第7話 帝国の影、迫る ― 前半 ―
王宮の夜は静かだった。
日中の喧騒が嘘のように、風さえも囁きを潜めている――
だが、その静けさを破る者たちがいた。
王都から遠く離れた山間にある黒い砦。
帝国が密かに運営する“影の拠点”。
そこに、黒い仮面をつけた男たちが集まっていた。
「……“十三番”の気配を確認した」
低く響く声が闇を震わせる。
「やはり生きていたか。処分命令を無視した裏切り者が」
「現在はアルト王国の王宮内に潜伏。皇女の傍にいるらしい」
「皇女……? まさか、“標的”の近くに……」
「その可能性が高い。十三番は記憶を失っているが……
あの男が皇女のそばにいるのは、あまりにも危険だ」
黒い仮面の中で、男が笑った。
「ならば――回収するまで。いや、殺すまでだ」
その瞬間、部屋の空気がひやりと沈んだ。
「“夜叉”のもう一つの任務を忘れるなよ?」
「ああ……“裏切り者は必ず闇へ戻す”」
「十三番を抹消しろ。ついでに……皇女も“処分対象”だ」
風が揺れ、闇が蠢く。
「十三番――“星華”。お前の逃れた“過去”が、お前を殺しに来るぞ」
一方その頃、王宮。
星華は静まり返った夜の廊下を歩いていた。
ランプの灯りに照らされた古い石壁は、どこか冷たい。
(……胸がざわつく)
理由は分からない。
だが、昼間からずっと胸に妙な圧迫感があった。
まるで、誰かが自分を見ている――
そんな気配。
(雫月様が危険に晒されるようなことは、あってはならない)
星華は巡回のため裏庭へ向かう。
その途中、ふいに耳の奥で声がした。
――十三番。
「……っ」
星華の足が止まる。
――十三番。命令を遂行しろ。
「……誰だ?」
周囲を見渡すが誰もいない。
しかし声は確かに、脳の奥に響いた。
――十三番。“標的”は、皇女。
「……皇女……?」
星華の胸が強烈な痛みで締めつけられる。
「やめろ……やめろ……!」
――標的を仕留めろ。それがお前の存在理由だ。
「黙れっ!!」
星華の声が夜の庭に響く。
だがその瞬間、別の“映像”が脳裏を走るように流れ込んだ。
――暗い回廊。
――幼い少女が泣き叫び逃げている。
――黒い仮面の少年が追い詰める。
――少年の手には血の滴る刃。
『十三番、標的を排除しろ』
『やめて……誰か……!』
刃を振り上げ――
「……あ……ああああ……っ!」
星華は地面に膝をついた。
視界が揺れ、呼吸が乱れ、心臓が凍るように冷たくなる。
(俺は……かつて……雫月様を……?)
震える手を見つめた瞬間――
「――星華!」
声が聞こえ、星華ははっと顔を上げる。
そこには、月明かりの下で息を切らして走ってきた雫月がいた。
星華を見つけると、迷いも恐れもなく彼のもとへ駆け寄った。
「星華、大丈夫!? 顔が真っ青よ!」
星華を抱き起こそうと両肩に手を添える。
「触らないで――!」
思わず星華は叫び、雫月の手を振り払ってしまった。
雫月の表情が、痛むように曇る。
「……ごめん。つい……」
星華は自分のしてしまったことに気づき、すぐに頭を下げた。
「違うの。私こそ……急に触ってごめんね」
雫月は優しい。
だがその優しさが逆に星華を追い詰める。
「……雫月様。俺は……あなたのそばにいてはいけない存在かもしれません」
「どうして……そんなこと言うの?」
「俺は……あなたを……殺そうとしたことがあるかもしれない……」
「……っ」
雫月の目が大きく揺れた。
だが星華は続ける。
「記憶が……断片ですが……思い出したんです。俺は……黒い仮面をつけて……幼い少女を……」
「星華……」
「俺が……あなたを傷つけようとしていたのなら……俺は……あなたのそばにいるべきではない」
星華の声は震えていた。
それは雫月を突き放したいからではない。
(……俺は……雫月様が傷つくのが……怖い)
だから、離れたいと言ってしまう。
雫月は星華の胸に手を置き、強く言った。
「星華。たとえ昔……誰かに命令されていたとしても……
“今の星華”は私を傷つけない。私はそれを知ってる」
「……雫月様……」
「だって星華は……私を守るために戦ってくれた。私のために、泣いてくれた。私のために……迷ってくれた」
雫月は涙を堪えながら、星華の手を握る。
「私は……そんな星華を信じるの。過去の星華じゃなくて……“今の星華”を」
「……っ!」
胸に刺さるような痛みと、溢れるような温かさ。
雫月は星華の頬をそっと撫でた。
「ねぇ星華。もしも本当に私を襲ったことがあるなら……その時の星華は“ひとりぼっち”だったんだと思う」
「……ひとり……」
「今は違うよ。星華には……私がいる。だから……ひとりで苦しまないで」
星華の瞳が震える。
(……俺は……ひとりじゃ……ない?)
その瞬間。
星華の背後の木々がざわりと揺れた。
「雫月様! 下がってください!」
星華は雫月を抱き寄せ、背後へ庇う。
風に混じって、聞き覚えのある殺気。
「見つけたぞ……“十三番”」
闇の中から黒い仮面が姿を現した。
帝国暗殺部隊《夜叉》。
星華の“かつての仲間”――いや、“処分者”。
「十三番。命令だ。“皇女”を殺して、お前も死ね」
「っ……!」
雫月が震える。
星華は雫月をかばい、低く呟く。
「……雫月様には……指一本触れさせない」
夜の闇が動き出す。
星華の過去と、敵勢力がついに姿を現した。
そしてその瞬間、ふたりの運命は大きく動き始める。




