第8話 寄り添う朝、確かめる温度 ― 後半 ―
庭園。
白い石畳をゆっくりと歩く雫月と星華は、さっきまでの不安が嘘のように、穏やかに話をしていた。
だが、その穏やかさの裏には、昨日の戦いによって芽生えた“強い想い”が隠れていた。
「星華、手……貸して」
「はい。……お手をどうぞ」
雫月は自然と星華の手を握った。
昨日の恐怖を思い出すと、どうしても離したくなかった。
星華は一瞬驚いたような顔をしたが、雫月の心の揺れを感じ取ったのか――
ぎゅっと握り返してくれた。
(……星華の手、あったかい……)
その温度が消えてしまうのが怖いほどに。
「星華って……」
「はい」
「優しいのね」
「……そうでしょうか?」
「そうよ。だって……私のためにこんなに……」
雫月の胸が、言葉を詰まらせた。
(……そうだ。私は……星華がいればいい。星華が傷つくのは、見たくない。星華がいなくなるのは……もっと嫌)
気づかぬうちに、雫月は小さく唇を噛んでいた。
「雫月様?」
「……なんでもないの」
少し俯きながら、ぎゅっと星華の手を握る。
(星華は、誰にも渡したくない……)
庭園の角を曲がると、数名の侍女や庭師が仕事をしていた。
彼らは雫月を見て微笑むが――
「あ……殿下、ご機嫌ようございます」
「雫月様、本日は星華様とご一緒なのですね」
「とても……仲が良いようで……」
侍女の言葉に、雫月の顔が一瞬で赤く染まる。
「ち、ちがっ……これはその……!」
慌てて手を放そうとするが――
星華がそっと握り直した。
「……星華?」
「手を離すと……雫月様が不安になるかと思いまして」
「っ……!」
その一言で、雫月の心はさらに熱くなる。
侍女たちは微笑みを隠そうともせず、そのまま仕事に戻っていった。
歩き出してから、雫月は星華の袖を軽く握り、むくれて言う。
「星華……あんなふうに言ったら……私が恥ずかしいじゃない……」
「すみません。ですが、あれは……本当のことです」
「……っ……」
星華は、雫月の感情に無自覚すぎる。
けれど、その無自覚さがまた胸を締めつける。
(星華は……私以外の人にも、同じように優しいのかな……)
ふとそんな不安が胸をよぎる。
「星華」
「はい」
「……星華って、玲奈や侍女の人たちにも……優しい?」
「もちろんです。みなさん、よくしてくださるので」
「そ、そうよね……優しいのは……いいことよね……」
言葉にするほど胸がぎゅうっとする。
(……いやだ。星華が、他の人にまで優しいの……あんまり好きじゃない)
自分でも驚くほど強い独占欲が芽生えている。
「雫月様……?」
「っ、なんでもないってば!」
雫月の耳が赤く染まっているのを見て、星華は小さく頭を傾けた。
(雫月様……怒っている? 俺……何かしただろうか……)
無自覚なまま困惑している星華が、また愛しくて悔しい。
庭園からさらに奥へ進むと、小さな温室があった。
雫月は星華の手を引く。
「星華、この場所……好きなの」
「温室……ですか?」
「うん。冬でも花が咲いてるの。私が落ち込んだとき、よく来てたの」
「……雫月様が落ち込むことが?」
「あるわよ。私だって人間なんだもの」
「確かに。しかし……想像ができません」
「もう……!」
雫月は頬を膨らませ、星華の肩を軽く叩く。
「私だって……たくさん傷つくし、不安にもなるのよ。
星華が怪我したら泣いちゃうし……星華が他の人に優しいと……胸が痛くなっちゃうし……」
星華は目を瞬かせた。
「胸が……痛い?」
「そ、そうよ……!星華が誰かに優しくしてるの見ると……嫌なの……!」
とうとう雫月は涙目になってしまった。
星華は慌てて雫月の肩を抱く。
「雫月様……泣かないでください……!」
「だって……わかんないんだもん……!私、星華のことになると……いつもこうなる……!」
星華は震える雫月をそっと抱きしめた。
「雫月様……俺は……雫月様にだけ優しくしたいです」
「……え……?」
「他の人にも礼儀として接しますが……“心から優しくしたい”と思うのは……あなた一人です」
雫月の瞳に涙が浮かんだまま、大きく揺れた。
「……それ、本当……?」
「はい。俺が守りたいのは……あなた一人だけです」
温室の淡い光の中で、星華の瞳はまっすぐ雫月の目を見ていた。
雫月は胸に手を当て、震える声で言った。
「……星華……そんなこと言われたら……もっと好きになっちゃう……」
星華はふっと笑う。
「俺も……雫月様が泣くたびに……胸が苦しくなります。
その涙を拭いたいと思うのは……あなた一人です」
「……星華ぁ……」
雫月は抱きついたまま、ぽろぽろと涙をこぼした。
星華は背中に手を添え、雫月の髪に触れないよう気をつけながら包む。
「もう泣かないでください……俺は……あなたの隣にいますから」
「……約束だよ……?」
「ええ、必ず」
涙が落ち着いたあと、二人は温室のベンチに並んで座った。
雫月は星華の肩に軽く寄り添い、星華もその重みに身を委ねている。
「星華……」
「はい」
「私……もっと強くなりたい。星華を守れるくらいに」
「……雫月様に守られるなど……」
「だめなの?私、星華のこと……大切なんだもん」
星華は小さく笑う。
「……ありがとうございます。雫月様にそんなことを言っていただけるなんて……俺は本当に幸せ者です」
雫月は照れたように星華の腕を軽く叩く。
「もう……やっぱり星華ってずるい……」
「ずるい……ですか?」
「そうよ。優しくて、私の心をすぐ揺らして……気づかないでそんなこと言うんだもの……好きにならないわけないでしょ……」
星華は初めて、きちんとその言葉を受け取る。
「……雫月様。俺も、あなたに心を動かされています」
「……!」
「あなたの涙も笑顔も……すべてが俺にとって、何より大切です」
雫月の息が止まり、顔が熱くなる。
「星華……それって……」
「言葉にはまだできませんが……あなたを失いたくないという想いだけは、確かです」
雫月は胸にそっと手を添え、熱く波打つ心臓を感じながら呟く。
「……なら……いつかでいいの……星華の“その気持ち”に名前がついたら……聞かせてね」
「……はい。必ず……」
ふたりはそっと目を合わせ、静かに微笑んだ。
温室の中に差し込む光が、ふたりの影を柔らかく重ねていく。
戦いの影は確かに迫っている。
けれど、確かに守られた“日常”の中で――
雫月と星華の距離は、またひとつ縮まった。




