第8話 寄り添う朝、確かめる温度 ― 前半 ―
翌朝――
柔らかな光が差し込む王宮の一室。
雫月は、まだ夢の中にいるようなぼんやりとした意識で目を開けた。
(……昨日……星華が……)
夜叉の刺客に襲われ、星華が傷つき、雫月は彼を抱きしめ泣いた。
星華は離れないと、約束してくれた。
その記憶が胸に浮かび、雫月の胸にじんわりと温かさと痛みが混じる。
「……星華……」
昨夜の恐怖を思い出した瞬間、
雫月は布団から飛び起きた。
「星華に会わなきゃ……!」
寝間着のまま扉に駆け寄ろうとすると――
「雫月様、失礼します」
扉が静かに開き、星華が姿を現した。
「あ……」
雫月の足が止む。
胸の奥が一気に熱くなる。
星華はいつも通り、少し無表情な穏やかな顔で控えていたが、
頬にはまだ昨日の傷が薄く残っている。
「おはようございます、雫月様。本日はお顔色が優れないように――」
「星華こそ! 大丈夫なの!? 傷は!? 痛くない!?」
雫月は駆け寄り、ほとんど泣きそうな顔で星華の頬に触れた。
「雫月様……っ、あまり触れると……」
「痛むの?」
「……いえ。ただ、恥ずかしいだけです」
星華が微妙に視線をそらす。
頬がかすかに赤くなっている。
雫月は胸を押さえて、口元を緩めた。
(……星華、照れてる……)
「本当に……本当に昨日は……死ぬかと思ったのよ……!」
雫月の目に涙がにじむ。
「俺は……無事です。雫月様が……涙を流す方が、僕にはずっと辛い」
「……ばか……」
思わず雫月は星華の胸に飛び込んだ。
星華は驚きながらも、そっと雫月の背に手を添える。
「雫月様……?」
「もう星華が怪我するの……見たくない……」
「……すみません。でも……あなたを守ることは、俺の願いです」
胸の奥に落ちる音が、はっきり聴こえた気がした。
(星華……ほんとうに……優しい)
雫月は星華の胸元に額を押し当てたまま、小さく囁く。
「星華……もう少し……こうしていてもいい?」
「……はい。雫月様が落ち着くまで、ずっと……」
その言葉に雫月はまた胸が温かくなった。
数分後、ようやく雫月は体を離す。
星華はどこか名残惜しそうに手をそっと下ろした。
「星華……朝ご飯、一緒に食べたい」
雫月が照れたように視線をそらして言う。
「もちろん構いませんが……よいのですか? いつもは侍女たちと――」
「今日は星華と食べたいの」
星華は、しばらく言葉を失った。
そして静かに微笑んだ。
「……はい。喜んで」
朝食は、王宮の小さなバルコニーでとることになった。
朝の光が差し込むテラスには小鳥が遊び、花が風に揺れていた。
雫月は星華の横顔をちらちら見てばかり。
一方の星華は、雫月の手が届く距離にいることに、どこか落ち着かない。
「星華、パン食べれた? 昨日、食べたのは甘いやつだったし……」
「大丈夫です。……雫月様が選んでくださったなら、何でも」
「またそんなこと言う……っ」
雫月の顔が熱くなる。
星華は無意識に優しい言葉を言ってしまう。
それが雫月をどう揺らしているか、本人は気づいていない。
「雫月様。昨日のことですが……」
「……うん。聞かせて」
星華はパンを置き、ゆっくりと雫月へ向き直る。
「夕べの刺客は……“夜叉”の上位部隊でした」
「……やっぱり」
「彼らは……俺のことを“十三番”と呼びます。それが……かつての俺の番号だったのでしょう」
雫月は息を飲む。
「でも、星華は……私を守ったわ」
「……それは、俺がそうしたかったからです」
星華は雫月の手をそっと取った。
「たとえ過去に……どれほど血に染まっていようと……
あなたのそばで、生きていたいんです」
雫月は胸の奥が熱くなり、星華の手をぎゅっと握り返した。
「私も……星華がそばにいてくれないと……寂しくて死んじゃう」
「……そんな言い方は……」
星華はほとんど泣きそうな顔で、雫月を見つめた。
「冗談でも、死ぬなんて言わないでください……雫月様がいなくなったら……俺は……」
「……星華?」
星華の指が震えていた。
その震えは、愛おしいほど真剣だった。
「雫月様がいない世界なんて……意味がない」
雫月の胸が爆発しそうに熱くなる。
(星華……そんな……)
昨日の戦いよりも、この言葉の方が胸を痛く、そして温かく締めつけた。
「星華……ありがとう……」
雫月は椅子を離れ、星華の隣に座り直した。
「星華の隣に……座りたいの」
「……雫月様……」
また距離が縮まる。
星華はその距離に戸惑いながらも、雫月を拒まない。
むしろ、雫月の温もりに救われている。
「星華……今日は……私と過ごしてくれる?」
「もちろんです」
「なら……庭に行こ? 花を見て、散歩して……何でもいいの。星華と一緒なら」
「……はい。喜んで」
雫月は嬉しそうに笑った。
(星華と“いつもの日常”に戻れる……)
だが雫月は気づかない。
今の日常が、これまでとはもう決定的に違うということに。
食後、二人は王宮の庭を歩いた。
雫月は星華に花の名前を教え、星華は雫月が転ばないように手を添えて歩く。
些細な会話が、どれも心を満たしていく。
「星華、この花好き? 白くて可愛いよね」
「はい。……雫月様のほうが綺麗ですが」
「……っ///」
そのたびに雫月は顔を真っ赤にし、星華は少し慌てる。
けれどその慌て方さえも、どこか嬉しい。
平穏なひととき――
だが雫月はふと、星華の指が震えているのに気づいた。
「星華……怖かった?」
「……はい。あなたを失うのが……いちばん……」
星華は言葉を飲み込み、唇を噛んだ。
「あなたが俺を抱きしめてくれて……救われたんです」
「星華……」
「俺は……雫月様の存在に、どれほど救われているか……」
星華の声は震えていたが、その瞳は強かった。
「雫月様。俺はあなたと……“生きたい”」
雫月の息が止まる。
(星華……それって……)
言葉の続きを聞く前に、星華はそっと雫月の頭を撫でた。
「今日は楽しい日常を……あなたと過ごしたいです」
「……うん……!」
日常へ戻る――
そんなささやかな願いを、二人は静かに噛みしめながら歩き出した。
その指先は触れるか触れないかの距離。
けれど、心はもう離れられないほど近かった。




