第29話 取り戻した朝 ― 前半 ―
王宮の朝は、久しぶりに“平和の匂い”を纏っていた。
中庭を抜ける風は柔らかく、鳥のさえずりが澄んだ空に溶けていく。
まるで、あの地下の戦いなど夢だったかのように、城は穏やかな静けさを取り戻していた。
けれど、雫月は窓辺で空を眺めながら、胸の奥にまだ残る澱を感じていた。
(……ほんとに……終わったのかな……)
夜叉は消え、帝国の影は引いた。
騎士団の警戒も段階的に解除され、巡回の回数も減ってきている。
それでも――
(……星華が……いなくなるんじゃないかって……
まだ……少し……)
胸の違和感は消えなかった。
扉がノックされる。
「雫月、起きていますか」
聞き慣れた声に、胸がほどけた。
「……うん」
扉を開けると、そこに星華が立っていた。
肩の包帯も外され、顔色も戻っている。
以前より少し穏やかな表情で、いつも通りの距離感で立っている。
「……朝の散歩に、お誘いしても?」
雫月は、ぽかんと瞬きをした。
「……散歩?」
「はい。医師殿に“できるだけ身体を動かしなさい”と」
おどけるような声音に、雫月は思わず小さく笑ってしまう。
「……じゃあ……行く」
階段を並んで下りる。
これまでも、二人きりで歩くことはあった。
だが、今日はどこか違う。
(……一緒に歩くの、こんなに“普通”だったっけ……)
中庭に出ると、木立の間を抜ける朝日が、二人の影を並べて照らす。
星華が、ふと立ち止まった。
「……雫月」
「なに?」
星華は少し言いづらそうに目を伏せた。
「……その……」
言葉を選び、息を整える。
「……戦いが終わってから……雫月と、どう接していいのか……分からなくなりまして」
雫月は、ぱちりと目を瞬かせる。
「……え?」
「主従という距離でも、護衛と被護衛という関係でもない……」
星華はゆっくりと続きを口にする。
「……しかし、昔のようにただの子供と少年でもない」
雫月の胸が、少し熱を帯びる。
「……じゃあ、今は……?」
星華は言葉に詰まり――
「……正直に言えば……“近すぎて、遠い”ような……奇妙な気分です」
雫月は、くすっと笑った。
「私も、同じ」
「……え?」
「……役割がなくなっても……星華と話したいし……一緒にいたい」
雫月は、指を胸元に当てる。
「……それって……怖いけど……嬉しい」
星華は息を呑んだ。
「……雫月……」
二人の間に、静かな沈黙が落ちる。
小鳥が飛び立つ羽音だけが、空に響く。
星華は、小さく息を整え、言った。
「……俺は……この先、しばらく……帝国残党の掃討任務に、同行することになります」
雫月の胸が、きゅっと鳴った。
「……え……また……離れるの?」
「ええ……王宮の外周での活動が主です」
「……危ない?」
「……危険は、あります」
雫月は拳を握りしめる。
「……でも……戻ってくる……?」
星華は、力強く頷いた。
「必ず」
雫月は、星華の外套の袖をそっと掴んだ。
「……約束」
「……約束です」
二人は、互いの顔を見つめ、小さく頷き合う。
(……怖い……だけど……)
雫月は、心の中でそっとつぶやく。
(……星華を、信じたい……)
朝の中庭を歩きながら、ふたりは、これから訪れる新しい距離に――
まだ言葉を見つけられずにいた。




