3章:孤独な低音が生まれ変わる瞬間 1
翌日の午後、予定通り俺は咲姫と郁斗と三人で例のベーシストに会うべく、郁斗の車で整備工場に向かっていた。何故整備工場かって?その人は整備士をやっている話だからだ。バンドってのはいろんな奴が集まるモノなのさ。
「おっと、この工場だ。」
郁斗は通り過ぎそうになるのをなんとか敷地内に車を滑り込ませた。
パッと見そんなに大きな工場ではなさそうだ。どちらかと言うと町工場に近い。名前は“有限会社滝川モータース”。ぐるりを見ると、ピカピカの車が数台並んでいる。値札がついてるので恐らく中古車だろう。向こう側には廃車らしき車が積み重なっている。
「アタシこういうトコ来るの初めて。」
「俺も。なんかすごい所に来たな。」
俺達は車を降りて事務所を尋ねた。
「こんにちは!すみませーん!!…」
郁斗は事務所内にて何処かにいる従業員に声を掛けた。程なくして奥から眼鏡をかけた中年の男がくわえタバコで現われた。胸元のネームプレートには“滝川 工場長”と書かれていた。
「いらっしゃい!車の整備かい?車検かい?」
「いえ、あの〜仕事中スミマセン。僕達バンドをやってる者なんですけど、ココにベースを弾いている人がいると聞いて尋ねて来ました。今、いますかね?」
工場長に郁斗が丁寧に聞くと、
「ん?ベース?ああ…ちょっとそこで座って待ってて。今呼んでくるから。」
そう言って彼は場内へと向かって行った。
とりあえず座って待つ。事務員の女性が手際よくお茶とお菓子をテーブルに並べてくれた。出されたお茶を一口飲んだところで扉が開いた。
「いらっしゃいませ。…私に何か?」
俺達に声を掛けたのはオイルのついたツナギを着た女性だった。そういえば、ベーシストってことにこだわりすぎて、男か女かなんて気にもしていなかったな。彼女は長い髪を後ろでまとめていて、綺麗な顔立ちに清楚でおしとやかな印象を受けた。
「はじめまして、オレは郁斗、こっちがエー…鋭士、この娘が咲姫。オレ達バンドやってて、この工場にベーシストがいるって聞いてココに来たんだけど、キミがそうかい?」
郁斗が立ち上がって俺と咲姫の紹介を兼ねて聞いた。途端に彼女の顔が曇った。
「誰に聞いたか知らないけど、ベースを弾いていたのはもう過去の話よ。」
「キミの名前は?」
「…帆乃風。」
「じゃあ、帆乃風、ぶしつけで悪いんだけどオレ達と一緒にやらないかい?今、ベースプレイヤーの適任がいなくてね。」
あくまで柔らかく?接する郁斗。俺はそれをただただ見守っていた。…が、
「私はやる気はないわ。そのベースももうツマらなくなったから弾くのをやめたの。とっくの昔に捨てたわ。今の私はベーシストでも何でもない、ただの整備士。ハナからこの話はお門違いなの。わかったら帰って。」
なんてことだ。そしてなんて冷徹な喋り方なんだ。まるで感情のない機械みたいな顔して。彼女を誘うのは無理なのか?
しかし郁斗は食い下がる。
「そこをなんとかならないかな?ウチのバンドもまだ新設したばかりだし、また一からってことで。キミもいい演奏が出来そうだし、可愛いし。」
そう言って郁斗は帆乃風の手を握った。…チャ、チャラいな郁斗!?
「私に触らないでっ!!」
慌てて帆乃風は手を引っ込めた。
「さっきも言ったでしょう。やる気はないって。これ以上話すことはないわ。じゃあ私は忙しいからこれで。」
踵を返す帆乃風。
「ふーん、結局逃げるんだ。」
それまで黙っていた咲姫が余計な事を口走った。彼女は座ったまま足を組んで、プレッツェルをつまみながら憮然としていた。
なんつー態度だコイツは?
帆乃風の足がピタリと止まった。
「どういう意味?」
「さっきから黙って聞いてりゃ、何だかんだエラソーに言ってたけど、要は只の負け犬じゃんアンタ。何があったか知らないけど、ヤル気のないヤツを無理に引き込むほどアタシはお人好しじゃあないからね。こっちから願い下げよ。負け犬は負け犬らしく尻尾まいて逃げ帰りなさい!」
咲姫はプレッツェルの先端を帆乃風に向ける。
「オイー?!やめろ!何言ってんだお前!いいからそれ降ろせ!」
俺は慌てて帆乃風に向けられているプレッツェルを降ろすように促した。
「郁斗、マズイよ。ここは謝って一旦帰ろう。無理なら無理でいいからさ。」
「どうやらその方が良さそうだね。」
「咲姫、もういいから帰るぞ!ホラ、彼女に謝れ!」
「…すって?」
帆乃風が振り向く。
「負け犬ですって?逃げるですって?違う!私は逃げてなんかいない!負け犬なんかじゃない!!あなたに私の何が分かるの!?何も知らないくせに勝手な事言わないで!」
「あ、あぁ、悪かったよすまない!勘弁してくれ!!この通りだ!」
いきり立つ帆乃風に俺は深々と頭を下げた。
「オレからもサッキーにはよく言っとくよ。…今日は帰るから何とか収めてくれないかな?」
郁斗も謝る、が、
「駄目だエー坊っ!逃げるぞ!」
「えっ?」
その時帆乃風の手には全長50cmくらいある巨大なモンキーレンチがまさに握られようとしていたのが俺には見えた。
「上等じゃん、やってやろうじゃないの!」
あろうことか、咲姫は立ち上がり帆乃風と対峙しようとする。しかしその手に握られているのは食べていたプレッツェル。バカかコイツは?!そんなお菓子であの馬鹿デカいレンチに勝てるわけねぇ〜、勝てっこねぇ〜!俺は咲姫の首根っこ掴んで強引に事務所を脱出し、郁斗の車に押し込んだ。郁斗はそのまま車を急発進させる。
「げほっごほっ!何すんのよ!これから悪を成敗するところだったのに!それなのにあんな負け犬から逃げるなんて、こっちが負け犬じゃない!アタシのメンツ潰した代償は大きいよ、覚悟しなさい!」
「うるせぇー!バカかお前は!?まだ説得の余地があったのに余計なことしやがって!“アタシの敵じゃない”とか言って本当に敵にするやつがあるかっ!!」
「まあまあ、二人とも喧嘩はやめようね。」
「アタシはただ…」
「?」
「ただ、出来ることがあるのにやらないなんて、それが許せなくて…。」
咲姫は車の窓を開け、遠くを見つめながら持っていたプレッツェルをぽりぽりとかじった。
「咲姫…。」
「とりあえず落ち着いて考え直そうか。帆乃風のことを含めてこれからのことも。」
「そうだな、悪いな郁斗、俺何も出来なくて。」
「気にすんなってエー坊。それからサッキーも!なんとかなるさ。」
「…。」
黙り込んだ咲姫を見守りながら、俺は流れる景色に溜め息つく。今はそうするのがやっとだった。