第4話 はじめての外出 ― 後半 ―
雫月と星華が街を歩き始めてから、すでに二時間が経っていた。
王都レヴァリアは春の祭りの準備が進み、どこを見ても華やかで、活気に満ちている。
「ねぇ星華、あれ見て!」
雫月が指さした先には、移動式の小さな雑貨屋があった。
カラフルなリボン、手作りのペンダント、刺繍入りの小袋……
素朴だが温かみのある品が並んでいる。
「わぁ……全部かわいい……!」
雫月は目を輝かせて店先へ駆け寄ろうとした――
しかし、星華が素早く腕を伸ばし、そっと雫月の袖をつかむ。
「雫月様、走らないようお願いしたはずです」
「うっ……そうだったわ。つい……」
雫月は反省したようにうつむく。
星華は少しだけ微笑んだ。
「“つい”は危険です。雫月様が倒れたら俺の心臓が止まります」
「……星華、それ反則」
「え?」
「そんなこと言われたら……恥ずかしくて顔が上げられないじゃない」
雫月は頬を赤くしながら、星華の袖を握る。
星華もまた、耳が赤くなっているのを自覚しながら言葉を濁した。
「……気をつけてください、という意味です」
「ふふ……はい」
二人は並んで雑貨屋へ近づく。
「いらっしゃい。まあ、殿下じゃありませんか。ようこそ!」
店主の女性が驚きつつも丁寧に頭を下げた。
雫月は軽く微笑み返し、商品を眺め始める。
「星華、これ見て。うさぎの刺繍……可愛すぎる」
「雫月様はこういうのがお好きなのですか?」
「うん。ふわふわしてて、優しい感じがするでしょ?」
雫月が小袋を握りしめて頬を寄せる姿は、小さな動物のようで、星華は微笑ましい気持ちになった。
「雫月様。よろしければ……買いましょうか?」
「だめ! 自分で買うの!」
即答され、星華は驚く。
「……なぜですか?」
「だって……星華が“執事として”買ってくれるのは、なんだか距離がある感じがするんだもの」
「距離……?」
「うん。私ね、星華とは……もっと“近い”関係がいいの」
「……近い……」
星華は言葉を失う。
胸が痛いほど熱くなり、指先が震える。
そんな星華を見て、雫月はにっこり笑った。
「ほら、星華も気に入ったのあったら言ってね? 一緒に選ぼ?」
「……雫月様……俺などは……」
「“俺なんか”は禁止! 言ったでしょ?」
「……はい」
「大事な人が、自分に“俺なんか”なんて言ったら……悲しいわ」
雫月の言葉は、子供の素直さと真っ直ぐさで、星華の胸を真っ二つに割る。
(雫月様にとって……俺は……)
思いがけない重みを持った“大切”という言葉が、胸の奥にずっと残っていた。
店を出ると、雫月は買った小袋を胸に抱えて嬉しそうに歩いていた。
「見て、星華。これ、星華の分」
「俺の……?」
「うん。星華も持ってて。何も入ってなくてもいいの。
“お揃い”っていうだけで、ね?」
雫月は照れくさそうに笑った。
星華は小袋を受け取り、静かに胸元へ押し当てた。
「……ありがとうございます。大切にします」
「えへへ……うれしい」
二人はしばらく無言で歩いた。
言葉はないが、雫月は星華との距離が近く感じられて胸が温かかった。
「星華、次は市場の方に行きたいの」
「市場……?」
「食べ物がいっぱいあるの。お昼も食べられるし、色んな人と触れ合えるの」
「……それは、護衛が大変では?」
「大丈夫よ。叔父様が手配してくれたみたい」
雫月は星華の腕にそっと手を添える。
「星華が一緒なら……怖くないもの」
星華の胸が熱くなる。
「……必ずお守りします」
「うん。頼りにしてるわ」
手を繋いだまま、二人は市場へ向かった。
市場は王都の中でも最も活気がある場所だ。
焼き立てのパンの香り、魚を売る商人の声、子どもたちの笑い声――
すべてが生き生きと混ざり合っている。
「わぁ……来てよかった……!」
雫月はキラキラと目を輝かせ、人混みの中心へ歩き出す。
星華は彼女を守るように後ろに立ち、手を握ったまま離さない。
「雫月様、危険ですので少しゆっくり歩いてください」
「はーい……ってあっ、パンのいい匂い……!」
雫月は思わずパン屋へ駆け寄ろうとしたが、星華が素早く腕を引いた。
「走らないでください」
「ご、ごめん……でも、匂いが……」
「匂いに負けてはいけません」
「むぅ……星華、厳しい……」
星華は小さく微笑む。
「雫月様が怪我しないように、です」
「……なら、許す」
不満げにしながらも、雫月は星華の手をぎゅっと握り返した。
「いらっしゃい! 殿下、よろしければこちらのパンはいかがです?」
「わぁ、美味しそう……星華、食べる?」
「俺は……」
「はい、決まり。二つください!」
雫月は星華に半ば強引にパンを渡す。
星華は戸惑いながらも受け取った。
「……雫月様、俺は」
「星華、食べて。買い物ってね、“一緒に楽しむ”ものなの」
「……はい」
二人でパンを口に運ぶ。
外はカリッとして中はふわふわ。星のような型をした可愛いパンだった。
「美味しい?」
雫月が期待のこもった目で見つめてくる。
星華は小さく頷き、ほんの少し笑った。
「はい……とても」
「よかった!」
雫月は星華の笑顔を見て、自分まで幸せになった気がした。
パンを食べ終え、二人は広場のベンチに座って休んでいる。
人々の声が心地よく、春風が二人の髪をそっと撫でる。
「星華……今日ね。ずっと思ってたことがあるの」
「……なんでしょう」
「星華って、笑うと……すごく優しい顔になるのね」
星華は驚いて雫月を見る。
「……俺が……優しい?」
「うん。星華は自分では気づいてないけど……怖い顔より、笑ってる方がずっと素敵だよ」
雫月は少し照れながら言った。
「だから……もっと笑ってくれたら嬉しいな」
「……雫月様がそう言うなら……」
星華はゆっくりと笑った。
それはぎこちないながらも、心からの笑みだった。
「……あ」
雫月の胸が、熱くなる。
(星華……笑ってる……)
その姿に目を奪われる。
胸がどきどきして、声が震えそうになる。
「雫月様?」
「……っ」
星華に覗き込まれ、雫月は慌てて顔をそらす。
「なんでもないのっ……!」
星華は不思議そうに首を傾げたが、雫月の耳が真っ赤なのに気づく。
(……雫月様……可愛い)
胸が温かく、優しい気持ちが広がる。
雫月は胸に手を当て、そっと呟いた。
(星華と一緒だと……なんでこんなに楽しくて……嬉しくなるんだろう)
その答えは、まだ二人とも知らない。
けれど――確かに、距離はまたひとつ縮まっていた。




