第30話 待つ者と、歩む ― 後半 ―
乾いた山風が尾根を吹き抜ける中、星華は剣を抜き放った。
視界の先には、黒羽残党の斥候――五名。
岩場を縫うように散開し、部隊の側面へ回り込む構えだ。
(……夜叉の残滓……だが、もう個としては脅威ではない)
星華の心は、いつになく静かだった。
かつての“夜死”なら、敵を数としか見なかった。
だが今は――
(一騎ずつ、終わらせて………帰る……)
帰る、という言葉が、自然と胸に浮かぶ。
「――前方制圧、始める!」
星華の低い号令と共に、騎士団が動いた。
矢が放たれ、岩陰を打つ。
斥候の一人が飛び出すのを、星華が迎え撃つ。
刃と刃が、ぶつかり合い――
わずか一瞬。
星華の剣が、相手の得物をはじき落とす。
「……抵抗は無意味だ」
そのまま柄で鳩尾を叩き込み、斥候は昏倒した。
二人目、三人目は味方の騎士が制圧。
最後に残った二名が、煙幕弾を投げ、退こうとする。
「……逃がすな」
星華は踏み込む。
煙の中――
敵の気配を読み、一瞬で距離を詰める。
そして、片方を斬り伏せ、もう一人を拘束。
騎士団が一気に包囲し、戦闘は、数分で終結した。
「……掃討完了。目立った抵抗は、これで最後でしょう」
副官の言葉に、星華は静かに頷いた。
「……夜叉の残党は、もう組織だった動きを取れませんね」
「はい。補給線も断たれています」
星華は剣を納め、遠くの山並みへ視線を向ける。
(……終わった……)
胸の奥が、ふっと軽くなった。
それは、“戦いが終わった安堵”と――
“帰れる”という想いが、重なった感覚だった。
(……雫月……)
無意識に、彼女の名を思い浮かべる。
(……約束……守れそうだ……)
その夜。
星華は、小さな焚き火のそばに座り、王宮宛の報告書を筆録していた。
最後の行に、こう書き添える。
――任務、無事完遂の見込み。
近日中に帰還予定。
筆を止めた瞬間――
胸に、はっきりした感情が込み上げる。
(……“帰還”じゃ……足りない……)
しばらく考え、小さく追記した。
――帰還後は、再び皇女殿下付き執事として、職務に復帰いたします。
星華はその文面を見つめ、自分でも驚くほど、穏やかに微笑んでいた。
(……俺は……戻る場所を、“職務”として……選んだんだ……)
それは、守らされるのではなく、“戻りたい”と思える場所。
彼の人生に、初めて現れた――
帰属先だった。
数日後。
王宮。
雫月は回廊の窓辺に立ち、中庭を見下ろしていた。
(……今日か……)
騎士団から、掃討任務完了と、帰還予定時刻の報が届いている。
胸が、どくんと鳴る。
「……落ち着かなきゃ……」
深呼吸するも、鼓動は高鳴るばかり。
やがて――
城門の鐘が、一度、鳴った。
(……帰ってきた……)
雫月は、気がつけば走り出していた。
城門前――。
並んで入城する騎士団の列の中、すぐに見つけた。
――星華。
外套は土埃をまとい、剣は任務の痕を残している。
だがその姿は、王宮を発った時よりも、どこか穏やかだった。
雫月は、列を横切り、彼の前へ立つ。
「……おかえり」
星華は、驚いたように目を開き――
すぐに、柔らかく微笑んだ。
「……ただいま戻りました。雫月」
胸が、きゅっとなる。
雫月は、言葉を選ぶ間もなく、そっと言った。
「……また……私のそばに、いてくれる……?」
星華は、一瞬だけ目を伏せ、そして、はっきりと頷いた。
「……はい。皇女殿下付き執事として、――もう一度……あなたのそばへ戻ります」
雫月の目に、涙がにじむ。
「……星華……」
星華は、距離を越え、片膝をつく。
かつて、形式として行っていた仕草を――
今は、本心を込めて。
「この身は、あなたを護るためにあります」
そして、顔を上げ、雫月をまっすぐ見つめる。
「ですが……それ以上に――」
声に、わずかな震えが混じる。
「……あなたのそばに、“戻りたい”から……執事として、立ちます」
雫月は、涙をこぼしながら笑った。
「……うん。それでいい……」
城門を抜けて、王宮へと続く回廊へ。
二人の影が並び、静かに重なっていく。
主従として――
そして、それ以上の“絆”として。
星華は、新たな覚悟を胸に――
再び、皇女雫月の執事へと戻った。




