第27話 運命の核心、そして真実へ ― 前半 ―
地下水路から脱出した夜、王宮は蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれていた。
雫月の無事が確認されるや、騎士団は総出で捜索と結界再構築を開始し、医師団が星華と雫月の診察に走った。
小医務室の明かりは、夜半を過ぎても消えなかった。
「擦過傷が数本……幸い、内臓への損傷はありません」
医師の言葉に、周囲の空気がほっと緩む。
雫月はベッドに腰掛け、包帯を巻かれている星華を見つめ続けていた。
(……帰ってきた……ほんとに……)
涙が溢れそうになるのを必死にこらえる。
医師たちが退室すると、部屋にはふたりきりになる。
「……星華」
名前を呼ぶと、彼は静かに顔を上げた。
「無事で……ほんとに……よかった……」
「……それはこちらの台詞です」
声は低く、けれど柔らかい。
雫月は立ち上がり、星華の前に歩み寄った。
「……怖かった?」
星華は少し迷い、やがて正直に答えた。
「……はい。雫月を失うと思った瞬間は――生まれて初めて、何も考えられなくなりました」
雫月の喉が震える。
「……私も……」
言葉が詰まる。
「……星華が、来てくれるの……信じてたけど……それでも……怖かった……」
星華は、ゆっくりと立ち上がり、雫月をそっと抱き寄せた。
「……もう、一人で恐がらせません」
雫月は彼の胸に顔を埋め、小さく頷いた。
「……一緒に、怖がろう……一緒に、立とう……」
星華はその言葉に目を閉じる。
「……はい」
しばし、ただ互いの鼓動を感じるだけの時間が流れた。
翌早朝――
ヴァルド騎士団長が二人を呼び、極秘の会議室へ案内する。
机の上には、夜叉が残した術式の残滓、帝国の管理紋章のコピー、そして古い名簿の一部が並んでいた。
「……これが、夜叉の後退時に回収した資料だ」
ヴァルドが切り出す。
「帝国・黒羽養成施設の構成表。少年兵と暗殺要員を育成する“非公式機関”だ」
星華の表情が、ごく微かに引き締まる。
「……知っています。ただ、記憶としてではなく……“知識”として」
「それでいい」
ヴァルドは頷いた。
「この名簿……星華殿の番号、“YH-01”が記載されている」
雫月の息が止まる。
「……YH-01……」
星華は目を伏せた。
「……俺のコードネームです」
「だが――」
ヴァルドの声が、さらに低くなる。
「YH-01は……黒羽史上、最も成功した“完全洗脳体”として、極秘指定されていた」
空気が、凍りつく。
雫月は、星華を見つめた。
「……洗脳……?」
星華の拳が、そっと握られる。
「……恐らく、夜叉の目的はそれです」
「?」
「俺の記憶を刺激し……“夜死”としての人格を再起動させる」
ヴァルドが頷く。
「すでに、それを可能にする“解除術式”の断片が発動しかけている形跡もあった」
雫月の顔色が変わる。
「……それって……星華が……別人に……?」
星華はすぐに雫月の手を取った。
「……その可能性は、あります」
「……っ……」
「ですが……」
星華は、ゆっくりと雫月を見つめる。
「俺は、“夜死”には戻らない」
その声音には、揺るぎない覚悟が込められていた。
「あなたがいる限り――戻る理由が、どこにもありませんから」
雫月は震えながらも、しっかりと頷く。
「……うん。絶対……戻らせないから……」
「……頼もしいですね」
星華は微笑んだ。
「……でも……」
星華の声が、僅かに沈む。
「夜叉は、まだ“切り札”を持っています」
「……切り札?」
「恐らく、俺の完全覚醒トリガー……それを引くには――」
一拍、置いてから、静かに告げた。
「……“雫月の命を危険にさらす”しか、ない」
会議室に、重い沈黙が落ちた。
雫月は星華の手を、ぎゅっと握りしめる。
「……それでも」
震える声で言う。
「……絶対……星華を、失わない……」
星華は、その言葉を聞き、目を閉じる。
(……雫月……あなたこそが……俺の“解除術式”なのに……)
会議終了後。
王宮の回廊を歩きながら、ふたりは無言だった。
窓から朝日が差し込み、赤みを帯びた光が床に反射する。
雫月が、ぽつりとつぶやく。
「……ねえ、星華」
「はい」
「……もし……あなたが“夜死”に戻りかけたら……」
星華は、ゆっくり足を止め、振り向いた。
「……どうすると、思いますか?」
雫月は、小さく笑った。
「……叩いて、叫んで、泣いて……それでも……星華を呼ぶ」
星華は、息を呑む。
「……雫月……」
「……戻ってきてって……言い続ける」
その真っ直ぐさに、星華は思わず微笑んだ。
「……それなら、安心です」
「え?」
「……あなたなら……必ず、俺を引き戻せる」
その言葉の余韻が、朝の回廊に溶けていった。




