10☆教えられないんですけど
「るな、悪いんだけど、ちょっと来てくれない?」
翌日。試合前の打撃練習を終え、一度ロッカールームへ引き上げようとしたるなをトウコが呼び止めた。
振り返ると、トウコの隣にはもう1人、投手コーチがいた。主に左投げのピッチャーを担当するミンディコーチだ。2人とも眉間にしわを寄せている。
「はい。いいですけど、私、これから守備練習が……」
「監督には許可得てるわ。……というより、監督もいらっしゃる」
「えっ?」
何か怒られるようなことしただろうか……? 含みを持たせたトウコの言い方に、るなは打撃練習で流した汗とは別の汗を感じた。
「るな、真鈴、怒らせた? ケンカ?」
今度はミンディコーチが、なまりのある日本語で尋ねてきた。
「ケンカ、したわけじゃないですけど……。真鈴がどうしたんですか?」
少々心当たりはあるものの、るなはあえて尋ねてみた。トウコは英語で短く通訳している。2人揃ってお出ましということは、何かやらかしているのだろう……。
「実はね、明日の先発、外してくれの一点張りらしいのよ。今そんなこと言われても、他のピッチャーは調整中ばかりだし」
「真鈴、ワタシじゃない、言う。右、教えてほしい、言ってた」
「移籍後初登板だから、メディアもファンも大盛り上がりなのに、ほんっとワガママだわ! アクアマリンでもこんなにワガママ言ってたのかしら」
「右、教えないなら明日投げない、言う。ダメ言っても、るなが悪いばかり言う。みんな困ってる」
トウコとミンディコーチが、早口で代わる代わる怒りを表す。内容によっては知らんぷりするつもりだったが、自分の名前を出してることに青ざめた。
実は昨夜、『るな塾』は、ものの3分で終了したのだ……。
まずは自分の過去の動画を見ながら説明しようとしていたのだが、『うわっ、このユニのるなさんもかわいい!』だの、『いやぁ、この表情はしびれますねぇ』だの、『この笑顔! かわいすぎてパネルを置いておきたいです!』だのと、動画に夢中になって説明を聞かない真鈴に呆れ、説明にも入らず部屋を後にした。
もちろん、すぐに電話がかかってきた。許しを請う言葉もあったが、『だって、かわいいるなさんが悪いんですもん』の一言が、るなの逆鱗に触れた。
夕飯後に少しだけ、と思っていた自分が甘かった。こちらだってデータ収集や、他チームの試合の過去動画を見る時間が欲しい。まずはスタメンを目指するなと、先発登板確定の真鈴とはスタートから違いすぎる。『一生動画見てれば?』と通話を切ったのだった。
「そんな真鈴のワガママ、プロとして通るわけないですよね? いくらトップ選手だからって、甘やかさなくていいと思います」
「何があったか知らないけど、るなは悪くないことくらい聞かなくても分かるわよ。今、監督とコーチたちが説得してる。ちょっとだけでいいから、あいつを説得してくれない?」
「なんで私が……」
るなは球場入りした際、『今日の練習の様子で、途中出場させるかどうか決めるから』と監督に言われたばかりだ。状況が状況だとしても、自分の練習よりも、真鈴の説得に時間を費やしていることにも腹が立つ。もちろん矛先は真鈴だ。
とはいえ、監督やコーチを悩ませる問題児が自分の名を出している以上、ノータッチというわけにもいかない……。
「分かりました。ブルペンですか?」
ミンディコーチに先導され、向かったのは投球練習場・ブルペン。キャッチャーミットにボールが吸い込まれるパァンという快音に紛れ、複数の女性の声が聞こえてきた。
「頼むよ、真鈴。君は今のまま投げてくれれば何も問題ない」
「そうよ。あなたの武器はストレートとフォークさえあれば充分でしょう?」
「いいえ。さっきも言いましたが、契約の時に、好きなように投げさせてくれると約束してもらいました。なのにあたしの要望が通らないのは契約違反です」
「それとこれとは話が違うだろう?」
「真鈴……どうか機嫌を直して?」
投球練習場前の廊下で、真鈴は3人に囲まれていた。ふてぶてしく、壁に寄りかかりそっぽを向いている。英語での会話なので、るなには全く聞き取れない。
真ん中に監督の姿があった。監督はセシアナ人ではあるが英語も日本語も堪能なため、ほとんどの選手と通訳を介さずコミュニケーションが取れる。
「監督」
トウコが監督に駆け寄った。トウコまで流暢な英語で会話に混じる。るなはミンディコーチの後ろから、すねた真鈴の横顔を見て呆れていた。
監督がこちらを向いた。脇にいた2人のコーチとトウコも。そして、真鈴はこげ茶色の瞳だけをこちらによこしてきた。
目が合った。途端に真鈴はプイっと背を向ける。コーチの1人に一言だけ何か告げ、すたすたと投球練習場へ入って行った。
「るな?」
るなは監督に手招きされ、急いで駆け寄る。
「悪いけど、真鈴のワガママに付き合ってあげて? 明日の先発は真鈴を外すわけにはいかない。彼女はこれを教えろと言ってきかないんだよ。『中途半端な球投げさせて、あたしに恥をかかせるつもりか』って」
監督はるなにタブレットを差し出した。一時停止された動画だ。ピッチャーの手からボールが離れる瞬間が拡大されている。
それは昨夜、真鈴が興奮しながら見ていた、るなの大学時代の試合の動画だ。
「確かに、るなのこのスライダーは生き物みたいだ。これと同じような軌道で投げられるコーチは、あいにくうちにはいない。初めは右手で投げさせろって言ってたけど、まず筋肉の鍛え方からして今は無理だと言ったら、それはさすがに納得してくれたんだけどね。今度はこれを教えてくれないと明日は投げないと言い出して……」
「私が……教えるんですか……?」
「もちろん、君はコーチじゃないから上手く教えられなくても気にすることはない。もし試合が始まっても、今日は彼女が納得いくまで付き合ってくれてかまわないよ」
るなは唖然とした。守備練習よりも、試合よりも、真鈴のるな式変化球習得に時間を使えということか……。
「私の……私の出番は……」
「君のデビューはいくらだって作れる。でも、真鈴のデビューは明日じゃなきゃダメなんだ。……分かってくれるね?」
ポンっと肩を叩かれ、るなは頷く以外に出来なかった。監督もコーチも、一安心といった表情でグラウンド方面に消えて行く。残されたるなは、背後からトウコにギュッと抱きしめられた。
「るな……ごめんね? だからあんな問題児、格安でも入れなきゃよかったのに」
「トウコさんが謝らないでください。あいつに……真鈴に土下座させてやります……!」
球団ごとるなを振り回す真鈴に、るなは怒りと悔しさでぐちゃぐちゃになりそうだった。「行ってきます」とトウコの腕を払い、投球練習場の扉を開いた。
「真鈴」
隅のベンチで、独りタブレットを凝視している真鈴の姿があった。呼びかけると、真鈴はゆっくり顔を上げた。るなは一直線にツカツカ詰め寄り、いきなりタブレットを取り上げた。真鈴が眉を顰める。
「……謝らないですよ? 教えてくれるって約束破ったのはるなさんですから」
「ボール」
「……ボールがなんですか?」
「早く、ボール持ってきて」
真鈴は、るながただ叱りに来たのではないことを察すると、ニヤリ笑って「そうこなくっちゃ」と立ち上がった。
「一度しか説明しない。私は独学で身に着けたから、質問されたって言語化出来ない。あとは動画で復習するなり、投げ込むなりして修徳して。それと、二度とワガママ言わないで。今度言ったら……」
「言ったら?」
「嫌いになる」
「えー! でも、それって今はあたしのこと大好きってことで合ってます?」
いつもの調子に戻った真鈴を残し、るなは練習用マウンドへ上がる。「つれないんだから……」とぶつぶつ言いながらついてきた真鈴はボールを1つ、るなに手渡した。
「さっきの動画はスライダー。普通のスライダーならこうだけど、私の指のかけ方はこう。指から放れる直前に、中指の爪で……」
るなは左手でボールを握った。左投げの真鈴のために、指のかけ方とボールを手放す際の指の動きをゆっくり再現する。真剣な顔つきで覗く真鈴も同じように握った。
るなの手中では大きく見えるボールは、真鈴の手には小さく見える。同じ形に握っているつもりでも、るなの細い指のように繊細な動きにはならない。苦戦し舌打ちする真鈴を横目に、るなは一球投げて見せた。
るなのスライダーは決して速くない。だが、バッターの顔目掛けて真っすぐ向かい、当たりそうな直前でカクンと三日月形に落ちていく。バッターはまず怯んでしまうし、確実にストライクゾーンに入るので見逃し三振を取りやすい。
もともと、スライダーは兄の得意球種だった。見様見真似で修徳したのは高校1年の秋。いつしかチームメイトからは『ルナイダー』と呼ばれるようになった。
肩慣らしもせずに投げたので、球速はいつも以上に出ていない。それでも見本には上出来な角度で落とすことができた。ふぅっと1つ、ため息を吐く。
「はい、やって」
肩を回し振り返ると、真鈴は誰もいないバッターボックスを見つめたまま呆然としていた。
「真鈴、投げてみてってば」
「……い、いやいやいやいや、ちょっと待ってくださいよ! あたしがいくら天才でも、これだけで投げれるようになるわけないじゃないですかぁ」
「せっかく左で投げてあげたのに……。とりあえず投げてみてよ。違うとこ指摘するから」
「んなこと言われても……」
お互いにプライドが高い。るなは簡単に習得されたくないし、真鈴は下手っぴな自分を見せたくない。真鈴は硬球の縫い目に何度も指をかけ直し、思い通りに動かない自分にイラつきだした。
「くそっ。中指の弾きが、るなさんみたいに出来ない!」
「そうでしょうね。これは手の小さい私用に編み出したんだから、真鈴には向いてないと思うけど? あなたは身長だって力だってあるんだから、それを生かした変化球をコーチに教わればいいのに」
「いーえ! あたしはるなさんの変化球がいいんです! 特段、このスライダーはエグい……。どうにか明日までに……」
真鈴はあーでもない、こーでもないとボールをひたすらくるくる握り直す。るなは黙って見守った。今まで、出来なかったことがなかっただけに、物理的に無理があることに気付けないのだろうか。るなは、見かねて「待って」と両手を添えた。
「なら、これは出来るでしょ? 指が長い分、爪のこする位置をここくらいにして……」
角度を変え、真鈴の白く長い指を一本一本添え直していく。悔しいけど教えるしかない。チームのため。拾ってくれた球団のため。されるがままの真鈴は、黙ってるなを見下ろしていた。
「これで投げてみて? 私がバッターボックス立つから、顔面目掛ける感じで」
ジッと左手を見つめる真鈴。るなが左のバッターボックスに入る。「早く」と促すと、真鈴は頷き、投球モーションに入った。
「わっ! バカー、危ないでしょー! ちゃんとスピンかけたの?」
1球目。ボールは軌道を変えることなく、るなの顔面目掛けて飛んできた。スピードが出ているので、一歩避けるのが遅ければ、るなの顔はお岩さんになっていた。
「すいませーん! かけたつもりなんですけど……。弾くのが遅かったのかも。もう1球行きます」
2球目。るなの顔面すれすれを通過のストレート。
3球目。バッターボックスの3メートル手前からアウトローへ。
4球目、5球目。るなの鼻先を大きく通過してからアウトローへ。
その後も、るなはバッターボックスに立ち続けた。20球を過ぎた頃から、真鈴に明らかなイラ立ちが見られた。るなの提案した握りが崩れているようにも感じる。真鈴は、無言で立ち続けるるなと視線を合わさなくなった。
「真鈴!」
呼んでもこちらを見様としない。手汗をズボンの側面で雑に拭ったり、プレートの土を蹴り散らしたり。一つ一つの動作が荒々しくなっている。
「力を抜いて。スピードを出そうとしないで」
「分かってます! ……あー、もうっ!」
「私のスライダーにスピードはいらない。肩より指に集中し……」
るなが言い終わる前に、真鈴は次の投球モーションに入った。頭が熱くなっているようだ。るなの顔をかすめても、謝罪すらしなくなった。
手に入らないものがなかった真鈴が苦戦している……。るなはくすっと笑いがこみ上げてきた。
完璧な人間などいない。スーパースターの神月真鈴がイラ立ちながら泥臭く手に入れようとしているものを、このおチビの自分が持っている……。
「るなさん。教えてもらっておいて申し訳ないんですけど、席外してもらえませんか? 独りで練習したいんで」
キャップを取り、袖口で汗を拭う真鈴。相変わらず目を合わそうとしない。よほどプライドが高いのだろう。習得中といえど、かっこ悪い姿は見せたくないらしい。
「分かった。私、ここにいなくていいってことは、試合に出てもいいってことだよね?」
「もちろんです」
「明日先発するために、独りで練習してるって、監督に報告していいんだよね?」
「もちろんです」
言い切ると、真鈴は謝罪も礼もなく、真顔でセットポジションに入った。ホッとしたるなはバッターボックスから離れる。真鈴はるなの残像目掛けてボールを放った。
投球練習場の扉を閉める間際、もう一度真鈴の背を見つめた。
贅沢な悩みを持つスーパースター。壁を超えた時の嬉しさを味わえば、空腹だった真鈴の心も徐々に満たされていくだろう……。
一仕事を終え、るなは急いでグラウンドへ戻る。もうすぐ試合開始だ。守備練習には間に合わなかったが、これで自分に集中出来る……。
廊下を走りながら、今夜は豚の生姜焼きをリクエストしてやろう、と頬を緩めるるなだった。




