第15話 午後の陽だまり、ふたりだけの読書会 ― 前半 ―
王都への買い物から一夜明けた日。
雫月は朝から、ある計画を胸に抱いていた。
(今日は……星華とゆっくり、本を読みたい)
王宮の図書室は広く、静かで、大きな窓から差し込む光が美しい。
星華が隣にいて、本を読むだけで幸せになれる気がした。
「星華、今日の予定は?」
「雫月様のご予定に合わせます。何なりと」
「じゃあ……読書したいな。一緒に」
「ご一緒に……?」
星華の声が柔らかく揺れる。
「……はい。喜んで」
雫月はその言葉に胸を高鳴らせながら、星華と並んで図書室へ向かった。
重厚な扉を開けると、木の香りと静かな空気がふたりを包んだ。
「わぁ……やっぱりここ、落ち着く……」
「はい。俺も好きな場所です」
「え? 星華、本読むの好きなの?」
「好き……というか……落ち着きます」
この言葉に、雫月の胸はほんのり熱くなる。
(星華の“好き”って、なんか静かで優しい……)
「ねぇ星華。星華が読む本って、どんなの?」
「昔は……地図や戦略書ばかりでしたが」
「あ、暗殺者だったから……」
「はい。でも今は……」
星華は雫月を見つめた。
「物語を読むのが、楽しみになりました」
「物語……?」
「雫月様と一緒に読むからだと思います」
「っ……!」
また胸が跳ねる。
(星華……こういうことスッと言うようになってきてる……)
雫月は照れながらも嬉しく、本棚から一冊を取り出した。
「じゃあ、この本にしよう。星華と一緒に読みたいの」
その本は、王国で人気の“恋物語”だった。
無意識に選んでしまったが、星華がタイトルを見た瞬間……
「……恋のお話、ですか?」
「えっ……あっ……!いや、その……たまたま……!」
雫月は慌てて否定したが、星華は微笑みを浮かべるだけだった。
「選んだ理由が“たまたま”でも、雫月様が気に入っているなら……それが正しいです」
「……星華……優しい……」
図書室の窓際にある大きなソファに並んで座り、雫月は本を開いた。
「星華、こっちにもっと寄って……文字見えるように」
「はい」
星華は少し身体を寄せるが、雫月は首を振る。
「まだ遠いよ。このくらい」
雫月は自ら星華の腕に寄りかかった。
星華の肩がぴくりと震える。
「雫月様……少し近すぎる気が……」
「近い方が落ち着くの」
星華は顔を赤らめながら、静かに頷いた。
(……雫月様は……この距離で平気なんでしょうか……)
星華の胸は落ち着かず、だけど嫌ではなく、むしろ嬉しいという気持ちに満たされていく。
本を読み進めるうち、ある箇所で星華がそっと言葉を漏らした。
「……この文章……綺麗ですね」
「えっ……?」
雫月は驚いた。
「星華……こういう文章、好きなの?」
「はい。美しい言葉は……胸に残ります」
「美しい言葉……」
「雫月様が仰る言葉も……俺にとっては全部……残りますけど」
「っ……!」
雫月は本を持つ手が震えた。
(星華……本当に……そういうの……ずるい……)
「でも、意外だね。星華って、恋のお話の言葉も好きなんだ……」
「はい。雫月様が読まれるものなら……俺も知りたいと思います」
雫月は手を胸に当てながら言った。
「私と一緒に読むから、好きになったんだね……?」
「はい。雫月様と読む本は……全部好きです」
心臓が、ひゅん、と浮き上がりそうになる。
柔らかな陽光が差し込む中、雫月は本を持つ手を少し下げた。
「……星華……なんか……眠い……」
「昨夜、疲れていましたから。少し休まれますか?」
「うん……星華の肩借りていい?」
「もちろんです」
雫月は星華に寄りかかり、そのまま目を閉じた。
(あ…星華の肩……あったかい……)
風の音、ページをめくる音、星華の呼吸。
全部が心地よくて、眠気が溢れてくる。
星華はそっと雫月の髪を撫で、優しい声で囁いた。
「雫月様。眠ってください。俺が本の続きを読んでおきます」
「……ん……」
雫月は星華の腕に抱かれるように眠り始める。
その寝顔を見て、星華の胸が苦しくなるほど満たされた。
(雫月様……どうしてこんなにも……)
指が、そっと雫月の手に触れる。
(……大切なんだろう)
雫月の寝息は静かで、規則正しい。
星華はその頭を落とさないよう、肩を少し傾けた。
(……俺は、いつから……)
雫月が自分に寄りかかって眠る姿。
その重さすら愛おしいと感じる。
(いつから……雫月様がいないと、落ち着かないようになった……?)
星華はふと手を伸ばし、雫月の指先を包む。
「……雫月様」
声は誰にも聞かれないような小ささ。
「あなたの寝顔を見るだけで……俺は幸せになります」
その瞬間、雫月の眉がわずかに動いた。
(あ……)
寝ていると思ったのに──
「……星華……?」
雫月が瞳を開き、ぼんやりとした顔で星華を見つめていた。
「……いま……なんか……言った……?」
「っ……!」
星華は一瞬動きを止めたが、逃げずに雫月を見つめ返した。
「……言いました」
「な、なにを……?」
「雫月様の寝顔が……俺を幸せにすると」
「っ……!!そ、そんな……!」
雫月は一気に目が覚めて、星華の胸をぽすぽす叩いた。
「星華ずるい!寝てると思って言うなんて……!」
「寝息が気持ちよさそうだったので……つい」
「ついじゃない!!」
雫月は真っ赤になりながら、星華に寄りかかり直した。
「……でも……嬉しかった……」
「雫月様……?」
「星華に……そう思ってもらえるなら……もっと寄りかかってもいい……?」
「もちろんです」
星華の肩は、雫月専用の場所になっていた。




