第6話 すれ違う気持ち、寄り添う影 ― 後半 ―
夕陽が落ち、王宮の庭に淡い橙の光が漂う。
雫月と星華は、しばらく寄り添うように座っていた。
互いの手はまだ離れていない。
けれど、その距離の近さをどちらも指摘しない。ただ温かかった。
「星華……」
「はい」
「今日の星華は、なんだか……いつもより“星華らしい”気がしたの」
「……星華らしい、とは?」
「強さも、優しさも……弱さも。どれも全部、星華の一部なんだって……思えたから」
星華は言葉を失う。
雫月の言葉は、嘘や飾りが一つもなく、ただ真っ直ぐだった。
「星華が悩んでる時の顔……ちょっと切なかったけど……私は嫌じゃなかったの。むしろ……“頼ってくれた”って思えて、嬉しかった」
「……俺は雫月様に、頼っていますか?」
「うん。今日は……特に」
雫月は小さく微笑んだ。
「だって、星華……泣きそうな顔してたんだもの」
「……そんな顔をしていましたか?」
「してたよ。私、ちゃんと見てたもの」
星華は視線を逸らし、胸の奥に熱が走る。
(……雫月様は……こんなにも俺を見てくれているんだ)
「星華。弱いところを見せてくれるのは……その人を信じてる証拠よ。だから……私、それが嬉しいの」
雫月の言葉に星華は静かに頷く。
「俺は……雫月様を信じています」
「……!」
雫月の頬が一気に熱くなる。
「そ、それ……っ、急に言わないで……!」
「本当のことですので」
「本当のことだから余計に困るの……!」
雫月は泣き笑いのような表情で、星華に向き直った。
「ねぇ星華。私、今日……星華に言ったよね?」
「……はい。“好きだ”と」
「そ、それ……!」
思い出しただけで顔が真っ赤になる。
「あれ……本気だから……覚えておいて」
「……忘れません」
星華は真剣に答えた。
「俺は……雫月様にとって大切な存在でいたい。そして……あなたを悲しませることだけはしたくありません」
雫月の胸が大きく震え、唇が震える。
「星華……そんなこと言われたら……」
ぽろっと涙が一粒こぼれた。
「雫月様……!」
星華は慌てて雫月の涙を拭う。
「す、すみません……俺は……」
「ちがうの……星華の言葉が……嬉しくて……」
雫月は笑いながら涙を流していた。
「私……星華に、もっともっと……そばにいてほしい……」
その言葉に、星華の心臓が強く脈を打つ。
「雫月様……俺は……」
心の奥に生まれた感情が、言葉として形になろうとする――
その瞬間。
「殿下、お許しを。お迎えに上がりました」
侍女・玲奈の声が遠くから響き、二人は同時に振り返る。
玲奈は、優しく微笑んでいた。
「雫月様。そろそろご夕食のお時間です。……星華様、殿下をお願いします」
「はい」
星華は雫月の手を取ろうとした。
しかし、雫月はそっとその手を握り返し、ふわりと微笑む。
「星華。あとで……少し、話そうね」
「……はい」
二人の指がひっそりと絡まる。
その仕草を見ていた玲奈は、何も言わなかったが――
口元に、年上らしい優しい微笑が浮かんでいた。
夕食を終え、夜の帳が王宮を静かに包む頃。
雫月は星華を自室に呼んでいた。
「星華、来てくれてありがとう」
「当然です。雫月様のお呼びなら、いつでも」
雫月はベッドの上に座り、星華に隣へ来るよう手で示す。
「ここ。座って」
「で、ですが……執事がこのような近さで――」
「いいから。……お願い」
その“お願い”に逆らえるはずがなく、星華は静かに雫月の隣へ腰を下ろした。
距離は、手を伸ばせば触れられるほど。
けれど、雫月は迷わず星華の袖に触れた。
「ねぇ星華。今日、私……とっても嬉しかった。星華の弱いところを見て……“守らせてほしい”って思ったの」
「……守らせて、ですか?」
「うん。だって……星華はいつも私を守ってくれるでしょ?それなのに、自分のことになると全部ひとりで抱え込んじゃう」
雫月は胸の前で手を握る。
「そういうところも好きだけど……でも……星華が苦しそうなのは……いやなの」
星華は深く息を吸った。
(雫月様は……俺のことをここまで……)
「雫月様」
「なぁに?」
「俺は……あなたに救われてばかりです。だから……俺も、雫月様に恩を返したい」
「恩とかじゃなくて……」
雫月は星華の手を握った。
「私は、星華のそばにいたいだけなの」
「……俺も、雫月様のそばにいたいです」
雫月の目が大きく揺れる。
「じゃあ……」
「はい」
「これからも……ずっと、手を離さないで」
星華は雫月の手をそっと包み込んだ。
「離しません。……絶対に」
雫月は微笑み、そのまま星華の肩に頭を預けた。
「星華……あのね……」
「はい」
「胸が苦しくなる気持ち……たぶんそれはね――」
言いかけた瞬間、雫月のまぶたがふっと落ちる。
今日の感情の揺れで疲れたのだろう。
静かに小さな寝息が聞こえてきた。
「雫月様……?」
名前を呼んでも返事はない。
星華の肩にもたれて眠ってしまっている。
星華はしばらくその寝顔を見つめ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
(……この人を……守りたい)
それは義務ではない。
“執事だから”でもない。
もっと……ずっと深く温かい理由。
星華は雫月の髪に触れないようそっと体を支え、彼女をベッドに横たえた。
布団をかけると、雫月が寝言のように呟いた。
「……星華……いかないで……」
星華は喉が締めつけられるような想いに襲われた。
「行きません。……雫月様が望む限り、ずっと」
そう囁き、部屋の灯りを弱く灯したまま扉の前まで下がる。
振り返ると、雫月は穏やかな寝顔で眠っていた。
星華は小さく微笑み、静かに言う。
「……雫月様。この気持ちが何であれ……俺は、あなたの隣にいたい」
扉がそっと閉じる。
その夜――
ふたりの距離は、もう後戻りできないほど近くなっていた。




