17☆見ないでほしいんですけど
翌日、ドルフィンズの遠征バスの中は、1点逃げ切りの勝利で和やかな空気だった。
デーゲームの後ということもあり、車内はボディソープや制汗剤や香水の香りで満ちている。るなはこの環境が嫌いじゃない。
明日の休養日を挟み、明後日はメロナドームでの3連戦。運転免許を持っていない外国人選手のために、遠征バスが用意されている。方向音痴のるなにとっては有り難い。
外国人選手の多いドルフィンズの移動は、マイカー持ちとは別行動。すでにほとんどの座席が埋まっている。話しやすさもあり、多くは母国語の通じる選手通しが固まっていた。
「るな、お疲れー。今日も1本出て大活躍だったね」
大きなスポーツバッグを抱えて乗り込むと、最後列に座っていたベテランのナルミが座席の間からひょっこり顔を出した
「お疲れ様です。大活躍って……ナルミさんのタイムリーがなければ、私はホームに帰って来れませんでしたから」
「まーたまたぁ、謙遜しちゃってぇ」
別の会話で盛り上がっているスペイン語圏の選手たちの列を超え、スマホ片手に手招きをするナルミの列へ向かう。
ナルミはるなより10歳年上の35歳。スタメンで出場することはないが、代打の切り札として、勝ち越し点を入れ、今日のお立ち台に呼ばれた大ベテランである。
真鈴がるなにべったりな時は遠巻きにしている選手たちも、るな単品であれば機作に話しかけてくれる。サラのように嫉妬で厳しい目を向けてくる選手は、今のところごく一部だ。
「ごめんねぇ。るなにお立ち台譲りたかったのに、ちょっと空気読めなかったかな?」
「え? ぜんっぜんそんなことないですよ? なんでそんな……」
なぜかやたらと控えめなナルミは、るなが言い終わらないうちにスマホの画面をタップした。
『えーっと、そうですね……。セシアにゃ……しぇシ、セシアナにょピッチャーは……』
そこには、昨夜のスポーツニュースの録画映像がバッチリ映し出されていた。
るなはバッグを背もたれにガツガツ左右に当てながら、「わぁっ、ちょっとナルミさーん!」と慌てて駆寄る。
「ナルミさーん。私もそれSNSで見つけて、思わず拡散しちゃいましたよー」
「私も私もー。あれでしょ? るなのグッズは、これから猫耳とか作るんでしょ?」
「今日のスタンド見たー? 『るにゃLOVE』ってボード見つけて、私試合中なのに必死で笑い堪えてたんだからぁ」
後方列に固まっている日本人選手たちが、次々とナルミの話しに乗っかってきた。各自スマホを取り出し、それぞれがるなの噛み噛みインタビューを再生させる。
車内に、るなの震える声がカノンのように響く。よりによって、国名でもありリーグ名でもある『セシアナ』を噛み倒し、猫のような語尾になってしまったあの瞬間が……。
昨日、初ヒット・初盗塁という華々しいデビューを飾ったはずのるな。ある意味でも話題沸騰になったようで、『#しぇしあにゃ』がSNSでトレンド入りしてしまった……。
『えーっと、そうですね……。セシアにゃ……しぇシ、セシアナにょ……』
「わーっ、もうやめてー。やめてくださーい!」
デジタル音特有の少し割れた声が、車内に残酷に響き渡る。いつもは冷静沈着で群れることのないリホまでもが、俯いて肩を震わせていた。
「ヒドいー……。わざとじゃないのにぃ……」
マイカー移動の真鈴がいないのでみんなが話しかけてくれるのは嬉しいのだが、いじりも度が過ぎるとふてくされたくもなる。るなは顔から火が出る思いで、空いている席に深く沈み込んだ。
昨夜、真鈴の部屋でオートロックに締め出され、情けない姿でフロントへ行ったあの屈辱が、今や可愛く思えてきた。
「そう落ち込むなって。るなのおかげで、チームもより人気出るだろうしさ」
ポンッと頭を叩かれ、るなは視線を上げる。前列から身を乗り出していたのはサエだった。
「……成績で人気出るなら嬉しいですけど」
「かわいいんだからいいじゃん。るなの兄貴もコメント付きで拡散してたよ? 『悲報・うちの妹、猫だった』ってさ」
「……くっそーっ。お兄ちゃんめー!」
追い打ちをかけられた気分だ。兄のニヤニヤ顔が目に浮かぶ。絶対にツッコんで来ると思ったのでメッセージは非表示にしたし、まして兄のSNSアカウントを覗くなどエゴサーチするような自爆行為なので開くつもりもなかったのに……!
「ごめんけど、昨日のは忘れて?」
サエが泣きぼくろのある右目をつぶり、両手を合わせてきた。
「昨日のって……」
「神月真鈴が鬼のように神だからさ、どんなピッチャーも……って話し。今日もうちのピッチャー陣のボール受けてて思ったんだよ。彼女が別格にすごいだけで、うちのピッチャー陣だってそこまで悪くない。悪いのはうちら、打てない野手陣だからね」
鬼のように神? と疑問に思ったが、今はツッコむ時ではないと飲み込むるな。
「了解です。私も、もっと打てるように頑張ります」
サエが笑顔を取り戻してくれたことに安堵する。そのまま引っ込むのかと思いきや、サエまでスマホを掲げだした。
「うんうん。もっと打って、もっともっとインタビュー受けてくんないとねー」
「もーっ、サエさんまでぇ」
前方で爆笑が起こった。スペイン語の達者なナルミが、動画の解説をしていたのだ。教わった選手たちが「ガティート、ガティート!」と手を叩いて喜んでいる。
その言葉の意味も知らぬが仏。イヤホンを取り出し、約2時間の移動を、睡眠という現実逃避でやり過ごすことにした。
*
「るなさん、着きましたよ? るなさん」
ゆさゆさと肩を揺すぶられ、るなは目を覚ます。ノンストップで眠っていたらしい。固まった首をゆっくり挙げると、スポーツバッグを担いだリホが覗き込んでいた。
「あー……あぁ、うん。ありがと」
車内はシンと静まり返っている。るなたちが最後のようだ。ごそごそと支度をするるなを待っていてくれているらしく、リホは通路でジッとるなを見下ろしていた。
真鈴が隣にいると誰も近寄って来ないし、一匹狼タイプのリホと話す機会はあまりなかったので、待っていてくれたことが意外だった。
1学年下のリホは、全国女子野球大会で投げ合ったことがあので、るながピッチャーを諦めたことを知っている1人だが、サエのようになぜだどうしてだとは聞いてこない。もっとも、2軍でのるなの成績を見れば『そういうこと』なのだが。
「お待たせ。ありがとね、待っててくれて」
「いえ。ここは初めてでしょうから」
先導され、るなはメロナドームホテルのエレベーターへ乗り込む。駐車場は別々になっているものの、ホテルと球場は中廊下で繋がっているのだと教えてくれた。
「日本人選手はいつも11階です。夜もライトアップで奇麗ですけど、日中はかわいく見えるので、明日起きたら見てみてください」
リホが指指す先には、緑色にライトアップされたドーム球場があった。ガラスで覆われたエレベーターが上昇するごとに、その全貌が明らかになっていく。
「おー、メロンみたい!」
「はい。だから『メロナドーム』なんですって。この辺はメロンが有名らしいです」
「へぇ……。もしかして、バイキングもメロンどっさりかな?」
「色んな種類のメロンがありますよ。私も去年、初めてきた時はびっくりしました」
表情があまり変わらないので、口数も少ない子だと思っていた。冷たく見えても気の利くいい子だ。
11階に着くまでに、部屋番号をタブレットで確認する。選手だけでなく、監督やコーチ、スタッフ陣の部屋番号までがズラリと並んでいた。選手は背番号順に書いてあるので、5番のるなは見つけやすい。
自分のアカウントの中に、今晩の部屋のバーコードが反映されているとも教えてくれた。シャニータウンホテルと同じシステムだ。真鈴に連れ込まれたワンナイトホテルもそうだったし、セシアナではこれが主流なのだろう。
「私は1111号室か。覚えやすくていいや」
「夕食は9時30分までなら、好きな時間に入れます。一練習してから行く人もいるし、遊びに行って外食してくる人もいるみたいです。バイキング会場の場所が分からなかったら声かけてください。私は1132号室ですので」
ちょうど11階に着き、「それじゃ」とリホは右側へ歩いて行った。目の前の案内板には、1101から1120までは左側と書いてある。るなは部屋番号を1つ1つ確認しながら、1111号室の扉を開く。
一歩踏み込むと、ホテルの内線電話が鳴り出した。るなは急いで受話器を上げた。
「はい、もしもし?」
『るなさーん、あなたの真鈴です。今どこにいるんですか? スマホも散々鳴らしてるのに出ないしぃ』
「……どこにかけてるの? 部屋の内線にかけてるのに『どこにいるんですか』っておかしくない?」
真鈴は意味が分からなかったらしく、一瞬沈黙した。
『……あー、確かに! あはっ、るなさんてばおもしろいですねぇ』
「いや、おもしろいのそっちだから……。で、ご用件は?」
『もちろん、ディナーのお誘いですよ。るなさん、オムライスはお好きですか?』
「オムライスっ!」
思わず受話器を両手で握りしめるるな。その声のトーンで察したらしく、真鈴は得意気に続けた。
『お好きだと思いましたとも。あたしが小さい頃から通ってるオムライス専門店にご招待したくてですね。ここから車で15分くらいなんですけど、予約しちゃっていいですか?』
「い、行く行く! オムライス行くー!」
『ふふっ、そんなに喜んでくれると嬉しいですねぇ。んじゃ、予約しておきますんで、支度出来たら駐車場へ降りてきてください』
了解! と声を弾ませ、るなは受話器を置くと共にエレベーターへUターンする。
地下駐車場で待つこと5分。いつもはタンクトップか半袖の真鈴が、今日は薄手の長袖パーカーを羽織って降りてきた。単なる無地の白いパーカーなのに、真鈴が着ると、何でもオシャレなアイテムに見えるのだから不思議である。
「早いですね、るなさん。レディをお待たせするとは、あたしとしたことが」
真鈴が近付くと、彼女の愛車のヘッドライトがピカッと光った。『ここだよー』と言っているようだ。
念のため、キョロキョロと周りを見渡す。記者よりもカメラよりも、今はトウコの目が一番怖い。誰もいないのを確認し、助手席に滑り込む。
初対面以来の真鈴の車。あの日の不安や安心感が目まぐるしく思い返されるが、今の自分は自らの意思で乗っているので変な気分だ。
「お店は山のほうなんで夜はだいぶ冷えますけど、今の時期はメロンが最高においしいんですよ。ぜひ、るなさんに食べてほしくて」
「メロンー!」
意気揚々とエンジンをかける真鈴。るなの脳内では、オムライスとメロンが手を取り合ってダンスし出した。
光る巨大なメロンの横を通り過ぎると、辺りは急な坂道に差し掛かる。街灯も疎らになり、フロントガラスの先はビニールハウスと木々だけになってきた。
どこからどう見ても山である。道が整備されていない箇所もあるらしく、たまにガタガタと車体が揺れる。街中のおしゃれな洋食屋さんを連想していたので、るなはだんだん不安になってきた。
「……ずいぶん田舎じゃない? ほんとにこの先にあるんでしょうね? また変なとこに……」
「いやだなぁ。あたしがそんなことすると思ってるんですか?」
「どの口が言うの? 初日のこと、忘れたとは言わせないよ」
「あたしも忘れてませんよ? るなさんには『貸し』がありますからねぇ。デートの約束、果たしてもらわないと」
まったく……と呆れるるなの視界に、オレンジ色の灯りが見えた。15分くらいと言っていたわりにくねくねと山道を登っているので、体感的にはもう少し遠くまで来た気がする。
「さぁ、着きましたよー」
ジャリジャリと鳴く駐車場には、車は一台も停まっていなかった。貸し切りなのだろうか。それとも、ただ単に場所が場所なので誰も来ないだけなのだろうか。
確かに、看板にはかわいくデフォルメされたオムライスが描かれている。足取り軽く車を降りる真鈴。助手席のドアを開けると、山のひんやりした空気がるなを出迎えた。




