第21話 小さな街の休日 ― 後半 ―
人通りの多い通りを抜けると、中央広場に出た。
大きな石造りの噴水を囲むように露店が並び、色とりどりの布が風に揺れている。
子どもたちの笑い声が響き、楽師の奏でるリュートの音色が空気に溶けていた。
星華は雫月の肩に軽く手を添え、自然に人波からかばう位置に立つ。
「……ありがとう」
「はぐれると危険ですから」
「まだ“危険”って言うんだ」
「雫月のことです。用心しすぎることはありません」
雫月は少し照れ、星華の腕の袖口をつまんだ。人混みの中でも、どこか安心できるのは、星華の存在がすぐ隣にあるからだった。
広場の端の屋台に、赤くつややかなりんご飴が並んでいるのを見つけ、雫月が目を輝かせる。
「星華、あれ……!」
「走らないでください」
半ば引き留められるように近づき、二人分を買う。木の串を受け取ると、雫月はそのまま一口かじった。
「……あまい……」
「ええ、率直な甘さですね」
星華もかじるが、妙に気まずそうな目で雫月を見た。
「……口元、飴が」
「え? あ……」
雫月が慌てて拭うと、星華は思わず微笑んだ。
「可愛らしいです」
「またそれ……」
言い返そうとして、雫月はふと気づく。
星華が以前よりよく笑うようになっていることに。
険しさばかり見せていた表情が、こうした静かな時間の中では驚くほど柔らかい。
(……星華、変わったな……)
ベンチに腰を下ろし、噴水を眺めながら並んで座る。水が跳ね、光を反射してきらめく。
「ねえ、星華」
「はい」
「……こうしてさ、街を歩いて、甘いもの食べて、並んで座って……」
雫月は言葉を探すように視線を揺らす。
「……すごく、普通だね」
星華は少し考えてから、静かに答えた。
「ええ。ですが俺にとっては……奇跡のような“普通”です」
「……大げさ」
「本心です。こういう時間を、俺は知らなかった」
星華は手のひらを見つめながら続けた。
「誰かと街を歩き、何かを選び、一緒に食べる……それだけで楽しいという感覚を、持ったことがなかった」
雫月は胸が熱くなった。
「……今は?」
星華は視線を上げ、穏やかに微笑む。
「今は……とても楽しいです」
雫月はそれを聞いて、そっと星華の手に触れた。
「……よかった」
しばらく、二人は黙って噴水を見つめる。ただ水の音と楽師の旋律だけが流れていった。
やがて雫月はぽつりと呟く。
「昨日まで……怖いことばかりだったよね」
「ええ」
「だから……こういう時間が、なんだか夢みたい……」
星華は静かに首を振る。
「夢ではありません。守り続けたい、現実です」
雫月は星華の言葉に驚き、じっと見つめた。
「……星華、言い方……ずるい」
「事実を述べているだけです」
照れ隠しのような口調に、雫月は小さく笑う。
「……ねえ、星華。私、普通の恋をしてみたい」
星華は目を瞬かせる。
「……もう、しています」
「え?」
「手を繋ぎ、並んで歩き、甘いものを分け合い、互いを想って笑う――それは、立派な“恋”でしょう」
雫月は一瞬、言葉を失う。
「……星華……恥ずかしい……」
「これでも控えめな表現です」
雫月は軽く睨むが、すぐに目を伏せる。
「……でも……言ってくれて……嬉しい」
星華もまた視線を逸らしながら、短く呟いた。
「……雫月は、俺の恋人です」
胸の奥で、何かがぱちんと弾けるような音がした。
雫月は小さく、しかしはっきりと答えた。
「……星華も、私の恋人」
言葉にした瞬間、二人の距離がさらに近づく。肩が触れ、体温が伝わる。
広場の喧騒も、人々の声も、どこか遠くなった。
この世界には、今はただ二人だけがいるような気がした。
雫月は星華の手をしっかり握る。
「……星華」
「はい」
「この時間……ずっと続けばいいのに」
星華はその手を握り返し、穏やかに微笑んだ。
「続けるために……俺は、どんなことでもします」
雫月はその答えを胸に刻み、微笑み返した。
普通で、穏やかで、甘い一日。
守られ、願われ、寄り添う時間――。
それは戦いの狭間に咲いた、かけがえのない“日常”だった。




