって考えてもみれば、帆乃風さんみたいな女性が僕みたいな男を好きになるはずがないです。あははは。バカみたいです……。
《それから、それから、笑顔……笑顔が好き!ナオ君の笑顔を見ていると、私も笑顔になっちゃうの、すごく安心するの!だから……す、好きなの、好き……ううん、大好き!!》
僕の脳裏にふと帆乃風さんの言葉が蘇りました。……そうだ、帆乃風さんは変わったんです。もう昔の彼女じゃないんです。僕が信じてあげなければいけないんです。一瞬心がグラついた自分が情けないです。
「あなた達は人間のクズよ!最低のウジ虫よ!あなた達なんかとは一緒に行かないわ!ここで私は死んであげる!あなたなんか死体とヤればいいのよ!いい気味だわ、ウジ虫はウジ虫らしく腐肉でも食ってればいいのよ!!」
黙って聞いていたコウの顔がだんだんと苛立ちで歪んでいきます。帆乃風さんは涙を浮かべて、しかし嘲りの笑いを見せながらコウに訴えた。そして床に転がっていたナイフを自分の頸動脈に突き立てました。
「やめて……ください、帆乃風さん……死んじゃダメです」
「このクソ女、どうせハッタリだろ?」
コウが帆乃風さんに近づいていきます。
「私に近づかないでッ!!」
帆乃風さんはコウをけん制して叫びます。首筋からプツリと紅い血の球が生まれていました。
「ナオ君、ごめんね。私の事、嫌いになったでしょ?でも私、それでもナオ君が好きだから」
ナイフを握った手を震わせ、涙をこぼしながら帆乃風さんはそう言いました。相変わらず顔は笑っていました。その顔を見るとふがいない自分が情けなく思えてきました。
「だめです帆乃風さん!やめてください!!」
「ありがとう、ナオ君。……さよなら」
そう言って彼女は両手で握りしめたナイフを高く掲げると、一気に引き落としました。
「帆乃風さあああん!!」
ドガシャアアアアン!!バキィィィン!!
その瞬間ものすごい衝撃音が鳴りました。それに加えてバイクの音。気が付けば目の前にいたシンバが吹っ飛ばされて二柱リフトの柱に激突し、もんどりうって倒れていました。
僕は唖然としたまま腰が抜けてしまいました。突っ込んできたバイクのドライバーは、
「よう!那秧。遅れて悪りぃ」
「鋭士さん!?」
そして後ろに乗っていたのは、メイド服にヘルメット?……誰ですか?
「誰?」
「くぉぉぉら!!ナオッ!アタシの……よいしょっと、顔を忘れたっての?」
「咲姫さん!?」
ネコ耳が引っ掛かかりながら外れたフルフェイスのヘルメットから出てきた顔は、カワイイ系の無垢な笑顔でした。とりあえず何故にメイド服そしてネコ耳なのか、激しくツッコミたいのを我慢します。




