表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Yes, Your Highness  作者: 名無しの旅人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/68

第35話 近づくほど、遠回り ― 前半 ―

その朝、雫月は少しだけ早く目を覚ました。


カーテンの隙間から差し込む光が、いつもより柔らかい。

胸の奥に残るのは、昨夜の静かな対話の余韻だった。


(……一緒に、考えよう……か……)


星華の表情を思い出す。

戸惑いと、誠実さと、隠しきれない優しさ。


(……ああいう顔……ずるい……)


身支度を整えながら、雫月は小さく息を吐いた。


(……今日は……ちょっと……普通に話そう……)


回廊。


星華はいつも通り、雫月の部屋の前に立っていた。

姿勢も距離も、完璧な執事。


ノック。


「……おはようございます、雫月」


「……おはよう」


扉を開けた瞬間、二人の視線が、自然に重なる。


――ほんの一瞬。


それだけで、どちらともなく視線を逸らした。


「……本日の予定ですが……」


星華が口を開く。


「午前は書簡整理、午後は庭園の視察です」


「……うん」


雫月は頷きながら、ちらりと星華を見る。


(……昨日より……近い……?でも……なんか……ぎこちない……)


歩き出すと、自然と肩が並ぶ。


その距離が――

近い。


近すぎる。


雫月は、意を決したように口を開いた。


「……ねえ、星華」


「……はい」


「……今日さ……庭園……少し……ゆっくり歩かない?」


星華の歩調が、わずかに乱れた。


「……ゆっくり、ですか」


「……うん。急ぐ理由……ないし……」


星華は一瞬考え、静かに頷く。


「……承知しました」


声は落ち着いている。

けれど――

耳が、ほんの少し赤い。


雫月は、それを見逃さなかった。


(……あ……星華も……意識してる……)


胸が、くすぐったくなる。


庭園。


朝露の残る芝生と、咲き始めた花々が、穏やかに迎える。


二人は並んで歩く。

速度は、普段よりずっと遅い。


「……今日は……静かだね」


雫月が言う。


「……はい。警備も、最低限です」


沈黙。


風の音。

葉の擦れる音。


それだけなのに、なぜか、落ち着かない。


雫月は、歩きながら手を揺らした。


(……近い……)


星華の手が、すぐ隣にある。


触れそうで、触れない。


(……昨日は……一緒に考えようって言えたのに……)


(……今日は……なんでこんなに……緊張してるの……)


星華もまた、心中は穏やかではなかった。


(……距離を縮めると……触れてしまいそうで……)


(……触れてしまえば……戻れなくなる……)


けれど――


(……それでも……離れたくは……ない……)


雫月が、ふと立ち止まる。


「……星華」


「……はい」


雫月は、言葉を選ぶように視線を落とす。


「……昨日の夜さ……」


星華の呼吸が、少しだけ浅くなる。


「……うん……」


「……“一緒に考えよう”って……言ったでしょ」


「……ええ」


「……それ……やっぱり……嬉しかった……」


星華は、何も言えなくなる。


雫月は、勇気を振り絞るように、続けた。


「……だから……今日は……ちょっと……」


一歩、近づく。


「……星華のそばに……ちゃんと……立ちたかった……」


距離が、一気に縮まる。


星華の視界に、雫月の髪が、頬が、はっきり映る。


(……まずい……)


(……近い……)


星華は、反射的に一歩、下がった。


「……っ……」


雫月の目が、わずかに揺れる。


「……あ……ごめん……」


その声が、胸を締めつける。


星華は、すぐに首を振った。


「……違います……」


声が、少し急いでいる。


「……嫌だったわけでは……ありません……」


「……じゃあ……」


「……近すぎて……心臓が……持たなかっただけです……」


一瞬の沈黙。


そして――


雫月が、吹き出した。


「……なにそれ……」


「……笑うところでは……」


「……でも……星華らしい……」


雫月は、目尻に涙を浮かべながら笑う。


「……私だけじゃなくて……星華も……同じなんだって……分かって……」


胸の奥が、じんわり温かくなる。


星華は、観念したように小さく息を吐いた。


「……ええ……同じです……」


庭園に、柔らかな空気が戻る。


近づこうとして、照れて、遠回りして。


それでも――

二人は、同じ場所に立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ