第7話 帝国の影、迫る ― 後半 ―
星華は雫月を背にかばい、黒い仮面の男をにらみ据えた。
夜風が一瞬止まる。
王宮の裏庭、月明かりの下に立つのは――
星華 対 “かつての仲間”《夜叉》の刺客
ただの少年でも、見習い執事でもない。
今、その体に刻まれた“殺しの技”が静かに目を覚まそうとしていた。
「十三番……いや、いまの名は“星華”だったか」
仮面の男が低く笑う。
「記憶を失ったとはいえ、貴様の気配は消えぬ。闇に生きていた者の匂いは、永遠に残るものだ」
「……俺は……お前たちの仲間だったつもりはない」
「ふん。寝言を。貴様が殺した者の数を忘れたか?」
(……殺した……?)
星華の胸がざらりと凍るような痛みに襲われる。
「十三番。“標的”は変わらぬ。皇女を殺り、その後……貴様も処分する」
「させるものですか!!」
雫月が叫んだ。
星華の背中を掴み、震える声で続ける。
「星華は……そんなことしない!私を傷つけたりしない!!」
仮面の男は冷たく嘲笑う。
「信じるとは愚かだな、皇女。こいつはな――数年前、命令ひとつで子供の喉を迷いなく切り裂いた化物だ」
「……っ!!」
雫月の呼吸が止まる。
「十三番は……心を持たない殺人機械。感情など、持ってはならぬ者だった」
「やめろ……!」
星華がうめくように叫ぶ。
「……そんなことをした、記憶は……俺には……!」
「思い出さずとも良い。貴様がいかに“皇女のそばにいてはいけない存在”か、分かればな」
雫月は震える星華の背中に手を当て、小さくるる声で呟いた。
「星華……大丈夫……?」
星華は肩を震わせながらも、雫月の手を握り返した。
「……俺は、あなたを傷つけていない。今も……これからも」
「うん……信じてる……」
雫月の声は震えているのに、不思議と強かった。
「……へぇ。では“本能”で確かめてやる」
仮面の男がゆらりと手を掲げた瞬間――
黒い影が地面を這うように広がり、星華を襲う。
「雫月様、下がって!」
星華は反射的に跳躍し、雫月を抱えて転がった。
影がさっきまでいた場所を貫いた。
「くっ……!」
「動きは鈍っていないな、十三番。記憶が消えても、体は覚えているらしい」
男の掌から、影が刃のように伸びる。
「星華!! 危ない!!」
雫月の叫びに呼応するように、星華の体が勝手に動いた。
地面に手をつき、反転しながら影の刃を避け、男の懐に一瞬で距離を詰める――
それは完全に“暗殺者の動き”だった。
(……これが……俺……?)
一瞬星華の動きが止まり、男の影が再び襲い掛かる。
「“迷い”があるな、十三番」
仮面の男が楽しげに笑い、影の刃を振り下ろす。
「っ……!」
その刃が星華の頬をかすめ、血が飛んだ。
「星華!!」
雫月が駆け寄ろうとするが、星華は手を伸ばし制止する。
「来ては……ダメです……!」
星華はよろけながら立ち上がり、雫月を必死で守ろうとする。
「……どうして……!」
雫月の声が涙に震える。
「どうして星華が傷つかなきゃいけないの……!」
「雫月様が……狙われているからです……」
「違う!!」
雫月は涙を拭い、強い目で星華を見つめた。
「星華が傷つくのが……いちばん嫌なの!!私より……あなたの方が大事なの!!」
星華の胸に、痛みでも衝撃でもない何かが落ちた。
(雫月様……俺より自分を……?)
仮面の男は鼻で笑う。
「皇女は何も分かっていない。お前の“執事”はな、皇女。幼少の頃にお前の命を狙ったのだぞ?」
「っ……星華は違う!!」
「証拠があるぞ?」
男は懐から短剣を取り出した。
黒い柄に刻まれた文字――《夜叉/十三》。
星華の全身が凍る。
「これは“お前が皇女を殺すために与えられた刃”だ」
雫月の唇が震える。
「……これが……星華の……?」
星華は息を飲んだ。“覚えていない”でも胸が苦しくなる。
「この刃で……俺は……?」
「そうだ。お前はこの刃で“標的の幼女”を――」
「それ以上言うな!!!」
星華が叫び、雫月の前に立つ。
「雫月様を傷つける言葉は……許さない……!!」
星華の瞳に、迷いのない光が宿る。
「俺は……雫月様を守るために生きる。たとえ過去がどんなに血に染まっていても――今の俺は、雫月様の執事だ」
「……っ星華……」
「だから――」
星華は深く息を吸い、地を蹴った。
「お前は、この手で止める!!!」
影と刃の応酬。
星華の体が記憶のない“本能”で動き、男の攻撃をすべて捌いていく。
「おお……その動き……やはり十三番……!」
「俺は十三番じゃない!!」
一瞬の隙に、星華は敵の懐に入り込み、影の根元を蹴り砕いた。
仮面の男が苦しげに後退する。
「ぐっ……!」
「雫月様には……二度と……二度と近づくな!!」
星華の蹴りが男の仮面を叩き割り、男は大きく吹っ飛んだ。
庭の端まで飛ばされた男は、そのまま影の中に沈み、姿を消した。
「……逃げた……?」
星華は肩で息をしながら周囲を見回した。
雫月は星華に駆け寄り、震える手で彼の頬に触れた。
「星華……大丈夫……!? こんなに血が……!」
「っ、雫月様……触れては……」
「触れる!!」
雫月は涙をこぼしながら星華を抱きしめた。
「星華が怪我したままなんて……嫌……!お願いだから……私を遠ざけないで……あなたが私を守るみたいに……私にも星華を守らせて……!」
星華は雫月の肩に額を押し付け、震える声で呟いた。
「……雫月様……俺は……あなたに触れられる資格が……」
「資格なんていらない!!」
雫月は星華の顔を両手で挟み、涙の中で叫んだ。
「星華が、星華でいてくれるならそれでいい!!あなたの過去がどれだけ苦しくたって……私は、“今の星華”が大好きなの!!!」
その言葉は刃のように強く、同時に抱きしめるように優しかった。
「雫月様……」
星華の瞳が揺れ、今にも涙がこぼれそうになる。
「……そんなこと……言われたら……離れられないじゃ……ないですか……」
「離れないで。……お願い」
星華はその小さな手を取り、そっと抱き寄せる。
「……はい。もう……あなたのそばを離れません」
雫月の涙の跡を指でそっと拭い、星華は静かに、しかし確かに誓った。
「あなたが望む限り……俺はあなたの執事として、生きる」
雫月は頷き、星華の胸に顔を埋める。
二人の影が、月明かりの下で重なった。
戦いは終わったが――
これは序章にすぎない。
帝国《夜叉》の刺客はまだほかにもいる。
そして星華の失われた記憶には、さらに深い闇が眠っている。
だが今は――
雫月の手と、星華の手が確かに繋がっていた。
(星華……絶対に守るから……)
(雫月様……必ず守る……)
互いの胸に芽生えた“想い”が、闇に立ち向かう力へと変わっていく。




