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僕の魔法  作者: Gさん
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第七章

 六月の王都。こちらも雨季に入る。午後には通り雨が降り、一時的に大河が増水する。

 訓練を重ねている兵士達には地獄である。丘陵地帯に沼ができる。虫が飛び交う。蛭が襲う。病気になる者や怪我をする者が増える。しかし彼らの目付きが変わってきたのは良い傾向だろう。緩んだ表情が兵士のそれに変わりつつある。

 少年はこの状況を見るに、敵侵攻は先になるかも知れないと考えていた。長距離を移動するには余りにも不向きな気候である。

 一定の成果を得たとして野営を引き払った。兵士達の任を一時的に解き、家庭に戻す。徴兵された者もいるのだから気を使わなくてはならない。彼らには本来の仕事があるのだ。せめて土産でも買って帰れる様にと一時金を支給した。

 そして指揮官たる自分達も家に引き返す。ウティホと少年はノンモの待つ旧伯爵邸へと戻った。

 ウティホは完全に疲れ切っている。

「儂も歳じゃのう。身体が言う事を聞かぬわい」

 少年が労う。

「頑張っていたじゃない。隊の運動が一番整然としていたのはウティホの師団だったよ」

「そりゃそうじゃろうて。儂の隊は王都詰めの近衛師団なんじゃから、行進はお手の物じゃよ。しかし旗取り合戦や運搬訓練ではいつも負け通しじゃった」

 旗取り合戦は実戦に即した基本的な演習である。二陣に別れ、自陣の旗を守りつつ敵陣の旗を取る。武器は持たせないが殴り合うのは構わない。これが結構奥深いもので、地形や時間帯、人数によって臨機応変な対応が求められる。

 運搬訓練は石材や木材を運ばせ、目的地に拠点を築く演習である。坂が多かったり地面がぬかるんでいると難易度が上がる。これも複数の隊を競わせるのだ。任務が完了した隊は鬨の声を上げ、勝利を告げる。

 もっとも、この様な遊技性のある訓練ばかりではなく、行進、駆け足、規律運動、技能訓練等の基本訓練が大切なのである。その中でも、土嚢を背負わせ、足並みを揃わせて行進する訓練が良い鍛錬になる。鑓を突いたり弓を打つ技能訓練も大切だが、ただ歩く事が一番辛く、また大切なのだ。ウティホは基本に忠実に兵を鍛え上げた。長期作戦でも草臥れてしまわない兵士にする為に。

「ああそうかい。そりゃよろしかったですねぇ」

 ノンモの機嫌が悪い。彼女は一人で留守番をさせられていたのだ。

 二人して懸命になだめた。この人が爆発したら何個師団あっても止められないだろう。


 兵士が休んでいる間も指揮官には仕事がある。毎日登城し会議会議の連続だ。今日も王の執務室に集い、あれこれと事務を消化している。

 まずは第一師団のウティホが現状を報告する。

「装備に関して言わせて頂こう。近衛だけあって煌びやかな装備を頂いているが、余り実用的とは言えない。鎧は重く、剣や鑓は装飾ばかりが目立って修理し難い。それに兜じゃが、羽根飾りを取り払う許可を下され。邪魔で仕方がないんじゃ」

 王が返答する。

「ない物を作るのは大変だが、ある物を取り払うのは容易なのではないか。鑓は柄と穂だけにして装飾を外す。剣も柄と鞘を簡素な物に変える。鎧は胸当てだけを残して、他は革製とする。兜の飾りは毟り取ってしまえ。皮で作り替えても良いだろう」

 ウティホが続ける。

「第一師団は野戦向きではありませんな。儀仗兵としては優秀なのでしょうが、気位が高く泥に塗れる事を極端に嫌う傾向があります」

 少年が口を挟む。

「適材適所で良いんじゃないかな。彼らは受け身で力を発揮する類の隊だよ。機敏に動き回るのじゃなくて、どっしり構えて敵を防ぐ。若しくは整然と前進して間合いを詰める」

 婆様も意見する。

「最初に敵と正面衝突するのは第一師団じゃろうな。もっとも、そんな力業になる前に策で何とかしたいところじゃが」

 ウティホは自分の役処を理解した。敵の前進を受け止め、耐え抜く。そして味方が敵の後背を突く時間的猶予を作る役目なのだ。

 続いて第二師団の王女の報告。

「第二師団は馬の数が足りません。神速を頼りに敵の搦め手を突くのが遊撃隊の務め。歩兵の数よりも騎馬を増やしたいのです」

 ウティホが述べる。

「それでしたら第一師団の軍馬を回しましょう。どうせ式典にしか使わない馬なのじゃから、全部持って行って下され。ああ、馬車馬は別ですぞ」

 続いて婆様の第三・四師団の報告。

「何から話そうか。そうじゃな、渡河作戦を止めにしたい」

 王女が驚く。

「何故でしょうか。敵軍が南北どちらから侵入するか分からない今、片方に兵力を集中させるのは危険です」

「危険というなら渡河自体が危険なのじゃよ。これまで幾度か演習をさせたのじゃが、実戦では豪雨かも知れん。幾ら船を用意したところで一定の兵士を失うじゃろう」

「敵が侵入してから王都のある中央部まで時間的余裕があります。水位の低い日を選ぶ事もできるのではありませんか?」

「そんな保証は無いじゃろ。敵兵団が北方の国境を割って侵入し、その知らせが王都まで届くには一月は掛かる。敵は二月、いや一月半で王都に着くやも知れぬ」

「ではどうすれば」

「大河中流域を捨てる」

 一同がざわめく。王は真意を確かめたい。

「中流域は我が国の生命線だ。人口は国内最大であり、王都の次に、いや最も守るべき地域だと思う。だからこそ婆様に守りをお願いしたのだが」

「そうだろうね」

「では何故?」

「仮に、敵が王都に目も呉れず一直線に中流域へ入ったとする。村々には多くの民衆が生活しておる。確かに人的損害は大きかろう。でもじゃ、そこは水耕田が拡がる湿地帯。大部隊を動かすには不向きな場所なのじゃ」

「それは我が隊にとっても同じでは?」

「そう、同じじゃ。でも守る側と攻める側では隊の運動が違う。攻める側は常に移動せねばならぬ」

「守る方が有利ならば、尚の事、そこに配置すべきではありませんか」

「敵さんがきてくれればの」

 少年が気付いた。

「そうか。ねえ王様、ユルグ側は大河中流域がどんなものなのか知っているの?」

「数年前、友好使節団がきた折にその地を訪れている。武官も数名いた筈だが」

「じゃあ、そこを攻め込む事はしないんじゃない? 無駄だと分かっているのだから」

「そうは言うが・・・・」

 婆様もここぞと王を攻める。

「水耕田が大切なのは良く分かる。でも、守る必要がないのに兵を置くのは愚策じゃよ」

「では、二個師団をどう使うのだ」

「使い方は幾らでもある。永らく北方に展開していた兵達で練度も高く、士気もある。この婆の事をよく知っている連中じゃから従順だし、全五個師団の中で最も強かろう」

「それで?」

「奇襲に使う」

 王の目が変わる。

「奇襲だと! 我が将兵を奇襲に使うのか」

「王は奇襲がお嫌いか?」

「好き嫌いではない。してはならぬのだ」

「どうしてじゃ?」

「卑怯だからだ」

「何が卑怯か。戦時たれば兵士は常に警戒を怠らず、いつ何時でも戦う準備をしておかねばならぬ。寝込みを襲われるにしても、寝ている方が悪い。違うかえ?」

 王は目を瞑って口を硬く噤む。自分の兵が卑怯者と誹られるのは最大の屈辱なのだ。

「では言い方を変えよう。婆が預かる二個師団は自由に行動し、ここぞと言う頃合いで戦闘する。これでどうじゃ?」

「まあ・・・・それならば構わぬが・・・・」

 王はしぶしぶ応じた。これで婆様と王女の三個師団が遊撃隊となる。通常では考えられない編成ではあるが、少年は面白いと感じていた。拠点を固定するより遙かに即応性が高いからだ。

 最後に第五師団の老将が報告する。

「北方の索敵部隊と王都までの伝令網は配置完了しました。また主戦場と予想される王都北部の丘陵地帯における拠点作りも順調です」

 王が尋ねる。

「工兵達は実戦ではどう展開するのか」

「はい、実戦では敵の移動を監視する事が一つ。もう一つには敵の兵站を妨害する事を主目的として活動するつもりです」

 またしても王の機嫌が悪くなる。

「兵糧を奪うのか。これも卑怯な役目だな」

「私には卑怯と思えません。大義名分も無しに侵攻しようとする敵こそが卑怯なのです」

「それはそうなのかも知れぬが・・・・」

「ですから、私は敵が最も嫌がる事をするつもりです」

 キリムも援護する。

「王様、第五師団は寄せ集めだし、小柄な兵士が多くて弱い隊なんだ。まともに敵とぶち当たれなんて言えないよ。可哀想だ」

「可哀想? 軍隊同士が正面から当たるのが可哀想なのか」

「うん。僕はユルグ兵の怖さをよく知っているから言うのだけれど、連中は大きな牙と爪を持った獅子だよ。一方の我が第五師団は働き者の蟻かな」

「獅子には獅子の、蟻には蟻の仕事をさせよ、という事か」

 これで王にも実戦のあり方が見えてきた。

 敵侵攻を察知したら第五師団が各隊に伝達する。敵は王都まで攻め上る筈だから、その途中を奇襲して数を減らす。また兵站線を分断して疲弊させる。そして王都決戦。果たして予定通り進めば良いのだが、それは誰にも保証できない。


 雨季真っ盛りの七月。一時休暇を与えていた兵士を再集結させ、王都近郊にて訓練を課している。もう部下達自身に任せられるまで練度が上がっている。

 一方、臨時アスマン城たる邸宅には珍客が訪れていた。知らせを聞いて、登城していたウティホとキリムは急遽帰宅する。居間では汗だくのノンモが焦れながら待っていた。

「ああ、良かった。ジョクーからの知らせが届いたよ。それも早くしないと忘れちまうとか言っててさ」

「忘れる? どう言う事じゃ」

「それがね、手紙じゃないんだよ。口伝えだってさ」

 早速、その知らせを聴く事にした。

 駅伝屋に雇われた元伝令兵が、頭の中にある通信文を伝える。

「では、申し上げます」

『ほーほーきょー。しんこーちゅー。しのたいかー再来月。さーしーこーわ半年後。くーぼー二十万。ほぶかー。ことーみー。とんやーかいしー。でーりーくーてやーぱー。じろーばー。ぐんかかーあ』

「以上です」

 ウティホは困惑している。

「何じゃそれは」

「さあ?」

 困惑は駅伝屋も同じらしい。

「貴様らの国のお経か?」

「さあ?」

「お前は確かにジョクーからの伝言を伝えたんじゃな」

「はい、恐らくは・・・・」

「恐らくとは何じゃ」

「六月の二日、ユルグ北方のオアシス街でジョクー様から伝言を賜った事には間違いございません。それから宿駅を幾つも中継して、先程の伝言をお伝えした訳でして・・・・」

「何人が中継したのじゃ」

「自分で二十番目です」

 ウティホは呆れてしまった。この男にではない。こんなものを注文したジョクーをである。二十名もの人を中継すれば口伝えなんてまともに伝わる筈がないではないか。

「因みに、この伝言の価は幾らなんじゃ」

「最も早い便でしたので、十ユールぐらいでしょうか」

 夫婦は二人して頭を抱えた。好きに使えと渡した金だが、余りにも愚かな使いっぷりだ。

 キリムは少し違う意見の様だ。

「ねえ、再来月と半年後って言ったよね」

「はい、『しのたいかー再来月』『さーしーこーわ半年後』です」

「ええい、馬鹿者め」

 ウティホは怒りが収まらないでいる。

「まあまあ、とにかく再来月と半年後に何かがあるんだよ、きっと」

「はあ」

 駅伝屋は自分が悪い様に思えてきた。

「それでね、ちょっと聞きたいんだけれど、君は何人かな?」

「ユルグ人です」

「この商売ってあまり聞かないけれど、ずっとやっているの?」

「いえ、三ヶ月前に始めたばかりで、それまでは軍で伝令兵をしておりました」

「そうなんだ。じゃあ、三ヶ月前にユルグで何か話題になった事ってなかった?」

「そうですね。話題と言えば・・・・」

「言えば?」

「法皇がご病気なのではないかとの噂が立っておりました」

「へぇ、かなりお悪いのかな」

「はい。その様です」

「それじゃあ、後を継ぐのは誰なんだろう」

「首都におります友人の話では、大司教猊下ではなかろうかと」

「大司教って役職は一人なのかな」

「はい、大司教はお一人です。過去にはもっといらっしゃったそうですが」

「そうなんだ。有り難う。もう帰っていいよ」

 男はほっとして、馬に跨り邸宅を後にした。

 ウティホは納得いかない。

「礼なぞ言わずとも良かったのに。一文の価値もない」

 キリムが言い返す。

「とんでもない。貴重な情報だったよ」

「何が分かったのじゃ」

「キリム教国の国主、法皇はもう死んでいる」

「何じゃと! 病気としか言わなかったではないか」

 少年が解説する。

「再来月と半年後って二つの単語は聞き取れたよね。でも、ジョクーが僕らに時期を伝えたいとすれば、それは敵侵攻の時期だけだと思うんだけれど」

「・・・・そうじゃな。他には思い付かん」

「でも二つの時期を伝えた。その内一つは敵の侵攻時期だとして、もう一つ、どうしても伝えたい時期があったんだ」

「ふむ」

「しかも、それは敵侵攻について何か重要な意味を持っている。例えば、その正確性を補完する為のものとかね」

「成る程な」

「だから、再来月には法皇の葬儀とか何かの国家行事があって、予定よりも遅れて半年後辺りに敵侵攻がある。そんなところじゃないかな」

「本当ならば良い知らせじゃな。元伝令兵から聞いた噂話も『大司教が後を継ぐ云々』と詳細だったし、信憑性はありそうじゃ。それに『二十万』と言う数字も言っていた様な」

「余り考えたくないのだけれど、それは・・・・」

「敵兵の総数か!」

「宝石の売値・・・・じゃないよね?」

「それはあり得ぬ。ギーゾが幾ら優れた商売人でも、一、二万が良いところじゃろうな」

「それに、その情報は急いで知らせる必要なんてないしね」

「そうじゃな」

 二人は腕組みをして考え込んでいたが、自分達だけが悩んでいるのが不公平に思えて登城する事にした。どうせ悩むなら大勢が良い。楽観的な人がいて、気を楽にさせてくれるかも知れないのだから。


 王宮の最奥、国王の執務室に戻る。王と王女、婆様と老将、そして二人。この中に楽観的な人物などいない。二人の報告を受けた全員が頭を抱え込んだ。今ほどあの山賊がいて欲しい時はない。彼ならば笑い飛ばしてくれるだろうに。

 王が重い口を開く。

「二十万・・・・か」

 少年が慰める様に言う。

「正確性に欠ける情報なのだし、まだ負けた訳じゃない」

「そうだな。まだ負けはしておらぬ」

「でもね王様、国の最高権力者たる者は最悪の事態を考えておかなきゃね」

「敗戦した場合の事だな」

「そう。負けた場合の事」

「みんな死んで終わりだ」

「そうだね。僕らはそうなるのかも知れない。戦死するか、敗戦後に処刑されるかの違いはあっても」

 ウティホは更に落ち込んでしまった。

「処刑は嫌じゃのう。どこかの処刑場で、公衆の面前で、罪状を読み上げられて、敵の罵声を受けながら絶命するのは、嫌じゃ」

 皆が自分の姿を想像した。キリムとマウ・リサは身震いを押さえられなくなる。

 別の考え方もあるらしい。

「婆はそれで構わんよ。断頭台に乗せられようが、絞首刑にされようが、特に注文はない。嫌なのは、悔しいのは、やり残した事があるのに死ぬ事じゃ。何もさせて貰えずに最期が訪れる事。じゃが今回は違う。二個師団を預かって、四万の兵士達と運命を共にできる。皆、この婆を親の様に思ってくれている可愛い子供達じゃ。この子らの犠牲が一人でも減るのならば、喜んで黄泉国へ下るだろうよ」

 皆納得した。自分達には責任がある。行動の自由がある。しかし兵士達は命令のまま動くのみであり、恐らくはその命令で死ぬのだろう。家族と永訣する決意で戦地に赴くのだ。我々はくよくよして良い立場ではない。

 少年が王に語る。

「どの時点で敗北を認めるか、それによって今後の国のあり方も違ってくると思う。早期に敗北を認めたなら、国としての体裁は残してくれるだろうし、戦争賠償金を支払うだけで済む可能性だってある。国土を割譲する選択肢もあるよね。更には毎年上納金を納めなくてはならない属国になる可能性も。でもね、属国でも国は国なのだし、アスマンの様にだけはなってはならない。王として、引き際を決めておいて欲しい」

 王は返答できない。金で済む話ならばまだ良い。でもユルグがそれで満足するであろうか。国土を分割するなどできる筈がない。譬え今は逃れても、未来の暦に国家の終焉予定を記す事になる。再度の侵攻で完全に息の根を止められてしまうだろうから。

 今は考えても結論が出せない。この議題はこれまでとし、法皇崩御に関してはその真偽を確かめ、事実であったなら弔問使節団を送る事とした。


 八月。一期目の刈り入れが始まる。そして収穫が終わった田から二期目の種籾を蒔き始めている。不安に満ちた時代であっても季節は変わらず流れ行くものらしい。

 敵の侵攻は認められない。法皇崩御の真偽はまだ確かめられないが、その信憑性が増している。ジョクーの情報以外にもいろいろと噂が届き出したのだ。

 ユルグの返答を待たずして弔問使節団を出立させた。敵とてその一行を無闇に害する事はないだろう。それこそ国としてのあり方を自国民に問われる事になる。

 ウティホ達はジョクーからの書簡を期待していた。昨月の駅伝屋は単なる蛇足で、ちゃんと駅逓所を使った手紙が届くだろうと。しかし、それは届けられなかった。


 九月。雨季最期の月。ユルグから外交文書が届く。要約すると『七月に国主たる法皇が逝去し、その葬儀は速やかに行われた』とある。夏ともなればそれも致し方ない。『国民は一ヶ月喪に服し、八月の良き日に大司教であった何某が新法皇となる予定』だそうだ。弔問に関しては『遠距離なれば遅れても篤く遇する』とある。開戦前夜にしては礼儀正しく、結構な事である。

 使節団はユルグ首都まで近い南回りで馬車を進めている。国境まで一月。更に一ヶ月で首都に着き、戻りは十二月になるだろう。

 これから一つ二つの結論が出せそうだ、とキリムは考えていた。

 一つは敵が侵攻する時期。それは十二月を過ぎる事はないだろうという結論である。

 使節団には武官もいる。情報収集が専門の人物だ。この者が数多くの情報を持ち帰るのは避けられない。しかし持ち帰るよりも早く攻め入れば問題はない。

 一度歓待を約束した使節団を害するが如き行為は、万人が批難するものである。それで他国との戦に勝っても、今度は国内の政敵に打ち負かされてしまう。どうしても口封じをしたければ、買収するか、事故に見せ掛けて殺害するか、賊に襲わせるかだが、どれも博打である。成功させるには綿密な計画が必要だし、かなり面倒だ。それに新法皇も即位の初めから卑怯者、礼儀知らずと誹られたくはないだろう。

 もう一つ、敵の侵攻地域である。これは北方国境からである事が確定的になった。

 使節団は首都に近い南回りで訪問すると知らせてある。経路を示さなければユルグとて迎え入れられないのだから最低限の礼儀である。そして九月現在、敵軍勢は南北どちらかの国境近くに集結しつつある筈。仮に南であれば、そこを通る使節団に察知されてしまう。その時点で武官が引き返し、国境を固められてしまえば侵攻が困難になる。南方の国境は密林にあって狭隘である。その場で徹底交戦を挑めるのならば守る方が有利だ。

 一応、その逆も言える。使節団が南回りでユルグに入り、国境近くに大部隊がいないとする。ならば北方国境付近に展開している事になるが、ここで心理的な葛藤が生まれる。『見た』のならば確実にそこにそのものが存在していると誰もが断言できる。しかし、選択肢が二つしかないとしても『見ていない』だけで断言する事は難しい。見付けられなかった可能性を排除できないからだ。

 こうして北方からの侵攻が読まれてしまっても問題にしていないのだろう。圧倒的な兵力をもって悠々と攻め込んでくる筈だ。侵攻時期も自明の理である。何をどう考えても十一月から十二月に北方から侵攻してくる。そう考えて間違いは無さそうだ。十二月の砂嵐は酷く強いが、雨季に比べれば移動が楽だ。寒い時期なので兵糧の運搬にも適している。

 もっとも、敵が侵攻を長期に渡って延期した可能性もある。でもそれは可能性だけの話に過ぎない。

 キリムは自宅の庭を散策しつつ、そんな事を考えていた。

 雑草の畑だった庭も、ノンモの奮闘で整理された庭園になっている。晩夏の太陽が芝を青々と照らす。その傍らには各種の香草畑があって、葉に丸々と太った青虫を這わせている。この虫は香りのする葉が好きなのだろう。人に見られているのも気付かないまま食事を続けている。その姿はどこか滑稽で、ノンモに似ている。

 そのノンモは少年を探していた。

「ああ、こんなところにいたのかい。帰ってきたよ。どら息子が」

 少年は走って屋敷に戻った。


 居間にある椅子の上、土に汚れたままのジョクーがちょこんと座っている。

 ウティホが眉間の皺を深くしながら睨み付けている。

「儂らの元を離れて、自由になって、気が緩んだのかも知れぬ。隊商(キャラバン)独特ののびのびとした雰囲気に飲まれてしまったのかも知れぬ。珍しい風景に魅了されたのかも知れぬ。でもな、この国は非常事態なのじゃ。それも並大抵の事態ではない。皆が今日滅ぶか明日死ぬかと悲壮な決意で努力しておる。なのにお前は何じゃ。帰ってきたばかりでもう旅に出たいなどと申すのか」

「どう言う事?」

 少年はお帰りを言う暇もない。

 ジョクーは応えようとする。

「いやね、アスマンに行こうかと思って・・・・」

「何故そうなるのじゃ!」

 ウティホの怒りは収まらない。

「まあまあ、ところでさ、ユルグ軍の動きを聞かせてよ」

「手紙を送っただろ」

 ウティホは更に怒るべき要因を思い出した。

「おお、何じゃあの伝言屋は! あんなものに金を使いおってからに。どうしてちゃんとした駅逓所を使わなかったのじゃ」

「手紙が届かなかったのか。こりゃあ検閲されたな。それなら、あんな駅伝屋でも使って正解だった訳だ」

「何とな」

 ウティホは驚きを隠せない。一方、少年は焦れている。

「もういいよ。本人が帰ってきてくれたのだから。お帰りジョクー。お疲れ様」

「おっ、ただいま。そうだ、敵さんの動きだな」

「そうそう」

「法皇が死にそうだって話は伝わったかい」

「今朝、正式な外交文書が届いたよ。七月に崩御したそうだ。先月、新しい法皇が就任したみたい」

「そうか、死んだか・・・・」

「敵軍の情報は?」

「おお、それだな。偶然昔馴染みと逢えて、かなり信憑性のある話が聞けたんだ。それによるとユルグ軍の総数は二十万で・・・・」

 二人は項垂れた。

「おうおう、何だよ。たかが倍じゃねえか。俺達は僅か五人で六百名のユルグ軍を伸しちまったんだぜ。ざっと百倍だ」

「正確には百二十倍だよ」

 少年は下を向いたままそう答えた。

「そうそう、その百二十倍だ。そして十二月に戦う事になる相手はたったの二倍。片付けるには丁度よい数じゃねえか。いや、ちっとばかし少ねえか? あははは」

「つまり二十万の敵兵団が十二月に侵攻してくるんだね。それで北? 南?」

「北だろうよ。六月の段階での話だが、俺のいた国境近くのオアシス街近郊に集結しつつあったらしい。その大軍をこの目で確認した訳ではないのだけれど、街は貿易が中止された割に賑わっていたし、食料の買い占めが行われて、宿屋や娼婦館が繁盛していた」

「軍隊がいると娼婦館が繁盛するの? 勉強になるなぁ」

「まだまだ学ぶ事は多いぞ。少年よ」

「ねえ、新しい法皇に関しては何か知らない?」

「あいつねぇ。俺がずっと白豚って呼んでいた大司教だ。神々の御使い、使徒の長なんて言われているけれど、控えめに言っても糞の塊だね。いやもっと酷い。糞は臭うだけで動かないし喋らないが、口を開いては民をたぶらかし、あちこちと動き回って罪業を重ねる。万人の敵だよ」

「相当恨みがありそうな感じだね」

「俺だけじゃねえ、あんた達にだって敵さ。俺の親父を殺し、アスマンに戦争を吹っ掛けた張本人だ」

其奴(そやつ)がか」

 ウティホが話に割り込んだ。

「その者があの忌まわしい術でアスマンを・・・・」

「手妻だそうだ。麻薬と火薬を使ったインチキさ」

 ウティホとキリムは思い出した。我々には私怨があるのだ。晴らすべき怨念が。敵の数なぞ関係ない。倍の敵を打ち倒さねばその男に辿り着けないのなら、倒すまでの事。そしてその男の胸に剣を突き立てて、まだ暖かい心臓を握り潰さねば気が済まない。

 はたと少年が気付く。

「火薬、そうか火薬なんだ!」

「そうさ、そいつを手に入れたい」

 キリムはジョクーの自由な発想に驚かされた。

 確かに火薬があれば戦略も変わってくる。少数の部隊で多数を相手に善戦する事もできるだろう。待ち伏せに使用すれば効果は絶大だ。アスマン戦争でユルグに使われ、その威力は身に滲みて実感している。それなのに自分で使おうと思わなかったのは、心のどこかで四年前の悲劇を直視する事を避けていたのだろうか。

 少年は台所で何やら奮闘しているノンモを呼び寄せた。

「ノンモ、出番だよ」


 ウティホは、まさか自分の妻まで戦争に借り出す事になろうとは、露にも思わなかった。

 彼女は医療の専門家である。アスマン戦争でもその腕を発揮したが、それは城内での事であって、野戦場で活躍していた訳ではない。それをこの歳になって、しかも、一個小隊五十名の指揮官として送り出すとは、一体誰に想像できるだろう。

 主婦業と医療の専門家たれば薬物、鉱物にも詳しい。硫黄には消毒薬としての働きがあり、また染め物をする際の色抜きにも使われる。かつてはアスマン火山で採取していた。火山性ガスが冷えてできた単体結晶の、混じり気のない良い品が採れる。

 それが必要となった。さて誰が採りに行くのか。そのあり処を知っているのは身の回りでは三人だけである。つまり少年とウティホ夫妻なのだが、キリムとウティホは隊を離れられない。となれば結論としてこうなる。

「ようやく、あたしの出番だね」

 ノンモは旅支度を終えて万全の状態である。キリムがその逞しい口振りに応じる。

「頼むよ、ノンモ。それにジョクーも」

「あ、ああ」

 ジョクーは気乗りがしない。まさか、肝っ玉も身体も太いこの王妹陛下と同行する羽目になるとは考えていなかったのだ。冒険に満ちた危険な旅が諸国漫遊になってしまう。

 ノンモはずんずんと大股で歩き、その後ろを猫背になったジョクーが小股で従う。軍用の大型馬車に乗り込み、荷駄十輛、騎馬十騎の大部隊で出立した。残る火薬の原料、炭粉と硝石を積んで、その場で調合できる様にしてある。

 ウティホは妻の馬車が見えなくなるまで見送った。失って初めて分かる妻の大切さ。急に自分が歳を取った様に感じる。背中を押し続けていた存在がいなくなると、これまでどうやって呼吸をしていたのかさえ分からなくなってしまいそうだった。


 十一月。全軍の配置が完了した。第五師団は工兵としての勤めを終え、今度は索敵と敵兵站線を分断する役割に転ずる。北方の監視を充足させ、伝令兵の配置を更に細分化して高速化を図った。そしてキリムの進言で南方にも一部を展開させる。ノンモ達が心配だったからである。ウティホの気の病が移ったのかも知れない。


 ウティホの外見は実に指揮官然として見える。痩せていてもがっしりとした体躯、立派な顎髭、日に灼けて黒く皺の深い顔付き。しかしながら、その内面は乙女の様に繊細な心の持ち主で、荒事よりも育児や庭いじり、畑仕事に向いた性格なのである。

 兵士として繊細な性格は減点要素ではない。ただ彼の場合、負ける事に対する心の許容値が低く、不利な状況や予期せぬ事態に遭うと心根が挫けてしまうところがあるのだ。それは四年前の敗戦で得た性分なのではなく、生まれ付きそうなのである。

 それを変えたのがノンモだ。彼女は夫の背中を押し続けた。近衛兵長になる事を尻込みしていた時も、自分自身を娶る時も、叙勲され王籍に入る時も、そしてアスマン戦争で総大将に任じられた時も。

 彼女の根拠のない声援や屈託のなさが幾度夫を救っただろうか。悩み苦しんで眠れない夜、胃を痛めて何も食べられない時、彼女が傍らで鼾を掻いて、胃を摩る夫の皿から肉を奪い、更には嫌いな野菜を押し付けて、それでも平然としている妻の姿が救いになったのだ。何故それが救いになるのかはウティホにしか分からないところだが。

 しかし、今はそのノンモがいない。彼女がいるのは遠く南の地である。

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