第6話 すれ違う気持ち、寄り添う影 ― 前半 ―
翌朝。
雫月は昨日の余韻をまだ胸に抱えながら目を覚ました。
(……昨日の星華の言葉……)
“雫月様と一緒にいると世界が明るく見える”
その言葉が何度も頭の中で繰り返され、胸が甘くしびれる。
「……ふふっ」
思い出すだけで頬が熱くなる。
しかし、同時に胸の奥に小さな不安もあった。
(……星華は、どう思ってるんだろう。私と同じ気持ち……なのかな……)
雫月は胸に手を当て、そっと呟いた。
「もっと……知りたい……星華の気持ち……」
そう思った時、扉の外から静かなノックの音がした。
「雫月様。よろしいでしょうか?」
優しい声。
昨日と変わらぬ響きなのに、今日はなぜか胸が高鳴る。
「ど、どうぞ!」
扉が開き、星華が入ってくる。
雫月は急いで姿勢を正した。
「おはようございます。雫月様」
「おはよう、星華」
昨日より距離が近く感じる。
けれど今日の星華の表情はどこか固いようにも見えた。
(……あれ? なんだか……元気がない?)
雫月は心配になるが、それ以上に気づいたことがある。
「星華……少し……顔色が悪いわ」
「え……?」
星華は驚いたように瞬きした。
「そんなはずは……」
「だめ。嘘つかないで」
雫月は星華に歩み寄り、そっと顔を覗き込んだ。
「少しだけ、目が赤いの。……眠れなかったんでしょう?」
図星を突かれ、星華は視線をそらす。
「……すみません」
「やっぱり……眠れてなかったのね。どうして?」
「……考え事をしていました」
「考え事……?」
「はい。ただ……自分のことです」
雫月は胸がざわりと揺れた。
(……もしかして、昨日の……?)
「星華……」
雫月はそっと星華の手を取った。
「星華のことなら……私にも話して?」
「……雫月様」
星華の胸にも、昨日から続く葛藤があった。
(雫月様といると……こんなにも心が動く。でも……俺は……“夜叉”だったかもしれない。本当に……そばにいていいのだろうか)
昨日の幸福と同じくらい、恐れも胸に広がっていた。
雫月はそんな星華の苦しみに気づき、少し涙ぐむ。
「星華が苦しいのに……私、何も知らなくていいの……?」
「……」
「星華のこと、もっと知りたいの。星華の“今”も、星華の“不安”も……全部」
星華は言葉を失う。
雫月の気持ちは真っ直ぐすぎて、胸が締めつけられる。
(俺は……この人に……こんなにも想われている……?)
「雫月様……ありがとうございます」
「じゃあ……今日だけは、お願い。星華も少し……“私に頼って”?」
雫月の手が星華の手を包み、温かくて柔らかくて――泣きたくなるほど優しい。
「……はい」
星華はそっと頷いた。
その後、朝食を終えた二人は王宮の裏庭へ出た。
昨日とは違い、今日は静かな風が流れ、花々はゆっくりと揺れている。
「星華、ベンチに座りましょう?」
「はい」
二人は並んで座ったが、星華はどこか落ち着かない様子だ。
「星華……やっぱり、具合が悪いの?」
「体は問題ありません。ただ……」
「ただ?」
「雫月様の……笑顔を見たら……胸が苦しくなるんです」
「っ……」
雫月の心臓が跳ね上がる。
「だから……近くにいると……息が苦しいというか……」
「星華……っ……それ……!」
「雫月様……?」
「……それは……っ」
雫月は顔を両手で覆い、恥ずかしそうに揺れた。
(今の……絶対……!)
自分と同じ気持ちなのかもしれない――
そう思うと胸の中が花のように広がっていく。
しかし星華は続けた。
「……俺は、その気持ちの意味が分かりません。ただ……」
「ただ……?」
「あなたに嫌われるのが……怖いんです」
雫月は驚いて星華を見る。
「星華……嫌うわけないじゃない!」
「ですが……俺は“夜叉”だったかもしれない。もし俺が……あなたを傷つける存在だったのなら……」
星華の声が震える。
「俺は……雫月様の隣にいていいのか……分からないんです」
「星華……」
雫月は星華の手を強く握った。
「星華が誰だったとしても……私にとって星華は星華なの。私の大切な人。それは、絶対に変わらないわ」
「雫月様……」
「だから……離れようなんて思わないで。私……星華がいないと……すごく寂しいんだから……」
雫月の目に涙がたまる。
星華はその涙に胸をえぐられたような痛みを覚えた。
(雫月様は……こんなにも俺を求めてくれている……?)
星華は小さく息を吸い、そっと雫月の手を両手で包み込んだ。
「……分かりました。俺は……あなたのそばにいます。どんな過去があっても」
「っ……!」
雫月は涙がこぼれそうになり、慌てて袖で拭った。
「よかった……ほんとによかった……」
「泣かないでください。雫月様が泣かれると……俺まで苦しくなります」
「ぅ……だって……星華が……」
雫月はそのまま星華の肩に頭を預けた。
星華は驚いたが、そっと彼女の背に手を添える。
「……大丈夫です。俺は……ここにいます」
雫月は小さく頷いた。
二人の影は寄り添い、春の風が優しく二人を包み込んだ。
「――おや、珍しいところで会うね」
不意に声がして、雫月は星華の肩にもたれたまま顔を上げた。
「クレイン叔父様!」
そこには優しい笑みを浮かべたクレインが立っていた。
しかし、その表情には少しだけ複雑な影もある。
「仲がいいようで安心したよ。星華君……少し憔悴していたようだからね」
「……気づかれていましたか」
「当然さ。雫月を守る者は、心が揺れやすい」
「叔父様……」
クレインはふたりに近づき、穏やかに言った。
「雫月。星華君。君たち二人は……“お互いが支え合うこと”で強くなれる。王族と執事という関係でも、その本質は変わらない」
クレインはふっと優しく笑う。
「星華君。雫月を守りたいなら……“ひとりで背負おうとしないこと”だよ」
星華は息を呑んだ。
(……ひとりで背負うな……)
「雫月は強い子だ。でも……同時に誰よりも傷つきやすい。だからこそ寄りかかれる相手が必要なんだ」
雫月は星華を見つめる。
星華もまた、その視線に静かに応じる。
「……俺でよければ」
「ううん。星華じゃないとダメなの」
雫月は迷いなく答えた。
クレインは満足げに頷き、くるりと背を向けた。
「それでいい。……仲良くするんだよ?」
「は、はい……!」
「はい、殿下」
ふたりの返事に、クレインは軽く手を振って去っていった。
クレインが去った後、雫月は星華の袖をつまんだまま、小さく呟いた。
「ねぇ星華……」
「はい」
「今日は……星華の“弱いところ”が少し見えた気がして……なんか……嬉しかったの」
「嬉しい……ですか?」
「うん。だって、私にだけ……見せてくれたから」
星華は驚きつつも、雫月へと微笑んだ。
「雫月様……俺の弱さを受け入れてくださるのですか?」
「受け入れるわよ。全部。星華の強さも……弱さも……優しさも……」
風に乗って、雫月の小さく甘い声が響く。
「全部……好きだから」
「……っ」
星華の胸が大きく脈を打つ。
言葉が出ないほどに強く、甘く、優しい衝撃が胸に広がった。
雫月は照れながら笑った。
「星華……次は……星華の“好き”も……聞きたいな……」
星華は言葉を呑み込んだまま、静かに雫月の手を握り返した。
今はまだ、その言葉の意味をうまく言葉にできない――
けれど雫月を大切に想う気持ちだけは、誰よりも強く胸にあった。
そして二人は、夕陽に照らされながら寄り添うように立っていた。




