第17話 静かなる波紋、動き始めた影 ― 後半 ―
星華は雫月の手を握ったまま、廊下をゆっくり進んでいた。
雫月は星華の表情を横目で見つめながら胸の奥のざわつきを隠せずにいる。
(星華……昨日までと少し違う……何かを感じてる……?)
しかし星華は、あえて平静を保とうとしているように見えた。
「雫月、歩き疲れていませんか?」
「だいじょうぶ。星華が隣にいれば……平気」
星華の眉が少しだけ緩む。
「……良かった。雫月が安心してくれるなら、何よりです」
優しい言葉。
でもその奥に、わずかな緊張が確かにある。
雫月は星華の指にそっと力を込めた。
「星華……何があったら……言ってね?」
星華はふと歩みを止め、少しだけ迷うように目を伏せた。
「……雫月に心配をかけたくないのですが……隠すのも……違う気がして」
雫月は星華の袖をつまむ。
「言って……?」
星華は雫月の瞳をまっすぐ見つめ、低く静かな声で答えた。
「……昨夜から……刺客の気配を感じます」
雫月の胸が強く揺れた。
「……また……?」
「ええ。ただ、まだ遠い。王宮の外で気配が揺れている程度です」
「そ、それでも……怖いよ……」
雫月は少し涙目になり、星華の腕にしがみついた。
星華は優しくその肩を抱いた。
「雫月……大丈夫です。あの夜のようにはさせません」
「……星華……」
「むしろ……俺があなたを守るためなら……刺客が何人こようとも……構わない」
その“本気”の響きに、雫月は胸をぎゅっと掴まれた。
(星華……本当に……私を守るために……命を懸けようとしてる……)
昼過ぎ。
星華は王宮上層部との情報共有のため、騎士団長ヴァルドと会議を行っていた。
「北門周辺の影……帝国の“黒羽”の者たちの可能性もある」
ヴァルドは険しい顔で言った。
「黒羽……?」
「帝国直属の暗殺部隊だ。王国を何度も揺るがした影の軍勢……生き残りが動いているのだとしたら──」
星華は静かに目を閉じる。
「厄介ですね」
「お前なら……何か感じているのか?」
星華は扉の外の気配に意識を向け、低く答えた。
「……昨日より強くなっています。“狙い”が明確です」
「狙い……?」
「雫月です」
ヴァルドは息を呑んだ。
「皇女殿下を……?」
「はい。そして──その“護衛”も」
「護衛……星華、お前か……」
星華は微笑んだ。
「俺が狙われるのは……どうでもいい。ただ──雫月に手が伸びるのは許せない」
その言葉は静かな炎のようで、ヴァルドですら言葉を失った。
(この男……本気で皇女殿下を……)
だが、同時に騎士団長は思った。
(星華は……強い。異常なほどに)
帝国の暗殺者という噂は、決して嘘ではない。
その頃、雫月は部屋で星華を待っていた。
しかし胸の鼓動は落ち着かず、不安だけが静かに膨らんでいく。
(星華……刺客って言ってた……あの夜みたいなこと……また起きたら……どうしよう……)
星華の強さを信じている。
でも、怖い。
星華が傷つく未来なんて、想像しただけで涙が出る。
「……星華……」
雫月は胸の前で手を組み、小さく呟いた。
「お願い……無事でいて……」
扉がノックされ、星華が静かに入ってきた。
「雫月。お待たせしました」
「星華っ……!」
雫月は勢いよく星華へ駆け寄り、腕にしがみついた。
「……どうしたのです……?」
「どうしたじゃない……!怖かった……星華が戻ってこなかったらって……」
星華はすぐに雫月を抱き締めた。
「……雫月……大丈夫です。俺は、あなたのそばを離れません」
「でも……刺客が……!」
「俺がいる限り、雫月には一切触れさせない」
「本当に……?」
「ええ」
星華は雫月の髪を撫でながら、静かに囁いた。
「雫月。俺はあなたが思っている以上に……強いです」
「……星華」
「だから……守らせてください」
「守らせて……?」
「あなたを守るのは、俺の“存在理由”です」
雫月はその言葉の重さに涙をこぼし、星華の胸に顔をうずめた。
「……星華……そんなこと言われたら……好きになっちゃうよ……」
「もうなっているでしょう?」
「っ……!」
星華は雫月の背を優しく抱き寄せる。
「俺も……雫月を守れるだけの力を持てて……幸せです」
その夜、星華は通常よりも近い距離で雫月のそばに立ち続けていた。
雫月もまた、星華の袖を軽くつまんで離さない。
「星華……」
「はい、雫月」
「今日……隣にいてくれて……ありがとう」
「こちらこそ。雫月が笑ってくださるなら、それだけで十分です」
雫月は星華の指をそっと絡めた。
「ねぇ星華……私……星華が怖いって言ってた影より……
自分の気持ちの方が怖いかもしれない」
「気持ち……?」
「だって……こんなに……星華のこと……好きになってるから」
星華は一瞬だけ深く息を吸い、雫月を見下ろした。
「……雫月」
「……?」
「俺も同じ気持ちです」
雫月は目を見開いた。
「星華も……?」
「ええ。あなたを守りたいと思うほど……心が……あなたに向かっていく」
雫月は胸に手を置いた。
(星華……ほんとうに……私を……)
食事が終わり、部屋へ戻る前に星華はふと廊下の窓を見た。
遠く、森のあたりに黒い影が揺れた気がした。
星華の表情が一瞬だけ鋭くなる。
(……やはり来たか)
しかし雫月を不安にさせないため、その表情は一瞬で柔らかさに戻された。
「雫月。そろそろお部屋へ戻りましょう」
「うん……星華、手……」
「どうぞ」
星華は雫月の手を握り、安心させるように優しく微笑んだ。
(雫月……この手は絶対に離さない)
(星華……隣にいてくれるだけで……怖くないよ)
ふたりの手が強く繋がれたまま、王宮の廊下を歩いていく。
知らぬ間に影が迫る中──
ふたりの距離は、ただひたすらに深まっていく。




