第31話 戻った日常、ふたりの距離 ― 後半 ―
市場からの帰り道。
二人は城に続く石畳を並んで歩いていた。
夕暮れの光が、道に長い影を落とす。
雫月は手に持った紙袋――
購入した小さなお菓子の包みを胸に抱え、
ゆっくり歩いていた。
「……今日は楽しかった」
ぽつりと零した言葉。
星華はすぐに視線を向ける。
「……それは、何よりです」
「……ねえ。こういうの……“任務”じゃ、ないよね」
雫月は、空を見上げながら言った。
「……一緒に歩いたり、お菓子食べたり、笑ったりするのって……」
星華は一瞬、言葉に詰まる。
「……任務では、ありません」
「じゃあ……なに?」
星華は、少しだけ目を伏せてから答えた。
「……“時間”です」
「……時間?」
「……雫月と、ただ過ごすための……俺たちの時間です」
胸の奥が、じんと温かくなる。
「……それ、好き……」
雫月は、小さく笑った。
回廊に入る前、風が吹き抜け、雫月の髪をさらう。
星華は自然と歩みを止め、その髪が乱れたのに気づく。
「……少し」
そっと、手が伸びた。
雫月の前髪を、星華が整える。
近い。
近すぎる距離に、雫月の鼓動が早くなる。
「……星華……」
「……はい」
「……また……離れちゃうこと……ある?」
星華の指が、一瞬だけ止まった。
「……可能性は、ゼロではありません」
「……そっか……」
雫月は、不安を隠さず息を吐く。
星華は、手を引っ込めることなく、雫月の髪を整えたまま、静かに言った。
「……それでも、必ず戻ります」
「……帰る場所が、あるから?」
星華は頷く。
「……はい」
雫月の視線が、まっすぐぶつかる。
「……それ……私?」
星華は、ほんの一瞬躊躇し――
それでも、誤魔化さず、答えた。
「……雫月、です」
胸が波打つ。
言葉にならず、雫月はただ星華を見つめる。
しばしの沈黙ののち――
小さく、くすっと笑った。
「……ずるいね。そんなこと言われたら……」
「……何と?」
「……嬉しくなっちゃうに決まってるでしょ」
星華は、小さく困ったように微笑む。
「……申し訳ありません」
「謝らないで」
雫月は、星華の袖を、そっと掴んだ。
「……言ってくれて、ありがとう」
二人はそのまま、回廊を歩き出す。
これ以上、言葉を足さなくても、気持ちは十分に伝わっていた。
夜。
雫月の自室。
昼の余韻を抱えながら、机に向かって日記をつけている。
『星華と市場へ。一緒にりんご飴を食べた。星華が帰る場所は、私だと言ってくれた。……うれしくて、ちょっと泣いた』
ペンを止め、雫月は、窓の外を見上げる。
(……なんだか……)
(……恋してる、って、こういうことなのかな……)
胸に浮かぶ感情に、まだ名前をつけられない。
けれど――
(……離したくない、って思う……)
星華がそばにいてほしい。
戦わなくても、護衛でなくても。
(……ただ……一緒にいられたら……)
息を吐く。
ペンを静かに閉じる。
同じ夜。
星華は、執務室の窓際に立ち、月を見上げていた。
市場の帰り道で交わした言葉が、まだ胸に残っている。
(……帰る場所……)
口にしたはずなのに、どこか照れて、心臓が落ち着かない。
(……言ってしまったな……)
自分から。
これまで、想いを“形”にすることは避けてきた。
だが――
(……もう……避けられないのかもしれない……)
窓に映る、自分の顔を見る。
――随分と、表情が柔らかくなった。
(……雫月が、変えてくれた……)
小さく微笑み、剣ではなく胸に手を当てた。
(……守るという意味が……今日、少し……分かった)
傍にいること。
帰ること。
日常を共にすること。
それも、確かな“護り”なのだと。
翌朝。
王宮の鐘が鳴り、城が目覚める。
星華はいつも通り、雫月の部屋の前に立っていた。
ノックして数秒後、扉が開く。
「……おはよう、星華」
「……おはようございます、雫月」
互いの声に、自然な温度が宿る。
新たな一日が、また始まる。
目立つ出来事はない。
けれど、確かに――
ふたりの距離は、昨日より、少しだけ近づいていた。




