第25話 鎖を断つ誓い ― 前半 ―
夜の雨が、王宮の尖塔を打っていた。
中庭での襲撃から三日。
傷を負った騎士たちは復帰し、警備体制はさらに引き上げられた。
王宮はまるで戦場の砦のように姿を変え、門の出入りは全て記録制。
回廊ごとに結界符が張られ、夜毎、星華とヴァルド率いる遊撃小隊が内部巡回にあたっている。
雫月は自室の窓辺に座り、雨音を聞きながら、ぎゅっと指先を握り締めていた。
(……星華が……また……無理してる……)
襲撃の後、星華は表情こそ変わらぬまま仕事に戻ったが、雫月にははっきり分かっていた。
彼は眠れていない。
夜の巡回が終わるのは夜明け前。
そのまま朝の警護に入り、昼も護衛として雫月の側を離れない。
まるで、自らの身を擦り減らすように――。
「……星華……」
呟いたその瞬間、扉が控えめにノックされた。
「雫月、起きていますか」
声の主は、もちろん彼だった。
雫月はすぐに立ち上がり、扉を開ける。
目の前に立つ星華は、雨に濡れた外套を脱いだばかりで、肩から水滴を落としている。
「巡回……終わったの?」
「ええ。異常なし――」
言葉の途中、星華は一瞬ふらついた。
雫月は思わず腕を掴む。
「……星華……!」
「……大丈夫、です……」
だが明らかに、疲労が溜まっている。
(……無理してる……)
雫月は唇を噛みしめ、星華を部屋の中へ引き入れた。
「座って」
「……護衛任務が……」
「今は“お休みの時間”」
強い口調で言い切る。
星華は一瞬戸惑い――やがてソファに腰を下ろした。
雫月はタオルを取り、星華の濡れた髪と首筋を、そっと拭く。
距離が近い。
吐息すら感じられるほど。
星華は身を強張らせながら、かすれた声で言った。
「……雫月……」
「何も言わなくていい」
雫月の声は、少し震えていた。
「……星華が倒れたら、私……守ってもらえない」
星華の目が揺れる。
「しかし……」
「約束したでしょ。一緒に立つって」
拭く手を止め、まっすぐに星華を見つめる。
「星華が一人で戦ってたら、それ……約束、守れてない」
星華は視線を伏せ、長く息を吐いた。
「……あなたを危険にさらすことのほうが……」
「私を危険にさらしてるのは、星華が無理して倒れること」
しばしの沈黙。
雨音だけが、部屋に響く。
やがて星華は、低い声で呟いた。
「……守ると誓ったのに、弱音など吐く資格は……」
雫月は星華の前にしゃがみ込み、その手を優しく握った。
「……あのね」
そっと、言葉を置く。
「星華は、最強の護衛でいる必要なんてない」
星華が目を見開く。
「……生きて、そばにいてくれればいい」
星華の呼吸が乱れる。
「……雫月……それでは……」
「だって」
雫月は涙をにじませ、星華を見つめた。
「星華がいなくなったら、護られても……意味ない」
言葉は、まっすぐだった。
星華は、しばらく雫月を見つめ続け――
やがて、ぎゅっと手を握り返した。
「……俺は……」
唇が震える。
「……あなたのそばに、生きていたい……」
雫月の涙が、こぼれ落ちる。
「……それで……いい」
ふたりは、小さく、しかし確かに頷き合った。
その夜。
王宮地下深部。
夜叉は、静かに地図を広げていた。
王宮の外周線、巡回経路、結界配置。
すべてが、まるで掌の上の模様のように描かれている。
「……守りを固めすぎるというのも、穴になるものだ」
夜叉は、赤い片目をゆっくり細める。
「正面を堅めることで――内部への警戒が、薄くなる」
彼の指が、王宮宴会場と舞踏広間を結ぶ“地下連絡通路”を指し示した。
「……次の満月祭。護衛は外周へ集中し、皇女は公開行事へ出る」
夜叉の唇が歪む。
「……奪うのに、これほど都合のいい日程はない」
赤い片目に、冷たい光が灯る。
「……星華。お前の鎖を、真正面から――断ってやる」




