3☆年上なんですけど
ホテル内はひんやりしていた。
真鈴がいかに車内温度に気を遣ってくれていたのかを思い知る。湿ったままの服を纏うるなは、早くトランクの中の愛用『ぶたさんパジャマ』に着替えたかった。
ロビーは渙散としている。学生時代の遠征先では、先生か監督、もしくはマネージャーが。プロ時代は球団マネージャーが手配してくれていた。今回もトウコが手配してくれるというので、るなは一切ノータッチだった。
るなはきょろきょろ見渡す。るなと真鈴以外には誰もいない。セルフチェックインといえど、フロントスタッフすらいない静かなロビーだ。
ポツンと佇む機械で、真鈴がテキパキとチェックインを進めてくれている。画面は英語がずらりと並んでいるので、るなはここでも真鈴に助けられた。
「よしっ、これでオッケー」
言いながら、真鈴はるなのスマホを機械にかざしている。スマホで鍵をかけられるシステムなんだと説明してくれた。英語にも機械にも疎いるなは、真鈴の後ろ手ただ手元を眺めることしかできなかった。ついてきてもらえて本当によかった。
「ありがとうございます。あと、トランクを……」
「トランク? あー、あとあと。さっ、行こうか」
「え? あと?」
るなのスマホをふりふりし、真鈴はさっさとエレベーターを呼ぶ。部屋まで送ってくれるつもりなのだろうが、るなは何かが引っかかっていて足取りが重かった。
電話の最後、トウコはものすごく慌てていた。真鈴に取り上げられて聴き取ることはできなかったが、何か言いかけていた。だが、真鈴が送り届けてくれると言ったし、安心してくれているといいのだが……。
「緊張してる?」
スコールの雨音も届かない静かなエレベーター内で、真鈴が見下ろしてきた。車内では気付かなかったが、並んでみるとかなりの身長差だった。30センチくらいありそうだ。真鈴も同じことを考えているのか、口元が緩んでいる。
「正直、さっきまではしてましたけど。でも、真鈴さんがいてくれなかったらここまで辿り着けてなかったし、着けたとしてもチェックインすらできなかったと思うし……。ホッとして今は感謝感謝です」
「……ぷっ!」
「え? なんで笑うんですか?」
「あー、いやいや。やっぱりかわいいなって思ってね!」
はぐらかされた? バカにされた? るなのモヤつきはチンっという到着音がかき消した。
もうすぐお部屋だ。優しくて頼もしいけどチャラくてよく分からない真鈴ともここでお別れだ。疲れた。送った荷物もトランクも荷ほどきはあとにして、とにかく早く横になりたい……。
「はい、どうぞお嬢様」
スマホでロックを解除すると、真鈴はドアの端を持ってるなを中へ促してくれた。ベッドへ直行したいるなだったが、ロックの外し方を1人でできないとどこにも出かけられない。今のうちに操作を教えてもらわねばだ。
「あの、これの操作って……」
「操作? もう使わないだろうから覚えなくていいよ」
「え? でも、私ここに1ヶ月くらい滞在するかもしれないし……」
「分かった分かった。んじゃ、中で説明しようか」
センサーはドアの外に付いているのでは? と疑問が浮かんだが、真鈴がずいずいと背中を押してくるのでしぶしぶ入室する。
「……あれ?」
だが、見覚えのある荷物は1つもない。あるのはホテル備え付けの家具だけだ。イメージとかけ離れた部屋に、るなはキョトンとした。
「私の荷物がない……。真鈴さん、ほんとにこの部屋で合ってます? 名義は多分『ユウミルナ』で……」
そこまで言って背筋が粟だった。真鈴に名字を明かしてしまったのはたった今だ。
ならば、フルネームも知らない真鈴がどうやってチェックインをしたのか……。
「荷物? それはここにはないんじゃないかなー?」
わけが分からず、真鈴を見上げた。彼女はただにこにこと笑っている。真鈴のおかげでやっと辿り着けたと安堵したところだったが、嫌な予感が首をもたげる。
「ねぇ、もしかして、ここ私の泊まるホテルじゃないんじゃ……」
「いや、今日はここが君の泊まるホテルだよ? あたしと一緒にね」
唖然とするるなの耳元で、ハスキーがかったアルとボイスが囁く。生温かくて柔らかいものが首筋に触れた。全身に鳥肌が立つ。反射的にるなは、真鈴を突き飛ばした。
「だ、騙したんですかっ! 最低! せっかくいい人だと思ったのに……」
不安が安堵に変わり、それが目まぐるしく怒りに変わる。初めから保証などなかったのに、裏切った真鈴にも安易に信じた自分にも腹が立ってしかたなかった。
「まぁまぁ、そんなに怒らないでよぉ。とりあえずお互いびしょびしょだしさ、シャワーでも入らない?」
動じず、にっこりと親指でシャワールームを指指す真鈴。るなはキッと睨み上げ、わなわな拳を握った。
「スマホ返してくださいっ! 今ならまだ、球団にも誰にも言いません」
「あー、これ? うん、返してもいいけど、トランクはまだあたしの車の中だよ? ちょっとだけかわいがらせてくれるなら、トランクも返してあげる」
「ふざけないで! そんなの強迫じゃない。本当に球団に言うわよ? 強迫と監禁と婦女暴行未遂で来シーズン出られなくしてやるんだからっ!」
「大げさだなぁ……。ふぅん、もうちょっとおとなしい子かと思ったけど……ただの子ネコちゃんじゃないってわけね」
真鈴がスッと目を細めた。ぐっしょり湿ったままのるなのワンピースに冷や汗も混じる。気付かれまいと、負けじと睨み続けた。
「車のキーを出して!」
握り拳を開く。真鈴が、眼前に差し出された掌をじっと見つめてきた。「あれ?」と言ってるなの顔に視線を戻してくる。
「……なんだ、るなも野球やってんの?」
「……あっ」
しまった! と慌てて引っ込めようとするも真鈴が手首を掴み、もう片方の手でマメをなぞってきた。手相を占うように、じっくりと覗き込んでいる。
「ふーん。このマメの並び、るなは右投げ右打ちか。しかもかなり小さい頃からやってるんだね。爪の形からすると、あたしと同じピッチャーかな?」
るなは面食らった……。ただの25歳ならこんなマメはできない。だが、マメの並びや爪の形だけでここまでドンピシャに当てられるものなのか……。
ただものではない……。
「ち、違います! 放してっ!」
「そっちこそ嘘ついてたんだ? 野球、見たことあるだけーみたいな言い方して、こんだけのマメできるほどのガチなんじゃん」
「う、嘘じゃないです! やってないとは言ってないでしょ!」
「最近潰れたものもある。なんで隠すの? あー、この時期に来るってことはもしかして日本でやってけなくて……」
続きは言わせなかった。るなは自由だった左手を振りかぶり、サイドスローから混信のビンタを繰り出した。
「残念ね! 私は『両投げ右打ち』でした!」
同じくマメだらけの左手を眼前に突きつける。今度は真鈴が面食らった番だった。
ひるんだ真鈴は、ゆっくりとるなの右手を放した。ひっぱたかれた右頬を押さえ、焦げちゃ色の目をまん丸に見開いている。
「……両投げ……?」
真鈴が怯んだことで、るなは少し冷静さを取り戻してきた。思い切りクリティカルヒットしたので相当痛いのだろう。真鈴はぴくりとも動かない。元ピッチャーのるなの一撃は凶器に等しい。ましてや犯罪すれすれのやらかし女といえど、一応は女性だ。
人気選手の顔面はさすがにまずかったか……。ふーっと長いため息をついた。
「だから……プロのピッチャーじゃないってば……。もういいでしょ? 早くスマホとトランク返して」
そう……。もう自分はピッチャーじゃない……。
両投げだと自ら公言しておいて、だがピッチャーではないと否定する矛盾と情けなさにるなは奥歯を噛みしめた。
るなは左右どちらからも鋭い変化球を投げられる珍しいピッチャーとして、大いに期待されてドラフト4位指名を受けた。だが、関東女子大学野球大会でMVPを取ったピッチングも、プロの世界ではあっさり攻略されてしまった……。
3年目のシーズンも2軍でくすぶり続けていた。自分はもうプロの世界では通用しない。潔く辞めようか……そう悩んでいたところに入ったのがドルフィンズスカウトからの電話だった。
『うちの、スター選手になりませんか?』
ホームランこそ1本もないものの、るなはバッティングセンスにも守備にも定評があった。両投げという武器を捨て、内野手としてセシアナに来ないかという誘いだったのだ。
兄と共に、幼い頃から野球ばかりやってきた。いや、野球しかやってこなかった。野球が好きだ。諦めたくはない……。
『行きます。よろしくお願いします』
意を決して、一週間前にセシアナ行きを選んだ。小学5年生から登り続けてきたマウンドを降りるのは悔しい。でも、野球を続けたい。るなは日本でプレイするこだわりもピッチャーでありたいというこだわりも捨て、新地で心機一転、生まれ変わることにしたのだった。
「……へー? チームは? こっちにいるってことはサザンリーグなんだろうけど」
真鈴がやっと動いた。右頬を摩りながらスマホを放り投げてきた。キャッチし、るなは視線を逸らさずポシェットにしまう。
「関係ないでしょ?」
「教えてくれたらトランクも返すよ?」
「返してくれないと、今すぐ球団にチクります」
「じゃあこっちは、ユウミ・ルナに暴力振るわれたとチクろうかな?」
「どうぞご勝手に」
るなは片時も目を逸らさなかった。鋭い眼光で睨み上げ続ける。しばしの沈黙が訪れた。
日本ではもう通用しない。帰るところはない。このセシアナに駆けるしかないが、ここでも縁がなかったというなら、もう野球からはきっぱり足を洗う覚悟だ。
どんな時も、マウンドに昇っている時は戦う目を忘れなかった。小柄で童顔なるなは、相手バッターにナメられがちだったからだ。高身長だろうが年上だろうが格上だろうが、同一人物とは思えない鋭い眼光で相手を圧倒してきた。
例え、生意気だと言われても……。
「あはっ。その生意気そうな顔もかわいいねぇ。もうちょっとおとなしく抱かせてくれると思ったけど……。しょうがないな。んじゃ今回は諦めてあげるから、スコールの中拾ってあげた御礼は今度してもらうよ」
「……」
「そんな怖い顔しなくてもちゃんとシャニータウンホテルまでは送るし、御礼っつっても、今度デートしてくれるだけでいいからさ。大丈夫、取って食いやしないよ」
「……信じろってほうが難しいですけど。今度こそシャニータウンホテルに送ってくれるなら考えときます」
「あはっ。ok、分かった分かった。また殴られたらたまったもんじゃないし、ちゃんと送るからちゃんとデートしてよ?」
真鈴はヒョイと両肩を上げ、るなの返答も待たず「あーぁ」と残念そうなため息をついた。さっさと出て行こうとするその背に、声を低めてボソッと告げる。
「ちなみに私、2つ年上」
ピタリと足を止めた真鈴が、ぎこちなく首を回し振り返った。
「えっ! ま、マジで……すか?」
実年齢を言って驚かれるのには慣れている。笑われるのにも慣れている。
だが、こういう生意気な年下にカミングアウトする時は、ちょっと楽しかったりする。
セシアナリーグの上下関係は厳しい。後から入っても、年上は年上だ。年上が許可しない限りは、敬語や丁寧語は当たり前である。チームも成績も人気も関係ない。
「す、すいません! るな……さん。早く言ってくださいよ……」
アクアマリンのトップスター、神月真鈴がガバッと頭を下げた。
るなはセシアナに来て初めて笑った。




