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エースな彼女は変化球が投げられない  作者: 芝井流歌


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4/25

4☆くすぐったいんですけど

 


 車内には、先ほどまでの緊張感とは違う気まずさが充満している。


「……あの、るなさん。本当にすみませんでした。まさか、その……年上だなんて思わなくて……」


 ハンドルを握る真鈴の横顔はさっきまでの余裕はどこへやら、おもしろいくらいに固い。だが、右頬のるなの放ったビンタの跡はうっすらと赤く、整った色白の肌にはどうしても目立ってしまう。自業自得とはいえ、ちょっとだけ申し訳なさを感じる……。


「謝るとこはそこじゃないんじゃない? 真鈴」

「そ、そうですよね! 冗談のつもりだったんですけど……るなさんに不快な思いさせてしまって……反省してます」

「あの一部始終のどこが冗談? 確信犯でしょ。どっきりカメラでもない限り、完全アウトでしょ」

「うぅ、すみません……」


 開き直ったるなは、あえて強気に出ることにした。シュン、という効果音が聞こえてきそうなほど、真鈴の肩が丸まっている。セシアナリーグのトップスター選手も、上下関係という呪縛からは逃れられないらしい。

 窓を打ち付ける雨は、だいぶ弱まってきた。大通りに入り、商業ビルが戻ってきた街並みを眺めながら、るなはポシェットの上で左手のマメをなぞった。


「……ねぇ、真鈴」

「は、はい! なんでしょう!」

「マメを見て、ピッチャーだって分かったの……すごいね」


 るなの問いに、真鈴は答えなかった。気になって運転席を向く。真鈴は嬉しそうに口角を上げていた。おもちゃを与えられた子供のように、キラキラと目を輝かせている。


「分かりますよ。それも、変化球を多く投げてる手です。あの位置はスライダーとカーブを相当投げ込まないとできない。爪の形だって、ストレートばっか投げてたらあの形にはならないです。それも、並大抵の練習量じゃない。小柄なるなさんは、人の何倍も努力してきたんでしょうね」


 ……図星だった。

 るなは自分の両手を膝の上で重ねる。内野手として生まれ変わるために来た。それでも、長い間ピッチャーとして生きてきた証がここに残っている。自分の努力の跡を一目で見抜かれたことで、ほんの少しだけ胸の奥が熱くなった。


「……すごいのね。そこまで分かるんだ」

「へへっ。るなさんに褒められちゃったぁ。すごいでしょ? 野球センスだけじゃなくて、女の子を見るセンスもあるんですよ?」

「……なんか、撤回したくなってきた」

「えーっ、もっと褒めてくださいよー!」


 褒められ慣れているだろうに、アクアマリンのエースは欲しがりさんらしい。


「それとですね」


 真鈴は、真っ直ぐ前を見つめたまま続けた。


「るなさんのあの目、思い出してもゾクゾクします。そんなワンピースなんて着てるから生意気な子供みたいに見えましたけど、あれは戦ってきた戦士の目です。あぁ、るなさんのユニフォーム姿、見てみたいなー! どこのチームなのかも教えてくんないし……。あっ、でもあたしがバッターだったら、あの目だけで打席でイっちゃうかもー」

「……この辺、タクシー拾えそうだから降ろして」

「い、イヤだなぁ。例えじゃないですかぁ、例え! 褒めてるんですよ? 目力だけで圧倒されるなぁって……。自慢じゃないけど、あたしの誘い断った子なんていないんです。年齢関係なくですよ。なのに、るなさんてばあんな目するんですもん。ある意味あたしの初めて奪われたって感じですよ」


 失礼かつ例えが卑猥だなぁ……と眉を寄せるるなだったが、真鈴の表情はそれこそ試合を楽しむ選手の目で……。ツッコむのをやめ、黙って窓の外に視線を戻した。

 その後も真鈴は空気を読まず、自分がいかにるなに興味を示したかを語り続けた。楽しそうなので放っておくことにしたるな。くすぐったさを感じながらも、真鈴が車を路肩に止めるまでずっと街並みを眺めていた。


「着きましたよ。あぁ、ここでお別れなんて寂しいなぁ。もっとあたしのるなさんへの愛を聞いてほしかったのに……」


 ぶつぶつ言う真鈴を無視し、助手席の扉を開けたるなはホテル名を慎重に読む。今度こそシャニータウンホテルに間違いない。


「ありがと。バス停で拾ってくれたことはほんとに感謝してる」

「あれ? ここまで送ったことは感謝してくれないんですか?」

「真っ直ぐ送ってくれてたら心から言えたんだけどね」


 言い捨て、るなは車を降りる。真鈴も慌てて飛び出してきた。いつの間にか雨は止んでいた。空が広い分、星がたくさん見えた。

 真鈴がトランクを取り出し、「持って行きますよ」とエスコートしてくれた。ホテルマンの目もあるので、るなはそのまま任せることにした。


「夕海様、お待ちしておりました」


 褐色のフロントスタッフが、丁寧な日本語で頭を下げた。トウコが顔写真でも送っていたのだろうか。ショートステイ用のホテルだけに、警備と対応の手厚さは有り難い。

 スタッフは真鈴からトランクを受け取ると、「あちらでお待ちの方が」と、るなの後方に掌を向けた。

 ロビーの片隅で、こちらに背を向け電話しているトウコの姿があった。迷子の子供が母親を見つけたかのように、るなはパアッと目を輝かせる。


「あっ、トウコさーん!」


 るなはスタッフにトランクを預けたままトウコに駆寄る。気付いたトウコが鬼の形相で振り向いた。


「るなーっ! 心配したのよ! ごめんね、私が送ってあげられていればこんなことには……」

「私こそ、心配かけてごめんなさい……。飛び乗ったら違うバスだったみたいで。しかも、『シャニータウン』って聞こえたから降りたら『サニータウン」って書いてあって……」

「あー、やっぱりそっちに乗っちゃってたのね! そこまで英語が出来ないとは思わなかったから、わざわざ言うまでもないかしらと思ったんだけど……。でも良かったわ、無事で……」


 トウコは小さなるなをギュッと抱きしめた。お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかな……と身を預ける。急用を片付けて飛んできてくれたのか、トウコのブラウスは少し汗の香りがした。


「ところで、るな」

「はい?」


 トウコは身体を離し、自動扉のほうへ顔を向けた。るなもつられてそちらへ向く。「やっべ」と言ってペロリ舌を出す真鈴。


「神月真鈴っ! やっぱりあなただったのね?」


 鬼の形相に戻ったトウコが、ツカツカとヒールを響かせながら真鈴に詰め寄る。


「あはっ。ちゃんと送り届けるって言ったじゃないですかぁ。それに、何もしてませんよー。ねっ、るなさん?」


 いたずらなウインクを残し、「待ちなさい!」と止めるトウコに捕まるまいとひらり身を翻す真鈴。さすが現役選手のロケットスタートで、あっという間に姿が見えなくなった。


「まったくもう……。ワンナイトホテルって言ったから変な男に連れ込まれたのかと思ったけど、同じくらいアブナイやつに捕まってたのね?」

「アブナイやつ……」


 確かに、と納得するるなだったが、トウコの取り乱しようからして初犯ではないのだと察してしまった。


「声を聞いて、もしかしてって思ったけど……。あぁもう! 本当に何もされてないのね?」


 トウコの手がるなの肩を掴みガクガクと揺らす。その勢いに酔いそうになりながら、るなは申し訳なさと同時に、改めて事の重大さを痛感した。

 トウコ曰く、神月真鈴は単なるスター選手ではない。その奔放な私生活と『狙った獲物は逃さない』という悪評武勇伝が絶えないことでも有名人らしい……。


「もちろん、彼女の野球センスと実力はかなりのものよ。だからこそセシアナだけじゃなく、女子野球界でかなりの有名人だから、これはセシアナ国外に漏らすわけにはいかないトップシークレットなの。アクアマリン自体も手を焼いているって話しだし、各球団、スタッフが目を光らせて選手を魔の手から守ろうとしてるんだけど……やっぱりスターはスターなのよね……。あいつに誘われるとみんな目をハートにさせてホイホイついて行っちゃう……」


 はぁーっ……と深いため息をつくトウコ。心なしか、空港で会った時よりもげっそりして見える。車内で本人が百戦錬磨だと自慢していたのは事実らしい。そりゃトウコも血相を変えるわけだ……と更に納得するるな。

 だが、先程の真鈴の口説き文句は、単なる遊び人の口説き文句ではないと感じてしまう自分がいる。

 いや、それだけであってほしくないという願望かもしれない……。

 マメを見ただけで、右投げ右打ちだとあっさり当てた。しかも、変化球を多く投げていることまで……。左手を見ていなかったので両投げとまでは気付かなかったが、ただのチャラい選手ならあそこまでの観察眼はないはずだ。


「トウコさんがドルフィンズのマネージャーだってこと、あの人は知ってるんですよね?」

「知ってるはずよ。あいつのお気に入りは大体日本人だもの。テレビ撮影で選手に動向した時に、私も声かけられたことがあってね。その時にも注意はしたのよ? あなたは連絡先教えたりしてないでしょうね?」


 思い出し、更にプリプリと怒りのゲージを上げるトウコ。トウコの顔を知っているということは、るながドルフィンズに入団することを知ったというわけだ……。

 だが、弱いだの眼中にないだの言っていたし、なによりあちらはノースリーグ。サザンリーグ所属のドルフィンズとは年に3試合しかない。ドルフィンズに奇跡が起きてリーグ優勝でもしない限り、アクアマリンと戦うことはない。真鈴と関わることはほぼないだろう。


「教えてないですよ。スマホ、充電切れちゃってたし。サニータウンのバス停で途方に暮れてたとこをたまたま車で拾ってくれたんです。そんなやつだと知らなかったし……でも、ほんとに何もされてないですから」


 充電が切れていると咄嗟に嘘をついた。スマホは生きている。真鈴に奪われていたと言えば、事態はさらにややこしくなるからだ。疑うトウコの視線が、るなの湿ったワンピースの上から下までを執拗にスキャンする。


「服が濡れてるのは、さっきのスコールです。傘も持ってなかったから、タオルを貸してくれて……」


 そこまで言って思い出す。あのびしょ濡れになった発売前のバスタオルはどうしたっけ、と……。


「まぁ、今回は本当に何も無かったのならいいけど……。あいつにだけは今後も気を付けなさいね? 明日は球場の中を案内するわ。今日は疲れたでしょうから、早くゆっくり休んで? 9時に迎えに来るから、ここでね」

「はい! どうも、お騒がせしました。おやすみなさい」


 トウコは「じゃあよろしくね」とフロントスタッフに声をかけ、ホテルを後にした。それを見送ったスタッフがトランクを転がし、るなの元へやってくる。


「お部屋は7階でございます。届いていたお荷物はすでに入れてありますので、他に何か御用がございましたらお申し付けください」


 エレベーターで案内され、701号室の前まで来る。スタッフがカードキーをカザスと、扉がカシャと小さい音を立てた。


「こちらのカードキーもご使用いただけますが、お部屋のテーブルの上にあるQRコードを登録しますと、夕海様のスマートフォンでもご入室いただけるようになります」


 スタッフはカードキーをるなに手渡すと、扉の前にトランクを置き「失礼いたします」と深々頭を下げた。るなは御礼を言って部屋に入る。疲労のせいか、なんだかトランクがひどく重たく感じた。


「あれ? 何これ」


 ベッドサイドに寝かせようとしたトランクに、水色の紙袋がくくられていた。まさか……と思って中を覗くと、先程のバスタオルが入っていた。

 だが、あれだけびしょ濡れになったはずなのにすっかり乾いている。奇麗に畳まれているところを見ると、るなが使用した物ではなく、新品の物を入れたと思われる。


「あいつ……」


 酷い目にあうところだった。るなを騙し、おイタをしようとしたことは許せない。

 ……でも、るなはどうしても真鈴を憎みきれなかった……。

 親とはぐれた迷子だと勘違いしたとはいえ、スコールの中、助けてくれたのは彼女の純粋な優しさだ。初めからおイタをする目的で車を止めたわけじゃないはずだ……。


「神月真鈴……」


 バスタオルを広げてみた。車内と同じグリーンティーのような香りが、ふわりとるなの鼻先をくすぐった。




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