第20話 戦いの翌朝、近すぎる距離 ― 後半 ―
窓の外に差し込む陽光が、雫月と星華の寄り添う影を床に落としていた。
ふたりはいつまでもそうしていられる気がしていた。
しかし、王宮という場所は、そんな時間を長く許してはくれない。
控えめなノック音が、部屋の扉を叩いた。
「皇女殿下、失礼いたします」
聞き慣れた声──騎士団長ヴァルドだった。
「どうぞ」
星華がすっと立ち上がり扉を開くと、ヴァルドは雫月と、そして星華の傷にすぐ気づいた。
「……昨夜の件、やはり刺客が侵入していましたな」
「はい」
「被害は?」
「俺のみ軽傷、他の者は負傷者なし。敵は撤退しました」
ヴァルドは短く息を吐いた。
「よく防いでくれました……あなたがいなければ──」
その言葉を、雫月が遮る。
「星華が……私を守ってくれました」
いつもより、ずっと強い声だった。
ヴァルドは一瞬驚いたが、すぐに深く頭を下げた。
「……感謝いたします、星華殿」
「当然の務めです」
星華はそう答えつつも、雫月の方をちらりと見た。
(……務めだけじゃない)
「昨夜の刺客の遺留品を確認しましたが……どうやら帝国の“黒羽”の印が見つかりました」
「やはり……」
「さらに、影を操る術の残滓も……あの“夜叉”が関与している可能性が高いでしょう」
星華の拳がわずかに締まる。
「夜叉は、生きています。俺が確認しました」
「……!」
ヴァルドは息を呑んだ。
「では……あの怪物が……今も……」
「ええ。撤退しましたが……必ず、再び現れます」
室内の空気が重く沈む。
雫月は不安を抑えるように言った。
「……次に来る時……星華は……また……」
「雫月」
星華はすぐに振り返り、彼女の手をそっと取った。
「一人では戦いません。約束しましたから」
ヴァルドはその様子を見つめ、静かに頷いた。
「今後は、騎士団も全力で警備を固めます。星華殿には、敵勢力の分析にも協力をお願いしたい」
「……分かりました」
「星華が……危険な目に遭うことは……増えますか……?」
雫月の声が震える。
ヴァルドは真摯に答えた。
「星華殿が動く限り、危険が伴うのは事実です。ですが──彼を一人にはしません」
雫月は星華に视線を戻した。
「……星華」
「大丈夫です、雫月。これは“あなたを守る戦い”ではあっても、“あなたと離れる戦い”ではありません」
雫月の瞳が潤む。
ヴァルドが部屋を辞した後、ふたりは並んでソファに腰掛けた。
「星華……“夜死”って……昨日……夜叉が呼んでた名前……」
星華は少し黙り込み、やがて静かに口を開いた。
「……俺が、帝国で呼ばれていた“コードネーム”です」
「それが……本当の……星華なの……?」
「……違います。“夜死”は……感情を持たず、ただの命令で動く――殺すためだけの存在でした」
雫月は胸を押さえた。
「……星華……」
「名前どころか……“生きている意味”すら……与えられていなかった」
星華の声音は穏やかだったが、その裏に積み重なった孤独が滲んでいる。
「……俺は、誰かのために生きることを……知らなかった」
雫月は唇を噛み、星華の手を強く握った。
「……でも……今は知ってるでしょ?」
「ええ」
「だって……私のために……生きてくれてる……」
星華の指が、思わず雫月の手を握り返した。
「今は……“雫月の隣にいる”ために……生きています」
「……」
雫月はそのまま星華の胸に寄り添った。
少しの沈黙の後、星華はぽつりと呟いた。
「……でも……怖いです」
「……何が?」
「夜叉が言った通り……あなたを想うほど……俺は弱くなるかもしれない」
雫月は顔を上げ、まっすぐに星華を見る。
「……それが“弱さ”なら……私も同じだよ」
「……雫月?」
「星華を想うたび……私も……強くも、弱くもなる」
雫月は、ゆっくり星華の胸に手を当てた。
「……でもね……その弱さが……私たちの“絆”なんだと思う」
星華は目を見開く。
「絆……」
「うん」
雫月は微笑んだ。
「だから……“弱いままで、強くなる”。それで……いいと思う」
星華の胸がじんと熱くなる。
(雫月……あなたは……俺を……どこまで“人”にしてしまうんだ……)
星華はふと、ヴァルドの言葉を思い出した。
“敵勢力の分析”
つまり、星華の過去の“掘り起こし”が始まるということだ。
雫月の肩を抱き、星華は静かに言った。
「雫月……これから……俺の過去を探ることになります」
「……うん」
「……不都合な真実も……出てくるかもしれません」
「それでも……」
雫月は即答した。
「星華が……どんな過去を持っていたとしても……私は……星華が好き」
星華の喉が詰まる。
「……本当に……救われます」
雫月はそっと星華の額に触れ、優しく囁いた。
「……一人じゃないよ、星華」
星華は微笑み、雫月を引き寄せ抱きしめた。
「……ええ。あなたがいる限り……俺は……決して一人にはなりません」
窓から射す光の中で、ふたりはしばらく抱きしめ合っていた。
戦いは終わっていない。
影はまだ王国の空のどこかに潜んでいる。
だが今この瞬間──
ふたりの距離は、何よりも近かった。
雫月は星華の胸に耳を当て、その心音を聞きながら微笑んだ。
「……ちゃんと……生きてる音がする……」
「……はい」
「この音……私が……守りたい音……」
星華は照れくさそうに笑った。
「……それは、俺の台詞だと思っていましたが……」
ふたりは見つめ合い、小さく笑った。
穏やかな時間が、再び静かに流れ始める。
だが、そのすぐ先には新しい運命が待っている。
――影は、まだ完全には消えていない。




