第29話 取り戻した朝 ― 後半 ―
朝の中庭を歩き終えたあと、二人は回廊に並んで腰を下ろしていた。
遠くでは、騎士団の訓練音がかすかに聞こえる。
金属のぶつかる乾いた音が、穏やかな日常にまだ残る緊張の名残を伝えていた。
雫月は、欄干に頬杖をつきながら、静かに口を開く。
「……掃討任務って、いつから行くの?」
「……明日の朝です」
「……早いんだね」
「……はい」
短い会話。
だが、その間に流れる沈黙は重い。
雫月は足先を揺らしながら、意を決したように尋ねた。
「……星華、さ……」
「はい」
「……私……星華がいなくなると……ちょっと……怖くなるんだ」
声が、わずかに震えた。
星華は驚き、雫月を見つめる。
「……雫月……」
「……守られてたからじゃない。それもあるけど…………ただ……」
雫月は目を伏せた。
「……星華がそばにいると……心が、落ち着くの」
星華の喉が、ひくりと鳴る。
「……それは……依存ではありませんか……?」
雫月は、ゆっくりと首を振った。
「違う……と思う」
星華をまっすぐ見る。
「……ちゃんと……自分で立とうとしてる。けど……“隣にいてほしい”だけ」
その言葉に、星華は胸を締めつけられた。
(……ああ……)
(……彼女は……すでに“頼ること”と“依ること”の違いを……ちゃんと分かっている……)
星華は、しばらく言葉を探してから、静かに答えた。
「……それなら」
雫月の指先に、そっと自分の手を重ねる。
「……俺も、同じです」
雫月が、ぱっと顔を上げる。
「……え……?」
「……雫月がいると、俺は“ここにいていい”と、思える」
声が、ほんのわずかに震える。
「……任務に出ても……戻る理由があるから……剣を振るえる」
雫月の瞳が揺れた。
「……それ……」
「……生きる理由です」
雫月は、言葉を失う。
二人の間に、再び静けさが落ちる。
回廊を渡る風が、雫月の髪を揺らした。
星華は、風に遊ぶその髪を、そっと整える。
触れた指先は震えていた。
「……でも……それを、押しつけるつもりはありません」
「……?」
「……雫月が、誰か別の道を選ぶなら――それを止める資格は、俺にはない」
雫月は息を呑んだ。
「……星華……」
「……あれほど強くなれたのです。雫月は、自分で歩ける」
雫月は、ぎゅっと胸元を握る。
「……それ……嬉しいけど……」
少し笑って、続けた。
「……やっぱり、“勝手に離される”のは……やだな」
星華が、苦笑する。
「……では……勝手に戻ります」
「……ふふ」
雫月も、思わず笑った。
「……ずるい言い方」
星華は、小さく息を吐き、真正面から雫月を見た。
「……明日の朝、城門で見送っていただけますか」
雫月の胸が少し跳ねた。
「……うん。行く」
二人の視線が重なる。
何かを言いかけて――
結局、言葉にはならず、ただ黙って笑い合った。
その夜。
雫月は、自室の窓辺に立ち、月を見上げていた。
(……また……送り出すんだ……)
指先を窓枠に当てる。
胸の奥に、不安と覚悟が幾重にも絡みつく。
(……でも……今までと違う……)
これまでの別れは、“守られる側”としての不安だった。
だが今は――
(……信じて、送り出す……)
それが出来る気がしていた。
翌朝。
城門前。
甲冑を身につけた騎士たちが、土を踏みしめて整列している。
星華は、先頭列の端で、剣を腰に下げ、出立の準備を整えていた。
その前へ――
風に揺れる水色のドレスをまとった雫月が現れる。
(……来た……)
星華は、思わず背筋を伸ばした。
雫月は、一歩、また一歩と進む。
やがて、星華の前で足を止める。
「……おはよう」
「……おはようございます」
微かな照れが、二人の声音に滲む。
雫月は、小さく深呼吸をして言った。
「……行ってらっしゃい」
星華は視線を伏せ――
ゆっくりと雫月を見た。
「……必ず……戻ります」
雫月は、にこっと笑った。
「……待ってる」
一瞬、ふたりの距離が――
自然と縮まる。
だが最後まで触れ合うことはなく、ただ視線だけを交わす。
星華は、踵を返し、騎士団の中へ戻った。
角を曲がる前、一度だけ振り返る。
雫月は、そこにいた。
小さく手を振っている。
星華は、胸に手を当て、静かに――深く、誓った。
(……帰る……――帰る場所が、あるから……)
城門がゆっくりと閉じる。
そして、ふたりの新しい日常は――
“離れていても、つながっている”
という、これまでとは違う形で、再び歩み始めた。




