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僕の魔法  作者: Gさん
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第三章

 ユルグ兵の残した馬車を一両拝借して、一行は北へと向かう。敵との再戦だけは避けねばならない。一刻も早くこの地を離れた方が良いと判断したのだ。

 御者はウティホが勤めている。マウ・リサは自分の馬で追随している。幌の中はキリムとノンモ、それにジョクーの三人である。


 ジョクーは心配そうに覗き込む。

「どうです? 治りますか」

 ノンモは包帯を巻く手を休めずに応える。

「大丈夫、骨と腱は傷付いていないよ。それにこの蘆薈(アロエ)が見付かって良かった。お前さんが探してくれたお陰だよ」

 少年に施された包帯が痛ましい。縫う程大きな傷ではないが、掌を貫通させたのだ。痛まない筈がない。それでも当の本人はけろりとした表情を見せ、御者台に顔を覗かせてウティホを安心させた。


 今回の体験は、波瀾万丈な人生を歩む山賊にとっても無類の驚きであった。

「あれが本物の法術なんだな」

 左手の動きを確かめながら、キリムが応える。

「それが、よく分からないんだ。結局は手妻なのかも知れない」

「暗示って奴か!」

「そうだね。一応理屈はあるのだけれど」

「どんな?」

「長い説明になるけれど、聞く?」

「どうせ長い旅だ。聞きましょう」

 ジョクーの素直な返答に少年は微笑んだ。そして包帯でくるまれた掌を擡げる。

「まずはね、これを理解する必要があるんだ。僕は自分の手を突いたけれど、その時の痛みって、どこが感じているんだと思う?」

「手が傷付いたんだから、手が痛がっているんだろう」

「違うんだ。痛がっているのは頭の中なんだよ」

「手を怪我して頭痛がした事はないな」

「そうじゃなくってね、頭が『今、手が痛い』と感じているんだ」

「手と頭ではかなり離れているぞ」

「痛みを伝えているものがあるんだ。それを『経絡』という」

「目に見えるものなのか?」

「柔らかな繊維状のものでね、白い絹糸に近いかな。それが体中に張り巡らされていて、首を通って頭に繋がっている」

「じゃああれか、爪先が痛くてもそれを感じているのは頭なのか? 信じられんね」


 キリムは別の例を持ち出す。

「こう考えてよ。とある囚人がいてね、罰として片腕を切り落とす事と五本の指を潰す事が決まったとする。刑の執行人はまず腕を切り落とした。当然、囚人は苦しんで大いに悲鳴を上げる。次に大きな槌を使って、その指をぐしゃりと潰した。けれど、囚人にはそれが分からなかった。蚊の喰う程にも感じなかったんだ。それはどうして?」

「切り取られた手は痛がっているさ。でも囚人とは別々になってしまったから、それを知る事ができないだけで」

「うん、その話と僕の話、同じでしょう?」


 ジョクーは得心した。しかし納得が行かない点もある。

「それが法術とどう関係があるんだ?」

「実際に右手を失った人がいてね、その人の場合、未だに手が付いていると勘違いする事が続いたそうなんだ。物を掴もうとしたり、触っていない水を冷たく感じたりとかね。切り取った右手を蒸留酒に漬けて大切に保存していたんだけれど、もう燃やしてしまおうって事になって、自分で火に焼べたんだ。その時、ピリリと痛みを感じたんだって」

「ほーお。でもそう言うものかも知れんな」

「その理由をこう考えた人がいたんだ。経絡が切れてしまったとしても、痛みを伝播させる『気』が空中を飛んで、目や耳からその人に戻り、痛みを感じさせたんだとね」

「その応用がさっきの術か」

「そうなんだ。僕の手の痛みが空中を飛んで、敵兵の頭に入ったのだろうと」

「敵さんが勝手にそう思っただけじゃないのか」

「だからね、暗示かも知れないし術かも知れない、と言ったんだよ」

「そうか。いや待てよ、だったら俺達だって痛みを感じている筈だ」

「感じなかった?」

「多分・・・・」

「左手に違和感はない?」

「そう言われれば、何となく痺れた様な・・・・あれ、少し痛いぞ」

「これが暗示だよ」


 少年は悪戯っぽく笑っている。

 ジョクーは小馬鹿にされた様で気に喰わなかったが、会話を続ける事にした。

「しかし、人ってもんは暗示に掛かり易いんだな」

「そうだね、太古から暗示や詐術が使われてきた。脅しやはったりにも似て、人の心を縛る(すべ)だったんだ」

「そんなに昔からか」

「うん。かつて(おとこみこ)が支配する呪術国家があったそうなんだ。その王は術士でね、国難全てを術で解決したそうだよ」

「馬鹿らしい」

「僕も同意見だよ」

「でも興味はあるな。一体どうやったんだ?」

「飢饉に見舞われたり、疫病が流行ると贄を捧げて神々に祈ったんだ」

「獅子や兎をか」

「自分の妻や子供をだよ」

「王妃や王子を殺すのか?」

「さすがに自分の身体を痛めつけるのは嫌だったみたいだけれど、妻や子の目玉、手足、性器、そして心臓を祭壇に供えて祈ったそうなんだ」

「悪趣味だな」

「その極みだよ。贄にされる人が苦しめば苦しむ程効くのだと言われていて、早く死んでしまわない様に、少しづつ身体を刻まれたそうだよ。乳房を切り取るにしても、まずは針を沢山突き刺し、それから少しづつ削ぎ取る様に・・・・」

「止めてくれ。しかしなあ、幾ら子沢山でも数に限りがあるだろうに」

「そう言う事だね。時代が経つと王の妻子じゃなくても構わなくなったし、更には人間以外の生き物や人形(ひとがた)を贄にする様になったんだ」

「その方が健康的だな。お兄さんは賛成だ」

「当時、災厄の到来は王が求心力を失う事と直結していた。国難は全て王のせいにされて、反乱が絶えなかったんだ。だから、その度にハッタリを咬ます必要があったんだろうね」

「王様ってのも因果な商売だな」

「民衆達はね、王の力不足で飢饉になったと騒ぎ立てたり、王が愛する長子を贄に捧げたからもう大丈夫だと安心したりしたんだと思う」

「面倒見切れないね」

「だから、今でも贄の伝説が残っていて、術士が贄を捧げて術を使うとか言っている人がいるんだよ」

「そんな事を言う奴は馬鹿に違いない」

「うん、そうだね」


 ジョクーはノンモの方に向き直る。

「ねえ、奥さん?」

「・・・・そう、馬鹿だろうね」

ノンモは急に話を振られて当惑したが、そう応えた。

 したりとジョクーが叫ぶ。

「大将、奥さんが馬鹿と仰っていますよ」

「?」

 ウティホはよく聞き取れない様子だ。

 一方のノンモはようやく話を理解した。

「何だい、ウチの旦那の事かい。それだったら馬鹿に違いないよ。大陸をあちこちと巡って知識は豊富だけれど、生来のお人好しだからね」


 馬車が急停止した。

 ウティホが幌の中に入ってくる。

「うほん、何の話だ」

 態とらしく咳払いをして、山賊をぐっと見る。

「旦那、俺じゃありませんぜ」

「ジョクーよ、一つ教えてやる。隊商長(かしら)に限らず人を束ねる人物には不可欠な要素がある。それは何だと思う?」

「さあ?」

「密告者を信じず、告げ口をした者を逆に罰する気概を持つ事じゃ。小者は小者に過ぎないのだからの」

「はあ」

「よって、お前には罰を与えよう。今から御者を務めるんじゃ。儂は寝る」

 無駄口は思わぬ不幸を呼び込むらしい。がっくりと肩を落とす山賊であった。


 一行は夜を徹して旅程を消化し、太陽が燦々と降り注ぐ『海辺の街』へと到着した。ここまでくればもう辺境とは呼べない。

 狩猟や漁労、それに香辛料や果実の採取を行う者達の根拠地として、また市の場として多くの者が暮らしている。海辺には整然と防風林が植えられ、砂浜に小舟が並び、石灰岩で作られた家々と石畳が異国らしい街並みを作っている。

 ここにはバルバーレ軍南方旅団の兵営所があり、王族が泊まる下屋敷もある。一行はそこに滞在する事となった。高い石塀に囲まれた敷地には美しく整えられた庭があり、屋敷の中も贅沢な調度品や美術品で飾られた貴族趣味になっている。


 広間には玉座が据えられ、王女マウ・リサが座している。

 ウティホ達はその脇に位置し、求められれば意見を述べる様にと指示された。ジョクーにはいかにも不釣り合いな役処であり、緊張して少しふらついている。


 軍服を纏った数名が参内し、玉座の前で膝を折って頭を垂れた。

 王女が凜とした声を響かせる。

「私が危機に直面している間、お前達は何をしていた?」

 太った人物が進み出て応える。

「ははっ、帰還した従者が王女の危機を急ぎ知らせて参りましたので、南方の全軍を上げて救出に向かう準備をしておりました」

「愚かな」

「は?」

「全軍を大挙して動かす必要などある筈もない。少数でも迅速に動かせる兵を用意して、様子を伺うべきではなかったのか」

「はっ、仰る通りにございます」

 将官らしき人物は、まだ寒い季節なのに汗を滴らせた。

「ところで、私の従者はどうしているのだ?」

「傷を負っておりましたので、治療を施し休ませております」

「そうか、では至急ここへ呼ぶがよい」


 官吏が走り、男が呼ばれた。

「ご無事でいらっしゃいましたか、王女殿下」

「運良くな。さて、言い訳があれば聞こう」

「はあ・・・・」

 男はその意外な言葉に青ざめた。

「お前の仕事は私を助ける事だ。私の代わりに死ぬ事だ。それを放棄して逃げ出した。そんなお前を私はどう評価すれば良いのだ?」

 男は立ち上がろうとたが、衛兵に取り押さえられた。

「こちらにいらっしゃる方々がお前の代わりに助けて下さった。自らの身体を傷付け、術を発揮し、六百もの敵兵の直中から脱出させて下さったのだ」

 男は顔を床に押し付けられ、何も答えられない。

「大切なお客様の前でもあるし、命は残してやろう」

 王女は立ち上がり、腰の剣を抜いた。男は腕を掲げさせられる。

 剣が一閃を放ち、男の左腕がぽとりと落ちた。

 男は叫び声を上げるまでもなく気絶し、引き摺る様にして退散させられる。

 代わりにノンモとジョクーが小さく悲鳴を上げた。

 将官は大きな体を縮めている。

 マウ・リサが追い打ちを掛ける。

「さて旅団長」

「はっ」

「これからどうする?」

「まずは全軍を上げまして殿下を護衛し、王都までお連れ致します」

「馬鹿者め」

「は?」

「斬首と馘首(クビ)、どちらを選ぶ?」

「いや、その・・・どうか命だけは」

「では馘首(かくしゆ)だな。貴様を免職とする。一刻も早く私の視界から消えろ」

 旅団長も衛兵に抱えられて退場となった。


 王女は苛立ち紛れに頭を掻きながら事務を進める。

「次の責任者は誰だ」

「私めにございます」

 小柄な初老の男性が名乗り出た。

「では指示を与える。南部国境地域でユルグ軍と対峙せよ。それと、その地に根拠地がいるな。戦が近いと心得る様に」

「殿下のご意志は進攻でしょうか、それとも防戦でしょうか」

「貴様はどうすれば良いと考えるか」

「敵の規模や編成も分からぬ状況で進攻はできますまい。まずは敵軍の行方の探索ですな。既に退却した後ならば、国境を固め、再度の潜入を許さない事が肝要かと」

「手堅いな。いや、それで良い。要は負けない事だ」

「では、索敵、監視と情報伝達の手立て、拠点の建設の順で進めます。騎馬で編成された索敵班が既に動いております。敵軍が大挙して襲来した場合を想定しまして、その報が一刻も早く王都に伝わる様に伝令網を設置しましょう。国境とここ、そして王都まで数カ所に分けて早馬を置きます。それに国境警備隊の編成ですな。三班に分けて長期に渡って監視できる様にします。更には拠点の建設。早速、見地測量をさせて場所を決めます」

「いつまでにできるか」

「石造りの大きな城ならば何年も掛かりましょうが、戦に間に合わなければ意味がありません。塀は低く屋舎は木造でよろしければ、月内にも」

「屋舎はなくてもよい。天幕で充分だろう。ただ塀は強固にせよ。四年前の戦争に学べ」

「この屋敷の石塀を運ばせます。それで一月で」

「それは妙案だ。ここにあるものは何でも持ち出せ。使えぬものは売り払って人を雇え」


 王女はこの老兵が気に入ったらしい。満足げな笑みを見せている。

「今回の件で得たものがあるとすれば、貴様を見出せた事かも知れぬな」

「恐縮です」

「では、火急につき略式ではあるが、本日を以って貴様を南方方面軍の新旅団長に任ずる。南方に配置した五千の兵、その全てを預けるものとする」

「ははっ」

 老兵は一礼し、走る様に出て行った。

 マウ・リサ嬢は優しい表情を取り戻し、ウティホ達に話し掛ける。

「お見苦しいところをお見せ致しました。これから騒がしくなると思いますが、まずは、どうかゆっくりとお寛ぎ下さいな」

 王女は靴を鳴らして広間を後にした。


 彼女がいなくなった事を確認して、ジョクーがぼやく。

「寛ぐったって、あんなもんを見せられてはゆっくりできねえな。俺の尻がむずむずして早く逃げ出せって言ってるよ」

「あたしもだよ」

 ノンモもどぎまぎとしている。その横にいるウティホは渋い顔をして顎髭を撫でる。

「あれで正しいんじゃよ。統治者たる者は時に厳しくなければならん」

「マウ・リサって恰好良いね」

 一人だけ別次元の感想を述べるキリムであった。

 それから一行は女官に案内され、与えられた部屋へと辞した。


 旅に出て何が変わったかと問われれば、どこでも眠れる様になった事であろうか。それに加えて疲労のせいか寝台の心地良さか、皆深い睡りを取り戻した。起き出したのは夕刻になってからである。キリム自身は、カーテンを染める赤い太陽が夕日なのか朝日なのか判別できなかったが、隣で鼾を掻いているジョクーを起こす事にした。

「もう起きなよ。朝だよ」

「うーん、俺はずっと御者をしてて眠てねえんだ。後二日は眠らせてくれよ」

「もう」

 少年はやむなく隣室に移動する。そこにはウティホ夫婦が眠っている筈だ。

 巨大な寝台の中央にノンモが大の字で寝ている。衾も掛けずに寒くないのだろうか。その隅でウティホが固まっている。布にくるまって狭そうに身体を丸くして。この夫婦の力関係を如実に表した寝姿と言える。

「ウティホ、もう朝だよ。ノンモも」

「おお朝か、寒いな」

「暖かい朝だね。食事は出るのかい」

 キリムに新しい知識が備わった。

 持ち運びに勝れ、大陸で最も優秀な暖房器具。それは脂肪。


 暫くして少年と夫婦は食堂(ダイニング)に呼ばれた。

 食卓に蝋燭が灯され、玻璃の窓に光を反射させている。キリムは今が夜だと気付いて、一日損をした様な、何だか奇妙な感覚になった。

 食卓には山海の馳走が並んでいる。猪に山鳥、(しび)や名も知らぬ甲殻類。しかし手の込んだ料理ではなく、塩と香草や香辛料だけで味付けられた丸焼きの類である。それはそれで充分旨そうだ。樽のまま置かれた果実酒が香しい臭いを立てて、夫婦を魅了している。ジョクーは寝坊してこの貴重な機会を逃してしまった。


 主催者(ホステス)たるマウ・リサが着席する。

「さあ皆様、こんな物ではお礼になりませんでしょうが、心ばかりの料理を作らせました。これが私どもの郷の味です」

 そう言うと王女自らが料理を取り分け出した。檸檬を浮かべた手水鉢(フィンガーボウル)に指を浸し、油に塗れながら解体する。銀器(カトラリー)で取り分けるアスマンとは全く違う礼儀作法である。

 賓客達(ゲスト)もそれを手で食べる。何とも無骨だが、味は旨い。肉の脂身をつるりと啜り、魚は丁寧に骨を外して口に放り込む。小骨を取る作業は成る程手掴みが良い。

 ノンモは初めての作法に臆せず物凄い速度で食べ進める。ウティホはノンモの食べ方を凝視しながら真似ている。キリムにはこの初めての味が堪らなく刺激的だった。肉には胡椒が合い、魚には酸味のある香草が合っている。塩が違うのだろうか。丸みを帯びた優しい塩分が食欲をいや増す。一口毎に手を洗わなければならないのがもどかしいが。

 そしてご自慢の米料理が運ばれた。魚介と一緒に炊いた物で、木匙で食べる様だ。

 これなら落ち着いて食べられるとウティホは安心した。

「これが米なのですな。初めて食べますが、旨いものです」

「この黄色い粒が米?」

 キリムも興味津々だ。

「そうですよ。本来は小麦同様に白いのですが、紅花(サフラン)で色を付けています」

「米でパンは作れないの?」

「パンをご所望かしら」

「ううん、そうじゃないけれど」

「作れない事はありませんが、小麦のパンとは似ても似付かない物になってしまいます。今後の研究課題ですね」

「米でパンを作ると柔らかい物になっちゃうんだよ。焼き過ぎるとすぐに焦げるしね」

 ノンモが主婦らしく専門的な知識を披露した。

「よくご存じですわ。その通りです。焼くよりも蒸した方が甘みも出て良さそうなのですが、香ばしさがなくなって、単調な味になってしまいます」

「しかし、こんなに美味しい物があれば小麦を買わなくなる筈さね」

「それが四年前の戦争の引き金になったのですね」

 マウ・リサは済まなそうな表情を見せている。

 それを察してウティホが言い返した。

「バルバーレが水耕を始めた事に責任はありませんぞ。それは遅かれ早かれ行われる運命にあったのですから」

「そう仰って頂けるのは有り難い事です。しかし経済問題が戦争の原因になるとは思いませんでした」

「そうかな?」とキリムが口を挟む。

「背後に相互不信や民族問題があったとしても、双方が充分以上に豊かであれば戦争は起きない。ご大層な大義名分を立てて、殺し合い、金を奪い合うのが戦争なんだ」

 王女は少年の言葉に驚く。

「そうなのですか?」

「うん、それは歴史が証明しているよ」

「今起きつつある戦争も?」

「今後は分からない。もうこの大陸には二つしか国家がないのだから、別の理由があるんじゃないかな」

「それは?」

「両国の統治者は国土が侵略される事を恐れている。それは至極当然な心理だけれど、国を脅かす程の国が多数あれば、どこかを攻める事よりも守りを固めようとするでしょう?でも今は、自分以外にはもう一国しか存在していないのだから、怯えているよりは果敢に攻めたいと思う筈だよ」

「確かにそうですわ。我が国にも好戦的な者が多くいます。残念な事ですけれど」

「でもね、それで大陸が一国に統一されたとしても、もう戦争のない平和な世界になるとは限らない」

「それは、海の向こうから侵略者がくるという事でしょうか」

「違うよ。そんな可能性は排除して考えるべきだね」

「では何故?」

「国が一つになる。それはいろんな文化を持つ民を一様に統治する事を意味しているんだ。例えば新しい法律を作るとして、こっちの民には歓迎されても、他方では批難されるかも知れない」

「それでは場所によって統治の方法を変えてみれば?」

「不公平だと思われるだろうね」

「一国になっても、内部で反乱が起きてしまうのですね」

「そうさせない為にまた戦争だよ」

「この世から戦争が無くなる事はないのでしょうか」

「残念ながら。でもこれまでがそうだった様に、長く戦争のない時代を作る事はできる」

「どうすれば?」

「アスマンの復活だよ」

 ウティホが唸る。

「そうですじゃ。そうなれば嘗ての様に平和な時代がやってきます」

 キリムが続ける。

「アスマンはいつでも緩衝材の働きをしていたんだ。これまでもユルグとバルバーレの間で小競り合いがあったけれども、その度にアスマンが仲介していた。その必要があったからね」

「それは?」

「アスマンは商いの国。商売は平和じゃなきゃできない」

「戦時こそ大商いの好機ではありませんか」

「こちらに火の粉が降り掛からない保証があればね。でもこの大陸は狭過ぎる。アスマンは他の二国と接していたのだから」

「失礼ながら、アスマン国の復活は現実的な話とも思えませんが」

「確かにね。国が敗れても民が半分、いや三分の一でも残っていれば、再興は難しくない。でも、もう一人も残っていない・・・・」

「残念です」

「僕はまだ可能性を信じたいんだ。二国に散らばった商人達を束ねられれば」

「それが皆様の旅の動機ですか」

「それが僕のやるべき事なんだよ」

「おお」

 ウティホは感嘆した。少年の真意を初めて知ったのだ。そして自分の夢が小さかった事を恥じずにはいられなかった。ご自分の命を賭してキリムを助命された国王一家の望み、それはアスマン復活にあったのだと気付かされた。

 王女が問う。

「私にも何か助力できませんでしょうか」

「じゃあ、王都まで連れて行って貰えますか?」

「それは是非。貴方の術と学識はバルバーレにも有用です。父に逢って頂きましょう」

「願ってもない光栄ですじゃ」

 ウティホにとっては明日が輝いて見える一瞬だった。


 朝、今日も眩しい程の晴天である。屋敷は俄然騒がしくなった。昨日の話の通り、塀の石を取り外し始めたのだ。それに一人の商人が呼ばれ、王女や軍幹部と面談している。

 ウティホは帰り際の商人を捕まえた。

「お主はアスマン人か」

「ええ、出身はそうです。商品の仕入れに出向いていて戦争を逃れる事ができました」

「儂の顔に見覚えはないか?」

「ひょっとして・・・・王弟陛下でらっしゃいますか」

「おお、知っておったか」

「平民から一足飛びに王族になられた陛下の事は有名ですから。で、ご用の向きは?」

「それじゃがな、今し方、王女と話し合われたと思うが、またぞろユルグが蠢動しているらしいのじゃ」

「その様ですな」

「是非ともバルバーレを助けてやってくれ」

「勿論です。商売ですしね」

「そこじゃ。商売は儲けが大事、儲けのない商売は罪悪じゃが、ここは一つバルバーレに投資するつもりで働いてやってくれ」

「はあ」

「いや、損して得取れというではないか。それに、お主の働き如何ではユルグが勝ってしまうやも知れん」

「それは確かに嫌ですね」

「そうじゃろう」

「前の旅団長はいけ好かない貴族でしたが、新団長は一兵卒から出世した苦労人ですし、応援しましょう」

「おおそうか。ついでに聞くが、ここは資金で困っているのか? 屋敷の物を売り払うとか仰っていたが」

「いえ、元旅団長の隠し財産を没収して一気に潤ったみたいですよ。これまで資金に難があったのは其奴(そいつ)のせいですね。でも屋敷の調度品は売ってしまう様です。王女も新団長も華美を嫌う人ですから」

「それでこそ兵士、それでこそ王族じゃよ。戦争が近いからと言って税を上げるのは愚策の極みじゃ」

「まさしく。ところで王弟陛下はこれからどうなさるのですか?」

 ウティホはにやりと笑う。

「儂か? 儂のする事はな、国生みじゃよ」


 マウ・リサの仕事も終わり、出立の準備が整った。王女の触れにより笛太鼓の礼式はないが、旅支度は豪華なものである。四頭引きで黒光りのする大型馬車と騎馬で出立する。

 王女を含む五人は四輪馬車の車内である。その柔らかな椅子に座りながら、ジョクーは目を爛々と輝かせている。

「こんなにでかい馬車は見るのも乗るのも初めてだよ」

「物見遊山ではないのじゃぞ。しかしあれだな、この馬車はアスマン製の最高級品じゃから驚くのも無理はないかの」

 他人の持ち物なのにウティホは自慢気だ。一方、ノンモは昨夜の事を思い出している。

「それよりも昨夜の晩餐。ありゃあ良かったねえ」

「何! 本当か? キリムよお、どうして起こしてくれなかったんだ」

「ちゃんと起こしたって。それでも寝ていたジョクーが悪い」

「ああ、どんな物が出たんだろう」

 ウティホが髭を撫でて言う。

「絢爛豪華なご馳走じゃったぞ。寿命が十年は延びただろうの」

 ノンモも賛同する。

「それに量も申し分なかったね。動けなくなる程食べたのは久し振りさね」

「それよそれ。寝ながら夢で見ていたのはそれだったんだよ」

 ジョクーが身を乗り出している。その様がマウ・リサには可笑しかった。

「皆様を見ていると何だか気が楽になります」

「俺達ゃお気楽に見えるかい?」

「そうさな、勤勉さは四年前の戦争で使い果たしてしまったのだろうの」

「あんたはずっと前からお気楽な人だったよ」

「僕は至って真面目だよ」

 最近になって孤高の道を行く事にした少年である。

 こうしていても馬車は快調に北を目指す。馬を使い潰すまで走らせて、宿駅で新しい馬に変えてまた走り出す。こんな贅沢ができるとは誰が思い描けただろう。


 日を経るに従って、風景はその姿を変える。広漠とした荒れ野は奇景たる峡谷となり、一面の草原に差し替えられ、田畑の拡がる丘陵地を抜け、村々を通り、徐々に行き交う人や馬車が多くなった。

 やがて貿易行路は土から石畳へと変わり、前方に灰色に沈む都会の街並みが現れた。

 黒々と犇めき合う楼閣の群れ。それは人の欲と力を具現化した存在に映る。

 王都まで数ヶ月の旅程を覚悟していたが、一週間での到着である。権力は大陸をも小さくしてしまうらしい。


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