第14話 王都の街へ、小さな恋の始まり ― 前半 ―
翌朝。
王宮の庭から空を見上げながら、雫月はワクワクしていた。
「星華。今日は外に出たい気分なの」
「外へ……?」
「うん。城下の街に、久しぶりに行きたい。星華と……」
星華の動きが止まった。
「……俺と、ですか?」
「そう。一緒じゃなきゃ嫌」
その言葉だけで星華の胸は熱くなる。
(雫月様と……外で……ふたりで……)
「……分かりました。すぐに準備いたします」
雫月は嬉しそうに笑い、その笑顔が星華の心に優しく沁みた。
馬車の中、雫月は窓から街の景色を覗きこんでいた。
人々の賑わい、店の看板、香ばしいパンの匂い。
すべてが新鮮で、なんだか胸が躍る。
「星華……今日は楽しみたいね」
「はい。雫月様が望むなら、どこへでも」
雫月がそっと星華の手に触れる。
「……街は、危なくない?」
「俺が隣にいます。心配ありません」
その言葉に、雫月は星華の手を握り締めた。
「じゃあ……繋いでてもいい?」
「……もちろんです」
星華が手を握り返し、指先が絡まる。
馬車の揺れが優しくなるほど、ふたりは自然に寄り添っていた。
王都に着いた瞬間、雫月は目を輝かせた。
「わぁ……!こんなに賑わってるんだ」
「はい。祭りの季節でもありますから」
果物の色、香水の香り、子どもたちの声。
それらが雫月を楽しませてくれる。
「星華、見て!あの服、かわいい……!」
雫月が指差したのは小さな洋服店。
柔らかな色のワンピースが並んでいる。
「入りましょう」
「え、いいの?」
「はい。気に入った服があれば、すべて」
「ぜ、全部は困る……!でも……見るだけ……」
雫月は嬉しそうに星華に引かれ、店の中へ入った。
雫月は淡い桜色のワンピースを手に取り、そっと鏡の前で合わせた。
「星華。これ……似合うかな……?」
星華は息を飲んだ。
柔らかい色が雫月の肌に溶け込むようで、胸が締め付けられるほど綺麗だった。
「……とても、お似合いです」
「ほんとに……?」
雫月は照れつつ、少しだけ嬉しそうに目を伏せる。
(……かわいい……)
星華は無意識に一歩近づいていた。
「雫月様。よろしければ……着てみませんか?」
「うん、着てみたい……!」
雫月は試着室に入った。
そして、数分後。
「……星華……!」
そっとカーテンが少し開き、雫月が顔だけ覗かせた。
「ちょっと……後ろの紐が……届かなくて……」
星華の心臓が跳ね上がる。
(……背中……?紐……?俺が……?)
「……あの……星華……?手、貸してほしい……」
「っ……はい……」
星華は喉を鳴らすように返事をし、そっと試着室へ入った。
雫月は薄桃色のワンピースに身を包み、背中を少しだけ星華に向けていた。
「ここ……結べなくて……」
「失礼します」
星華は震えないように意識しながら、雫月の背の紐を取り上げた。
白い背中が視界に入った瞬間――
星華の手が一瞬止まる。
雫月の肩が小さく震える。
「……星華……?」
「い、いえ……すぐにお結びします……」
慎重に、紐を引き寄せる。
その距離は近く、吐息が微かに触れ合うほどだった。
雫月は胸がドキドキして仕方ない。
(星華……こんな近くで……)
星華もまた、顔がわずかに赤い。
「……できました」
「ありがとう……」
雫月が振り返ると、星華は息を詰めたまま固まった。
その表情は、明らかに“可愛すぎて反応に困る”顔。
「ど、どう……?」
「…………」
「星華……?」
「……綺麗すぎて……言葉が出せません」
「っ……!」
雫月は真っ赤になり、胸の前で手をぎゅっと握った。
(星華……見てる……こんなに……)
「すみません……あまりに似合いすぎて……」
「……嬉しい……けど……そんな顔で言わないで……」
「どんな顔をしていますか?」
「すごく……好きそうな……顔……!」
星華は一瞬固まり、すぐに耳まで真っ赤になった。
「っ……し、失礼しました……!」
「ふふ……星華が照れると、かわいい」
「雫月様……からかわないでください……」
ふたりは思わず笑い合う。
試着室の中──
恋が芽吹きそうなほどの甘い空気が漂った。
店主の女性は、ふたりを微笑ましく見ていた。
「まぁ……とてもお似合いですよ、お嬢さん。そして……隣の彼」
「か、彼!?」
雫月が跳ねる。
星華は苦笑して一歩下がりかけたが――
「あなた、彼女さんから……すっごく大切にされてる顔してるわよ」
「っ……!!」
雫月の顔が耳まで真っ赤になる。
店主はにこにこしながら続けた。
「そんなに見つめてたら……誰が見ても、ねぇ?」
星華も言葉を失い、珍しく動揺していた。
「す、すみません……無意識で……」
「無意識であんなに熱い目するの……恋人同士くらいよ?」
「こ、こいっ……!?星華ぁああ……!!」
「雫月様、落ち着いてください……!」
店主にとっては微笑ましい会話だが、ふたりの心臓は限界に近かった。
(星華……そんな目で見てたの……?)
(俺は……そんなに……雫月様を……)
“自覚”が、少しずつ形を持ち始める。
店を出たあとも、雫月は桜色のワンピース姿のまま街を歩いた。
すれ違う人々が雫月をちらちら見る。
「わ……なんか、見られてる……?」
「当たり前です。雫月様は……かわいすぎますから」
「っ……!」
だが星華の顔は、僅かに影を落としていた。
「星華……?」
「……いえ。何でもありません」
(……視線が多い……雫月様をこんなに見られるのは……
嫌だ……)
胸がざわざわする。
雫月は星華の袖をそっとつまんだ。
「星華……手、握って?」
「……はい」
握った瞬間、星華の不安が消えていく。
「星華は……私の隣がいいでしょ?」
「……もちろんです」
「じゃあ……誰にも渡さないから」
星華は目を見開いた。
「雫月様……?」
「星華は、私の執事でしょ。私が一番に隣にいないと……嫌」
星華の胸が熱でふるえた。
「……雫月様……嫉妬……されているんですか……?」
「ち、違う!違うけど……その……」
「俺は……雫月様だけを見ています」
「……っ!」
雫月は視線を逸らしながら、星華の手をより強く握った。
(星華……そんなこと……言わないで……好きになっちゃう……)
ふたりはその手を離さないまま、街の中心へと歩いていく。
甘い時間を、ゆっくりと。
束の間の平和の中で──
二人の距離は確実に変わりつつあった。




