6☆びっくりなんですけど
るなは聞きなれない音で目が覚めた。トゥルルルル……と繰り返し鳴り続けている。
それがホテル備え付けの電話だと気付いたと同時に、アラームをかけ忘れたことを思い出した。るなは跳ね起き、足をもつらせながら急いで受話器を上げた。
「これが全体練習の日だったら大目玉よ? 今日のところはごまかしてあげるけど、明日からはもっと気を引き締めてね」
ロビーで30分待たせてしまったトウコのお叱りを聞きながら、るなは助手席でひたすら「すいません……」と身を縮めていた。
真鈴との通話を強引に切った後、アラームをかけぬままソファに投げ飛ばしてしまったため、次に時計を見たのは9時5分。『及川様がロビーでお待ちです』というフロントスタッフの申し上げにくそうな声でサーッと血の気が引いたるなだった。
「昨日も言ったけど、今日はまず施設案内ね。昼食はサロンでのバイキング形式だから、栄養士にアドバイスもらいながら取るといいわ。もちろん日本語もできるから安心して? その後はグッズの打ち合わせ。日本人プレイヤーは特に人気だから、早速るなのグッズも作成するんですって。練習に合流するのはそれからね」
シャニータウンホテルからオーシャンドームまでは車で約10分。トウコは忙しい職業柄か、相変わらずの早口でスケジュールを並び立てる。
途中、海が見えた。オーシャンドーム裏の海岸だ。浜辺では現地のチビっ子やら観光客やらが思い思いのマリンレジャーを楽しんでいた。昨夜と同じ道を通っているはずなのに、日中のシャニータウンはまた違った魅力がある。
「帰りは一緒にバスに乗るわ。スケジュール見たと思うけど、明日はナイトゲームよ。また迷子になって遅刻されたら困るから、ホテルとドームの往復を練習しないとね」
「はぁ……すいません……」
子供じゃないんだから、とツッコむには耳が痛い。情けないが、おとなしくトウコのプランに甘えることにした。
トウコが左にハンドルを切った。巨大なオーシャンドームが姿を現す。青いライトアップも見事だったが、淡い水色の表面に濃紺で『OCEAN DOME』の文字も圧倒的な存在感を表している。日本で1番大きいドームの3倍はあるらしい。
「奇麗でしょ? セシアナはスコールが多いから、どの球団もドーム球場になってるの。ここは開閉式の天井になってて、イニング間に海岸から打ち上げた花火を見ることもできるのよ」
「えー、見てみたいですー!」
惚れ惚れ見上げるるなをよそに、車は飲み込まれるように関係者用地下駐車場へ滑り込む。車社会というのもあるのだろうが、駐車場すらも迷子になりそうなくらい広かった。
「広くて戻るの面倒だから、忘れ物しないようにね」
先にトウコが下車し、後部座席のるなのボストンバッグを取り出してくれた。るなもショルダーバッグを肩にかけ、トウコから荷物を受け取る。
「うちはここ数年はドベとブービーを行ったり来たりしてるけどね、拠点と選手のおかげでチーム自体の人気はあるのよ? だから有り難いことに施設もシステムも一級品を取り入れられてる。他球団で伸び悩んでいた選手も、うちのトレーニングシステムで開花した例だってあるわ」
トウコはヒールを廊下に鳴り響かせながら、得意気に設備を案内し始めた。
ズラリと果てしなく続くトレーニングマシン。他球団投手のデータを解析し、ほぼ同格のボールを体感できるバッティングマシン。その他にも、VRやAIを駆使した設備が、近未来のゲームセンターに来ているかのように感じさせる。
るなは重たいボストンバッグを担ぎ、「すごい……!」と開いた口が塞がらない。社会科見学をする小学生のように目を輝かせていた。
ロッカールームも広々としており、るなが3人は入るであろうロッカーが与えられた。早速開いてみる。中にはるなが日本から送っておいたバットが5本、新品の野手用グローブが3つ。それに、ビニールに入ったままのユニフォームが積まれていた。
「契約時に伝えた通り、背番号は『5』よ。先代はショートの名手。それだけるなも期待されてるんだから、しっかりね」
1枚広げてみた。白地に濃紺のストライプ。左胸と右肩にはドルフィンズのロゴ。オレンジの朝日をバックに飛び跳ねるイルカが描かれている。
「うわぁ……やっと実感湧いてきました」
「ふふっ、一回りしたら着替えましょうね。それと、これも渡しておくわ。個人に支給されるタブレットよ。うちのアナリストとAIが分析したデータが入ってるわ。直前の試合までの過去動画も見れるから、相手の癖なんかを見ておきたい時にも使えるわよ。試合スケジュールやチーム内の連絡事項なんかも随時反映されるし、メンバーやスタッフともこれで連絡できるの。持って帰ってもいいけど、取り扱いには充分気を付けてね」
「すごいですね! ありがとうございます。早速明日の相手のデータを見ておきます!」
「頼もしいわね。早くスタメンに割り込めるよう、午後の練習で監督にアピールしてね」
るなの肩をポンッと叩き、トウコは「じゃ、お待ちかねのサロンよ」と先導する。『スタメン』という言葉の重圧に、るなの闘志が一気に加速した。
だが、サロンに近付くにつれ、るなのテンションは急激に下降していく。そして到着するや、るなの顔は絶望に歪んでしまった。
「も、もしかして……お魚しかないんですか……?」
「え? 魚だけじゃないわよ? 貝類やエビなんかの色んな料理があって……」
その続きはめまいによってかき消された。
なんと、サロンにバイキング形式で並ぶ料理はどれも魚介類がメインだったのだ。るなは魚介類全般が食べられない。特にアレルギーというわけではないのだが、特有の生臭さが煮ても焼いてもどうにも苦手なのである……。
「お、お肉は……お肉料理はないんですか……?」
「うーん、そうねぇ。たまーにあるみたいだけど、栄養士がちゃんと計算して作ってるから、栄養バランスは心配しなくて大丈夫よ? 各選手のコンディションとか目標によって相談にのってくれるから」
お兄ちゃんのバカぁ……! と泣きそうになるるな。『ドルフィンズの本拠地は海のすぐ近くだから海鮮料理が多いけど、肉料理も絶品らしいから安心しろ』とにこにこする兄の顔を思い出す。
嘘つきーぃ! と、立ち込める魚介類の香りに涙を堪えるるなであった。
「お、お腹は空いてないので……」
「え? だって寝坊して朝食は食べてないでしょう?」
「いえ、あの、その……おにぎりとかは……ないですよね?」
るなは恐る恐る上目使いで尋ねる。トウコは「あると思うけど……」と隅々を見渡した。
「うーん、ないみたいね。11時には選手たちが球場入りするから、それに合わせて徐々に作ってるんだと思うわ。なぁに? もう日本食が恋しいの?」
かわいいわね、と笑うトウコが厨房を覗きに行った。栄養士と調理師たちを引き連れて戻ってくる。
トウコの言っていた通り、栄養士は日本語の流暢なアジア人だった。幸いにも好物を尋ねてくれたので、すかさず「ステーキ丼です!」と答えた。考えておくわね、とのことだったが、しつこくリクエストし続けるつもりだ。
「じゃあ昼食は後にして、先にこっちを済ませましょう」
本当はペコペコである。昨夜の夕飯もルームサービスのおにぎりであったが、海鮮料理を食べるくらいなら何食でもおにぎりを食べる覚悟だってある。
次につれて行かれたのは小さな会議室。長テーブルの脇にはいくつもの段ボールが積まれている。側面にはどれもドルフィンズのロゴが印刷されていた。
グッズ担当と名乗るスタッフとの打ち合わせは2時間も続いた。身体の大きさに比例して大食いのるなは、血糖値の低下でクラクラしている。頭の中はおにぎりでいっぱいだ。
「あれ……トウコさん?」
気が付けば会議室にトウコの姿がなかった。廊下に出てキョロキョロしてみるが、それらしきスーツ姿の女性はいない。廊下の突き当たりを、数人のユニフォーム女子が横切った。
「あっ」
その中の1人がこちらを指差してきた。見覚えがある。日本人だ。つり上がったキツネ目と、左目下の泣きぼくろが印象的で、どこかで会った気がするのだが……。
「夕海るな……だよね?」
ユニフォーム姿の泣きぼくろ女子が駆け寄ってきた。高校か大学時代に対戦したことがあったようなないような……。るなは必死に思い出そうとするが、なかなかピンと来ない。
「やっぱそうだ! ユニフォームじゃないし髪型も変わったから一瞬分かんなかったけど夕海るなだよね。うちに入るって噂で聞いた時はびっくりしたよ。しかもピッチャーじゃないんだって? 肩でも痛めたん? 両投げなのに、もしかして両肩やっちゃったとか?」
泣きぼくろ女子は、心配そうに眉尻を垂らし、るなの両肩を摩ってくる。まずどこの誰だったか思い出せない。そして低血糖で頭が回らない……。
「え、えっと……」
「えー、もしかして忘れたぁ? うっそでしょ? あぁ、まあそっちからしたら、数ある三振バッターの中の1人だもんなぁ」
苦笑いし、「しょうがないか」と肩から手を放す泣きぼくろ女子。その肩越しには、数人の選手が立ち止まりこちらの様子を伺っていた。
「1学年上だけど、都内の同じ地区だったから、高校ん時、何度も対戦したことあったんだけどなぁ。東高のキャプテンで、4番でキャッチャーやってた佐伯紗江だよ。こっちには高卒で来たんだ」
「あ、あー、佐伯さんですね。はい! お久しぶりです!」
……とはリアクションしたものの、るなは全く思い出せずにいた。それが空腹だからか、印象が薄いからなのかは定かではない。
プロではくすぶっていたとはいえ、高校・大学時代は、やはり両投げというだけで有名だったるな。日本人選手がいるのは心強いのだが、過去の自分を知っている選手がいるのはやはり複雑な気持ちになってしまう……。
「今日は見学だけ? 午後の練習は出るの?」
「えっと、出る予定ではあるんですけど……」
トウコがいないと何も分からない……。この広いドーム内のどこへ行ってしまったのか。昨日に引き続き、心細い迷子の子猫ちゃんになりそうだ。
「ちょっとっ! どこへ行くつもりなの? 待ちなさい!」
突然、廊下にトウコの怒号が響いた。サエと共にそちらへ向く。
だが、角から現れたのはトウコではなく……。
「いたっ! るーなさーん!」
室内だというのにサングラスをかけ、タンクトップに短パンで、肉体美を惜しげも無くさらけ出した神月真鈴だった……。
「るなさーん、探しましたよぉ。ビジター側しか行ったことなかったから、昨日のるなさんみたいにちょっくら迷子になっちゃいました」
にこにこ笑顔で駆け寄ってくる真鈴。その背後で、スーツを着た金髪の女性が2人、ゴロゴロと台車を推してくる。
昨日のラフなデニム姿とは違い、長い手足の引き締まった筋肉が、彼女を一流のアスリートだと証明させる。なぜここに? という疑問より先に、るなはその肉体美に恍惚としてしまった。
「ね、ねぇ! 夕海って、神月真鈴と知り合いだったの? すごいじゃん!」
頬を赤く染めたサエが視線を真鈴に奪われたまま、肘でつついてくる。ハッと我に返ったるなはぷるぷると顔を横に振った。
「い、いえ、知り合いなんかじゃ……」
「もー、るなさんてば冷たいなぁ。そんな言い方ないじゃないですかぁ。今日からずっと一緒だってのにぃ」
否定しようとしたるなに、真鈴の長い腕が巻き付いた。ぬいぐるみでも持ち上げるかのように、ひょいっとるなを軽々抱き上げる。遠巻きに見物していた選手たちから、黄色い悲鳴とどよめきが起きた。
「え、え、え? ちょ、ちょっと! 降ろしてよ!」
「イヤですよー。スキンシップはレディのたしなみでしょ?」
「何それっ、聞いたことないっ!」
「セシアナでは常識です」
「絶対ウソっ!」
「あーん、るなさんてばちっちゃくてかわいいなぁ」
もがくるなに頬ずりする真鈴。そしてようやく追いついた! と鬼の形相でトウコが真鈴の肩をがしっと掴んだ。
「神月! 勝手に入ってきてどういうつもりっ? 試合のない日は選手といえど部外者よ!」
「あぁ、マネージャーの……トウコさんでしたっけ? そんな顔したら美人が台無しですよ?」
「いいから、るなを降ろしなさい!」
選手の集合時間も重なり、トウコの怒号で、ギャラリーがどんどん増えていく。うっとりと両手を組んでいる人、目をハートにしている人、嫉妬で涙目になっている人までいる。
るなの抵抗とトウコの引き剥がしとで、真鈴はようやくるなを開放した。それでもスタッフから信頼のない真鈴の片腕を掴んだまま、トウコは真鈴を睨み続けた。
「部外者とは失礼ですねぇ。マネージャーなら、ちゃんと選手を大事にしないと」
「るなはうちの選手よ! ちゃんとるなを守ってるじゃない。あなたみたいな魔の手から」
「うわっ、傷つくなぁ……。まっ、いいか。じゃああたしのことも大事にしてくれますよね?」
真鈴が背後の金髪女性に、チョイチョイと指で合図をした。金髪女性の片方が、台車の上に乗せていた段ボールから封筒を取り出す。受け取った真鈴はトウコの腕を振り払い、眼前に封筒を突きつけた。
「残念ながらラブレターじゃないですよ? ちゃんとした契約書です」
「契約書? 何の……」
しぶしぶ中身を取り出したトウコは、眼球を何度か左右に動かした後、わなわなと震えだした。
「う、ウソでしょ……!」
今にも粟を吹いて卒倒しそうなトウコ。敏腕マネージャーの面影はどこにもない。
真鈴がサングラスを取った。周囲から黄色い歓声が上がる。2人のやり取りを数歩下がって見守っていたるなを、真鈴がニヤリと口角を上げて見下ろした。
「どうも。ドルフィンズに移籍してきました、神月真鈴です。よろしくね、るな先輩!」




