第一章
有史以来、旅人を見守ってきた森の大路。もしも路に感情があるなら、この有様をどう思っているだろう。かつての貿易行路も今は轍すらなく、人馬に代わって落葉と石塊が覇を唱えている。もう春が訪れつつあるというのに。
今日は珍しくも、その路上に人がいる。旅人なのは確かであるにしても、いかにも小さな存在だ。一行は僅か三人で、しかも徒歩で森を越えようとしている。大陸南端の小国『アスマン』の地から、大陸中央を目指して北上しているのだ。
先頭を行くのは少年である。鞣し革の外衣を纏い、フードで顔を隠している。思春期に入るかどうかの年齢で、身長は歳を勘案しても小柄だ。外衣と同じ灰銀色の目と薄金の髪。それは耳を隠す程に長く、万遍なく波打っている。
その少年に中年の夫婦が付き従う。男は羊毛を編んだ外套の上に背負子を担いでいる。女は刺繍の入った木綿服一枚という軽装で、それでも汗を掻きながら歩いている。
暫くすると行路は分かれ道となった。マンジャロウ山脈を避けて二股に分岐しているのだ。東へ行けば『バルバーレ国』へ。西に行けば『ユルグ教国』へと繋がっている。
少年が歩みを止めた。
中年の女が話し掛ける。
「キリムや、どっちに進むんだい?」
「僕にも分からないんだ。ノンモ」
少年は、そう応えるのが精一杯であった。
もう一人の従者、ウティホが助け船を出す。
「ノンモよ、お前は太っているから疲れただろう。取り敢えずここで休むとしよう」
妻はその言われ様に憮然としながらも、内心では喜々として岩に腰を下ろした。
「お前が腰を下ろしたのは道祖神の石像じゃぞ」
「ちゃんと拝んでから座ったさ」
拝めば済む問題ではないと言い掛けて、夫は反論を諦めた。背負子を下ろし、それに腰掛けて大きく溜息を吐く。
「坊よ、西か東か、決めなくてはなるまいて」
「どちらに進むとしても、僕のするべき事に変わりはない」
この自暴自棄とも思える態度がウティホの癪に障った。
「ここで待っていれば誰かが決めてくれるとでも言うのか!」
「好きにさせておやりよ。ここで一泊して、朝になれば結論も出るだろうさ」
妻がいて有り難いのはこんな時だ。男二人ではいつも堂々巡りになってしまう。
「・・・・そうじゃな。それでは食事にするか」
ノンモは「きゃっ」と短く快哉を叫んで、早速手を拡げて待っている。夫は背負子の中から焼き締めたパンを渡した。少し離れて木の根に座っているキリムにも渡す。
「坊、さっき『するべき事に変わりはない』と言っておったが、それが復讐の事ならば考え直してくれよ。誰もそんな事を望んじゃおらんのだから」
パンを口に含んでモゴモゴと発音しているが、ウティホの目は真剣だ。
「それも分からない」
そう呟いてから、キリムもパンを噛み締めた。
これが彼らの悩みの種である。もう若くはない夫婦の数少ない望み、それはこの少年が平和のうちに、幸せに暮らすという一事のみである。どうやらキリムにはそのつもりがないらしいのだ。それに野宿するなら薪と水の確保をどうするか。これも難問だった。
ささやかな食事も後少しで終わろうとする頃、状況が変化した。行路を横切る風が吹き渡り、汗臭い獣の臭いを運んできたのだ。
少年は二人に目配せし、フードを外して耳をそばだてる。
ウティホは残りの一切れを口に入れて、腰の物の縛りを解いた。
ノンモはウティホの影に隠れる。食べ掛けのパンはしっかり握り締めたままだ。
暫くすると、下草をガサガサと揺らしながら身形の悪い男が現れた。寒そうな薄手の麻を纏い、ひょろりと背が高く、茶の髪を無造作に伸ばしている。
その男が両刃の剣を肩に乗せて、斜に構えて言い放つ。
「よお、三人さんでご旅行かい。今時、護衛の兵も従えずにこんな辺鄙なところまでくるたあ物好きなこった。教えておいてやるよ。万事は命があっての物種だ。おまんま喰うのも金を稼ぐのも生きる為。てめえの命よりも大事なものなんてありゃしない。違うかい?さあさあ、取り敢えず荷物を全部寄越すんだな。お行儀良く渡したなら、命まで盗る事はないだろうよ」
物取りにしては長台詞だ。
ウティホも黙ってはいない。
「やあやあ山賊め、名乗りも上げず戦いに挑むとは片腹痛し。このウティホ、争い事は好まぬが無礼者を容赦するほど腑抜けではござらん。見よ、この業物を。地中深くから掘り出したる鋼をアスマン火山の業火で鍛えし一品なるぞ。貴様の段平なぞ鈍器に等し・・・・」
「うりゃー」
山賊が突っ込んできた。
ウティホは慌てて叫ぶ。
「ま、待て待て待てえーい。まだ名乗りが終わっておらんぞ」
「そいつは待たなきゃならんのか」
「当然じゃ」
「そりゃ済まなかった。ではどうぞ」
「ええと、どこまで喋ったかな。忘れてしまっては致し方ない。やあやあ山賊め」
「おっさん、そこからかい」
「おっさんとな。儂にはウティホと言う立派な名前がある。貴様にはたっぷりと説教しなくてはならん様だな」
「かーっ、説教か! 懐かしいな。死んだ親父にされてから何年振りだろう。是非ともその説教を聞かせてくれよ」
「何とな。存外、素直な奴じゃて」
キリムとノンモは暫く呆然として見ていたが、並んで道祖神に腰を下ろし、食事を再開する事にした。馬鹿馬鹿しくてこれ以上は付き合えない。
ウティホは自慢の剣を納めて、悦に入りながら説教を続ける。
「山賊よ、勇者たる者は正々堂々と戦わなくてはならん。それに礼儀を覚えぬとな。まずは名乗りを上げ、相手の名乗りをちゃんと最後まで聞いて『いざ戦わん』と声を合わせてから組み合うのじゃ」
「そんな決まりがあったんだ?」
「うむ、知らなかったのならば許してやろう。それに組み合うにしても、まず柄を胸に当てて一礼し、互いの切っ先をかちゃりと交差させて、それから始めるんじゃよ」
「面倒な話だ」
「手続きは何でも面倒なものじゃ。ここまで理解したなら、お前は立派な兵士じゃて」
「いやー、良い事を聞かせて貰った」
「但し、この礼儀を破っても許される者もおる。法術士じゃ。連中は剣を持たぬからの」
「魔法使いの事か?」
「そうじゃな。ユルグ教の聖職者で、神々の力を僅かながら使えるのが法士じゃ。そしてバルバーレの巫覡じゃな。連中は術を使う術士じゃて」
「それはどう違うんだ?」
「法士は経を唱えて法力を発揮すると聞く。一方の術士は、神々に『贄』を捧げてその力を借りる者の事じゃ」
「そいつらは強いのか?」
「うーむ、人によるかの。並の法士ならば目眩を起こしたり足をもつれさせたりするのが関の山じゃな。稀人ならば火を起こしたり雹を降らせたり、怪我の治りを早めたりもできるらしい」
「もう一方は?」
「術士は贄の種類や多寡で力が変わる。野生の獅子を倒して贄にすれば、獅子を倒した時と同等の力を術として解放できるのじゃ。そう聞けば恐ろしいが、その者は術を使わずとも獅子を倒せるのじゃから、最初からそれだけの力がある者なのだし、術を恐れる前にその者の実力を恐れるべきじゃろうの」
「何だかおっかねえな。そんな危ない連中がごろごろといて、それで名乗りもせずに突然グサリとくる訳かい」
「ごろごろもおりゃせん。大陸全土を見渡しても、戦いに参加できる程の者は百名もおらんじゃろう」
「たった百人かい。無視してよい数字だな」
「お前は飲み込みが早いな。名前を聞いておこうか」
「俺は『ジョクー』ってんだ」
「国はどこだ?」
「ユルグ教国さ」
三人はぴくりと反応した。
ウティホは平静を装い、続けて聞く。
「どうして山賊をしている?」
「親父は武官だったんだ。かなり偉かったと思う。でも四年前の戦争の時、頑なに参戦を拒否した。お陰で周囲からは悪者扱いさ。それから擦った揉んだあって、挙句の果てに死んじまった。それで俺は親父の遺言通りに山に入って山賊になったんだな」
「どうして親父様は息子を山賊にしたかったのだ?」
「よく分からん。でも最後の言葉は『この国を一刻も早く出奔しろ』『暫くは山賊にでもなって身を隠せ』だったよ」
三人に安堵の表情が浮かんだ。
ノンモが少年に尋ねる。
「キリム、待っていたのはこの男かい?」
「う~ん」
少年は小首を傾げる。その様子を見て、山賊のジョクーが少年に興味を示した。確かにちっちゃな子供だが、その寂しげな目付きが気になる。
「なあ、ひょっとして坊ちゃんはその魔法使いなんじゃないのか? 服装がそれっぽい」
「君は物取りを諦めたの?」
「おお、代わりに知恵を貰ったからな。親父がよく言っていたんだ。『知恵か物ならば知恵を選べ』ってな。ところで俺の質問にも答えてくれよ」
「僕はただの子供だよ。法士でも術士でもない。なるつもりもない」
少年にしては力の入った口調だった。
ジョクーはそれで納得した訳ではなかったが、人懐っこい笑顔を作って、それ以上は問い詰めなかった。
ウティホは彼にもパンを渡し、食べ終われば薪を集める様に指示している。どうやら旅に同行する者が増えた、という事らしい。
山賊にしては働き者だ。手際よく大量の薪を集め、どこからか清涼な水を汲んできた。
ノンモは手早く茶を沸かし、乳酪を少しと砂糖をたんまり入れている。今や人通りのなくなった貿易行路の分岐点で、焚き火を囲んでのお茶会となった。
ジョクーは茶を啜りながら感心している。
「こりゃ豪勢なもんだ。甘い茶なんて久し振りだよ」
「そうかい? だったら幾らでも飲みなよ」
ノンモが軽い調子でそう応えた。
「山賊を歓待してくれる旅人がいるなんて、聞いた事がないな」
「ただの山賊なら、うちの旦那が伸しているだろうさ。でもお前さんは違う。私らにとっちゃ恩人みたいなもんだからね」
「そりゃ、どう言う意味だ?」
「私らは『アスマン』の住人だったんだ」
「ああ、アスマンか。聞かせてくれよ。どんな国だったか」
「昔はね、この大陸には三つの国があった。そして互いを尊重しながら戦争をしていた。おかしな表現だけれども、ちょうどそんな感じだったんだ。小競り合いは続いていたけれど、どの国もそれを反乱分子のせいにしていたし、三国間での交易は盛んだったよ」
ノンモは茶の様子を見ながら話を続ける。
「私らの国アスマンはね、三国の中で最も小国だったし、争い事よりも商売が得意な国だった。住む者の四分の一は商人、四分の一は職人、四分の一は農民、残りが貴族と王族、それに兵士って割合でね」
「ちょっと待った。それじゃあ支配階級の人間が多過ぎないか?」
「いいや、貴族や王族も平素は商売を生業にしていたんだよ。言い換えれば商売で成功した者が貴族階級になれたんだ」
「まさしく商いの国だったんだな」
「そうさ。バルバーレから香辛料に茶、毛織物、陶器、珍しい果物なんかを買い入れ、ユルグからは小麦に葡萄酒、綿織物、家畜を仕入れる。そして他方に売っていたんだよ」
「それでピンハネをしていたのかい?」
「人聞きの悪い事を言うんじゃないよ。いいかい、大陸中央には南北にマンジャロウ山脈が連なって大きな壁を作っている。そのお陰で東側と西側の交易は北か南の端でするしかないんだ。南にはアスマンがあってそれを平和裏に行なっていた。しかし北には中継する者がいないだろう? だから値付けで争いが絶えなかったし、小規模とはいえ戦役にまで発展した事もあった。それに交易だけじゃない、ちゃんと物作りもしていたんだよ。火山の麓では鉱物や宝石が採れる。それで刃物や装身具を作っていたし、交易の必需品でもある馬車や馬具、あとは織機なんかも殆どがアスマン製だったんだ」
「悪かったよ。ピンハネなんて言ってさ」
「まあ、そんな感じで平和だった。でもそれが変わってしまった」
「どうして?」
「東の国バルバーレでね、水耕が始まったんだ。『米』という新しい穀物が遠くから伝わって、それを大規模に栽培し出した。湿地の多いバルバーレには適した作物で、小麦と違って年に二回も収穫できる。それで小麦を買わなくなった」
「その話は聞いた事があるな」
「そうなるとユルグは小麦を売る相手がいない。要請もあって、アスマンは懸命に買い続けていたさ。でも限度がある。結局小麦は余ってしまい、値が暴落した」
「そして戦争になったのか」
「ユルグが逆恨みしたんだ。小麦の暴落は交易者のせいだってね」
「ここからは儂が話す」
ウティホがこれ以上は耐えられない様子で口を挟んだ。
「ユルグが戦争の準備をしている事は知っていた。それもかなりの規模でな。交易を生業にしている同胞は大陸中におるから、情報を集めるのは訳もない。そしてアスマンへの侵攻が近いと悟った」
「でも、どうしてアスマンが相手だったんだ?」
「そうじゃな。家内の言っておった逆恨みの件が一つ。もう一国のバルバーレが強大で易々と戦争できない事が一つ。それにアスマンの蓄財が欲しかったのかも知れん。でも本当の目的は違う。ユルグでは小麦の暴落以降、国内の暴動や反乱が頻発していた。それをなだめる為に戦争をしなくてはならなかったんじゃ。民衆に外を向かせ、同じ目的を持たせて国を保つ為にな」
「そんな理由で戦を吹っ掛けられたんじゃあ、アスマンはやってられねえな」
「そうとも。だからこそ無為に負ける訳にはいかん。儂らも必死になってその準備をした。職人は弩や甲冑を作り、それを持って参戦した。農民は牧草を刈る大鎌を担いで、商人達は馬車から馬を外してそれに跨り、鑓を備えて臨んだ。皆、慣れない戦事に懸命になっておったわ」
「総力戦だな」
「一国を挙げてのな。それでも兵力はユルグの半分にも満たなかった。しかし戦は攻める方より守る方が有利。負けるつもりなど微塵もなかったわい」
「旦那はどうしていたんだ?」
「儂は兵士達の総大将じゃった。兵士にはな、隊商を護衛する者、国境と街を警備する者、それに近衛兵がおったが、その全てを経験した者は少ない。それで儂に纏め役が回ってきたんじゃろうな。最前線は信頼できる知己に託して、儂は城を守っておった」
「前線の戦況はどんな感じだった?」
「悲惨、その一言じゃ」
「かなりの人死が出たそうだけれど」
「敵も味方もな。二国の国境は牧草が茂る緩やかな丘になっておる。そこには偽の交易者が出入りせぬ様にと長い防壁が設えてあって、儂らは櫓を拵えて敵を待ち受けておった。敵は城まで一気に攻め込むつもりだったろうから、面食らったじゃろうな。それでも進軍を止めなかった。無為無策に突進してきたんじゃ」
「それじゃあ弓で狙い撃ちにされてしまう」
「その通り。弓矢で一人一人を打ち据えていった。敵は殆どが歩兵で、皮の胸当てに槍一本の者ばかり。たとえ背丈の二倍程度しかない防壁でも、梯子を掛けるか壊してしまわねば越えられない。当然、壁の前は敵の遺骸の山となった」
「それでどうして負けたんだ?」
「敵の屍が折り重なり塊となると、突如、轟と火柱を上げて破裂したんじゃ。防壁は瓦解し、櫓は吹き飛び、味方は総崩れとなった」
「油でも仕込んであったのか?」
「いや、法士の仕業じゃ。俘虜にした兵士を調べてみると、その誰もが完全に呆けておった。言葉も喋れず目も虚ろ、獣の様に涎を垂らし唸るばかりのな。そして胸の真ん中に古代文字で焼き印が施してあった」
「それが手妻の種かい?」
「手妻ではなく法術じゃよ。法士が兵の身体から魂を抜き、突進するだけの生きる骸にして、頃合いを見計らってそれを破裂させる。全く、残忍な戦い方じゃわい」
「親父が拒否する訳だ」
「多くの者はそれと知らずに術を掛けられてしまったんじゃろうな。お前の親父様はその事を知っていたんだろう。だから、自分の部下をそんな目に合わせたくなかったんじゃろうて」
「当然だ」
「そうとも。お前の親父様は正しい」
「それからどうなったんだ?」
「味方の兵士達は幾度も退却戦をやってのけた。しかし敵の消耗と味方の消耗はほぼ同じ。そうなれば数で勝る敵が有利になってしまう。とうとうアスマン城での攻防戦になってしまった」
「旦那の出番だ」
「そうじゃな。儂は楼閣から敵の動きを見つつ指示を出していた。家内も頑張っておったぞ。薬草庫が空になるまで負傷兵の手当をしておった」
ノンモはようやく出番が回ってきたかと喋り出す。
「敵はまるで人形みたいな連中でさ、気味が悪かったよ。でも敵味方関係なく手当てした。敵兵はまず焼き印を潰して、それから傷を治してやったんだ。布も薬草もすぐに無くなって往生したけれどね」
語り部がウティホに戻る。
「敵の攻勢には限度がない。それもそうじゃろう。人形なのだから恐れる事も疲れる事もない。こっちはさすがに休まなくては続かんし、敵を恐ろしいと思う心もある。やがて守りに手抜かりが生じる様になり、城壁には幾十もの長梯子が取り付き、城門は大矛で突き崩されてしまった。そうなれば一気呵成に雪崩れ込まれるばかりじゃ」
「そして降伏したのか」
「儂は国王に降伏を進言し、塔の屋根に白旗を掲げた。それでも敵は攻め込んでくる」
「降伏を受け入れなかったのか!」
「そうじゃ。敵兵は全員が死ぬまで進み続けた。攻城戦が終わっても街や村を焼き尽くすまで」
「馬鹿な話だ」
「全くな。それでも幾許かの民は生き残っておったが、野ざらしのまま放置された敵味方の遺骸が疫病を生んで、アスマンは完全に消滅したのじゃ」
「旦那方だけでもよく助かったもんだ」
「儂もそう思う。国王夫妻がな、養子になさったこの少年を生きて連れ出してくれと申されてな、御子らと共に身代わりになって敵の矢面に立たれたんじゃ。そして儂らだけがおめおめと生き残ってしまった」
キリムは焚き火に顔を照らされながら眠っている。何を話しているのか分かるのだろうか。時折、寝苦しそうに呻き声を上げながら。
ジョクーはすっかり感じ入ってしまった。
「立派な王様だ。なかなかできる事じゃないぜ」
「そうとも。勝れた統治者で、同時に優しい方じゃった。この少年は夫妻の大切なご友人の忘れ形見でな、大切に育ててらっしゃった」
「まあ、生き残れて良かったんじゃないか?」
「そうばかりでもない。儂らは疫病を避けて山村で暮らしておったが、同道した娘も娘婿も病に取られてしもうた。そうして村は解散じゃ。皆他国へ逃げ出した。残る一家三人だけで耐え暮らして四年、この少年も十二になって元服したんでな、儂らも国を破る事にしたんじゃ。恐らく、アスマン国最後の住民だったのじゃがな」
「そうか・・・・」
「儂らばかりが辛い訳ではない。大陸中に散っておる交易者達も、もう戻る国はない。皆どこでどうしている事やら」
「まあ、どこかで逞しく生きているだろうさ」
「お前さんを見ているとそう思えるよ」
少し涙ぐんでいたウティホの顔に笑みが戻る。
長話をしている間に、とっぷりと夜が更けてしまった。ノンモも眠っている。ウティホは自分の外套をそっと掛けてやった。
二人は残りの茶を分け合い、冷えた地面に横になる事にした。
ジョクーは眠れそうもない。ユルグ軍の高級武官の子として育った身である。四年前の戦争については詳しいつもりだったが、アスマンの側から話を聞いたのは初めてであった。それは想像よりも惨たらしく、最後まで反対し続けた父の正しさを証明していた。
父の残した妄言の如き遺言は真意を測りかねるところがあったが、ようやく腑に落ちた気がする。遠回しに「旅をせよ」と言いたかったのではなかろうか。外から国を眺めてみろ、と。どうせ眠れない夜ならば、不幸に見舞われ続けた三人がこれ以上凍えない様にと、焚き火を見張りながら夜を過ごす事にした。
朝。濃い霧が立ち籠めている。ジョクーも少しはウトウトとしたが、結局眠らず夜を明かした。焚火の向う側では、少年がもそもそと動き出している。
「坊ちゃん、起きたかい」
キリムが目を擦りながら応える。
「おはよう。ジョクーさん、だっけ?」
「呼び捨てにしてくれよ。さん付けで呼ばれる山賊なんていないだろう?」
男がカップを手渡す。少年は鼻を宛てて臭ってみた。
「白湯?」
「そうさ、これが山賊茶だよ。ひょっとしたら喉が渇いているんじゃないかと思って」
キリムは思わず笑う。こんなに気の利く山賊もいないだろう。
「山賊って、意外と苦労が多そうだね」
「そうでもないさ。この辺りは旅人も少ないし、出逢うのは同業者ぐらいなもんでね。山賊として苦労した憶えはないなあ」
「それでどうやって暮らしていたの?」
「いや、普通にね、いろいろとね」
「いろいろって?」
「まあ、狩りをしたり、時には狩りをしたり、場合によっては狩りをしたり・・・・」
「それじゃあ、まるっきり猟師だね」
「そう呼んで貰っても構わないけれど、親父の遺言もあるし、俺自身は立派に山賊のつもりだとも」
「成果はあったの?」
「それはまだないな。ただ、運良く旅人と出逢えればこう脅してやろうと日々台詞を考えていたんだ。昨日その作品をお披露目した訳だけれど、どうだった?」
「・・・・なかなか良かったよ。でも、山賊の口上としてはちょっと長いかな」
男は考え込んでしまった。余程の自信作であったのであろう。
一方、少年はこの何とも頼りない山賊が気に入ってしまった。
「良かったらだけれども、僕らと同行しませんか?」
「喜んで。でもどこへ? 俺はユルグに戻れないんだ」
「じゃあ、バルバーレを目指そう」
行き先が決まった。この男の出現が停滞した空気を取り払ってくれたのだろう。少年は白湯の入ったカップで手を温めながら、不思議な縁の働きを感じていた。
ウティホは既に目覚めていたが、二人の様子を不思議に思いながら見ていた。この男はなかなかの拾い物だと思うものの、所詮は匹夫に過ぎない。それをどうやって少年に取り成したものか迷っていたのだ。一緒に連れて行きたいが、神経質なところのあるキリムはけして許すまいと。ところが朝起きてみれば、二人仲良く談笑しているではないか。
隣にいるノンモも驚いた様子だ。そして互いに顔を見合わせ、笑いながら床を払った。




