第15話 午後の陽だまり、ふたりだけの読書会 ― 後半 ―
星華の肩に寄りかかったまま目を覚ました雫月は、ほんのり頬を染めながら星華の胸元を見上げた。
「……あのね、星華」
「はい」
「星華の肩……すごく落ち着くの。眠くなるくらい……安心する」
星華は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「雫月様が安らげるなら……俺は、いくらでも肩を貸します」
「ふふ……じゃあ、これからも借りちゃうね」
その言葉は甘い毒のように星華を満たした。
(……これ以上好きになったら……俺は……)
心の奥で、言葉にならない想いが膨らんでいく。
「ねぇ、星華。続きを読んでくれない?」
「……俺が、ですか?」
「うん。星華の声……好きだから」
星華の心臓が跳ねる。
「……では」
星華は本を手に取り、雫月の頭が落ちてしまわないようそっと肩を支えた。
読み始めると、雫月の表情がやわらぎ、まるで物語の中に溶け込んでいくようだった。
星華の声は落ち着いていて、温かい。
(こんな声で名前呼ばれたら、絶対……泣いちゃう)
そんなことを思いながら雫月は微笑む。
「星華。もっと……こっち向いて?」
「雫月様を見ながら読んでよろしいのですか?」
「うん。見てて……」
星華はわずかに身体を傾け、雫月の目の前で読み続けた。
距離は、ほんの指一本ぶん。
声が近い。
体温も近い。
雫月は胸に手を当て、星華の声に鼓動を合わせるように呼吸を整えた。
(……好き。こんな星華の声……ずっと聞いてたい……)
しばらく読むうち、雫月はそっと星華の指に触れた。
「……星華」
「はい」
「手……繋いでてもいい……?」
星華の指が震えた。
「喜んで」
ふたりの指が絡まり、温度を分け合う。
その瞬間、星華はほとんど読めなくなった。
心臓がうるさすぎて。
(俺は……雫月様の手を……離せない……)
雫月もまた、胸がじんと熱くなり、星華の指をしっかり握った。
「ねぇ星華……」
「はい」
「手……冷たくない?」
「……いえ。雫月様に触れていると、温かくなります」
「っ……ほんとに……?」
「はい。たぶん……雫月様が特別だからです」
「……!」
星華の声音は静かなのに、雫月の心を簡単に射抜く。
(星華……こんなに……)
読み聞かせが終わる頃、雫月は意味深に星華を見つめた。
「星華……さっきから、言い方が……なんか……」
「なんでしょうか?」
「……恋のお話みたいなの……」
星華は一瞬、呼吸を止めた。
「……雫月様。それは……」
「ちがうの?」
「……」
星華は目を逸らし、ゆっくりと本を閉じた。
「……言ってしまったら……戻れなくなります」
「戻らなくていいよ」
「……雫月様」
星華は雫月の頬に指を添える。
「俺が……あなたに抱いているこの気持ちに……名前をつけてしまったら……」
喉が震える。
「もう、誰にも譲れなくなる」
雫月の呼吸が止まった。
(星華……そこまで……私を……?)
「だから……言わないんです。まだ……言ってはいけないと思って」
雫月は星華の手に自分の手を重ね、静かに囁いた。
「言っても……いいよ」
「……」
「だって私……星華に“そう言ってほしい”」
星華は目を閉じ、深く息を吐いた。
「……雫月様」
震える声。
「その言葉を……俺に言わせようとするのは……反則です」
雫月は星華の胸に頬を寄せる。
「反則でも……聞きたい」
雫月が星華の胸に寄りかかったとき、星華の腕が自然と雫月の腰に回った。
柔らかく、しかし離さないように。
「雫月様……俺はあなたの隣で過ごす日常が……あまりに嬉しすぎて……」
「うん……」
「最近は……誰かに奪われる夢まで見ます」
「……!」
「起きた瞬間……あなたの名前を呼んでしまう」
「星華……そんな夢見てるの……?」
「はい。あなたを守れなかったり……別の男に笑っているあなたを見たり……」
「え、別の……男……?」
雫月の眉がぴくりと動く。
「そんな夢を見た日は……胸が焼けるように苦しくなります」
雫月は星華の胸元を掴んだ。
「夢でも……そんなの嫌……」
星華は驚き、その手を包んだ。
「雫月様……?」
「星華の隣にいるの……私だけがいい……」
星華の心臓が大きく跳ねた。
(雫月様が……こんなに……)
「雫月様……その言葉を聞くと……」
星華の声がかすれる。
「あなたを……抱きしめたくなります」
「抱きしめて……?」
「……そんな可愛い顔で言わないでください」
星華の理性が揺らぐ。
「……星華」
「はい」
「ぎゅってして?」
星華の胸に火がついたようだった。
「……雫月様……本当に……よろしいのですか?」
「うん……星華に……抱きしめてほしい」
星華はもう迷わなかった。
雫月の腰に腕を回し、しっかりと抱き寄せた。
雫月は星華の胸に顔を埋め、小さく息をこぼす。
「……あったかい……星華の腕、安心する……」
「俺もです」
「へ……?」
「雫月様を抱きしめていると……心が落ち着きます」
雫月は胸が熱くなり、星華の服をぎゅっと掴んだ。
「……このまま……離れたくない……」
星華の手が雫月の背に回り、さらに強く抱き寄せられた。
「離れません。雫月様が望む限り、ずっと」
雫月の目に涙が浮かぶ。
(星華……この人を……失いたくない……)
ふたりはしばらく、言葉もなく抱きしめ合い続けた。
陽だまりの中で──
心の距離が、完全にゼロになった時間だった。




