15☆嬉しいんですけど
スターティングメンバーの発表が、広いオーシャンドームに響いた。
『8番。ショート、ルナ・ユーミ』
歓声とどよめきが湧き上がる。るなはキャップを深く被り直し、左手にはめたグローブの感触を確かめた。
今日の先発は、ドルフィンズの次期エース候補・吉永里歩。1つ年下だが、大学時代に何度か投げ合ったピッチャーだ。スラリとした長身から繰り出すストレートと鋭いシュートが武器で、るなの記憶にもよく残っている。
アイドルのような愛らしい顔をしているのだが、物静かで冷静沈着。突然移籍してきた真鈴にもあまり興味を示していないらしく、いつも独り黙々と練習メニューをこなす一匹狼である。
「るな」
グラウンドに一歩踏み出そうと、階段に足をかけたるなを監督が呼び止めた。
「リラックス。君なら大丈夫。いいね?」
「はい!」
るなは最高の笑顔を見せた。監督も満足げに微笑む。「行っておいで」と背を押され、今度こそグラウンドに飛び出した。
日本で1番大きい球場の3倍の動員数を誇るオーシャンドーム。小さなるなは、その歓声に圧倒されることなく落ち着いていた。緑の人工芝に立ち、ぐるりと一周見渡してみる。
「よっし!」
気合を入れた。守備に着く。
日本での1軍の試合は、2シーズンと3か月でわずか15試合。あとは2軍ででくすぶっていたるな。
その自分が拠点を変え、ポジションを変え、今は1軍のグラウンドにスタメン出場している。落ち着いているというより、実感がないのかもしれない……。
「プレイボール!」
球審のコールで、先発のリホが1球目を投じる。初球打ち。鋭い打球が、るなの守備範囲に飛んできた。
ワンバウンドで捕球。すぐに体制を立て直し、ファーストに投じる。簡単に1アウトを取った。
ゴロを打たせて取るリホの投球スタイルは、るなにとってはとても守りがいがある。真鈴のように三振を取れるピッチャーだと捕球しなくてすむので、そのほうが楽でいいという野手もいるのだが、るなは生き生きと打球に飛びついていく。
「あっちのピッチャー、そこまで早くないけど、ボールが急に落ちていくから見極めてね」
3回の裏。るなに打席が回ってくる。サエがアドバイスをくれた。「了解です」とネクストバッターズサークルへ向かった。
るなの目は変化球に慣れている。1回からずっと、相手のピッチャーの球筋を観察していたが、見極められないほどではない。急激に角度を変えても、ストライクとボールは判別できそうだ。
「ボール!」
るなの初打席は、ストレートのフォアボール。さっさと一塁へ行き、しれっと盗塁を決めた。
だが打線は続かず、あっけなく3アウト。るなが三塁へ進むことなくチェンジになった。
その後も、ドルフィンズは相手ピッチャーに歯が立たず。るなも2打席目はレフトフライに終わり、クイーンマーメイド側が入れたスリーランホームランで0対3のまま最終回へ。
「大きいのを打とうとするな。繋げていけ!」
9回の裏。監督が檄を飛ばす。るなにも打席が回ってくる。バットのグリップをギュッと握り直し、バッターボックスに入った。
「くそっ、チビめ。投げにくい!」
相手は、昨年最多セーブを取った、押さえのピッチャー。だが、小さなるなを前にイラついている。
背の低いるなのストライクゾーンは狭い。なかなかストライクを取れずイラついているのだ。
これがるなの強みでもある。限られたゾーンに入り込む投球だけを、確実に当てていく。
るなの3打席目は、ピッチャーの頭上を超えるセンター前ヒット。待望の初スタメンで結果が残せて、内心ホッとした。
「ゲームセット!」
だが、るなの出塁も虚しく、後続が倒れて今日もドルフィンズは敗北。結局、あのホームラン1本が勝敗の決め手となった試合だった。
「ナイスバッティング!」
チームメイトたちがさっさとベンチから引き上げる中、監督がるなに近づいてきた。「明日も頼むよ」と肩を叩く。るなはキャップを取り、「はい!」と笑顔を見せた。
しかし、るなはこれまで、こんなに弱いチームに所属したことがないので複雑な気持ちであった。
高校も大学も強豪校だったし、プロもそれなりに強いチームだった。負け試合が続くことに慣れていないのだ……。
負けて悔しくない選手はいないだろう。監督だってそうだ。なのに、『またか』という空気を感じる。特に、ホームランで3点取られた直後から、チームメイトたちに諦めがにじみ出ていた。
「あの……サエさん」
どこか心ここにあらずな表情で振り返るサエ。サエは今日、5番を打っていた。ヒットを2本打ってはいたのだが、なかなか打線が続かなかった。キャッチャーミットを小脇に抱え、ベンチを後にする。るなも続いた。
「どした?」
「いえ。今日、よかったら夕飯一緒にどうですか、と思って……」
「夕飯?」
サエが足を止めた。るなは振り返り「はい」と頷く。サエはしばし唸っていたが、俯きながら首を横に振った。
「神月真鈴も一緒でしょ? 誘いは嬉しいけど、今日はやめとくわ。なんか……毒づきそうだから」
「え……?」
「……昨日の今日でしょ? 比べ茶いけないけどさ、神月真鈴のボール受けた翌日だから、現実を突きつけられた感じだなーって思って……。今日のリホの調子が悪かったわけじゃないんだけど、神月真鈴のあのボールを一度受けたら、どんなピッチャーもしょぼく思えちゃうよ……」
廊下に誰もいないことをいいことに、サエはその場でボソッと吐き出した。小さくため息をついている。普段頼りがいのある、姉御肌のサエの面影はそこにはない。
キャッチャーならではの体感なのだろう。昨夜の高揚感から一転、いつもの負けパターンに戻ってしまったドルフィンズ。8年目ともなると、サエは『現実に戻るくらいなら、夢なんか見たくなかった』とでも言いたいのだ。
「どうせ、初ヒット祝ってもらうんでしょ? 2人で楽しみなよ。お邪魔虫はお呼びでないだろうからさ」
「そんなこと……」
「あ……ごめん。るなに当たることないのに、嫌な言い方しちゃったね……。どうかしてるわ。やっぱやめといたほうがいいかも。ごめんけど、また誘って?」
るなを独り残し、サエは早足でロッカールームへ消えて行った。ポツンと佇むるな。初ヒットや初盗塁の喜びに、モヤつきが覆い被さっていく……。
「るなさん、広報が呼んでます。インタビューですって」
背後からリホに呼ばれた。今日の負けで2勝4敗になったというのに、堂々としている。「あ……うん、ありがと」と挨拶し、るなはインタビュールームへ向かった。
ドルフィンズのロゴが壁一面に描かれたインタビュールームでは、スポーツニュースのリポーターや新聞記者が待ちかねていた。初の試合後インタビューに、ドキドキしながら一つ一つ答えていく。
変な回答したら、またお兄ちゃんにからかわれる……! などと考えれば考えるほど、「えーっとですね」「んーっとですね」が増えていくるなだった。




